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第17話 食の女神の封印蔵と、熱量駆動の戦乙女

 視界の端に浮かび上がった、俺だけに見える神の恩恵たる光の文字。


 その導きに従い、俺たちは巨大な地底湖の最奥にある、暗闇に包まれた岩壁の亀裂を抜け出した。


 冷たい水滴が滴る洞窟の突き当たり。そこには、周囲の岩肌と完全に同化するように、苔むした重厚な鉄の扉が埋め込まれていた。


 松明の灯りを近づけると、扉の表面には見覚えのある奇妙な幾何学模様が刻まれている。


 間違いない。辺境の村で俺を救ってくれたレオン爺さんの畑にあったものと全く同じ、俺の料理人の魂と共鳴する『扉』だ。


 まさか、魔法の理から完全に外れたこんな地下水脈の奥底に、新たなる扉が隠されていたとは。


 俺は高鳴る胸の鼓動を抑えながら、重い鉄の取っ手に手をかけ、一気に引き開けた。


 ギギギギッ……!


 重い摩擦音と共に扉が開いた瞬間、むせ返るような強烈な匂いが、密閉されていた空間から爆発的に噴き出した。


 それは、大豆や穀物が途方もない時間をかけて熟成し、目に見えない無数の菌が生きづいている濃厚な匂い。鼻の粘膜をチリチリと刺すような、鋭い刺激臭だ。


「くさっ!? 兄様、お鼻がもげちゃうよぉ!」


 俺の後ろを歩いていた獣人の少女ルゥが、短い悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。


 森の獣すら凌駕する鋭い嗅覚を持つ彼女にとって、この濃密な発酵の匂いは暴力以外の何物でもないらしい。


 銀色のフワフワな尻尾を股の間にきつく巻き込み、両手で鼻を塞いで涙目になっている。


 その横では、昼間からドワーフの火酒をあおっていた絶世の美女、ライラがピタリと動きを止めていた。


 いつもは酒臭い息を吐いている彼女の顔から、一瞬にして酔いが完全に消え失せている。彼女は扉の奥の暗闇を睨みつけ、底冷えするような神の威圧感を放った。


「……なるほど。大気中の魔力を完全に遮断し、純粋な『時間』だけで独自の理を構築する神聖なる結界。これは我と同じ神格……『食の女神』の手による封印だ」


 静かだが、圧倒的な重圧を伴う声。


 この世界を統べる神としての理知的な言葉に、迷宮の空気がビリビリと震える。


「あの食い意地の張った女神め。人間たちがこの極上の味を知り、それを巡って血みどろの戦争を起こすのを恐れて、世界の底に隠しおったか」


 ライラのその言葉を聞き、俺の脳内で全ての辻褄が合った。


 食の女神の封印。ならば、外の世界に溢れかえっている高価な『魔力食材』とは一体なんなのか。


 答えは簡単だ。本来この空間に封印されるべきだった純粋な食材から、ほんの僅かに漏れ出した魔力が、地上の生態系を変異させただけの『搾りカス』に過ぎないのだ。


 そして、この国で女ばかりが魔法を操れるのも、魔力の大源流である食の女神と性別が共鳴しているからに他ならない。


 戦争の火種、大いに結構。俺はただ、この手で一番美味い飯を作りたいだけだ。神の思惑など知ったことではない。


 俺は一人で扉の奥の巨大な蔵へと足を踏み入れた。


 すると、薄暗い蔵の奥から、ズズゥ……ズズゥ……と、重く粘り気のある音が響いてきた。


「なんだ、あれは……」


 松明の灯りが照らし出したのは、身の丈三メートルはあろうかという巨大な石像だった。


 苔むした岩の身体を持つその『蔵守りの石像』は、俺たち侵入者に目もくれず、ただひたすらに巨大な木樽の中に櫂を突っ込み、真っ黒な粘土のようなものを黙々と混ぜ続けていた。


 大気中の魔力が一切存在しないこの空間で、何百年もの間、ただひたすら極上の味を育てるためだけに樽をかき回し続けてきた無骨な職人。


 俺の足音に気づいた石像が、ゆっくりと巨大な首を回し、重い拳を振り上げようとした。


 だが、俺の腰にある愛用の包丁と、料理人としての魂の在り処を感知したのか、ピタリと動きを止める。


 そして石像は、まるで新たな主を迎え入れるように、深く、静かに一礼して道を譲ったのだった。


「ご苦労だったな。極上の仕事だ」


 俺が石像の分厚い腕を撫でてやると、後ろから恐る恐るついてきたセリアが、蔵の中の匂いを嗅いで恍惚とした表情を浮かべた。


「素晴らしいです……! 昔、実家の古い文献で読んだ『幻の青カビの熟成乳』や、珍味の匂いそのものですわ! それに……タロウ様にお風呂に入れてもらう前までの私、だいたいこんな匂いでしたから、なんだか実家のような安心感があります!」


