第11話 理不尽な通行止めと、出汁(だし)に狂った料理人
ボロ宿の裏庭に爆誕した特級畑と、捨て値のゴミ食材を掛け合わせた俺たちの『迷い猫の食堂』は、防塞都市ガルドの胃袋を瞬く間に支配した。
黄金琥珀タマネギの甘みが溶け込んだ鉄殻トカゲの角煮丼や、猛毒沼ガエルの旨辛炒め。
魔法で力任せに黒焦げにしただけの味気ない高級料理に飽き飽きしていたこの街の連中は、俺の作る飯の虜となり、屋台の前には連日長蛇の列ができた。
結果として、特使テローラ・ロルテーゼの派閥が不当な高値で独占販売していた安全なだけの魔野菜は完全に売れ残り、商人ギルドの倉庫で腐って異臭を放つただの生ゴミと化した。
俺とバルドが仕掛けた経済的な逆襲は、これ以上ないほどの大成功を収めたのだ。
だが、王都の権力を笠に着る連中が、このまま大人しく引き下がるはずがなかった。
「タロウ、すまん。厄介なことになった」
屋台の営業を終え、宿の食堂で一息ついていた俺に、バルドが苦虫を噛み潰したような顔で一枚の羊皮紙を差し出してきた。
そこには、王都の紋章と共に『身元不詳の不審人物につき、王都への通行証の発行を無期限で凍結する』という通達が記されていた。
俺はテーブルに置かれた温かい麦茶の入った木組みのコップを置き、大きなため息をついた。
屋台の大繁盛で完全にメンツを潰され、莫大な損失を出したテローラの派閥が、関所の役人を買収して俺たちの足止めを図ったのだ。
どれだけ美味い飯を作ろうが、権力という物理的な壁を前にしては、王都へ乗り込むことすらできない。
「卑劣な連中だ。屋台の嫌がらせに衛兵を使えば暴動が起きるから、こうして合法的に君たちをこの街に幽閉する気だろう」
「……なるほどな。で、バルドのおっさん。何か裏道はあるのか? あんたがただ謝りに来るわけがないだろ」
俺が麦茶をすすりながら尋ねると、バルドはニヤリと商人特有の悪い笑みを浮かべた。
「冒険者ギルドだよ。王都へ向かう大規模な商隊の『護衛依頼』を正式に受注できれば、冒険者としての特例措置が適用されて、関所の通行証審査を完全にフリーパスで抜けられる。テローラの息がかかった役人でも、ギルドの正式な護衛任務には口出しできん」
なるほど、その手があったか。
俺は隣で「お肉おかわり!」と騒いでいるライラと、食後の果実を齧っているルゥを引き連れ、翌朝さっそく街の冒険者ギルドへと足を運ぶことにした。
◇
冒険者ギルドの重厚な両開き扉を押し開けると、むせ返るような酒の匂いと、荒々しい喧騒が押し寄せてきた。
広々とした酒場を兼ねたホールには、派手な魔導服を着た女たちが円卓を囲んで我が物顔でふんぞり返り、その足元や背後で、みすぼらしい装備の男たちが荷物持ちや給仕としてせかせかと働いている。
魔法を操れる女性が絶対的な優位に立つこの世界において、冒険者ギルドもまた、女尊男卑の縮図のような空間だった。
俺は周囲から向けられる「なんだあの薄汚い男は」という冷ややかな視線を完全に無視し、受付のカウンターへと真っ直ぐに向かった。
「すまない。王都へ向かう商隊の護衛依頼を受けたいんだが」
「はあ? 男の平民が護衛任務ですって?」
受付に座っていた魔導士風の女は、俺の顔を見るなり、あからさまな嘲笑を浮かべた。
「アンタみたいに魔法の欠片も使えない男が、どうやって商隊を魔物から守るっていうの? 迫り来るオークに向かって、その辺の石ころでも投げる気? 悪いけど、ギルドはアンタみたいな底辺の男の自殺志願を叶える場所じゃないのよ。とっとと帰りなさい」
周囲のテーブルからも、下品な笑い声がドッと湧き上がる。
