ようこそ、変な人たちがいる店に 曇天代行店
『チリン』
扉と共に扉に付けられた鈴が鳴り、雨音を掻き消すほどの無音がその場を支配する。
単なる雨宿りに扉を開けた私。音野瀬香は、数回の瞬きをして目の前の光景が真実であるのかを受け止め切れず、一度外に出てそこにある看板に目を移す。
『雲天代行店。どんな方でも歓迎します』
改めて見ても意味不明でしか無い。だって意味が分からないから。雲天代行って書かれてるけど、そこから意味が分からないし、どんな店かも分からない。もう一度扉を開けて中に入って周囲を見渡して見る。
ソファーが2つ、向い合わせに置かれ、真ん中にあるテーブルには積み重なって山になった様々な物品……たぶん北海道とかの木彫りのクマや大阪とかにありそうなお菓子の数々。大量のお土産品だろうか。そこに目を瞑れば、普通の事務所。
でも、誰もいない。鈴が鳴ったのに気付いて別の部屋から来る様子は無いし、事務所の中をぐるりと歩いてみたけど、誰かが床に寝てるとかは無い。まぁ雨宿りに入った私が言えることじゃ無いけれど。
「鍵は開いてるし、防犯カメラとか無いっぽいし、どうすれば……」
「ようこそ。曇天代行店に」
「うわぁ?!」
心底驚いて目を瞬かせる。いきなり背後に立たないで欲しい。しかも急に声を掛けるなんて、驚く要素しか無い。待って、私の目の前に長身イケメンがいる。ホストと見間違いたくなるほどの眩しいイケメンが今目の前にいる。
私は雨宿りの為にここに入りましたって言わないと。よく分からないこんな店を出て、早く家に帰らないと変にお金を使いそうで怖い。夏だからよく夕立ち降るけれど、今この瞬間に早く止んで欲しいと切に願う。
(正直こんなところでお金払いたく無い!給料日前だから結構カツカツだし!)
「では反対側にどうぞ」
「あっはい」
言われたままに座ってしまった。私ってイケメンに弱いのだろうか……言われ通りに座ってしまったし、これからどうしよう。
私が座ると、イケメンな人が茶を入れ始めた。内装に反して結構渋めに感じる。しかもコンビニとかのお茶ではなくて、一から淹れてる。これは素直にすごい。私だったらコンビニ茶を出しちゃうところ。
『コト』
見惚れてたら一瞬で終わっていた。テーブルにお茶が置かれて、私の反対側にイケメンな人が座った。少し、いやすごく緊張する。何を聞かれるのか……
(え、待って。お茶が置かれてる距離的に……あー!飲んだ!飲んだ?!ふ、普通お客とかに出すものじゃ無いの……?せめて2人分は……駄目だ……目の前の人が、イケメンじゃ無くて変な人で固定しちゃいそう)
「ふぅ。あー、美味い」
(……変な人だぁ)
顔に出さないように気を付けているけど、目の前の光景を見るたびに今にもそれが決壊しそうだ。
(イケメンなのに……)
『チリン』
「おい、客に対して失礼だぞ。店番の自覚は無いのか?」
(ちっこい……子供?)
「あ、店長。久しぶりです」
「2時間ぶりを久しぶりと呼べるのか?呼べないだろ」
アロハ服の子供。お土産らしき紙包みや置物を片腕に抱える子供。花冠を頭に邪魔そうに乗っけてる子供。しかも、店長とは……人は見かけによらないって言うけれど、流石にこれは何度見ても姿形は子供だし声も子供らしく高い。あと撫でたい。
「はぁ……すいませんねお客様。この馬鹿は引っ込めて来ますので、少々お待ちを」
そのままイケメンで変な人を引きずって隣の部屋に連れて行った。
(……ん?)
隣の部屋から戻って来たその子供を上から下まで見てみる。同じ服で着替えた様子は無く、全く持って濡れていない。あの土砂降りの夕立ちの中、傘があっても完全に濡れてないのは無理がある。タオルがあっても服とかは濡れてるはずだし、私も靴とかが濡れている。
見間違いかな。いや見間違いで合ってる……はず。そもそもこんな変な店に雨宿りに来たのが運の尽きだったのだろうか。疲れて幻覚を見たんだろう。うん、きっとそうに違いない。
「さて、御用はなんでしょうか?」
あの子供はアロハ服のまま、手ぶらで今さっきまであの変人イケメンが座ってたソファーに座って、私に対してお茶を出してくれた。何もかもが正反対すぎて、何故か目の前の子供がイケメンに見えてくる。
幻覚だろうか。
(いやいや落ち着いて私!ここで切り出してくれたなら、言うことはただ一つ!)
「あの……ここはどんなお店なのですか?生憎あの看板と店の名前からどんなお店なのかを読解できなくて」
決まった。そしてこのまま穏便にここから出られたら上々。多少お金を払う覚悟はある。
「あと……」
「ん」
「あ、はい」
もう一つ気になってることを言おうとしたら、運転免許証を取り出して見えるように出して見せた。ちゃんと成人年齢だった。
子供……とは呼べないから、店長と呼ぼう。そうしないと姿と事実の違いに頭がバグってしまいそうだ。
「……この店に来た理由は雨宿りの為。違いますか?」
「えっ」
(バレた……?まさかのバレた?服が完全に乾き切って無いから?もしくはびちょびちょの傘から推測……?兎も角……どうしよう。気不味い)
「ではどうぞお帰り下さい」
「え?」
「どうぞお帰り下さい」
「あっはい」
笑顔の圧に負けてしまった。仕方無く外に出るしか無いけど、まだ夕立ち降ってるだろうから、気は進まない。
『チリン』
「……や、止んでる?」
不思議なほどに雨が止んでる。降り出してからあまり時間は経ってないはずだけど、そんな日もあるのか疑問が浮かぶ。
雨は止んでるけど空一面にはまだ雲が掛かってるし、ここに居続けるのは気不味い。だから早く帰ろう。
(……変な店だったなぁ)
あれから数週間ほどが経過した社員旅行中。
「あっ」
「あっ」
「やあ」
一面の雲が空を包む観光中の京都で、まさかのあの子供と変人イケメンに遭遇した。
前に会った小さい子供のような店長は、前のようなアロハ服では無く、防寒着に身を包みリュックを背に掛けゴーグリを額に装着したガッチガチの登山装備。夏真っ盛りの京都で、それは普通におかしい。
一緒に観光地巡りを楽しんでいた同僚は、その洋装に困惑しかできていない。いや半分気絶してるっぽい。
「…………」
「…………」
どうしよう。向こうは私のことを覚えているのだろうか。1ヶ月前のことだから覚えてるかどうか怪しいけれど、何かあの変人が馴れ馴れしく久しぶりとか言ってるからこっちは覚えてると断定する。店長の方は「あっ」て言ってたから覚えてると信じたい。
「……次いでだ。来い」
何か……言葉が荒い。こっちが素なのだろうか。ちっこいせいで子供の反抗期にしか見えない。
「ちょうど手伝いがもう1人欲しかったところだ」
「あの、まだ私手伝うなんて一言も……」
楽しい楽しい社員旅行で、勝手にお手伝い認定されるのはたまったものじゃない。そんなことに付き合う義理も無いし、絶対に断らないと。絶対めんどくさいことになる。
「ん」
「そ、それは……!」
……って驚くように言ったけど、差し出されたのは紙。ただの名刺。そこには曇天代行店と言う名称と、多分店長の本名と、住所と電話番号が書かれていた。