 真顔でなんて悲惨な自虐を放つんだ、この没落令嬢は。


 俺は哀れみすら覚えるツッコミを心の中に留めつつ、石像が守っていた無数の木樽の蓋を開けた。


 真っ黒に熟成された極上の雫である醤油。芳醇な香りを放つ琥珀色の甘き酒、みりん。そして、旨味の結晶である数種類の味噌。


 レオン爺さんから聞いていた、この世界で最も美味い飯を作るための最強の手札たちが、俺を待っていたのだ。


「お前ら、これが極上の匂いだよ。これを地上に持ち帰れば、最高のご褒美を食わせてやるから、ほら、運ぶのを手伝え」


 俺の言葉に、ルゥは「兄様のご飯なら我慢するぅ……」と涙目で樽を抱え、ライラは「絶対に美味い肉を焼けよ!」と文句を言いながら、俺たちは極上の海鮮と調味料を手にして迷宮を後にした。


 ◇


 強烈な匂いに文句を言う神と獣人を引き連れ、俺たちは一階の厨房へと帰還した。


 そこはつい数時間前までのボロ廃城の面影はなく、床から天井の梁に至るまで、チリ一つないほどピカピカに磨き上げられていた。


「お帰りなさいませ、タロウ様!」


 厨房の入り口で、フリルのついた簡素な給仕服の胸元を揺らしながら出迎えてくれたのは、ヴァーミリオン侯爵家の長女エレオノーラと、アクアリス伯爵家の三女クロエだ。


 特権階級の魔法使いである彼女たちが、真紅の魔導服を脱ぎ捨てて平民の男の城で床磨きをしているという事実は、何度見ても背徳的で頭が痛くなる。


 だが、今はそんな常識の崩壊を気にしている場合ではない。


「よし、掃除ご苦労だったな。すぐに賄いを作るから、そこらへんに座って待ってろ。クロエ、ちょっと手伝え」


「わ、私ですか?」


 俺は銀縁メガネのクロエを調理台の前に立たせると、大きな水盆に地下水を張り、彼女の目を見た。


「お前の得意な『氷結魔法』で、この水を凍る寸前まで冷やせ。ただし、絶対に凍らせるな。水温だけを極限まで下げるんだ」


 俺の無茶振りに、クロエは目を丸くして声を荒らげた。


「なっ……名門アクアリス家の誇る広域殲滅魔法を、ただのお料理の水温調整に使えとおっしゃるんですか!? いくらタロウ様でも、それは魔法使いへの侮辱ですわ!」


「いいからやれ。衣の粉は、常温の水で練ると余計な粘り気が出て重くなる。魔法の氷なら溶けて水が薄まる心配もない。お前の魔法の精度が、この後の料理の味を完全に左右するんだ」


 俺の真剣な眼差しに気圧されたのか、クロエは「も、もう……今回だけですからね」と渋々杖を構え、水盆に繊細な魔力を流し込んだ。


 水面がピキピキと音を立て、うっすらと薄氷が張る寸前。完璧な冷水が完成した。


 俺はその冷水に粉を軽く振り入れ、菜箸で叩くようにしてざっくりと混ぜ合わせる。極限までサクサクに揚げるための、完璧な冷水衣だ。


 「見事だ。お前、俺の最高の温度管理助手になれるぞ」


  俺がポンとクロエの頭を撫でると、彼女は顔を真っ赤にして「そ、そんなことで喜ぶ安い女じゃありませんわ!」と言いながら、嬉しそうにメガネの位置を直した。


  その横で、さっきまで匂いに泣いていたルゥが「兄様の助手はルゥだよ!」と対抗心を燃やし、淡いピンク色に輝く宝石を取り出した。


 ルゥは熱した油の入った鉄鍋に向かって両手をかざす。


 「美味しくな〜れ、萌え萌えキュン♡ ラブエンハンス」


  紅い宝石が輝く。ルゥの放った渾身のジェムマジックによる愛情魔法が、油の中へと溶け込んでいく。


  俺は迷宮で解体した巨大伊勢海老の極厚のむき身と、白身魚の切り身に衣をたっぷりと纏わせ、熱した油の中へ次々と投入していった。


  ジュワァァァァッ!! という爆発的な音と共に、厨房内に香ばしい油の匂いが充満する。


  隣の竈では、海老の分厚い殻と頭を炒めて香りを出し、蔵で手に入れた熟成味噌を溶いた超濃厚な海老の汁物を煮立てる。


 さらに小鍋では、みりんと醤油に少しの甘みを加え、ドロリとするまで煮詰めた特濃の黒きタレを完成させた。


  炊きたての白米を巨大な木桶に盛り、揚げたての巨大海鮮を山のように乗せ、そこへ漆黒のタレを豪快に回しかける。


 「よし、食え。極上の巨大海鮮揚げ飯と、海老の濃厚汁だ」


  俺が大食堂の長机に料理を並べると、先ほどまであんな匂いのするものなど食えるかと訝しんでいたライラが、タレの焦げる暴力的な香りに黒曜石の瞳をカッと見開いた。


  ライラは己の顔の倍はある海老を両手で掴み、大きな口を開けてかぶりついた。


  ザクッ!!


