真実の愛はよく燃える
「公爵家がそんなに偉いのですか!?」
肩を震わせながらも、意志の強い目でまっすぐにフィオナを見つめる。フィオナはその目をしっかり見返して、静かに言葉を返した。
フィオナ・ロドウィグ公爵令嬢は、八歳のときに、王命で第二王子ステファンの婚約者となった。フィオナがロドウィグ公爵家の後継者になることが決まっており、第二王子をその配偶者とすることで、王家と公爵家の蜜月を示す完全な政略結婚である。
ステファンとフィオナの初の顔合わせは、あまりいい思い出とは言えなかった。八歳にして周囲が驚く淑女の礼をとるフィオナに対し、ステファンはどこかおもしろくなさそうにむくれた顔をしていた。その理由は単純で、ステファンはフィオナの姉であるレイチェルと婚約できるものと思っていたからである。
フィオナの姉レイチェルは、ほほ笑むだけで周囲を虜にするほどの美貌を持ち、その美しさは国内に留まらず、他国にまで噂されるほどのものである。そんなレイチェルには国内外問わず多くの釣書が届いており、彼女はフィオナの婚約が決まる一年前に他国の王族に嫁ぐことが決定した。これも、その国に嫁ぐことで、金を優先的に輸入する契約を取りつける政略結婚である。
そんなわけで、本来ならレイチェルが女公爵となるはずだったのを、フィオナがその後釜に座ることになった。フィオナは、美しさではレイチェルに及ばないが、才女と呼ばれるほどに頭が良く、女公爵としてやっていくのに十分すぎるほどの素質を兼ね備えていた。
だからこそ、国王陛下が第二王子との婚約を望んだわけだが、まだ精神的に幼いステファンにとってこの婚約は「貧乏くじ」であり、あと数年早ければレイチェルと婚約できたのにと理不尽な怒りをフィオナに向けていたのである。聡いフィオナはそのことを理解しつつも、決して表に出すことはなく、婚約者としてステファンに適切な対応をとってきた。
ステファンが決められたお茶会をドタキャンしても決して感情的に怒ることはせず、彼が癇癪を起こせば落ち着くまで黙って罵倒を受け入れる。そうしているうちに、ステファンのほうもやっと精神の成長が追いつき、徐々にこの婚約を受け入れ、フィオナを婚約者として表面上だけでも大切にする姿勢を見せ始めていた。
二人は成長すると、王立の学園に同時に入学した。ほとんどの貴族の子女たちが通う学園は、社交界の縮図でもある。学園は、学問を受けるという意味では平等だったが、フィオナは将来の女公爵として、そしてステファンは第二王子かつフィオナの婚約者として、周囲から一目置かれる存在であった。
こうして学園でも、二人は、見た目は仲睦まじい婚約者として過ごしていたのだが、フィオナたちが二学年に進級したころ、とある男爵の娘が一学年として入学し、状況が変わりつつあった。
その娘は男爵の庶子として引き取られ、平民として暮らしてきた過去があるが、あまりの美しさにすぐに学園中で噂となった。さらさらのブロンドの髪に、大きな瞳、肌は陶器のように白くなめらかで、唇は赤い果実のようである。レイチェルが他国に嫁いだ今、間違いなく年ごろの貴族令嬢の中で一番の美貌を持っていると言って差し支えない。
それだけならば、まだよかった。
この男爵令嬢――ペルルは、あまたの貴族子息たちを次々と虜にしていったのである。それも、婚約者がいようがいまいがおかまいなしに。
最初は、興味を持った貴族子息たちがペルルに近づいたのがきっかけだ。本来、貴族令嬢としての教育を受けていれば、婚約者でもない男性に近づかれてもうまくかわす方法を身につけているものである。しかし、男爵家に引き取られて日の浅いペルルは、うまくかわすどころか、その貴族子息たちと仲良くなってしまった。
もし彼女が、声をかけられてどうすることもできずに仲良くなってしまったのなら、周囲の令嬢たちがそれとなく助けることもできただろう。しかし、周囲の令嬢たちが適切な距離を保つよう進言すると、ペルルはまるで被害者のような顔をして令嬢たちにいじめられたと吹聴し始めたのである。
そうしてペルルは、徐々に令嬢たちから距離を取られ、それをかわいそうに思った子息たちがますますペルルに構うといういびつな対立関係ができつつあった。
その対立関係が決定的になったのは、ステファンがペルルに入れあげるようになっていたことである。