「路頭に迷ったら来い」
店長はそれだけ言い残して、そのちっこさもあり、すぐに人混みの中に消えて行った。
「え……く、クビ……ですか?!」
何度もまばたきをして、頬を引っ張ってみる。
(痛い……)
何度確認しても現実だった。私、何かヤバいことでもしたのだろうか……全く身に覚えが無い。
「実は……先月から経営状況が急激に悪化してしまってな。非常に申し訳ないことこの上ないが……君含めて、あと数十人ほど解雇しなければうちの会社は倒産してしまう」
(マ、ジ、か……マジかぁ……まぁ私ってあまり業績振るわない方だからなぁ……当然かなぁ……)
「だ、だが、まだ何とかなる!あと30日以内。整理解雇の今この予告から30日以内にこの会社を倒産危機から復帰できれば、君が望めば――――」
『バンッ!』
社長が急な音に体を震わせ、社長室に入って来た人物に視線を移した。私もその方向に目を移す。
そこにいたのは同僚たちだ。今日来てる従業員の半数近くがいる。
「辞表です。すいませんが、こんなギリギリな会社に付き合う義理は無いので」
リーダー格の部長が代表として一歩前に立ち、およそ私と社長を除いたこの場にいる全員分の辞表を社長に差し出した。
「ま、待ってくれ!君達がいなくなれば……!」
「倒産。それくらい承知です。新しい就職先はもう見繕いましたので」
この会社は小さな小さな、大企業が軽く小突けば大ダメージを受けるような小さな会社。従業員は百を全く超えないし、社長が会社を立ち上げてからまだ3年弱。そう言うこともあって、社員と社長の距離感が凄い近い。社長が凄いフレンドリーな結果だけれど。
そして、そう言い残し出て行った同僚たちを尻目に、社長はその場に泣き崩れてしまい、私は社長の背をさすることしかできなかった。
私が勤めていた会社が倒産して数週間。完全に路頭に迷った。
あの社長の何事にも全力でフレンドリーな姿勢からあの会社に入社したけれど、社長は今頃どうしてるんだろうか……いやもう社長ではないか。
『ビュゥゥゥ』
(もう秋終わりかぁ……雪はまだ降ってないけど。うぅ、寒い)
アパート住みだからそろそろ家賃が赤信号。早く新たな就職先を見つけないと。ハローワークとかに行く?いやまぁ、そうしないと今外にいる理由がただの散歩になってしまうし。
『ぽつ……』
(ん?雨粒……?この季節に雨はちょっと珍しいけど、うわ。雲が真っ黒。降るなぁこれ。早めに雨宿り先を見つけないと)
「あっ……ここ」
確か財布の奥底に入れて置いたはず。あった。曇天代行店と書かれた、店長から貰った名刺。路頭に迷ったら来いって言われて渡されたけど。まさかあの店長は予言者?な訳ないか。でも、路頭に迷ったからこの店に入る理由はある。
『チリン』
「あっ社長……」
「あ、あぁ数週間振りだな」
店の中には、どこか一段と老けた社長と、にこやかな笑顔を張り付けた店長と……変人。ガムテープで手足を縛られ口に貼り付けられた意味不明な変人。私を見てなんかもごもご言って爽やかな笑顔だから、変人。
と、取り敢えず。あの変人に話を聞こう。
「ストップです。その馬鹿は昨日この店に来日したお客様にドッキリを仕掛けようとしたので、そのお仕置き中です」
「あっはい」
(笑顔の圧……怖っ)
丁寧な口調も、怖さをより一層強調させている。
「それで、相談と言うのは?」
「あ、はい。実は、私が運営してました会社が、この前倒産してしまいまして。残っているのは会社を運営する為に借りたかなりの借金。一応返せはするんですが、そうした場合残るものが少なく……」
社長って大変なんだと、私は他人事感覚でその言葉の節々から感じさせる。他人事では全く無い訳だけれど。
「世間情勢が悪いとか、部下達が悪いとかは思っていません。ただ、私自身が悪く、結果倒産の危機に直面した時に、部下に見捨てられてしまったと。それで……そんな最中、外の看板が目につきまして。ヤケクソ半分、興味半分でこの店に……」
「そうですか。ではお帰り下さい」
「……え?」
「お帰り下さい」
「……そうします。ご迷惑でしたね。すいません」
(でた……強制的に帰らせようとする店長のあれ!)
『チリン』
あ、元社長が出て行ってしまった。流石に私も他人事では無いし、何度もお世話になった良い人だから何とかしたいんだけれど……難しい。そもそもお金が無いから尚難しい。
「手伝え」
「へ……?」
え?何故?いきなりいきなり過ぎるせいか、何故?だけが湧いて来る。
「ん」
「そ、それは!」
(お金……!今1番私が欲しいお金!)
「前払い三万円。手伝い完遂で3倍の九万円。この店に就職すれば日給は更に2倍の……」
「や、やります!やらせて下さい!」
(その金額があれば、ほぼ何でもできる自信が湧いて来る!さあ店長さん何をすれば宜しいですか?!)
「名前は?」
「あ、お、音野瀬……香です」
(まぁそうだよね。まずは名前だよね)
「ちなみに僕は――――」
「適当にあしらえ」
店長がいつの間にかガムテープを剥いで解いた変人の言葉を遮った。名前を聞けずに店長が遮っちゃったけど、まぁさっきまでと同じく変人と呼ぼう。そうしよう。
「分かりました店長。そして変人さん」
「へ、変人……」
「事実だ」
「それで……具体的に何を?こうして3人で後を尾けてますけど、完全に不審者ですよ?」
私と店長と変人の3人で電柱に隠れ、曲がり角で隠れ、完全にストーカー行為極まる行動しかしていない。まさか手伝えってストーカー行為を手伝えと言うのだろうか。
「そう言われても仕方ないが、不審者はこいつだけで充分だ」
「てんちょー……」
「事実だ。で、音野瀬。お前にやって欲しいのは、あのお客の趣味か好物のある場所に誘え。何でも良い。何処でも良い。兎に角あの豪雨降り注ぐ心に、少しでも日を差し込めればそれで良い」
(あの人の好きなこと……?もの……?一応思い付くには思い付くけど……)
「お金が……」
「前払いを使え」
(えー…………その為かー……その為なのかー……まぁやるしかないけど)
(前払い三万円で行ける場所。近場にある。行くかー……誘うかー……)
「……あ、あの!息抜きに植物園に行きませんか……?」
「すまないね、こんな私を誘ってくれて。しかも二人分を負担してくれて。君も厳しいはずなに……」
「いえいえ!また会った縁ですし、私も気分転換したいなと思いまして」
気不味い。気不味いけど、お金の為にはやるしか無い。それで、店長は何処に……いない。木陰に隠れてこっち見てる変人しか、私から見える範囲にはいない。
今が晴れだったら良かったけれど、生憎凄い曇り。雨でも晴れでも無い、中途半端な中間の曇り。一面の曇り。
元社長と植物園にあるベンチに座って植物を眺めて、それ以外に何もしない。
この人は、家庭菜園でできた野菜を社内に持って来るくらいに、植物を育てるのが好き。それは社員全員が知る事実。独身三十歳のフレンドリーなこの人は、出会いが違えば私と恋人にでもなってたのかなと考えてみる、
(いやいやいや!なーに考えてんだ私は!)