  クロエの魔法によって生み出された衣の凄まじい破砕音が、食堂に響き渡る。


 「……なんだこれは」


  ライラは咀嚼を止め、ワナワナと肩を震わせた。


 「あの鼻の曲がるような匂いが、熱と油を纏っただけで、こんな神の味に化けるとは……! 甘い、しょっぱい、そして旨い! 噛むたびに海老の肉汁と濃厚なタレが絡み合って……あぁっ! こりゃあ食の女神が隠すわけだ! こんな美味いものを知れば、人間どもは絶対に血みどろの奪い合いを起こす! タロウ、酒だ! この戦争の火種だけで樽が空くぞ!」


  ライラは発狂したように歓喜の叫びを上げ、いつもの呑んべぇに逆戻りして、酒瓶を煽り始めた。


  その横では、上品な貴族の食事しか知らなかったエレオノーラが、顔中を黒いタレまみれにしながら飯をかき込んでいた。


 「美味しい……! サクサクの衣に染み込んだこの甘辛い汁、それに油の暴力的な甘み……! あぁ、上品な魔法の菓子などただの草と同じですわ!」


 「よく言った赤毛の娘! やはり極上の肉と油、そして濃い味付けこそが至高だ!」


  エレオノーラとライラが、身分も種族も忘れてバチンッと強めの拍手を交わす。


 ここに、絶世の美女二人による最悪の禁断の脂同盟が結成された瞬間だった。


  一方のクロエは、湯気を立てる熱々の汁椀を両手で持ち、小刻みに震えていた。


 彼女は極度の熱がりであり、熱い汁物は品位を下げるとして避けて生きてきた令嬢らしい。


 だが、海老の殻から出た強烈な出汁と、熟成味噌の複雑な香りの誘惑には抗えなかったようだ。


 「フーフー……熱いですわ、でも……美味しいですわ……!」


  クロエはトレードマークの銀縁メガネを湯気で真っ白に曇らせながら、涙目で一心不乱に汁をすすり、白身魚を口に運んでいる。知的な令嬢の面影は完全に消え失せていた。


  そして最後に、没落令嬢セリアが、震える手で海老を口に運んだ。


  サクッ。


  その瞬間、セリアの碧眼が極限まで見開かれた。


 彼女の持つ呪いのような味覚が、極上の油と海老の肉、そして熟成調味料の完璧な調和を寸分の狂いもなく解析し、脳髄に叩き込んだのだろう。


  直後、セリアの身体がビクンと大きく跳ねた。


  魔法の理から外れ、一切の魔力を持たない彼女の肉体。だが、その正体は魔法の代わりに、俺が見つけてきた封印された純粋な食材の生命の熱量を直接受け入れ、力に変えるための物理的な器だったのではないか。


  俺の作った極上の栄養素を胃袋に叩き込まれたセリアの身体から、突如として陽炎のような凄まじい闘気が噴き出したのだ。


 「ち、力が……身体の底から、力が湧いてきますわーっ!!」


  セリアは色褪せた鎧をガシャンと鳴らして立ち上がると、大食堂の窓から一直線に廃城の庭へと飛び出した。


 そして、庭の隅に転がっていた数トンはありそうな巨大な庭石に向かって、そこらに落ちていたただの錆びた鉄の棒を、両手で大上段から振り下ろした。


  ドゴォォォォンッ!!


  爆発のような轟音と共に、巨大な岩が木端微塵に粉砕され、周囲にすり鉢状の穴が穿たれる。


  純粋な肉体の力だけで生み出されたその圧倒的な破壊力に、窓から見ていたエレオノーラたちが「ただの没落令嬢じゃなかったの!?」と絶句して目を剥いた。


  だが、その戦乙女のような無双状態は、たったの三分で終わりを告げた。


 「……ふぇぇ……」


  カラン、と鉄の棒を取り落とし、セリアがその場にへたり込む。


 凄まじい物理的な力を発揮した代償として、取り込んだばかりの生命の熱量を一気に消費し尽くし、再び極度の飢餓状態に陥ったのだろう。


  セリアは全身から熱い湯気を立ち昇らせ、荒い息を吐きながら床を這って食堂へと戻ってきた。


 そして、破れた服の胸元を大きくはだけさせ、汗だくで熱に浮かされたような顔を、俺の逞しい太ももに擦り付けた。


 「あぁっ……タロウ様ぁ……もう身体の中が、カラッポですぅ……。早く、私の中に……美味しくて極上の熱を、もっと補充してぇぇっ……!」


  完全に常識を疑うような艶めかしい声で俺の足にすがりつき、次の飯をねだる没落令嬢。


  俺は「世話の焼ける厄介な剣がまた増えちまったな」と呆れながらも、残っていた海老を、その小さな口に放り込んでやった。


  王都での拠点となる廃城。それを守る強力な戦力たち。そして、食の女神が恐れた究極の調味料。


 すべての手札が揃った。


 俺たちはこの理不尽な王都の常識を、極上の料理で根底からひっくり返すための、完璧な準備を完了させたのだった。




皆さま読んで下さり本当にありがとうございます


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面白ければ星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちで評価して頂ければ幸いです。


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