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第21話 美食の虜と、未踏の大物(そざい)を求めて

 ロルテーゼ公爵邸での狂乱の「夜会」から、数日が経過した。


 あの一夜を境に、王都の空気は劇的に変わった。……正確に言えば、特権階級の貴族たちの「鼻と舌」が完全におかしくなってしまったらしい。


  特使テローラが強行していた市場の兵糧攻めは、一夜にしてあっさりと解除された。


 というよりも、俺の作った『迷宮蟹と泥蓮の黄金醤炒め』の味と香りが脳髄に焼き付いてしまった高位貴族たちが、深刻な『魔力料理ロス(禁断症状)』に陥ってしまったのだ。


  彼らは、これまで最高級だと思っていた「光るだけの魔法料理」が、完全に味気ない泥水やパサパサの砂利にしか感じられなくなり、幻の料理人を探し回り始めた。


 さらには、「泥に塗れた醜い野菜の中にこそ、真の美食があるのだ!」と勘違いした貴族たちが、こぞって市場の底辺の泥野菜や端肉をアホみたいな高値で買い漁り始めたため、王都の商人たちはホクホク顔だという。


  だが、俺の『概念包丁』による下処理や、ルゥの『ラブ・エンハンス』、そして神の調味料がなければ、泥野菜はただの泥野菜だ。


 連日、貴族たちの館からは「あの夜の味はこんなものではない!」という絶望の叫びが響き渡っているらしいが、俺の知ったことではない。


 「……ふぅ。やっぱり、こっちの静かな厨房の方が落ち着くな」


  王都の喧騒から遠く離れたボロ廃城で、俺は使い慣れた巨大な鉄鍋を磨きながら小さく息を吐いた。


 窓の外では、ライラが朝から景気よく酒瓶を煽り、無事に帰還したルゥが愛らしいオコジョの姿で日向ぼっこをしながら俺の足元にすり寄ってくる。


 セリアたちも相変わらず廃城の掃除に精を出しているが、その顔つきは以前よりもずっと明るく、艷やかだ。


  平和な日常が戻ってきた。


 だが、その平和を破る「招かれざる客」が我が家の門を叩いたのは、俺が朝食の仕込みを始めようとした矢先のことだった。


 「た、タロウ様。あの方が……あの方がまた、門の前に」


  セリアがひどく引きつった顔で俺を呼びに来た。


 俺はため息をついて布巾で手を拭い、重い木製の扉を開けた。


 「……また来たのか、あんた」


「お、お待ちしておりましたわぁぁぁっ!!」


  そこにいたのは、豪華なドレスに身を包んだ高慢な公爵令嬢……の面影など微塵もない、薄汚れた平民の古着に身を包み、ゲッソリと頬をこけたテローラ・ロルテーゼだった。


  彼女は俺と目が合った瞬間、地面に勢いよく膝をつき、そのまま額を泥に擦り付ける見事な『土下座』を決めた。


 その後ろには、市場から買い占めたであろう新鮮な野菜や肉が山のように積まれた木製の荷車がある。


 「お願いですわぁ! この食材は全部、無償で差し上げます! 皿洗いでも、芋の皮剥きでも、床の雑巾がけでもなんでもしますわ! だから……どうか一欠片でいいから、あのお料理の『賄い』を私に恵んでくださいましぃぃっ!!」


  王都の特使だったはずの女が、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣き喚いている。


 聞けば、あの日以来、彼女は自分の館の食事が一切喉を通らず、餓死寸前まで追い詰められていたらしい。特使としてのメンツも、公爵令嬢としての矜持も、完全にへし折れてしまったのだ。