職を失ったから、変な考えに浸ってしまったのだろうか。こんな時に結婚願望が噴火したのだろうか。いや、思考を改めよう。そもそも店長は何処に――
「……快晴」
さっきまで空は一面の雲に包まれてたのに、いつの間にか燦々と輝く太陽と青い空が一面に。天気ってこんな急に変わるものだったか疑問が沸き上がる。
(あっ、変人がカンペ持ってめっちゃ指差してる……えーっと何々?……励ませ?)
やるしか、無いか。晴れた今が絶好の時と言えるし。こんな快晴で励まされたら、私も心が晴れ晴れとするだろう。
「私がここに誘ったのは、お礼の意味合いが強いんです」
よし、切り出せることができた。
「入社したてで不安な時も、社長の立場を感じさせないほど励ましてくれて。私の今があるんです。それと、毎月くらいの頻度で社員全員に贈ってくれた野菜。凄く美味しかったですよ」
(これで……良い、よね……?励ますってことは)
「私は、好きなことを趣味だけに留めて置くだけなのは、正直勿体無いなと……個人的に。だってあの野菜凄く美味しかったんですよ?本職に負けず劣らずに」
「君……」
「あなたには、ここで終わって欲しくない。私が、あの会社に入りたいと思った、一番の理由だから。あと、あの人達は見る目が無いですよ!こんな良い人を見捨てるなんて!」
「…………」
(大丈夫……だよね?一回瞬きして空を見つめてるけど)
「……ありがとう。君がここに誘ってくれたお陰で、前を向けた気がするよ。また会うことができたら、今度は私から誘わせてくれ」
ベンチから立ち上がり、植物園の出口へと歩いて行った。今にも挫けそうだったその背は、晴れ晴れとした快晴も合わさり、力強く先へと進む勇気を持って。
あの人が植物園から出たのを確認すると、変人が木陰から出て来て私と合流。そして店長がいつの間にかすぐ側にいて合流できた。
「ゼェ……はー、ゼェ……はー、ゼェ……はーー……ふぅぅ……」
店長が凄い疲れてる。引くくらいに疲れてる。
今気付いたけど、店長の服装は半袖短パンの超軽装。おかしいとしか感じない。こんな冬に突入しかけた寒い季節に。
「これで良いですか?できうる限りのことはしましたけど」
「ゼェ、はー!ゼェ……これでっゲホゲホッ!ゲホ…………ゼェ……はー……ゼェ……」
大丈夫だろうか。凄い息切れだけど。
「ふぅぅぅ……すぅぅぅ……ふぅ。上出来だ」
やった!励ますなんて全然したこと無かったけど何とかなった。これで、これでお金が得られる。
「……それにしても、丁度良く快晴になりましたね。グットタイミング過ぎて、この快晴が人為的かと一瞬疑いそうになりましたけど」
「……」
「……」
急に店長と変人が顔を合わせ、私には全く分からない以心伝心が繰り広げられた。傍目から見れば無言の見つめ合い。
「ではこの手伝いをやってくれた貴女に、曇天代行店の従業員候補である貴女に、秘密を一つ伝えましょう」
変人が無駄に体を動かし、軽く踊りながら前口上を口にした。何を見させられているのだろうか。
「この世にはそこにいることで、空の天気に影響を与える者がいます。俗に言う晴れ男に晴れ女、雨男や雨女と。そしてその中でも、ごく一握りがその力を制御し、自由に自らの意思を持って、空を自分色へと塗り替える」
初めて知った。そんなこと。それは……ただ単に雨とか晴れが多いような気がする、みたいな感じだけかと。まぁこんな快晴で、いや一面の曇りになってるけれど、こんな早さとタイミングで天気が変わるなんて、信じるしか無い。
(……その動きウザいよ変人)
「そして店長は雲男。どんな快晴も、どんな豪雨も、どんな天候もある程度なら曇りにできる!」
(聞いたことないなぁ……相場は晴れと雨だけじゃ無いの?)
