第16話 没落令嬢の廃城と、システムが告げる『第三の扉』
究極の塩むすび一つで、一生分の極上飯と引き換えに実家の権利を売り払った没落令嬢セリア。
彼女の案内に従って王都の外れへ向かった俺たちは、目の前にそびえ立つ建物を見てしばらく言葉を失った。
それは、かつては名門貴族の屋敷として栄華を誇っていたであろう、巨大な石造りの城だった。
だが、当主を失い手入れをする者がいなくなって久しいのか、外壁にはびっしりとツタが絡まり、窓ガラスは割れ、鉄格子の門は赤茶色に錆びついている。完全に幽霊でも出そうなボロ廃城だ。
「ご、ごめんなさいタロウ様……。いくらなんでも、こんなボロボロの場所じゃお店なんて開けませんよね……。私、やっぱり役立たずのゴミ令嬢で……」
セリアが色褪せた騎士の軽鎧をガチャガチャと鳴らしながら俯き、ボロボロと大粒の涙をこぼし始める。
だが、俺は軋む重い扉を力強く押し開け、一階の広大なフロアを見渡して満足げに頷いた。
「いや、悪くない。建物自体の石組みは頑丈だし、厨房の竈も広くて使い勝手が良さそうだ。綺麗に掃除さえすれば、十分に城郭風の隠れ家レストランとして使えるぞ」
「ほ、本当ですか……っ!」
「ええ! わたくしたちにお任せくださいませ、タロウ様!」
セリアがパッと顔を輝かせた直後、背後から鼻息の荒い女たちの声が響いた。
振り返ると、ここまで俺の背後をストーカーのようについてきたエリート魔法使いたちが、いつの間にか特権階級の象徴である派手な真紅の魔導服を脱ぎ捨てていた。
「タロウ様とセリア様という名義上の主の新店舗は、わたくしたちがピカピカに磨き上げてみせますわ! さあ皆様、床の雑巾がけからよ!」
声を張り上げたのは、燃えるような真紅の長髪をキッチリと夜会巻きにし、鋭いツリ目と泣きぼくろが特徴的な美女だ。彼女は王国でも有数の武闘派名門、ヴァーミリオン侯爵家の長女であるエレオノーラ。
その後ろでホコリが舞いますわねと銀縁メガネを押し上げているのは、魔法研究で名を馳せるアクアリス伯爵家の三女、水色のボブカットが似合うクロエだ。
彼女たちが魔導服の下に着込んでいたのは、フリルのついた本格的なメイド服や、動きやすさを重視した簡素な作業着だった。
だが、普段から魔法で火を通しただけの優雅な食事をし、泥仕事など一切したことがないであろう特権階級の貴族令嬢たちには、その姿がひどく不釣り合いに見える。
特にエレオノーラとクロエの二人はプロポーションが暴力的なまでに豊満であり、動くたびにメイド服の胸のボタンが弾け飛びそうな悲鳴を上げている。
王国を代表する高位の魔法使いの女たちが、額に汗を浮かべながら嬉々として廃城の床を這いずり回り、雑巾がけを始めているのだ。
彼女たちの実家の親が見たらその場で卒倒しかねない異常な光景に、俺は思わず頭を抱えた。
そんなカオスな状況の中、セリアが少し躊躇うように口を開いた。
「あ、あの、タロウ様。実はこのお城には、もう一つ秘密がありまして……。厨房の奥の隠し扉から、王都の巨大な地下水脈に繋がる『奈落の迷宮』というダンジョンへ降りられるんです。でも、そこは魔法を完全に反射する最悪の魔物ばかりが棲みついていて、王都の近衛騎士団すら誰も寄り付かない危険地帯で……」
危険地帯。魔法を反射する魔物。
その言葉を聞いた瞬間、俺の料理人としての血が、ドクンと熱く跳ねた。
「……つまり、魔法の炎で力任せに黒焦げにされていない、極上の『物理食材』が手つかずのまま大量に眠っているってことだな?」
「えっ?」
「よし。掃除はあいつらに任せて、俺たちはさっそく食材の調達に行くぞ。ライラ、ルゥ、セリア、ついてこい」
俺が腰の包丁の柄を鳴らして歩き出すと、昼間から酒を飲んでいたライラがご機嫌に笑い、ルゥも銀色の尻尾を振って後に続いた。
セリアは短い悲鳴を上げたが、俺のエプロンの裾をギュッと掴んで恐る恐る地下への階段を降り始めた。
◇
厨房の奥にある隠し扉を抜け、薄暗い石造りの階段を長く降りていく。
やがて空気がヒンヤリと冷たくなり、足元が人工の石畳から剥き出しの岩肌へと変わった。
そして、微かな異変に気づく。王都の地下深くであるはずなのに、なぜか鼻を突くような潮の香りが漂い始めたのだ。
「……兄様、なんか変な匂いがする」
俺の隣を歩いていたルゥが、突然ピタリと足を止め、銀色のケモ耳をピンと立てた。