ライラが「きさまら、我が夫に向かって……」と物騒なブレスの構えに入りかけたので、俺は慌ててその口を塞いだ。ルゥも「兄様をバカにするなー!」とケモ耳を逆立てて威嚇している。
どうやって実力を証明するか。力ずくでこの場を制圧してもいいが、それだとテローラの連中と同じ無法者になってしまう。
俺が舌打ちをした、まさにその時だった。
「クソッ! なんだこのふざけた魔物は! 私の自慢の『爆炎魔法』を三発も叩き込んだのに、表面が少し焦げただけで中身は生焼けじゃないか!」
ギルドの奥にある巨大な解体場から、怒りに満ちた女性の叫び声が響き渡った。
ドスンッ、という地響きと共に、解体場の石の床に巨大な物体が投げ出される。
それは、馬車ほどの大きさがある、全身を漆黒の金属のような甲羅で覆われた巨大なカニの魔物だった。
「また『金剛鋏の鎧蟹』か。最悪だな」
「討伐したはいいけど、あいつの甲羅は鉄より硬いから剣も解体用のノコギリも通らないのよね。魔法の炎で丸焼きにしようとしても、甲羅が熱を弾くから中身はドロドロの生のまま。結局、誰も食えないし素材にもならないただの粗大ゴミよ」
冒険者の女たちが吐き捨てるように言い合うのを聞いて、俺の足はピタリと止まった。
……甲羅。
……カニ。
その単語が脳裏に響いた瞬間、俺の料理人としての、いや、ある種の『業』とも呼べる強烈な執着が、心の奥底からマグマのように噴き出した。
俺の好きな食べ物は、派手な見掛け倒しの料理ではない。素材の命の根源とも言える『出汁』が極限まで効いた、深く、五臓六腑に染み渡るような料理だ。
そして目の前に転がっているあの巨大な金属のカニの甲羅は、俺の鑑定スキルを通して、とんでもない情報を俺の脳内に直接叩き込んできた。
『――対象食材をスキャン。【金剛鋏の鎧蟹】。外殻の硬度は鋼鉄に匹敵するが、その内部には、極上の旨味成分と魔力が凝縮された濃厚なカニ味噌と、究極の『海鮮出汁』を生み出す髄液が隠されています』
究極の、出汁。
俺の目の色が変わった。視界の端が赤く染まり、周囲の女たちの嘲笑など一切耳に入らなくなる。
「おい、アンタら」
俺は周囲の空気を一切読まず、ズカズカと解体場の中央へ歩み出た。
そして、自分の魔法が通じなかった巨大カニを前に腹を立てている高位の女性魔法使いたちに向かって、地を這うような低い声で言い放った。
「その極上の出汁の塊を……ただ硬いってだけで、捨てようとしてるのか? 料理を、舐めるなよ」
「はあ!? なに急に出てきて偉そうに……って、ちょっとアンタ! 危ないわよ!」
女の制止を無視し、俺は腰に下げていた革袋から愛用の包丁を抜き放った。
魔法で外から力任せに黒焦げにするしか能のないこの世界の連中には、一生かかっても理解できないだろう。どんなに硬い甲羅を持っていようと、生物である以上、必ず関節があり、繋ぎ目がある。
俺は『概念包丁・絶対繊維断ち』のスキルを発動させた。
包丁の刃先が、微かな魔力の光を帯びて鋭く研ぎ澄まされる。俺の頭の中には、この巨大なカニの骨格図と、旨味の詰まった急所が完全にマッピングされていた。
「シッ!」
短く息を吐き、俺は巨大なカニの甲羅の上へと軽やかに跳躍した。
硬い甲羅そのものは斬らない。狙うのは、甲羅と脚を繋ぐわずか数ミリの柔らかい関節の隙間だ。
空中で身体を反転させながら、刃の光の軌跡を幾重にも描く。一切の無駄を省いた完璧な解体作業。流れるような俺の包丁さばきは、剣士の剣技すら凌駕する速度と正確さを持っていた。
スパンッ! ズパンッ!