「ちなみにデフォルトが雲の雲男ではあるが、今見せたように晴れもできる。ON、OFFみたいなもんだ。ただ、範囲によるものの……晴れにすると全力疾走レベルの体力消費が待っているが」
深い息を吐きながら、店長が愚痴混じりにそう言った。どこからどう見ても全力疾走以上に疲れてる。
「……お疲れ様です」
あれから数日後。私は曇天代行店に見習い従業員として就職し、安定し高額の給料を……給料を……
「実は日給は三十万だけど、それってこの店に誰かが来た時限定なんだよねー。だからだーれも来ないと給料無し」
曇天代行店の店内の清掃中。違和感を感じた私に変人が答えを口走った。衝撃的で一瞬変人を殴ろうと思ったけど、何とか抑える。
それで、いや、まぁ。日給がそれだと凄く高いから、客の数で均一化されてるのだとは思う。けど、どこか騙された気分。それでも、そんな安定しない給料だけど、変人の後輩になったのがちょっと心配だけれど、それ以外は順調だと、思いたい。
「あっ、そうそう。店長がすぐにお客を返してるけど、普通こんな力があるなんて信じないからね。無駄に波紋を広げることは避けたいし、あと店長の親がらみのことに関しては禁句だから。気を付けて」
実際に何かやらかした顔……そう言う顔にしか見えない。何やらかしたんだこの変人と言いたい。店長がなんで解雇しないかが不思議に思えて来る。
「前に来たお客が、色々とお土産渡してくるんだよ。この店に来てから人生バラ色って考える人多いし、店長あの姿だから、庇護欲爆増で色々と理由つけて渡して来るんだよ。お、み、や、げ」
で、その結果がこの積みがっている統一性の無いお土産の数々と。確かに側から見れば頑張って背伸びしてる子供だし、私も店長の頭を撫でたい。
でもお土産があり過ぎて少し埃が積もっている。掃除し切れないし、この変人が隅々までキッチリにやるとは思えないし、無視するにしても気になるし、やるしかないか。多い。こんな時は何か気を紛らわす話でもしたいけど、あるかだろうか……いや、あった。
「そう言えば、変人さんは雨男とか晴れ男とか、そんな力は持ってるんですか?」
「ああ、持ってる。今ここで実演しよう。僕は雪男ならぬ、雹男。雹を降らせることができる。ただ降らせるとっイテ、ほぼ確実に頭に当たるけどね」
コトリと音を立て、小さな氷の塊が床に落ちた。変人は軽く頭をさすっている。
(えぇ……うわ要らなぁ……もし私だったら絶対に封印したいよ。その力。ってか屋内でも使えるんだ……使ったら逃げ場無いじゃん)
「ああ、そうそう。店長は他の天気にできるけど、あれは店長は凄いだけで普通はできないから、無茶ぶり勘弁!てへぺろ!」
なんか先輩面してるけど、なんかムカつく。イケメンで変人だからなんかムカつく。
「依頼が来た。行くぞ」
お出かけ中の店長が帰って来た途端にそう言い、今日はスーツ姿の店長が買い物袋を放り投げ、てきぱきと出発の準備を始めた。
取り付く島もないようなその口ぶりに、今やっている掃除を切り上げて店長に従うしかできない。しかし依頼が来たと言うことなら、つまり私に給料が入ると言うことだ。拒否する必要は全く無い。
変人が鍵を持って外に出て、私も出る。曇天代行店の扉に鍵が掛けられ、今店をやっていないことを知らせる看板を置き、出発の準備が整った。
曇天代行店から車で30分ほど。店長が出した車に乗り、目的地だと言う場所に到着した。
かなり広い公園だったそこには幾つかのイベント用と思われるテントが並び、その内数か所のテントには良い匂いの香る料理が作られ、何十人もの人々が並んでいるのが見える。ここから見る限りは料理と食事に重点を置いたイベントのようだ。でも、見渡す限りでは何故曇天代行店が呼ばれたのかが分からない。
「店長。ここで何をするんですか?」
「説明してやれ」
店長が説明を変人に放り投げ、変人が変な動きと共に説明してくれた。
今日は午後からここに大雨が降ると言う天気予報があり、イベントの中止を危惧した主催者が伝手を辿り、店長に雨を降らないようにしてくれと、店長のスマホの電話から依頼をしたそうだ。曇りになっても良いからイベントを続行したいと言う主催者の懇願が滲み出ている。
「おお!ようこそ曇天代行店の皆様。今回来ていただき有難う御座います。地域の複数の飲食店による町おこしの食事会にようこそ」
イベント会場を少し遠くから見渡している私達に気付いた主催者らしき人物が、大手を振って歓迎してくれた。そしてそのままテントの一つに案内された。
「いやはや、あなた方が来てくれて助かりました。まさか当日になって天気が急変するかもと言う予報が出てしまいまして。今さっきも一瞬だけ小降りになりまして、イベントの中止を覚悟したものです。ですが!あなた方が来てくれたおかげで雨は完全に止みました。本当に有難う御座います」
主催者やその周囲の人達が深々と頭を下げて私たちに感謝した。厳密にはやったのは店長で、私は全く何もしていない訳だけれど。
そんなむず痒さを感じていると、暇そうな変人がスマホを取り出して、ここ周辺の天気予報を出して見せてくれた。それを見てみると、ここ一帯が大雨が降り、一部地域には洪水警報が出されている。降水量を見てもかなりの高さだし、改めて店長の凄さを感じ取った。
(雲りにするってだけでも、色々な使い道があるんだなぁ……)
軽く考えてみても、幾つか使い道が思い付く。主に雨や雪を回避する方向に。
「それでは、イベント終了になれば報酬をお渡しいたします。それと、このリストの中で食べてたい料理はありますか?ご注文を受けましたら、無料で、即座に、作り立てをお渡しします」
主催者の目を見た。イベント続行の歓喜に震えているのが分かる。そもそも全身に出まくっている。
「素材の質も料理の美味しさも保証します。このイベントをやりきることには、この町を再度興すと言う大きな意味がありますので。取材班もここに来ていますので、今日にはテレビに、明日には新聞に出ていることでしょう」
そうなると、本当に重要なイベントなのだろう。私は何もしてないけれど、まだお昼を食べてないペコペコ状態。お言葉に甘えて幾つか頼むとしよう。
店長と変人と私の注文を終えると、本当にすぐに料理が持ってこられた。
取り敢えず注文した料理を受け取り、場所を変えて食べることにする。ここだと主催者達の目があって少し食べ辛い。店長達も同意見のようで、私と一緒に移動した。
落ち着けそうな場所を探し、そこに腰を下ろす。一度周囲を見渡して
(あ、子供がいる)
当然のことだけど、家族連れの人達もいる。男の子や女の子が楽しそうに食べていて、少し体が疼く。撫でたい。小さな子供を撫で尽くしたい。でも……我慢。こんな場所でそんなことをしたら、確実に不審者として通報される。
そんな欲望に任せた浅はかなことは、私の本意では無い。
(我慢、我慢)
お腹いっぱいまで食べ切り容器を捨てていると、雲越しに夕焼けが見える中、イベントが終了した。
『チリン』
「……あの……えっと……失礼、します」
イベントが無事終了し、曇りには色々と使い道があると知った翌日。昨日切り上げたお土産の掃除をしていると、気弱そうな女性が曇天代行店の扉を開けた。
すかさず変人がイケメンスマイルでソファーに案内。私はお土産の掃除を切り上げ真ん中のテーブルの上を片付ける。テーブルの上のお土産は、取り敢えず隣の部屋に。
「客か」
隣の部屋で分厚い本を読んでた店長が、確信の声と共に本を閉じ、この部屋から出てお客がいる部屋に行った。
今日の店長の服装はジーンズを履いた若者風。でも見た目は若者気取りの子供。ちょっと可愛い。
そして入れ替わるように変人が隣の部屋に来た。おおかた店長に追い出されたのだろう。