  プライドの欠片もなくなったその姿に、後ろで見ていたエレオノーラやクロエも「もはや哀れですわね……」と遠い目をしている。


 「……勝手にしろ。ただし、厨房の邪魔だけはするなよ」


「あ、ありがとうございますわぁぁっ!! タロウ様ぁぁっ!!」


  俺が使い古した予備のエプロンを頭に投げてやると、テローラは狂喜乱舞し、そのエプロンに頬ずりしながら裏庭の芋の皮剥き場へと猛ダッシュしていった。


 彼女にとっては「特権階級の椅子」よりも「俺の飯のパシリ」になることの方が重要になってしまったようだ。とんだ食い意地の張り方である。



  ◇



  騒動が一段落し、廃城の巨大なダイニングテーブルに朝食が並べられた。


 今日のメニューは、迷宮で獲れた巨大魚のアラをじっくりと煮込んで出汁を濃縮した『究極の海鮮朝粥』と、神の封印蔵の調味料で漬け込んだ副菜たちだ。


 「はふっ、はふっ……美味しい! お腹の底から温まりますわ!」


「きゅぅぅ〜っ♪(幸せ〜っ!)」


  セリアが艷やかな笑顔で熱々の粥を頬張り、ルゥが俺の肩に乗って尻尾をパタパタと振る。


 ライラは朝から粥をアテに酒を飲み、エレオノーラたちも行儀よく、だが凄まじいスピードで匙を動かしている。


 「あぁっ……ただのお粥なのに、どうしてこんなに奥深い味がするのぉぉっ! 止まらないわぁぁっ!」


  部屋の隅では、山のような芋の皮剥きを終えたテローラが、木製のどんぶりを抱え込み、大粒の涙を流しながら賄いの粥を貪り食っていた。


  俺はその賑やかな朝の食卓を眺めながら、自分用の粥を口に運んだ。


 美味い。文句のつけようがない味だ。


 ……だが、同時に俺の中の「料理人としての欲」が、密かに疼き始めているのを感じていた。


  第三の扉の調味料や、迷宮の食材は確かに極上だ。しかし、手持ちの素材だけで作れるメニューの幅には限りがある。


 より深く、未知の味の領域に踏み込むためには、市場に流通していない「特別な素材」――例えば、誰も見たことがないような魔獣の極上肉や、危険地帯にしか自生しない幻の香辛料などを、自ら調達しに行く必要がある。


 「……なあ、クロエ」


  俺が声をかけると、クロエが匙を置き、銀縁メガネをクイッと押し上げた。


 「この辺りで、市場には絶対に出回らないような『ヤバい素材』が手に入る場所ってのはないか?」


「それでしたら、タロウ様。間違いなく王都の『冒険者ギルド』へ行かれるのが一番ですわ」


  クロエは迷うことなく答えた。


「未踏破領域に生息する強力な魔獣の部位や、人跡未踏の秘境の特産品……。そういった最高ランクの素材は、すべて冒険者ギルドが独占管理しておりますの。腕の立つ者だけが、その恩恵に与れますわ」


 「冒険者ギルド、か」


  俺の胸の中で、静かに火が点いた。


 神界の熟成された調味料と、まだ見ぬ未知の獰猛な魔獣の肉。それを俺の『概念包丁』で捌いたら、一体どんな味が生まれるんだろうか。


 想像しただけで、手が疼く。


 「よし。ルゥ、ライラ、セリア。……ちょっとギルドに行って、新しい『獲物』を探してくるか」


「はいっ! どこへでもお供します、タロウ様!」


「おお、面白そうじゃな! 冒険者どもの酒場なら、珍しい火酒もあるかもしれん!」


  俺は腰に巻いたエプロンの紐を強く締め直し、愛用の概念包丁を鞘に収めた。


「テローラ。留守の間に、裏庭の芋を全部剥いておけ。帰ってきたら肉を焼いてやる」


「は、はいぃぃっ! お任せくださいませタロウ様ぁぁっ!」


  俺たちは、涙声で敬礼する下働きを廃城に残し、王都の中心部にある巨大な石造りの建物――冒険者ギルドへと向かった。



  ◇


  王都・冒険者ギルド本部。


 重厚な木の扉を押し開けると、むせ返るような汗と酒、そして獣の脂の匂いが漂ってきた。


  ギルドの中を見渡して、俺はすぐにこの場所の『異様な空気』を理解した。


  酒場の中心で高価な装備に身を包み、ふんぞり返って酒を飲んでいるのは、全員が女の魔法使いだ。


 一方で、大剣や盾を持った屈強な男たちは、彼女たちの機嫌を伺うように端の方で縮こまったり、重い荷物を運ぶ下働きのような扱いを受けている。


  この世界における絶対的な常識。魔法を使える女が特権階級であり、魔法の使えない男はそれに傅くという「女尊男卑」の社会構造が、この荒くれ者の集まりにも根付いているらしい。


