第5話 腹ペコ龍女神の実食と、勘違いの求婚
「……その匂い……たまらん……。頼む、我に、肉を食わせてくれ……餓死する……」
凄まじい轟音と共に空から墜落してきた、二本の黒角を生やした絶世の美女。
ボロボロの衣服を纏い、土埃にまみれながら地面を這いつくばって、俺の焼いたバッファローのステーキに向かってよだれを垂らす姿は、控えめに言って不者以外の何者でもなかった。
「あー……」
俺は手に持っていた包丁を下ろした。
隣では、ルゥが俺のエプロンの裾をギュッと握りしめ、警戒するように銀色のケモ耳をピーンと立てている。
「兄様、このお姉ちゃん、お腹ぺこぺこみたいだよ?」
「みたい、だな。魔物って感じじゃなさそうだし……怪我人、なのか?」
あんな数十メートルの上空から、地面にクレーターができる勢いで墜落してきて、五体満足で肉をねだっている時点でただの人間ではないことは確定している。
王都を目指す道中、こんな得体の知れない奴に関わるのはリスクが高すぎる。
だが、俺は料理人だ。
それに、レオン爺さんに拾われた日の俺たち兄妹も、今のこの女と同じように、ただひたすらに腹を空かせて、泥だらけで泣いていたのだ。
目の前で腹を空かせている奴を、そのまま見殺しにする趣味はない。
「……味見役にはちょうどいいか」
俺はため息をつき、分厚く焼き上がった天駆牛のステーキをナイフで大きめに切り分けた。
表面はカリッと香ばしく焼け、中からは美しいロゼ色の赤身肉が顔を出す。溢れ出す肉汁が鉄板の上でジュワァァァッと弾け、暴力的なまでの香りが再びサバンナに広がった。
俺はそれを木皿に乗せ、用心しながら美女の目の前へと差し出した。
「ほらよ。ものすごく熱いから、少し冷ましてから気をつけ——」
「肉ゥ゛ゥ゛ゥゥッ!!」
俺の言葉が終わるより早く、美女は野生の獣のような凄まじいスピードで皿に飛びついた。
熱々の分厚い肉塊を両手で鷲掴みにすると、そのまま豪快に噛み付く。
「ッ!?」
その瞬間、美女の動きがピタリと止まった。
彼女の黒曜石のような瞳が、極限まで見開かれる。
無理もない。常に空を飛び続け、はじき返すような弾力。そして、硬直していたはずの天駆牛の肉は、俺の『クッキング・ダンジョン』のスキルによって繊維を完璧に断ち切られている。
彼女が歯を立てた瞬間、その分厚い肉は、まるで長時間煮込んだホロホロのシチュー肉のように、口の中で優しく解けたはずだ。
閉じ込められていた肉汁が、噛むたびに爆発する。
サバンナの過酷な環境で育った野性味溢れる脂の甘みと、俺たちの畑で採れた『赤炎唐辛子』のピリッとした心地よい刺激。
そして岩塩の塩気が、肉本来の旨味を何十倍にも引き上げている。だが、それだけではない。
「な、なんだこれは……ッ!?」
美女の目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
肉を咀嚼したまま、彼女の身体が微かに震え始める。
「口の中で溶けるような極上の味わい……だが、それだけではない! 我の空っぽだった魂の底を、温かく、優しく包み込んで満たしていくこの凄まじい波動は……ッ!」
「お口に合ってよかったよ」
「あうっ、はむっ、んぐっ……美味い! 美味すぎるぞ、人間! 我が何百年も苛まれていた呪いのような飢えが、冷え切った心が、一瞬にして癒やされてゆく……!」
それは、ルゥが肉にかけた『ラブ・エンハンス』の効果だった。
愛情や幸福感といったポジティブな感情を増幅させるその魔法は、どうやら何百年も空腹と孤独に耐えてきたらしいこの謎の美女の脳髄に、強烈すぎる多幸感をもたらしたらしい。
美女は文字通り白目を剥きかけ、顔を肉汁と涙でぐしゃぐしゃにしながら、あっという間に巨大なステーキ肉を平らげた。
そして、最後の一欠片を飲み込むと、満足げにぽっこりと膨らんだお腹をさすり、その場に大の字になって夜空を見上げた。
「ふぅ……食った、食った。まさか下界にこれほどの美味が存在したとはな。あの温かな魔力の波……まるで、母親の腕の中に抱かれているような安心感であったぞ」
「そりゃどうも。落ち着いたか? あんた、一体何者なんだ?」
「我か? 我は古よりこの世界を見守る『龍女神』、ライラ・オブシディア……げふっ」
美女——ライラが偉そうに名乗りを上げながら、小さく、しかしとても幸せそうにゲップを吐き出した。
その、瞬間だった。
ゴォォォォォォォォォォォッ!!!