「接客モードの店長は怖いぞぉ?」
うん。痛そうに頭をさすって無かったら、色々と教えてくれる良い先輩。多分お客に何かやらかして物理的なあれをされたのだと思われる。
変人は一旦無視して、隣の部屋から出る。
テーブルを挟んでお客と店長が座っている。でもまだ飲み物は出されず……これを私がやれと。店長がお客に見えないように、やれ、っと指を刺してる。やるか……
この店の飲み物はお茶。一応一から一通りにはできるけど、店長とか、変人みたいなクオリティは無理。
「どうぞ」
「あっ、ありが、とう……ございます」
まずお客にだしてから、次に店長。お客は震える手でコップを握り、手の振動を抑えず口につけた。
少ししてそのまま手を下ろし、コップをテーブルに置いた。口に付着した水滴と、全然減っていないコップの中身を遠目で見つつ、とある可能性を考慮して、使ってない無地のタオルを用意。
その様子に店長がテーブルの下で親指を立てた。嬉しい。これは素直に嬉しい。恐らくこれだけでも、私は変人よりも上だと言うことが証明されたと同義。一瞬はしゃぎたくなったけど、お客の前。この感情は抑え込む。
「知り合いから、相談するならこの店が良いと聞いて……来ました」
お客は声を震わせながら話し始め、店長は記憶を探るように片目を閉じ、お客の話を聞く態勢に入る。多分お客の友人が誰かを、記憶をひっくり返して探しているんだろう。随分と器用なことだ。私には絶対無理。
「私……今年で一歳になる息子がいるんです。夫と共に暮らして頑張って……先月までは、子育てで大変になりながらも、平穏に暮らせていました」
お客がそう言って目を伏せ、再びお茶を取ろうと手を伸ばし、震える手を見てお客はその手を引っ込めた。
「今月に入った途端……息子の周りで雪が降り始めたんです。息子が泣くと雪が降って、泣き止んだ途端に止んだんです……偶然なんかじゃありません!あれから何度も同じことが起きて、天気予報が全く当たらないんですよ!」
(……もしや。その子は店長や変人と同じ……)
「私、夫以外に誰も相談できなくて……息子に何が起こっているのかが分からなくて、不安で……不安で!」
相談したからか、今まで溜め込んでいたものが爆発したからか、お客がテーブルを叩きその衝撃でコップが倒れた。元々そうなりそうだと思い用意していたタオルで即座に拭く。用意していて正解だった。
「す、すいません!」
謝られても現実は変わらない。まぁ私の予想通りにになってある意味安心したと言うか、完全に不意と言う訳でも無いから気にしなくても大丈夫だと思う。と声を出して言いたいけれど、何か店長の取り巻く雰囲気が急にどんよりとし始めた。
若干湿気を感じるし、何処からか、ゴロゴロと聞こえたのは気のせいでは無い気がする。
「それについては依頼として受けましょう。因みにですが、もしやその知り合いは……低身長で赤い瞳を持った、身丈に合わない服を着た女性ですか?」
「え?……そうですけど、もしかして知り合いでした?」
今この瞬間に、曇天代行店に雷が舞い降りた……!物理的に!
屋内……屋内で雷が落ちた。
(死にかけたよ。変人諸共)
黒焦げた床を横身に見つつ、いつの間にか私のすぐ側にいた変人と共に、少し店長から離れる。この現象の前後から、ほぼ確実に店長が発生させたものに違いない。
だって店長が現在進行形に渋苦い顔をしているからほぼ確実。やっぱ接客モードの店長は怖い。変人の言葉が身に染みた。
お客の方は突然の現象にあんぐりと口を開けて、さっきまでの震えが完全に吹き飛び、まるで絵がそこにあるかのように停止した。無理もない。私だって信じたくは無かった!
あれからお客に住所を教えて貰い、後日直接伺うことになった当日。
私は嫌な予感がして、まだ時期尚早と呼べるほどの防寒着を着用し店長と変人と共に赴いた。そしてその判断が正解だったことを、身に染みるほど理解した。
「さて、雪男邸に到着だ」
店長が私と同じレベルの防寒着を身に包みながら私と変人に聞こえるようにそう言った。
(極寒だ。北極?南極?エベレスト山頂?シベリア?)
そう思いたいほどの豪雪降り注ぐ田舎町の一角。周囲はまだ雪すら積もっていないのに、ここだけ完全に極寒の豪雪地帯。
(なんで?雪男ってこんなヤバいの……?)
「……」
なんか店長、あの日から凄い面倒くさそうに空を見つめてる。店長が言っていた女性に何か思うところがあるのだろうか……早く知って店長の地雷を踏まない努力をしないと、多分死ぬ。雷の直撃による感電死かショック死で死ぬ。怖いと言う感情が沸き上がってくる。
「えーっと、あなた方が……妻の言っていた、息子を何とかできる人達ですか……?」
疲れ気味の男。お客の夫であろう男が、疲労を隠す気の無い顔でそう聞いて来た。声色と顔色から相当疲れている。そう判断ができるほど顕著に。
「はい、そうです…………店長?店長ー!?」
いつの間にか店長が何処かに消えていた。変人は、ひとまず無視。
「取り敢えず雪を曇りにした。応急処置としては充分だろ」
突然止んだ曇りの中、店長が雪に半分埋もれた家の屋根から地面に。いや地面から2、3m積もった雪に降り立ちこちらまで歩いて来た。
男は唖然としてる。私も唖然としたい。受け止めずに思考停止したい。
でも現実はこの突飛な現象を眩く、そして雲で薄暗く放っている。
「……と、と!取り敢えず、家に上がりましょうか」
男が足早にその場を離れて家の中に入って行った。
どうしたんだろう。店長がその場に動かずに息を深く吐いた。その目には疲れが滲み出てる。変人も店長の様子をうかがっている。どうかしたんだろうか……っと様子を見ていると、店長がある方向に首を回し視線を向けた。
「……で、そこにいるんだろう?毒母」
「あら?既に気付いていたのに何もしなかったから、どうしたのかしらと思ったけど……単なる嫌がらせでわたくしが止まるとでも?」
店長の怒りの籠った呟きに応えるように、物陰の死角から誰かが現れた。少女と呼べる身長に、赤い瞳に、身丈に合わない大きな上着。恐らくお客が言っていた知り合いはこの人なのだろう。ちっこくて可愛い。撫でたい。
「……即刻この場から立ち去り、二度とそのご尊顔を見せぬよう、どうぞお帰り下さい」
その顔を見た瞬間、店長がキラッキラで怖っコワな接客スマイルを顔を貼り付け、空がさらに暗く、真っ暗に近いほど暗くなる。
「あらあら、我が子にそんなことを言われる筋合いは無くてよ?」
フフっと微笑み、なんかヤバそうな雰囲気を漂わせて、彼女の周囲から幾つものつむじ風が吹き始める。
「へ、変人さん!誰ですか?!何ですかあれ?!」
何か起きそうな雰囲気に、少し遠くから見ているだけだった変人に近付いて、小声の大声で問いただしてみる。絶対何か起きそうだし、あの女性が何者なのか知らないし、正直近付きたくも無い。
「落ち着いて後輩ちゃん。下手なことしてあの人の目に留まると碌なことにならない」
ちゃんは要らない。そう言いたいけど、そんな場合では無いことは察しているので、心の中に押し込んで置く。
「あの人は店長の母親で、自分が中心に世界が動いていると考えてる、関わるのは駄目な部類の人だ。とある財閥の妻で、店長の話だとあの人のお陰で家庭内は無茶苦茶なんだそうだ。半ば財閥のトップである夫を傀儡化しているそうだし」
(あー……そうなると店長は社長とかの偉い人の息子。そりゃあ親関連は禁句になる訳だ。ヤバい母親を間近で見て来た訳だから)
「実際にあの人が店に来て、何度店が物理的にも金銭的にも潰れ移転したことか…………坊ちゃ、いや店長と共に幾度も間近で見て、あの人には良い印象が全く無い」
(んん??……変人から坊ちゃ……?坊ちゃん?坊ちゃん?!もしや変人さんって店長の元執事か何か……?)