彼女は鼻をヒクヒクさせると、フサフサの尻尾の毛を逆立て、低い声で唸り始めた。
「潮風とお魚の匂いに混ざって、ルゥとは違う野生の獣の匂いがする……。なんかムカつく。ここ、ルゥたちより先に誰かのお縄張りになってる気がする!」
獣の匂い。俺は松明の灯りを岩壁の方へと向けた。
そこには、三つの鋭い刃が並んだ三又の銛で強烈に突かれたような深い傷跡が無数に残っていた。
さらに足元には、体長二メートルはあろうかという巨大な魚の魔物の骨が転がっている。
俺はその骨の断面を見て、思わず感嘆の息を漏らした。ただ魔獣に力任せに食い散らかされたわけではない。中骨に身を一切残さない、鋭利な刃物による完璧で美しい三枚おろしの痕跡だったのだ。
こんな誰も寄り付かない危険な地下迷宮で、魔法に頼らず、俺以外のまともな解体技術と刃物を持って密猟をしている奴がいるのか。
見知らぬ同業者の見事な手仕事に、俺の口角が自然と吊り上がる。
「面白い。だが、残りの極上食材は俺が全部いただくぞ」
さらに迷宮の奥へと進むと、視界が急激に開け、巨大な地底湖が現れた。
王都の地下水脈は、はるか遠くの海と繋がっていたらしい。黒々と澄んだ水面が波打ったかと思うと、突如として爆発的な水飛沫が上がり、巨大な影が躍り出た。
「ひぃぃぃっ!! で、出たぁぁっ!!」
セリアが騎士の軽鎧をガチャガチャと鳴らして岩場にへたり込み、ガタガタと震え出した。
湖の底から姿を現したのは、体長五メートルを超える、鋼鉄のような分厚い真紅の甲殻を持った巨大な伊勢海老の魔物だった。二つの巨大なハサミが、岩を豆腐のように軽々と砕きながらこちらへ迫り来る。
「タロウ様、逃げて! あれは魔法を完全に弾き返す絶望の魔物、リヴァイアサン・シュリンプです! 私たちじゃ絶対に敵わな――」
セリアの悲痛な叫びを遮るように、俺の横を歩いていたライラがスゥッと一歩前に出た。
その瞬間、迷宮の空気が凍りついたように重くなる。
いつもは酒臭い息を吐いているポンコツ女神の瞳から酔いが完全に消え失せ、黒曜石のような双眸が底冷えするような神の威圧感を放っていた。
「……なるほどな。数百年もの間、大気中の魔力をその硬い甲殻で反射し続け、純粋な物理の力だけで生き抜いてきた古代の生物か。この世界の魔力の理から外れた、見事な特異点だ」
ライラの低い声が、地底湖の岩壁をビリビリと震わせる。
巨大な伊勢海老の魔物すら、本能的な恐怖を感じたのかその動きを止めた。
神としての理知的な分析。この世界の真理を見透かすような圧倒的な存在感に、セリアが息を呑む。俺も包丁の柄を握り直し、ライラの次の言葉を待った。
「これほど純粋に己の肉体だけを鍛え上げた生物ならば……さぞかし、身の詰まった極上の肉になっていることだろうな。タロウ! 早くこいつの肉を焼け! 肉だ肉ぅぅっ!!」
神の威圧感はたった数秒で霧散し、ライラは口元から大量のヨダレを垂らしながら、いつもの肉に飢えたポンコツへと一瞬で逆戻りした。
俺は盛大にため息をつき、包丁を引き抜いた。
やっぱりこいつは神様ではなく、ただの燃費の悪い大食らいだ。
「あれは肉じゃなくて海老だ。ライラ、ルゥ! あのデカいハサミを押さえろ!!」
「シャック! 旨そうな肉め、上等だぁぁっ!」
「お魚さん、おとなしくしてー!」
踊り子のような衣装を翻したライラが正面から跳躍し、神の圧倒的な膂力で巨大海老の右のハサミをガシィッと掴んで力ずくでねじ伏せる。
同時にルゥが素早い動きで死角へ回り込み、左のハサミの関節に強烈な蹴りを叩き込んで動きを完全に封じた。
魔法を弾く絶望の魔物も、神と獣人の純粋な物理暴力の前にはただのデカい甲殻類だ。
巨大海老の動きが止まったその一瞬の隙を突き、俺は地を蹴って空高く舞い上がった。
俺の目には、硬い甲殻など脅威でもなんでもない。狙うのは、頭胸甲と腹部の間、そして脚の付け根にあるわずかな関節の隙間だ。
空中で身体を反転させながら、クッキング・ダンジョンの補助スキルである概念包丁・絶対繊維断ちを限界まで研ぎ澄ます。魔法の通じない外殻ではなく、内側にある筋肉と関節の繋ぎ目のみに照準を合わせる。刃の先が、淡く鋭い光を帯びる。
「シッ!」
閃く刃が、鋼鉄の殻の隙間を滑るように切り裂いた。
スパンッ、パキンッという軽快な音が地底湖に響き渡る。