「「えっ?」」
ライラの口から放たれた『ただのゲップ』が、突如として緑色に輝く暴風の塊へと変貌したのだ。
それは瞬く間に直径数十メートルの巨大な竜巻となり、周囲の草を根こそぎ巻き上げながら、ものすごいスピードでサバンナの彼方へとすっ飛んでいった。
ズドォォォォォォォォン!!!
遠くの地平線の方から、何か硬い岩盤のようなものが木っ端微塵に砕け散る理不尽な破壊音が響いてくる。
地面を深くえぐりながら遠ざかっていく理不尽な天災を見送った後、辺りには静寂だけが残された。
「……い、今のは?」
俺は引きつった顔で、呆然と竜巻の消えた方角を指差した。
「む? ああ、驚かせてすまない。どうやら貴様の料理した肉が『風属性』の強烈な魔力を秘めていたようでな。我の神核がそれを取り込み、ブレスとして反射してしまったようだ。天駆牛の肉は、風を纏うからな。あ、一応言っておくが我慢は出来なくもないぞ? 」
なんという大迷惑な体質だろうか。俺の料理の属性で火力が変わるのか、この神様。
というか、今のゲップ、遠くの岩場の方角に飛んでいった気がするが、誰も巻き込まれていないだろうな……? 俺には知る由もないが、とりあえず見なかったことにしておこう。
「しかし……そうか。なるほど、そういうことか」
ライラは急にガバッと身を起こすと、真剣な、いや、少し頬を赤らめた熱っぽい視線で俺を見つめてきた。
「どうした? まだ食い足りないのか?」
「貴様! 我を助けるためとはいえ、あの極上の肉に、これほど強烈な『愛の魔力』を込めて食わせるとは……!」
「は? いや、愛の魔力ってのはルゥのおまじないで……」
「言い訳はよい!!」
俺の言葉を遮り、ライラは立ち上がって俺の目の前に迫ると、俺の両肩をガシッと掴んだ。
背の高い彼女の顔が、鼻先が触れ合うほどの距離に近づく。絶世の美女の顔面ドアップに、俺は思わずのけぞった。
「まさか、神である我に対して『魂の伴侶』となれという、命懸けの求婚の儀式であったとはな!」
「違う! 全然違うから! 勘違いだ!」
「照れるな! よかろう! その情熱と愛、そして何よりその『料理の腕前』、しかと受け取った! 貴様は今日から我の専属飯炊き係……人間界の言葉で言う『夫』になれ!」
「はああああ!?」
「さあ、愛の契りを結ぼうぞ! 手始めに、もう一枚肉を焼くのだ!」
顔を近づけてくるライラ。熱烈なプロポーズのようで、言っていることはただの「ご飯のおかわり要求」である。
俺が完全にツッコミの限界を超えてフリーズした、まさにその時——。
「だめーーーーーーっ!!」
ドゴォォォォン!!
横から飛んできたルゥの強烈なドロップキックが、ライラの脇腹にクリーンヒットした。
「ぐはぁっ!?」
いくら無防備だったとはいえ、神を名乗るライラの身体が、くの字に折れ曲がって数メートル先まで吹っ飛んでいく。
ライラは地面をゴロゴロと転がった後、信じられないものを見るような目でルゥを睨みつけた。
「い、痛っ……! な、なんだ貴様! ただの獣人の小娘かと思えば、なんという馬鹿力……いや、待て。今の打撃に乗っていたこの気配……貴様、ただの獣人ではないな!?」
「この泥棒トカゲー! 兄様はルゥの兄様だもん! どこの馬の骨とも、ツノの女ともわからない人に、絶対に渡さないんだからね!」
「ぐぬぬ……我が妻の座を認めぬと言うのか! やるというのか、義妹(予定)よ!」
「だれが妹だー! 兄様の後ろに隠れてて! ルゥがドーンってしてあげるから!」
俺を庇うように両手を広げて威嚇するルゥ。
そして、なぜか嬉しそうに腕をまくり、臨戦態勢に入る龍女神ライラ。
見渡す限りの大草原のど真ん中で、謎の神様と規格外の妹による、俺の胃袋(というか俺が作る料理)を巡る意味不明なヒロインバトルが勃発しようとしていた。
「……なんで、こうなるんだよ……」
俺は残されたバッファローの生肉を抱えながら、ただただ、頭を抱えるしかなかった。
俺たちの王都への旅は、開始早々、前途多難すぎる幕開けを迎えていたのだった。
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