お金持ちとかの息子ならありえそうではあるけど。どうりで変人さんが何度も奇行をしても解雇しない訳だと、今、納得した。
「…………?」
つむじ風が少し勢いを増した途端、急にあの店長の母親が不可解そうにチラリと私を見た。その視線に、キラ怖スマイルの店長とは別の意味で怖く感じる。
「良いおもちゃを見つけたみたいね。また後日。そのおもちゃで私も遊ばせてもらおうかしら?」
優しげな笑みを浮かべながら、私に向けられている視線が熱を帯びるのを感じる。
正直変人さんの話から不安しか無かったけれど、店長の母親は何もすることは無く、後日と言う言葉に不安を感じている私を見て楽しげな表情を浮かべ、より一層勢いを増したつむじ風の中に消えて行った。
「……さっさと終わらせて帰るぞ。下手なことが起きる前に」
焦りを含んだ声と表情を浮かべながら、雪男のいる家に入って行った。
完全に頭から抜けていたけれど、この為にここに来たんだった。取り敢えず深呼吸。
一度思考を切り替えようとしたけれど、そう簡単には切り替わらず、頭の中で不安が残り、雪のように降り積もるばかりだった。
「本当に……本当に有難う御座いました!これからは、妻と共に不安にならず生活できると思います!」
「何かあれば自分たちだけで抱え込まず、まず店に相談するように」
「はい!夫と息子共々、ありがとうございました!」
夕日が輝く中、夫婦は凄まじい勢いで感謝を述べまくっていた。押しが強くてちょっと困る。
泣くと雪を降らす赤ちゃんに対し、店長が行ったことは、私に赤ちゃんの世話をさせると言うことだった。訳が分からない。私に赤ちゃんを世話した経験は無いから、夫婦にどうすれば良いのかを何度も聞く破目になって、気不味かった。
それで私が世話をしている間、店長と変人さんの方は家の外の雪かきをしつつ適度に快晴で溶かす作業。正直あれを私がすることにならなくて安心したけど、いたたまれない。ずっといたたまれなかった。
雪かきが終わる頃には赤ちゃんの世話も多少様になって、楽しくなかったと言えば噓になる。存分に赤ちゃんと遊んで撫でまくったし。子供を持つってこんな気分なのだろうか。
一歩を踏むたびに、足元からぴちゃぴちゃと音が鳴る。雪を溶かした結果なんだろうけど、家の周辺は豪雨が過ぎ去ったかのように水浸し。足の踏み場が少なくて、どうしても水たまりを踏むことになって困る。
「息子さんの雪は、精神が不安定な状態のままになると雪が降り始め、それが顕著になると豪雪となり今回のように周囲に大規模な被害が出ます。従業員が落ち着かせたお陰で鳴りを潜め、これで無意識ならそう簡単には雪は出ないはずです」
夫婦からお礼を受け取りつつ、店長が詳細な注意点をメモ紙に書きながら伝え続ける。
また雪が降り始めないようにメンタルチェックは欠かさずに、それでも雪が降れば相談するように。と最後に店長は何度も念を押して、夫婦にそう伝えた。
「それと……最後に一つ、聞きたいことがあるのですが」
「はい。何でしょう?」
「うちの店を紹介したと言う知り合いは、どこで知り合いましたか?」
店長の質問に、赤ちゃんを抱えた妻の方が口を開く。
「あの方は、この前暴漢に襲われた時に助けてくれたんです。その時に連絡先を交換して、それから何度か私の相談を受けてくれたんですよ。店を紹介してくれたのも、息子の雪で相談した時ですね」
曇天代行店に帰った途端に、店長が凄まじく疲れた顔で床に倒れた。今この場でその行為を咎める者はいない。だってそれくらいに疲れたから。特に店長と変人は疲れて当然だと思う。母親の件もあると思うけど、肉体的な疲労の大部分は空の快晴と雪かきだろう。特に雪かきってかなりの重労働らしいし。
「店長。依頼人のあれは恐らく……」
「確実にマッチポンプだろうな。あの毒母ならやりかねない。いや確実にやる」
どんだけあの母親はヤバいのだろうか……不安しか無い。
「直接店に行けば門前払いされると分かっていての行動ですねぇ……あの様子だと良からぬことを思い付き、店長の顔を見たくなったのかと。後輩ちゃんも気を付けて下さいね。あの人が何をしでかすか、分かったもんじゃない」
「…………うーむ。おい。音野瀬の家まで護衛をしてやってくれ。不安点は確実に消しておきたい」
「了解しました」
「…………もしかして拒否権は無い感じ?」
置いてけぼりな状態なのを感じながら、一つ質問してみる。護衛とか不安になる要素しか無いし。
「無い」
「無いそうです」
その即答に、私はガックシと項垂れた。
(だって変人さんって……不安しか無いじゃん)
私が今住んでいるアパートは、曇天代行店から徒歩20分近くの、ちょっと遠い場所にある。
元は前の会社とは比較的近い立地ってことで住み始めたけど、今は会社自体が倒産したし、曇天代行店とはちょっと遠いから引っ越そうかなと考えたけれど、今の私にそんな金は無い。未だにカツカツだ。最悪の場合は曇天代行店に転がり込むつもりではある。変人さんがいなければ……
そしてその変人さんとは、護衛として私と一緒に歩いている。
店長は心配し過ぎだとか、護衛なんかしなくても大丈夫だとか、言える雰囲気では無かった。何とも言えない。そんな感情と漠然とした不安。
……を吹き飛ばすような変人の奇行、奇行、奇行。
急に明後日の方向に突っ込んで近場を一周したり、突然私が買ったクレープの端を千切って食べたり、いきなり進行方向を変えようと言って遠回りしたり……もう慣れたとは思っていたけど、傍から見れば確実に私は振り回されている。
「……後輩ちゃん。このゴミ箱に隠れて下さい」
進行方向を変えて遠回りしている最中に、変人が蓋付きのゴミ箱の中身をひっくり返して、私に入るように言った。絶対にごめんなんだけど。
「早く!」
「あ、はっ、はい!」
言われるがままにゴミ箱に入る。異臭が若干……キツイから蓋を少し持ち上げて空気を取り込みつつ、周囲の状況を確認する。
人通りの無い暗い裏路地。空には暗雲が立ち込めて、夜だと言うのに星も月も見えず、灯りは建物を挟んだ向こう側にある店の灯り。懐中電灯が欲しくなる。
(……足音?微かに足音が聞こえる。それも1人や2人くらいじゃ無くて、何人も、多分10人はいる。誰……?)