金属を両断するような重い音ではなく、関節の膜を鋭く切り裂く軽快な音が連続して響く。
着地と同時。鋼鉄の硬度を誇る巨大な鎧蟹は、見事なまでに八本の脚と二つの巨大なハサミ、そして胴体へと、パズルが解けるように綺麗に解体され、石の床に崩れ落ちた。
「な……っ!? あんな小さい刃物で、鋼鉄の鎧蟹をバラバラに……!?」
「ありえない……関節の隙間だけを、あんな速度で正確に切り裂くなんて……!」
静まり返るギルド内に、冒険者の女たちの信じられないものを見るような声が響く。
だが、俺の作業は終わっていない。ここからが本番だ。
俺は解体した巨大な甲羅の蓋を慎重にパカッと開いた。その瞬間、中から黄金色に輝く濃厚なカニ味噌の香りが、磯の風味と共に爆発的に溢れ出した。
「おぉぉぉぉっ!! これだ、これだ!!」
俺は狂気を孕んだような満面の笑みを浮かべた。
すぐさまギルドの解体場にあった巨大な大鍋に水を張り、そこにカニの殻の残骸と、インベントリからこっそり取り出した『星砕きニンニク』を放り込んで、下にある竈の火を全開にした。
「ルゥ! ライラ! こいつを押さえろ!」
「うんっ! 任せて兄様!」
「ふははは! 見ろタロウ! この殻の中に美味そうな身が詰まっておるぞ!」
俺の指示に従い、ルゥとライラが切り落とされた巨大なカニの脚を取り押さえる。ライラがそのまま生の脚に噛み付こうとしたので、俺は包丁の峰で彼女の頭を軽く叩いて制止した。
沸騰した湯の中に、切り出した純白の極上カニ肉をくぐらせる。
黄金色のカニ味噌と、鋼鉄の殻から染み出した究極の海鮮出汁。それがニンニクの暴力的な香りと結びつき、ギルドの空間全体を、人間の理性を根こそぎ奪うような凄まじい匂いで満たしていった。
「あ……あぁ……。なにこの、胃袋を直接掴まれるような匂いは……」
「さっきまでドブみたいな匂いだった鎧蟹から、なんでこんな食欲をそそる匂いが……ヨダレが止まらない……」
俺を嘲笑していた受付の女も、鎧蟹を倒した魔法使いの女たちも、全員が完全に骨抜きにされ、フラフラと大鍋の方へと引き寄せられてくる。
「完成だ。金剛鎧蟹の濃厚特製ビスクだ」
俺が木皿に盛り付けた黄金色のスープを掲げた、その時だった。
「……その奇跡のスープ、私が味見させてもらおうか」
ギルドの奥の重厚な扉が開き、歴戦の凄みを感じさせる長身の女が現れた。
顔に大きな傷跡を持ち、派手な魔導服ではなく実用的な革鎧に身を包んだその女は、ギルド内の誰もが道を空けるほどの圧倒的な威圧感を放っていた。
恐らくだが、この冒険者ギルドのギルドマスターだろう。
彼女は静かに俺の前に立つと、木皿を受け取り、無言で黄金色のスープを一口すすった。
その瞬間、氷のように冷たかった彼女の表情が、劇的に崩れた。
目を見開き、信じられないというように木皿を見つめ、次いでカニの旨味が極限まで濃縮されたスープを一気に飲み干す。
「……美味い。五臓六腑に染み渡るとは、まさにこの事か。鋼鉄の魔物を一瞬で解体する絶技といい、この奇跡のような味といい。お前、ただの男ではないな」
「ただの、出汁を愛する平民の料理人だ」
俺が不敵に笑って答えると、ギルドマスターは豪快に声を上げて笑った。
「気に入った! 魔法の有無だけで相手を量るような無能共には、お前のその恐ろしいほどの技術の価値は理解できまい! 王都への商隊護衛だったな? お前たち三人の実力、私が保証してやる。その依頼、お前たちに任せよう!」
ギルド内にどよめきが走る。
俺は心の中で小さくガッツポーズを握った。究極の出汁への執着が、最高の形で王都への切符をもたらしてくれたのだ。
特使テローラの嫌がらせを、熱々のスープ一杯で完全に粉砕した俺たちは、いよいよ因縁の待つ王都へと向かう巨大商隊の旅へと出発することになったのである。
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