第22話 エルフの追憶と、食の女神の転生特典
静まり返った冒険者ギルド本部の一階酒場。
先ほどまで俺たちを魔法も使えない底辺の男と嘲笑し、荷物持ちの男たちを顎で使ってふんぞり返っていた女冒険者たちは、今や顔面を蒼白にして綺麗に道を空けている。
誰もが息を潜め、恐怖と畏敬の入り混じった視線を向けるその中央を、俺たちは静かに歩みを進めた。
先導するのは、この王都ギルドを力と恐怖で統べるギルドマスター、エルフの女だ。
「さっさと歩きな。アタシの執務室は二階の最奥だ」
コツ、コツと、彼女の硬い革靴のヒールが木製の階段を鳴らす。
背中に背負われた巨大な戦鎚からは、大気中の魔力を歪めるほどの圧倒的な威圧感が漂っていた。
だが、俺の隣ではルゥがおっきいハンマーと無邪気にケモ耳を揺らし、ライラは俺が渡した水筒の火酒をチビチビと煽っている。
後ろではセリアが、いつ戦闘が起きてもいいように色褪せた軽鎧の継ぎ目をこっそりと確認していた。
「入れ。そこら辺のソファーに適当に座りな。アタシはシャーリー。この腐った王都で、血の気の多い馬鹿どもの元締めをやっている」
重厚な両開き扉が開くと、そこは分厚い絨毯の敷かれた広大な執務室だった。
シャーリーは背負っていた戦鎚を壁にドスンと立てかけ、部屋の奥にある巨大な黒檀の執務机にどかと腰を下ろす。
長く尖った耳と、圧倒的な美貌。だが、彼女が懐から取り出した太い葉巻を咥え、指先の微かな魔法で火を点けて紫煙を吐き出すその仕草は、百戦錬磨の荒くれ者そのものだった。
漂ってきたその煙を嗅いだ瞬間、視界の端に無機質な光の文字が浮かび上がった。
『通知。煙草の葉の成分を解析。火竜の生息地帯に群生するドラゴングラスがブレンドされています。強烈なスパイス香を含有』
なるほど。爺さんの遺したシステムは匂いだけでも鑑定できるらしい。強烈だが、芯のある良い香りだった。
シャーリーは黄金の瞳で俺の腰に帯びている鈍色の概念包丁を真っ直ぐに見据えた。
「……で。お前、レオン・クロムウェルの身内なんだな。あの馬鹿は、今どこで何をしている」
その声には、ギルドマスターとしての威厳だけでなく、旧友を想うような微かな震えが混じっているように聞こえた。
俺は少しだけ沈黙し、静かに真実を告げた。
「レオン爺さんなら、数年前に辺境の村で寿命で死んだよ。セレスティア婆さんと一緒に、最期まで穏やかにな」
「……」
一緒に死んだ。
その言葉を聞いた瞬間、シャーリーの目に確かな動揺が走るのが見えた。
彼女は葉巻を持つ手をピタリと止め、深く、長い息と共に紫煙を天井へと吐き出した。
「……そうか。あの規格外の馬鹿も、セレスティアも、寿命で、な。……そうか」
シャーリーは目を閉じ、何かを噛み締めるように何度も頷く。
冒険者という職業柄、ベッドの上で天寿を全うできる者は極めて少ないのだろう。
凄惨な死が日常であるこの世界において、夫婦揃って穏やかに寿命で死んだという事実は、ある意味で最高の幕引きなのかもしれない。
「あんた、爺さんたちの昔の知り合いなのか」
「ああ。アタシがまだ駆け出しの冒険者だった頃、あの夫婦とパーティーを組んでた時期があってね。本当に、めちゃくちゃな連中だった」
シャーリーは懐かしむように目を細め、呆れたような、それでいてどこか優しい笑みを浮かべた。
「お前の腰にあるその鈍色の包丁も、当時あいつが俺の魂の業物だと言って、毎日異常な執念で手入れしていたものさ」
「レオン爺さんが」
「レオンの奴はな、元々は王都でも名のあるクロムウェル公爵家の人間だったんだ。血筋も魔力も申し分なかった」
「元貴族。しかも公爵家……」
「だが、あの男は魔法至上主義の貴族社会の腐敗に心底嫌気が差していてね」
シャーリーは葉巻の灰を落とした。
「ある日突然、俺は究極の飯を作って、理想の店を開く。こんな味気ない魔法のゼリーばかり食ってる連中とはおさらばだ、と叫んで家を飛び出した、とんでもない変わり者だったのさ」
「家出をして、婆さんに拾われたのか」
「ああ。そこから色々とあってアタシたちと組むことになったんだが……あいつの頭の中には、時々アタシらには到底理解できない、別の世界の知識みたいなものが詰まっていた」
別の世界の知識。
その言葉に、俺はハッとした。
レオン爺さんが残したクッキング・ダンジョンという、この世界の理から完全に逸脱した謎のシステム。それに、爺さんだけがブツダンという奇妙な木の箱に祀られ、線香という香木を焚くことを望んだこと。
幼い頃から感じていた違和感の正体。爺さんは、この世界とは違う、まったく別の場所の記憶を持っていたのだ。