必死に夜目を凝らして足音の方角を見つめる。足音を聞いている内に嫌な予感がして、少しだけ開けていたゴミ箱の蓋を、ギリギリまで閉じる。
変人はいつの間にか何処かに消えていた。
「ぐはっ?!」
痛みに震える声と、その場に倒れる音。そしてその集団がざわめく異様な雰囲気。
夜目で見えるほどに近付いた集団がまた1人、また1人と倒れ、その異変を感じ取った残りの者達が急に頭を守り始めた。
今この状況と、あの集団が何をしているのかが未だ分からない私はその様子を見つめていると、ボトっとゴミ箱の蓋に軽い衝撃が走り、何か固形な物体が視線に現れ落下。
瞬く間に新たな衝撃が蓋に走り、同時に何かが落ちた音がする。その間隔がどんどんと短くなると、果てには豪雨のような連続した音と衝撃で反射的に蓋を支えていた手を離してしまい、隙間から見えた外の景色が、完全に遮断された。
衝撃がゴミ箱全体に走る中、私は思い出した。あの塊は雹だと。そして変人は雹を降らす雹男だと言うことを。
衝撃が収まると、変人が蓋を開けて外に出るように言い、私は言われた通りにゴミ箱から外に出る。
その景色はまさに死屍累々。
山のような膨大な雹に包まれ、押し潰されかけている者達が漏れなく気絶していて、正直見ているだけで風邪を引きそう。冬に近付いているから暖かい服を着ているものの、若干寒い。
「……早く行こう。この場に止まれば、次の追手が来るかも知れない」
「えっ」
(なんか……した?!私)
「しかし、逃げ続けるだけだと遠回りにしかならないか……あの人ならどんなことをしでかすだろうし……」
(ん?もしかして……)
「急に明後日の方向に突っ込んだのは……」
「刺客の可能性がある一団が現れたから、それを避けるために」
「突然私のクレープの端を千切って食べたのは……」
「毒味以外に思い付くのはありますか?」
「いきなり進行方向を変えたのは……」
「この状況下で、その質問の必要は?」
「無いです」
(無かった、無かったよ。ごめんなさい変人さん)
それからもう一度襲撃され、また変人さんにやっつけて貰い、私は無傷で帰ることができた。
変人さんが泊まり込みでの護衛を提案したけど、流石に断った。だって私にも色々とプライバシーとかあるし、変人さんなら素で奇行をやりそうだから、家に上げるのはちょっと怖い。
玄関前で変人さんと別れ、念の為扉に鍵を掛けて靴を脱ぐ……チェーンも付けよう。用心しないに越したことは無いだろうし。
(……お腹すいたな)
冷蔵庫にまだ食材が残ってたはずだから、今晩はそれでしのぐとしよう。
……なんか怖い。かなり久しぶりだ。一人暮らしで怖いと思ったのは。
「あら、わたくしのサプライズは楽しんで頂けたかしら?本当ならさっきのサプライズで終わりだったけど、それじゃわたくしの気が済まないから、特別にわたくしからもサプライズを」
(……えっ、何で?!鍵……掛かってた、よね?何で店長の母親が家のダイニングに……?!や、ヤバい!変人さんと別れたばっか。別れちゃったよ!何で別れたのさっきの私!)
「ふふ。可愛らしくて可笑しい顔」
「ひぃっ!」
つむじ風が頬のすぐ側を通って、背後にあるキッチンからガッシャンっと多くの何かが落ちる音がした。今すぐ動いて変人さんに助けを求めないといけないことは分かってる。でも、足が動かない。こんな悪意満点に力を振るう人相手に、腰が抜けてしまった。
「……威力はまぁまぁ。常時発動か、わたくし達のような感情発動か」
ぶつぶつと呟きながら、その手に新たなつむじ風が生まれて私に向けてまた放たれた。何がどうなってるか分からないけど、もう逃げたい!もう何も見たくない!痛くは無いし私に当たってる様子は無いけど、普通に怖い!
『パリンッ!』
(な、ななな、何が割れたの?!えっ待って。窓が割れてる、何で?!あっ氷の塊……あっ雹か)
「……!」
(そして急に部屋全体に煙……じゃ無いねこれ。多分雲だ)
私は誰かに手を引かれて、私が反応するよりも先に抱えられて、私が驚くよりも先に抱えられながら、窓からアパートの外に出て落下した。
「変人さん。そろそろ下ろしてくれる?」
「それは店長の車に乗ってから。そう遠くはありませんよ?後輩ちゃん」
あの家に発生した雲から店長が近くにいることは知ってるし、前に車の免許証を見せられたから車を動かせることも知ってるけど、変人さんに抱えられながらは流石に恥ずかしい。夜だから通行人は少ないけど……
恥ずかしさを堪えながらされるがままに抱えられていると、道路の端に一台の車が停車していた。
「乗れ!」
細く開けられた車の窓から店長の声が聞こえた。それと同時にガチリ、と車の扉の鍵が開く音が聞こえ、その音を聞いた変人さんが足の速度を緩めず後部座席の扉を開いて飛び込んだ。
そして即座に扉を閉め、車が動き出す。
「店長……私、まだ何が起きたのか、まだ全然理解できてないんだけど……」
「運転と天候操作に集中するから説明してやれ」
「了解です」
車の中で飛び込んだ姿勢からひとまず座る姿勢になり、変人と共にシートベルトを締め、一旦落ち着いた私を見た変人さんが口を開いた。
「店長はあの人に目を付けられた後輩ちゃんを心配しまして、歩きで帰る私と後輩ちゃんとは別行動で、何が起きても良いように店長が予め車を出し、あの地点でスタンバイしていたのです」
(私が知らない間にいつの間に……)
「そして店長の心配が当たり、あの一室に事前に潜入していたあの人と出会ってしまった。事態に気付いた店長が連絡を下さったので、まぁ何とか間に合いました。少しでも遅れていたら全身バラバラ死体が出来上がっているのではないかと、肝を冷やしたものです」
(こっっわ……怖いよ!それって冗談じゃないでしょ?あの人ってそんなことをしようとしてたの?!私死にかけてたの?!)
店長の車で曇天代行店に戻って来たけれど、結局のところ、これからどうすれば良いのか分からない。下手に店長達から離れたら死にそうだし、店長の母親が邪魔なのは店長達の意見と一致する。
これ等を含め、これからどうするのかを店長に聞いたら、これから考えると言われた。まぁ、そうか。
「取り敢えず音野瀬は今夜ここで寝ろ。外にどんな伏兵がいるか分からないからな」
「店長。風呂を沸かして来ますね」
そう言って変人さんが別の部屋に行き、私と店長は接客用のいつもの部屋で一息の休憩を挟む。
(何だろ……ねむ……)
疲れが溜まったのか、安心したのか、私に睡魔が襲い掛かる。取り敢えずソファーに座り、睡魔に抗ってみる。
「はっ!」
「やっと起きたか」
(い、今何時?!)
