咲良と利成の微妙な関係
フローライト第五十六話
<咲良、起きてる?>
<起きてるよ>
<大丈夫?>
<何が?大丈夫だよ>
奏空からは大体毎日ラインは来たが通話はなかなかできなかった。それでも咲良は何だか満たされていた。奏空は絶対に自分を大事にしてくれる・・・そんな信頼が咲良の気持ちを温かくしていた。
奏空のライブももう最後でようやく明日には奏空が帰れるというある日、咲良が仕事から帰るとリビングに利成が一人座っていた。
「おかえり」と言われる。
「ただいま。明希さんは?」
「今日はお店の子たちと宴会だって」
「お店?」
「明希の店だよ。アクセサリーとか俺の絵とか置いてる」
「そうなんだ」
「ご飯は?」
「食べてないけど、明希さんいないならいいよ。適当に買ってくるから」
「もう夜遅いよ。一緒に食事に行こう」と言われる。
「いいけど・・・」
利成の車の助手席に乗り込んだ。こうやって二人で食事に行くなんて初めてだ。
(付き合ってる期間はあったけど、普通のデートなんてしたことなかったしね)
急に車のワイパーが動いたので咲良はフロントガラスを見た。
「雨、降って来たみたいだね」と利成が言う。
「そうだね・・・」
連れて行かれたのはフランス料理で利成の行きつけらしかった。
「一緒に食事は初めてだよね?」と料理が揃うと利成が言った。
「そうだよ」
「奏空とはどう?離れてるけど寂しくない?」
「寂しくない」
「そう」と特に関心があるようでもない返事。
帰りは雨が本降りになっていた。車に乗り込んでシートベルトを締めていると利成が「ホテルでも行く?」と言ってきた。
「は?行くわけないでしょ?」
利成の表情からは冗談なんだか本気なのかわからなかった。でも利成とはずっと身体を重ねてきたのだ。こうして隣にいるのも自然に感じた。
「そうか、残念」と言ってから利成が車を発進させた。
一時は復讐まで考えていたのに、今はあの明希を知るとそういう気持ちは完全に失せた。明希は純粋で何て言うかすぐに壊れそうだった。
(私なら平気だけど・・・)
多分あの明希には無理だろう。利成が言うように自分のことを知れば壊れてしまいそうだ。ぼんやりとそんなことを考えていたら急に突然車が止まったので咲良は利成の方を見た。
するといきなり唇を重ねてくる利成・・・。雨がまるでベールのように車の周りを囲っていた。避ける気にもなれずそのまま受け止めた。ひとしきり口づけてから唇を離す利成の顔を見つめた。
「奏空がわざと咲良を俺に近づけてるって気づいてる?」
突然意外なことを言われる。
「え?」
「以前に奏空が俺に言ったこと・・・あながち的外れでもないからね」
そう言って利成が運転席の方にまた戻る。
「どういうこと?」
「・・・情を持ったのは咲良が初めてだよ」
「・・・・・・」
「今まで色んな女とやったけど、一度もそういう情は持ったことがなかったからね」
「・・・情って?」
「んー・・・”好き”とかいう感情よりどちらかというと執着心かな」
「・・・・・・」
「だから二年以上も離れられなかったんだよ」
「でも、週刊誌に出てからすぐに私を捨てたじゃない?」
「そうだね」
「それに、いつもホテルに行ってただやって帰るだけだったし・・・情なんて・・・」
「ん・・・咲良には特にそうしてたっけね。他の女とは一緒に食事に行ったり、ホテルに行ってから色々話すこともあったよ」
「何それ・・・じゃあ、私に情なんてないでしょ」
「咲良、見えることだけで物事判断してると人生を味わえないよ」
(は?)
「また奏空みたく説教?」
「ハハ・・・奏空も何か言うの?」
「言うよ。利成とそっくり」
「そうか」と利成が面白そうに笑顔になった。そして「つまりね・・・」と続けた。
「情で物凄く引っ張られたんだよ。だからわざとそうしてた」
「・・・・・・」
「咲良とはすごく気が合う気がしてね、俺の曲もどっちがいいか聞いたことがあるでしょ?」
「うん・・・」
「咲良の答えが俺と一緒でね・・・奏空の言う通り執着心がまだある」
利成がそう言って咲良の顔を見つめた。咲良が黙って見つめ返すと「さあ、どうしようか」と利成が言った。
「私はもう利成とは寝ない」
「そう、何で?」
「私の方こそ引っ張られるからだよ」
「そうか・・・」
「一度でも寝たらもう終わりだよ。私、離れられなくなる。奏空はきっとそれをわかってるんだよ。だから自分を強く持てって・・・」
そう言ったら利成が少し驚いた顔をした。
「奏空がそう言ったの?」
「そうだよ。自分を強く持ってって・・・。でも、強くなんてなれない・・・だって私・・・」とそこで涙が出てきた。あーサイアクだと思う。復讐どころか利成をつけ上がらせるだけなのに。
「咲良」と利成が手を握ってきた。
「バカ!」と咲良は顔を窓の方に背けた。
(奏空に会いたい・・・)
急にそう思った。
家に戻って玄関のドアを開けるといきなりバタバタと廊下を走ってくる音がした。
「咲良!」と奏空が玄関で抱きしめてくる。咲良は驚いて「あれ?帰るの明日でしょ?」と言った。
「咲良に会いたいから俺だけ先に帰ってきた」とギュッと力をこめてくる奏空。
車を駐車し終わった利成が後ろから入ってくると、奏空が身体を離して利成の方を見た。
「利成さんとどこか行ってたの?」
「ご飯食べて来ただけだよ」
咲良はそう言って靴を脱いで部屋に上がった。
「そうなんだ」とまだ利成の方を見ている奏空。利成が何も言わず先にリビングの方へ歩いて行った。
「咲良?ちゃんと自分を強く持ってたよね?」と奏空に言われる。
「もちろん。私は元々強いからね」
「ハハ・・・そうだよ。咲良は強いんだよ。良かった」とその場で口づけられる。
するとまた玄関のドアが開いて、今度は明希が入って来て二人を見て驚いた顔をした。
「奏空?どうしたの?明日じゃないの?帰るのは」
「うん、そうだけど早く帰ってきたんだよ」
「そうなの?」
明希が咲良の方を見て言う。
「ごめんね、今日は急にお友達と出ることになって・・・夕飯、利成に頼んでおいたんだけど大丈夫だった?」
「大丈夫です。外でごちそうになりました」と咲良は明るく答えた。
「そう、良かった」と明希も靴を脱いで家に上がって先にリビングの方に行ってしまった。
「咲良、部屋に来て」と言われてそのまま奏空の部屋に上がった。
そして「はい!」と何か包みを渡される。
「何?」
「お土産」
「そうなの?ありがと」と包みを開けてみると皮でできたブレスレットだった。
「あ、素敵。ありがと。私こういうの好きだよ」
「そうだと思った。これ見て」と奏空が自分の腕を見せてくる。そこには同じ皮のブレスレットがつけてあった。
「おそろだよ」と嬉しそうに奏空が言う。
(無邪気だな・・・)と咲良は奏空の笑顔を見つめた。
でも、奏空に会えてほんとにホッとしていた。利成とのことで傷ついた心が奏空といるとどんどん洗われていくようだった。
「ありがとう」ともう一度言うと「うん、そうだよ。それが素直っていう気持ちだよ」とまるで咲良の心をすべてわかっているかのように、奏空が嬉しそうに笑顔で言った。