「あいつはよく、ギルドの酒場で泥酔しながらおかしな世迷い言を叫んでいたよ。俺の夢は、フリフリの服を着た可愛いメイドが給仕をしてくれるメイドカフェという店を作ることだ、ってな」
「……めいど、かふぇ?」
「そうだ。白と黒のヒラヒラした布切れみたいな服らしい。しかもあいつ、自分が作った飯を客に出す時に、客に向かって謎の古代呪文を唱えさせようとしていてね」
シャーリーがやれやれと肩をすくめる。
「アタシも何度かやらされそうになって、その度にこのハンマーであいつの頭をカチ割ってやったもんさ」
俺の脳裏に、幼い頃の記憶がフラッシュバックした。
俺がまだ包丁も握れないほど小さかった頃、レオン爺さんが夜な夜な布を縫い合わせ、ルゥに奇妙なヒラヒラの服を着せようと奮闘していたことがあった。
あれは、単なる爺さんの乱心ではなく、前世の夢を孫娘で叶えようとする血の滲むような、そして最低な努力だったというのか。
俺が戦慄しているその時。
隣で大人しく話を聞いていたルゥが、突然パァァッと顔を輝かせて身を乗り出した。
「お姉ちゃん、それ知ってる。レオンのお爺ちゃんが、ルゥに一番最初に教えてくれた、お料理が世界一美味しくなる愛のおまじないでしょ」
「……おまじない?」
「うんっ。いくよ」
ルゥは淡いピンク色に輝くローズクォーツのジェムを取り出し、両手で包み込んだ。
「美味しくな〜れ、萌え萌えキュン♡ ラブエンハンス」
紅い宝石が輝き、ルゥの満面の笑顔と共に、純粋な愛情魔法の淡いピンク色の光が執務室の中をふわりと温かく包み込む。
その光を浴びた瞬間、シャーリーの机の上に置かれていた冷めた安物の紅茶から、突如として淹れたてのような芳醇な香りが立ち昇った。
愛の魔力が飲み物の温度を再加熱し、風味を極限まで引き上げたのだ。
室内に静寂が落ちた。
エルフのギルマスは、口に咥えていた葉巻をポトリと膝の上に落とし、ポカンと口を開けて完全に固まっている。
隣ではセリアが、タロウ様のご実家の神聖な儀式なのですね、愛の力で味が良くなるなんて、私もタロウ様のためにメイドカフェのメイドとやらになりますわ、と的外れな感動の涙を流して両手を組んで祈っている。
一方の俺は。
両手で顔を深く覆い、天井を仰いでいた。
点と点が、この上なく最悪で滑稽な形で繋がってしまった。
ルゥが俺の飯を美味しくするために、毎日毎日一生懸命に唱えてくれていた、あの純粋で健気な愛の魔法の呪文。
あれは、古代の神聖な儀式でも、深遠な魔術の詠唱でもなんでもない。ただの、レオン爺さんの前世の産物だったのだ。
悪の組織に追われ、命を賭して俺たちを隠した実の親たち。そんな過酷な運命から俺とルゥを拾い上げ、惜しみない愛情を注いでくれた立派な育ての親であるレオン爺さん。
だがその一方で、純真無垢な孫娘に、自分の叶わなかったオタクの夢を託して、あろうことか魔法の触媒にまで仕立て上げるとは。
極上のエモい過去と、取り返しのつかないギャグが脳内で衝突し、俺の頭痛は限界を突破しそうだった。
「……ふむ。なるほど、そういうことか」
頭を抱える俺の横で、酒樽を抱えたライラがひどく納得したように顎を撫でた。
彼女の黒曜石のような瞳から酔いがスッと引き、神としての底冷えするような理知的な光が宿ったように見えた。
「アタシと同じ神格である食の女神。あの女は、人間が極上の味を知れば、それを巡って必ず血みどろの戦争を起こすと危惧した」
「だから世界の底に美味いものを封印して、魔力だけを地上に溢れさせたんだよな」
「そうだ。結果としてこの世界は、火加減すら知らない魔法使いどもが威張り散らす味気ないディストピアになったわけだが……同時にあの女神は、ひどく気まぐれな女でもあってな」
「気まぐれ?」
「タロウ、お前のそのクッキング・ダンジョンとかいうおかしな空間。そいつは恐らく、別の世界から迷い込んだレオンとかいうオタクの魂に、食の女神が転生特典として与えた箱庭だ」
ライラの言葉に、俺は弾かれたように顔を上げた。
「転生特典……」
「女神は世界全体の味覚の進化は封印したが、異世界から来た魂一つに、封印蔵のミニュチュアを持たせるくらいなら問題ないだろうと判断したのだろうさ」
ライラはニヤリと笑い、火酒をあおった。
「結果として、お前のような物理調理の化け物を育て上げ、封印の結界をブチ破り、アタシの胃袋を完全に掴むに至ったのだから、神の計算などアテにならんということだ」
俺は一人で合点がいった。