  だが、そんな王都の常識など俺にはどうでもいいことだ。


 俺の目的はただ一つ、極上の素材を手に入れることだけ。


  俺は周囲の異様な空気など完全に無視して、受付へと真っ直ぐに歩き出した。


 しかし、その態度はギルドの空気に染まった連中の気に障ったらしい。


 「ちょっとアンタ。見ない顔ね」


  俺の行く手を、派手な杖を持った女冒険者たちがニヤニヤと笑いながら塞いできた。


 「魔法も使えなさそうなタダの男が何の用かしら? しかも腰にあるの、剣じゃなくて『包丁』じゃない。お料理でもしに来たの?」


「あははっ! 男は黙ってアタシたちの荷物持ちでもしてればいいのよ!」


  ギルド中の女たちが下品な笑い声を上げ、男の冒険者たちは関わり合いになりたくないとばかりに目を逸らした。


 「……」


  俺は小さく息を吐いた。


 絡まれるのは面倒だが、相手にするだけ時間の無駄だ。俺は彼女たちの安い挑発を完全に黙殺し、横を通り抜けようとした。


 だが、俺よりも先に、俺の背後に控えていた『身内』たちの堪忍袋の緒が切れた。


 「――っ!」


  俺の肩に乗っていたオコジョ姿のルゥが、ポンッと白い煙を上げて本来の銀髪の獣人(人間形態)へと戻り、ギリッと鋭い犬歯を剥き出しにした。


「お兄様を馬鹿にする泥棒猫は、ルゥがドーンってしてあげる……っ!」


「ふはは! 我の飯炊き係(夫)に楯突くとは良い度胸だ! ギルドごと消し炭にしてやろう!」


「タロウ様への侮辱、万死に値しますわ」


  ルゥが拳をボキボキと鳴らし、ライラは手のひらに危険な緑色の暴風を練り始め、セリアに至っては冷たい眼差しで臨戦態勢に入っている。


 こいつら、少しは手加減というものを覚えろ。女冒険者たちは、自分たちが今、どれほど恐ろしい『規格外の暴力』のスイッチを押してしまったのか全く気づいていない。


 「……待て、お前ら。早まるな」


  俺は深く溜息をつき、今にも暴発しそうな三人の前に腕を出して制止した。


「俺たちは極上の素材を探しに来ただけで、建物を解体しに来たわけじゃない。あんな連中、放っておけ」


 「ぶーっ! 兄様がそう言うなら、我慢するけど……!」


  ルゥが不満げに頬を膨らませるのをなだめつつ、俺は再び受付へ向かおうとした。


 だが、怒り狂う身内をたった一言で制止した俺の態度が、逆に女たちを逆上させたらしい。「無視する気!? この底辺の男が!」と、彼女たちが魔法の杖を振り上げようとした、その時だった。


 「――やかましいッ!! ギルドの中で、発情した泥棒猫みたいにピーチクパーチク喚くんじゃないよッ!!」


  ドゴォォォォンッ!!


 ギルドの奥にある二階のテラスから、大気を震わせるような凄まじい怒声と共に、巨大な魔力の波動が酒場全体に叩きつけられた。


 「ひぃっ!? ギ、ギルドマスター!」


  さっきまで俺に突っかかろうとしていた女冒険者たちが、顔面を蒼白にして一斉に道を開ける。


 そこから姿を現したのは、燃えるような紅蓮の髪を無造作に束ねた、一人の女だった。


 尖った長い耳と、年齢不詳の圧倒的な美貌。


 だが、その口には太い葉巻が咥えられ、背中には彼女の身長ほどもある巨大な戦鎚ウォーハンマーが背負われている。


 冒険者ギルドの頂点に君臨する、歴戦のエルフだ。


 「ったく……少し目を離せば、すぐに下らねぇ真似しやがって。アタシのギルドでつまんねぇ揉め事起こす奴は、この『砕星さいせい』のハンマーでミンチに……」


  舌打ちをしながら階段を下りてきたエルフのギルマスが、ふと、俺の方へと視線を向けた。


  その瞬間。


 ギルマスの黄金の瞳が、限界まで見開かれた。


  彼女の視線は俺の顔ではなく、俺の腰に下げられた鈍色の『概念包丁』に文字通り釘付けになっていた。咥えていた葉巻がポトリと床に落ち、彼女の全身が微かに震え始める。


 「……おい、お前」


  先ほどまでの粗野な怒声が嘘のように、彼女の口から漏れたのは、ひどく掠れた、信じられないものを見るような声だった。


 「その腰の……その『包丁』。……お前、レオン・クロムウェルの……あの出奔したクソ馬鹿貴族の、身内か……?」


  静まり返ったギルドの中に、エルフの掠れた声が響き渡った。


 「……あんた、どうしてレオン爺さんの本当の名前を知ってるんだ?」


  俺は冷静さを装おうとしたが、内心の驚きで声が僅かに掠れた。


 レオン・クロムウェル。それは確かに、俺たちを育ててくれたレオン爺さんのフルネームだ。


 だが、辺境の村でひっそりと死んだ、ただの気のいい田舎の食堂の爺さんの過去を、なぜ王都の冒険者ギルドのトップに君臨するエルフが知っている?

 おまけに『出奔した貴族』だと?


  俺の静かな困惑をよそに、眼の前に立つ圧倒的な覇気を纏ったエルフの女は、懐かしさと怒りが入り混じったような、酷く複雑な表情で俺を見つめていた。

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