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最終話 あの夜と同じブラックコーヒー

 

 

 どういうわけか、しばらく、彼女はコンビニには現れなかった。


 週に二度か三度は必ず来ていたのに。

 ブラックコーヒーを買って、ベンチで夜風を浴びる姿がそこにないだけで、コンビニの明かりはどこか味気なく感じた。


 レジに立ちながらも、ドアのチャイムが鳴るたびに視線が勝手に入口へ吸い寄せられる。入ってくるのはサラリーマンや常連ばかりで、グレーのスウェット姿はない。

 胸に空いた穴が、少しずつ広がっていった。


 学校でも、彼女に話しかけることはできなかった。

「学校では声をかけないで」――あの言葉が、俺を縛っていた。


 けれど、三日、四日と経つにつれ、その約束よりも心配の方が大きくなる。昼の澪は相変わらず眠そうで、授業中もうつむいている。けれど、その横顔には、いつも以上に影が差して見えた。


 七日目。廊下ですれ違ったとき、俺はとうとう声をかけてしまった。

 約束を破ることになると分かっていても、黙っていられなかった。


「桜井さん、何かあった? 最近その……コンビニに来ないけど。学校でも心なしか元気ないし」


 彼女は足を止めて、眼鏡の奥で小さく瞬いた。躊躇(とまど)うように口を開き、声を落とす。


「……進学と就職で、家と揉めてるの。父も母も、それぞれ言うことが違ってて。だんだん険悪になっていって。私、どこにいればいいのか分からなくなって」


 俺は息を飲んだ。

 彼女の深いところから洩れた本音の声。

 

 澪はすぐにうつむき、「ごめん、忘れて」と踵を返す。

 

「逃げ場がないなら、またコンビニに。――俺の所に来ればいい!」


 学校の廊下に俺の声が響いた。何の騒ぎだと教室から何人かが顔を出していた。


 澪は一瞬、立ち止まると足早に走り去っていった。

 俺はその背中を見つめることしかできなかった。

 

 * * *


 雨が降り出したのは二十一時を少し過ぎた頃。


 ざあざあと音を立てて、街灯の光をにじませる。自動ドアのチャイムが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 俺が振り向いた瞬間、心臓が強く跳ねた。


 雨で濡れたグレーのスウェット姿で、息を切らした桜井澪(さくらいみお)が立っていた。

 肩まで伸びた髪は雨に張りつき、頬を伝う雫と混ざっている。


「やっぱり……ここが好き。ここの外で飲むコーヒーが、一番落ち着くの」


 か細い声。それでも確かに、俺に向けられた言葉だった。


 すると、店の奥から店長が出てきて俺に耳打ちした。

「吉野君。今日はこの雨でお客さんもいないし。あがっていいよ。」

「店長……。ありがとうございます」

「女の子を泣かせるもんじゃない。さぁ、タオルも持って、行ってあげなさい」


 その後、俺達はブラックコーヒーを一本ずつ手に持って少し濡れたベンチの上に腰を下ろして、店にあったタオルで澪は服と髪を拭いていた。

 やがて、天気がさっきまでの本降りから、小雨に変わっていた。


 俺達はそれぞれのブラックコーヒーのプルタブを引いて、口をつけた。

 少し肌寒い身体がじんわりとあったまっていくのがわかる。


「桜井さん。大丈夫?」


「……昼の私は、仮面をかぶってるみたい。真面目で、静かで、眠くて。あれも私の一部だけど。でも……本当は夜みたいに自由でいたい」


 雨粒を見つめながら、澪が言った。

 その横顔は震えていたけれど、目だけはまっすぐだった。


「ここに来ると、吉野くんと話してると、本当の私でいられる気がする」


 俺はしばらく黙って彼女を見つめ、そして息を吸った。


「……俺も、今の桜井さんの方が好きだな」


 自分でも驚くほど素直に、言葉が出ていた。

 澪は一瞬固まり、頬を真っ赤に染める。

 そして小さな声で、「うん」とだけ答えた。


 雨音と、缶コーヒーの苦い香り。

 その夜の情景が、俺たちの中に深く刻まれた。



  * * * 



 ――時は流れた。


 あれから数年。時は過ぎ、忙しい日々を送りながらも、互いの存在を支え合った。


 帰省で久しぶりに地元へ戻ったある日、二人で母校近くの商店街を歩く。

 街並みには散り始めた桜が、街灯に照らされて静かに、そして美しく咲き誇っている。


 夜九時を回ったコンビニは、あの頃と変わらない明かりを灯していた。


「懐かしいね、大河」


 俺の彼女が笑って言う。俺も頷く。


「そうだな、澪」


 自動ドアが開き、自動ドアのチャイムが鳴る。

 店の奥から出てきた店長が、俺たちを見て目を丸くした。


「おお、久しぶりだなぁ! なんだ、二人揃って来てくれるとは。そうそう、入学おめでとう! いやぁ、若いっていいねぇ」


「店長、ご無沙汰してます」

「店長さん、ありがとうございます!」


「ほら、これ。僕からの差し入れだ」


 そう言って差し出されたのは、黒いラベルの二本の缶コーヒー。


 俺達は店外のベンチに腰を下ろし、二人でプルタブを開ける。

 ごくりと飲んで、苦味に顔をしかめながら笑った。


「やっぱり、苦い」


 澪がそう呟く。本当は彼女が超がつくほどの甘党なのを、俺は知っている。


 俺は笑って答える。


「でも……これが、俺たちの始まりだ」


 街灯に照らされた夜空の下。


 桜の花びらの下で、あの日と同じ二つの缶コーヒーが同じ音を立てた。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

本作は「30分で読み切れる短編シリーズ」の一つとして執筆しました。忙しい毎日の合間や、ちょっとした休憩時間にでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


また、アキラ・ナルセのページ内「シリーズ」として、同じく【30分読破シリーズ】をまとめていますので、ぜひ他の作品もお楽しみください。


今後も、同じく30分程度で読める短編を投稿していく予定ですので、また気軽に覗きに来ていただけると幸いです。

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