食の女神が、一人なら問題ないと高を括って与えた箱庭。それが、異世界転生者であるレオン爺さんの異常な探求心と結びつき、独自の進化を遂げた。そこに実の親に捨てられた俺とルゥの魂が、奇跡的な引力で引き寄せられたということか。
「……ははっ、あははははっ」
突然、シャーリーが腹を抱え、机をバンバンと叩いて大爆笑し始めた。
「傑作だ。あの馬鹿、死ぬまで自分の夢を諦めてなかったのか。しかも、あんなふざけた呪文を、神の転生特典と結びつけて、本当に魔法の触媒にまで昇華させちまうなんてな」
「笑い事じゃない。こっちは真実を知って、今すごく複雑な気分だ。爺さんの墓を掘り起こして説教してやりたいくらいにな」
俺が深いため息をつくと、シャーリーは笑い涙を指で拭いながら、スッと真剣なギルドマスターとしての鋭い目つきに切り替わった。
「だが、お前があのレオンの育てた男で、あの包丁を受け継いでいるなら話は早い。タロウ、ここからは王都の裏の話だ。よく聞け」
「裏の話?」
「ああ。最近、王宮の連中や近衛騎士団の諜報部が、しきりに王都の外れにあるボロ廃城、つまりお前たちの動向を嗅ぎ回っているんだ」
シャーリーの言葉に、セリアがビクッと肩を震わせた。
俺は眉をひそめる。
「テローラの差し金か。あいつなら市場のゴミ食材を買い占めて自爆したし、今はうちの拠点で芋の皮むきをしてるが」
「あの高慢ちきな特使の自爆は関係ない。むしろ、その影響がデカすぎたのさ。王国のエリート令嬢たちが、揃いも揃って没落令嬢の廃城に入り浸っている。これが王族の耳に入らないわけがない」
「……」
「連中は警戒しているのさ。お前という正体不明の平民の男が、高位貴族の令嬢たちを未知の呪術か何かで洗脳し、国家転覆を企んでいるのではないか、とな」
シャーリーは葉巻の灰をトントンと落とした。
俺の作る料理が美味すぎるせいでファンクラブ化した令嬢たちが入り浸り、結果として王族からテロリスト予備軍としてマークされてしまったらしい。まったく、とんだとばっちりだ。
「だが、お前がアタシの旧友の息子であり、ギルドの有益な戦力となれば話は別だ。ギルドは国家権力からも独立した組織だからな」
「俺を特例のS級冒険者として登録すれば、王族もうかつには手を出せなくなるってことか」
「その通り。お前、王都の地下水脈で見たこともないような未知の極上食材を探しているんじゃないのか」
シャーリーは机の引き出しから、一枚の古びた羊皮紙の手配書を取り出してテーブルに叩きつけた。
そこに描かれていたのは、巨大な魚の魔物と、それを狙う三又の銛、そして水飛沫を上げる影の絵だった。
「王都の地下水脈に広がる奈落の迷宮。あそこは魔法を完全に反射する魔物が多くて、高位魔法使いどもじゃ手が出せない危険地帯だ。お前らも昨日、そこで巨大なリヴァイアサン・シュリンプを仕留めてきたんだろう。アタシの耳には入ってるぞ」
「まあな。極上の揚げ物になったよ」
「だろうな。だが最近、あそこでギルド未登録の密猟者が暴れ回っていてね」
密猟者。
その単語を聞いた瞬間、俺の脳裏に、数日前に廃城の地下迷宮で見つけたあの見事な三枚おろしの骨の記憶がフラッシュバックする。
骨に身を一切残さない、完璧な刃物による解体。俺以外の、純粋な物理技術と刃物を持つ謎の同業者だ。
「そいつは、ギルドが目を付けていた特級の海鮮魔物を、アタシらが動く前に次々と横取りしてやがるんだ。目撃情報によれば、水棲獣人の海猫族らしい」
「海猫族か」
「お前ら、そいつより先に迷宮の最深部に潜む幻のヌシを獲ってこい。あるいは、その生意気な密猟者を、お前の料理の腕で完全にわからせてやるか、だ」
俺は手配書を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。
相手がどんなすばしっこい密猟者だろうが、最高の食材を目の前にして引く気は一切ない。
だが、俺よりも先に反応したのは、隣にいたルゥだった。
「海猫。お魚の匂いがする、生意気な泥棒猫……」
ルゥはギリッと小さな犬歯を剥き出しにし、ピクッと銀色のケモ耳を限界まで逆立てた。
イタチ科のオコジョである彼女にとって、ネコ科で海産物好きの海猫族は、本能レベルで絶対に相容れない天敵であり、水と油の存在なのだろう。
「兄様。ルゥ、そいつ絶対に許さない。兄様のお魚を横取りする悪い泥棒猫は、ルゥがドーンってしてあげる。お鼻をペチャンコにしてやるんだから」
フンスッ、フンスッと鼻息を荒くしてファイティングポーズをとるルゥ。
王族の不穏な影と、地下深くに潜む幻の食材。そして、見知らぬ海猫族の密猟者。
「ルゥ、程々にな」
俺はそう言って、ルゥの丸耳をポフポフと弾ませるのだった。