ステファンとペルルが、いつどのようにして出会ったのか、それは知る由もないが、二人はことあるごとに一緒に過ごし、婚約者でもあり得ないほどぴったりとくっついて歩いているところを幾人にも目撃されていた。もともとレイチェルと婚約できなかったことに不満を持っていたところに、見た目が自分好みの令嬢が現れればステファンがペルルに夢中になるのも無理からぬことではあった。
ステファンが男爵令嬢に入れあげていることは、もちろんフィオナも早い段階から報告を受けていた。とは言え今のところは学園の中だけということもあり、フィオナは静観することにした。王族として、そして未来の公爵家の一員としての自覚があれば自然と気づくだろうし、ペルルが何を考えているのかも見極めたいと考えたからである。
ところが、フィオナが何も言わないのをいいことに、二人の仲はどんどん親密になっていき、とうとう事件が起こった。
「愛のない結婚なんて、ステフ様がおかわいそうで……」
ステファンとの定例のお茶会のため、学園の中庭でステファンを待っていたフィオナの前に現れたのは、なぜかペルルだった。そうして彼女はいきなり、公爵令嬢のフィオナに向かって、一人芝居を始めたのである。
「ステフ様はおっしゃっていました。この婚約は無理やり結ばれてしまったと。本当は、愛のある結婚がしたいと」
フィオナが何も言わないのをいいことに、ペルルは好き勝手なことをまくし立てる。侍女の額に青筋が見え、フィオナは仕方なく立ち上がりペルルの前に立った。
ペルルは、フィオナが見てもたしかに美しい娘だ。お飾りにするにはちょうどいい。ステファンがのめり込むのも仕方ないだろう。
「あなた」
フィオナに声をかけられ、ペルルがぎくりと肩をすくめる。いきなり声をかけてきた割に、中身は小心者のようだ。
「先ほどから意味不明なことをおっしゃっていますが……そもそも、どこのどなたかしら?」
「なっ、し、失礼ですわ」
「失礼なのはあなたね。わたくしはフィオナ・ロドウィグ。公爵家の令嬢で次期公爵です。それで、あなたは、何?」
威圧感たっぷりに言い放つフィオナに、ペルルの視線が泳ぐ。それでもぐっと手を胸の前で握り、ペルルはフィオナの前に立つ。
「公爵家がそんなに偉いのですか!?」
肩を震わせながらも、意志の強い目でまっすぐにフィオナを見つめる。フィオナはその目をしっかり見返して、静かに言葉を返した。
「偉いわ」
「……え?」
「あなた、どこかの男爵令嬢ね。ああ、名乗らなくてけっこう。ところで、男爵家は国にいかほどの税をお納めかご存知?」
ただのお飾りが知っているはずもないことは承知でフィオナは言う。もちろん、ペルルは答えることができない。
「少なくとも公爵家は、その辺の男爵家の十倍は税を納めているわ。だからこそ、それに見合う位をいただいてるの」
「で、でも、学園では、平等で……っ」
「それはあくまでも、学問においては、という意味よ?公爵令嬢だからと言って、勉学を怠る者が成績優秀者になるわけにはいかないでしょう」
もちろんフィオナは当然のごとく学年首席の地位を入学時からキープしている。少なくとも、今目の前にいるこのあわれな男爵令嬢が、成績優秀者として張り出されているのを、フィオナは見たことがない。
「そうだとしても、ステフ様がおかわいそうなのは――」
ペルルはそれ以上の言葉を続けることができなかった。フィオナが閉じた扇で、ペルルの左頬を打ったからである。
「先ほどからわが国の第二王子を愛称で呼んで、不敬だわ」
本来であればフィオナの婚約者を愛称で呼んでいるところに怒るべきなのだろうが、あくまで公爵令嬢として、王家に忠誠を誓った者としてフィオナは行動した。仮に許可があったとしても、男爵令嬢ごときが王族を軽々しく愛称で呼ぶのは不敬である。フィオナの行動は、貴族として正しいものであった。
「ひ、ひどい……」
ペルルは頬をおさえ、目に涙を浮かべている。
「ひどいのはあなたの態度、おつむ、その他諸々ですわ。不愉快ですから立ち去ってくださる?」
フィオナの最後通告にも、ペルルはなかなか足を動かさない。そんなときだった。
「何をしている!」
どかどかと足音を立て、ステファンがやって来る。めんどくさいことになりそうだと思ったが、フィオナは大人しく淑女の礼をとる。
「ペルル!?一体どうしたのだ」
「ス、ステフ様……。フィオナ様がいきなり……」
ペルルがステファンの胸に甘えるようにすがりつく。あろうことかステファンは、婚約者のフィオナの前でペルルを受け入れ、赤くなった頬を確認してフィオナを睨みつけた。