活け締め、殻剥き、背ワタの除去。すべてが空中で一瞬のうちに行われる神業の概念解体だ。
巨大な伊勢海老の魔物は、一切の抵抗すら許されず、着地と同時に透き通るような美しい巨大な海老のむき身のブロックへと姿を変え、岩場の上にドサリと積み上がった。
「うそ……でしょ……。近衛騎士団でも倒せない魔物を、たった数秒で、お刺身に……?」
セリアが信じられないものを見たように、ポカンと口を開けている。
俺はすぐさま、切り出したばかりの透き通る海老の刺身を一口大に切り分け、インベントリから取り出した少量の岩塩を振って、ライラの口へ放り込んだ。食ってみろ、極上の活け造りだと短く告げる。
ライラはモグモグと咀嚼した瞬間、ビクゥッと肩を震わせ、両手で顔を覆った。
「あぁっ……あぁぁぁっ! 甘いっ! 歯を押し返すような凄まじい弾力と、とろけるような濃厚な甘みが口いっぱいに……! あぁ……死ぬ。これは死ぬほど美味いぞタロウ……!」
「大げさな。だいたいお前、神様なんだから死んだところで天界に帰宅するだけだろ」
「ふはははは! 違いねえ! さすが我が夫、容赦のないツッコミだ!」
俺の冷めた軽口に、ライラはケラケラと腹を抱えて大笑いした。
そして彼女は、まだ岩場でへたり込んでいるセリアの首根っこをヒョイと掴み上げ、海老の刺身の塊をその口元へと突きつけた。
「ほれ、そこの小娘! 震えてないでこいつを食ってみな? 飛ぶぞ?」
「ひぃっ!? や、やめっ、魔法も通さない魔物の生肉なんて――んぐっ!?」
有無を言わさず口に突っ込まれた海老の刺身を、セリアは涙目で嫌々咀嚼した。
その瞬間だった。
セリアの動きがピタリと止まり、彼女の碧眼が極限まで見開かれた。
彼女が神の舌と呼んでいたあの呪いのような味覚は今、鮮度抜群の魔獣海老が持つ一切の臭みがない純粋なタンパク質な甘みと、岩塩が引き出す深海のミネラルを、寸分の狂いもなく解析しているはずだ。
魔法の炎で消し炭にされた味気ない料理しか知らない彼女の脳髄に、この圧倒的な旨味の奔流がどれほどの衝撃を与えているかは、その顔を見れば一目でわかった。
「あ……あぁっ……!」
セリアの膝から完全に力が抜け、岩場に崩れ落ちる。
極上の旨味に脳を直接殴られ、ライラの言葉通り、彼女の意識は完全に美味の彼方へと飛んでしまったらしい。
「なにこれ……甘い……ただの生肉なのに、今まで食べてきたどんな高級料理より、甘くて、濃厚で……っ! タロウ様……あぁっ、タロウ様の包丁、凄すぎます……っ!」
セリアは顔を真っ赤に上気させ、尊敬と驚嘆の入り混じった熱い瞳で俺を真っ直ぐに見上げている。
究極の塩むすびに続き、極上シーフードの活け造りによって、没落令嬢の胃袋と料理人としての俺への信頼は、完全に盤石なものになったようだった。
「よし。海老の殻からは最高の出汁が取れる。一欠片も残さず回収しろ。他にも白身魚がいないか探すぞ」
俺の指示に、ルゥとライラが元気よく返事をして地底湖の浅瀬を走り回る。
大量の極上シーフードを魔法の空間ポケットであるインベントリに次々と収納し終えた、まさにその時だった。
ピーンッ。
突如、俺の脳内に無機質な電子音のような甲高いチャイムが鳴り響いた。
視界の端に、管理者権限でのみ呼び出せるはずのクッキング・ダンジョンの透明なシステムウィンドウが強制的にポップアップし、警告のような赤い文字が次々と浮かび上がっていく。
『――通知。未登録のダンジョン領域との強い共鳴を確認』
『――前方に、大気魔力を完全に遮断する結界を検知。これより【第三の扉(発酵と熟成の蔵)】へのナビゲーションを開始します』
俺は息を呑んだ。
レオン爺さんの畑にあった第一の扉と同じ規格のダンジョンが、すぐ近くに隠されていると、俺の持つシステムそのものが告げているのだ。
ナビゲーションの光が示す先、地底湖の最奥にある暗闇の亀裂からは、確かに微かな発酵の匂いが漏れ出していた。
「……おいセリア。お前の家の地下には、とんでもないものが隠されてるぞ」
システムの導きと未知の調味料の匂いに、俺は抑えきれない興奮で口角を吊り上げた。
この世界で最も美味い飯を作るための新たなる鍵が、すぐそこにある。俺たちは松明の灯りを頼りに、迷宮のさらなる深淵へと足を踏み入れていったのだった。
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