「フィオナ、これはどういうことだ」
「そこの男爵令嬢が不敬を働いたのでそれ相応の対応をいたしました」
「だからと言って……」
「あら、これが社交界であれば、その娘は今ごろ牢につながれていてもおかしくないと思いますが」
牢、という単語に、ステファンもペルルも押し黙る。フィオナからすれば、この程度でおさめているのに何が不満なのか、純粋に疑問である。
「そ、それでも、やりすぎではないか。……ああ、ペルル、かわいそうに」
抱き合う二人の男女とそれを冷酷に見つめる公爵令嬢。はたから見れば、フィオナのほうが悪役である。
「ところで、なぜ殿下は、その令嬢に愛称を呼ばせているのですか?」
しかしフィオナは、自分がどう見られてもまったく気にせず、純粋な疑問をぶつける。
「え……」
「まさか、殿下がお許しに?だとしても、愛称で呼ぶなんて不敬極まりないことですが」
フィオナの言葉に、ステファンがわかりやすくうろたえる。ところがステファンが来たことで気が大きくなったのか、ペルルが勝手に口を開いた。
「わたしとステフ様は真実の愛で結ばれているんです!」
「……は?」
あまりの返答に、思わずフィオナは素で返してしまった。
「ステフ様が一番に愛しているのはわたしだとおっしゃいました」
勝ち誇ったような顔をするペルルの後ろで、ステファンの顔色がどんどん青くなっていく。
「ペルル、少し黙って」
「それに、ステフ様が公爵家に入ったら、わたしを公爵夫人にしてくれるそうです」
とんでもない爆弾発言に、さすがのフィオナも返す言葉に詰まってしまう。ステファンの顔色は土気色にまで変色していた。
「……なるほど、状況は理解しました」
フィオナは二人に近づき、今度はペルルの右頬を扇で打ちつける。そのままの勢いで、ステファンの左頬も打ちすえた。バランスを崩した二人が、あっけなく地面に膝をつく。
「きゃあ!な、何を……」
フィオナは今までにないほど冷酷な目で二人を見下ろす。ペルルはフィオナの圧に圧倒され、ステファンは半分意識を失いかけていた。
「真実の愛はさっそく処分しなくては」
フィオナは護衛に命じて廃棄物もといステファンとペルルを拘束させると、すぐに父の公爵に連絡を取った。公爵から国王陛下に報告が上がり、両頬が腫れ上がりせっかくの美しさが台無しになったペルルと、がくがくと震えているステファンを謁見の間に運び込む。
「陛下、御前をお騒がせし、大変申し訳ございません。父からご報告があったかと存じますが、ここに転がる第二王子殿下は、公爵家を乗っ取り、そこの男爵令嬢を公爵夫人にするとうそぶいていたようです」
「ご、誤解だ、フィオナ」
「他家の乗っ取りは死罪にもあたる罪ですわ。婚約は即時破棄。そこの二人には裁判ののち、しかるべき処罰をお願い申し上げます」
「ま、待って、処罰ってどういうこと!?」
今になって事の重大さに気づいたのか、ペルルが声を上げて騒ぎ始める。フィオナが扇を持って近づくと、ぴたりと静かになった。さすがに両頬に二発も食らうと、その痛みを学習したようだ。そのへんの畜生程度の知能はあるようで、フィオナは内心安堵を覚える。さすがに父や国王陛下の前で扇を振るうのは、淑女として恥ずかしいと思っていた。
「フィオナ嬢の言う通り、この二人を牢につなぐように」
国王陛下は青白い顔をして、それでも国王として命令した。父とフィオナは目を見合わせ、小さく頷く。この国王陛下には、まだ忠誠を誓っていても問題なさそうだ。
二人が衛兵に連れて行かれると、国王陛下はがっくりとうなだれた。自分の希望で結んだ婚約が、最悪な形でだめになったのだから、その心中は計り知れない。
「……このたびは申し訳ないことをした。フィオナ嬢、ロドウィグ公爵」
「陛下のご英断に感謝いたします」
ロドウィグ公爵が臣下の礼をとり、フィオナもそれにならう。ロドウィグ公爵が変わらぬ忠誠を見せたことで、王家の面子はかろうじて保たれた。
その後、貴族牢につながれたらしいステファンから、どんなつてを使ったのか、フィオナあてに嘆願を訴える手紙が届いていたが、そのすべてをフィオナは見もせずに暖炉にくべていた。
秋風が強まって扇の出番はなくなり、暖をとるための燃料が必要だったのでちょうどよかったのである。
「真実の愛ってよく燃えるのね」
名前が気になるとのことで、変えました。