ソファーから飛び起き周囲を見回して時計を見つけ、未だ残るぼやけを振り払って時計を見る。時計は10を半分ほど過ぎた位置に太く短い棒。細長い棒は8の位置。
つまり現在時間は夜の10時40分。曇天代行店に戻ったのが夜の8時くらいだから、つまり私は2時間以上も寝ていたことになる。
……まぁ頭はスッキリとしたから、よしとするしか無いか。
「音野瀬。お前にはまだ言っていないし、まだ自覚が無いようだから言って置く」
急に店長がそう切り出し、手を軽く動かしてソファーに座ることを促し、立ち上がった体勢からお行儀良く座る。変人さんがココアミルクを用意してくれた。相変わらず今1番に飲んで美味いと呟いてる。口に付いたココアミルクを指摘した方が良いのだろうか、疑問に思う。
「ほぼ全ての晴れ男や雨女などの天気は、基本的に感情によって左右される。意識的に制御はできるが、不機嫌になれば天気は荒れ、上機嫌になれば好調の天気となる。そしてその天気は上書き等をされない限り続き、一部例外を除きそうなることは無い。一部例外を除いてな」
(……えーっと)
「えっと……つまり?」
「つまり、まぁ一言で言えば、お前は中和剤だ。自分色に塗り潰された天気を消す力。つまり、お前は天候を操作する力と真逆の力を持っているんだ。音野瀬」
(ナニソレはつみみー……)
「2度目。京都で出会った時から、その力を薄々感じていた。今日の依頼の雪男の赤ん坊の世話を任せたのも、お前が近くにいれば雪の暴走が沈静化するだろうと推測した結果だ。そしてそれは大成功。見事に当分は暴走することは無いほどに治った」
取り敢えず、ココアミルクを飲んで思考を一旦放り投げる。
「ふう」
改めて、思い返してみよう。
従業員が変人さんしかいないこの曇天代行店への就職の誘い。今考えるとその力を持つ私の取り込みだろう。私がどんな利益や転機をもたらすのかは分からないけれど、店長がそう判断したなら間違いは無いと思う。だってそうなら変人さんによる私の護衛や、助ける為に車を出した意味が無い。
もし私に役割があるとしたら、アンチ。天候操作に対する特効役……
「ふう」
大体こんなところかな。
取り敢えず理解はしたけれど、気になることが一つ。それは私にとってとても重要なこと。
「ねぇ、店長さん。なんでそんな力を私が持ってるのか……分かる?」
「分かるはずないだろう。そもそも天候に影響を及ぼす力は、未だ突然変異か隔世遺伝かも分からないんだ。原理も含めてな。音野瀬の力は幾つか過去にあった記録や伝承はあるが、それでも全く持って分からない。こちらから言えるのはそれだけだ」
(放り投げられたー……)
知らなければ放り投げるのは至極当然だと思うけれど、それでも気になることは気になる……でもそんな場合では無いのは理解しているから、今は思考の片隅に押し込もうそうしよう。
「話を変えるぞ。あの毒親に、お前は玩具感覚で命を狙われた。今まで好き勝手やられて来たこちらとしても、そろそろ限界だ。そこで、お前に協力を頼む。音野瀬」
「具体的に何を?」
「そう身構えなくても、音野瀬の役割は単純明快。隙を見てあの毒親を羽交締めにすれば良い」
どうやって?と疑問が残るけど、あのつむじ風が天候操作であるとするなら、それを私が抑え込み、店長達が縄とかで縛り上げれば簡単に無力化できるだろう。
でもそれは私の力を満足に使えることが前提になる。
「力の使い方が分からないと言う顔だな?そう心配しなくても、ある程度制御できるように特訓すれば良い。まぁそれは、この話を終えてからになるが」
店長の言葉に私はちょっとほっとした。ぶっつけ本番では無くなっただけでも、かなり楽に感じる。
「で、だ。あの毒母の性格的に、次の依頼で出掛けている時に、出掛け先で待ち伏せちょっかいをかけるはず。そこを狙う」
その受動的な発言に何故そうするのかを聞いたら、店長が「音野瀬を危険に晒せと?」と言い、私は即座に首を振る。まず依頼が来るのを待つと言う受動的な作戦が、私を守る為だとは考えていなかった。
「依頼に関しては後回しだ。音野瀬の特訓もあるからな。それで話の続きだが、あの毒母を羽交締めにすれば、天候操作さえ無ければ、非力な子供と同等だ。実際に俺がそうだからな。この低身長も母方の血筋だ」
(へぇー。へぇー?)
「まぁ大体こんなところだろう。異論はあるか?」
「それじゃあ、一つ。依頼を誰かにしてもらうように頼むのはどうですか?その方が早く終わりそうですけど」
誰か知り合いに依頼を頼めばかなりスムーズに事が進むと思ったけれど、私の提案に店長は即座に手を横に振った。
「却下だ。こちらから依頼をするように誰かに頼むのは毒母に買収される可能性が高い。あれの経済力を甘く見るな。今まで何度嵌められたことか……」
店長の言葉には、今までよりも濃い疲労を感じる。何があったかは聞かないけど、何があったかは想像できる。
「……眠い。音野瀬。風呂が沸いているから先に入ってろ。流石に、今日は疲れた」
それには本当に同意する。
翌日。私は前日の疲れが吹き飛ぶような地獄を見た。
店長が言う特訓。それは私が力を自覚するまで、変人さんが私に昏倒するレベルの雹を体に掠られ続けると言うもの。普通に怖すぎる。本当に怖い。
前日のあの毒親と呼ばれてる人の件と言い、私は神から天罰でも振り続けているのだろうか……そうとしか思いようが無い。
掠るだけでも掠った感覚はあるし、ヒヤリと垂れる汗に雹の落下による風が当たり、肉体的な熱は急激に下がる気がする。今が冬間近だからだろうか。もしくはまた別のことだろうか。どちらにせよ、私は早く力よ目覚めてくれ、と祈ることしかできなかった。
「どうだ?進捗は。天候操作もそうだが、危機的状況に陥った時に火事場の馬鹿力のようにその力は発揮する。擬似的に危機的状況を作り出し、力が思うように使えるまで繰り返す。荒療治だが、これ以上に手っ取り早い方法は無い。そんな顔をするな、諦めろ」
ソファーにぐったりと倒れる私に、店長は冷たい冷たい言葉を投げかける。
ある程度は掴んだと思いたいけど、掴んだと感じるだけで、未だ意識的な発露には至っていない。
(あぁ……疲れた。なにか……一度でも良いから発散したい。一度でも、一回だけでも、ちょっとだけでも……)
「後輩ちゃん。店長を見る目が変態染みてますよ」
(おっと、危ない危ない)
今日の店長の服装は日曜の朝に放送されている戦隊モノの子供服一式。そして変人さんはさっきまで私の特訓に付き合っていたから、まだ頭に着けたヘルメットを脱いでいない……何故かき氷を人数分?
「はい店長にはブルーハワイ。後輩ちゃんにはミカン果汁です」
完っ全に季節外れなかき氷をそれぞれの前に置き、店長は嫌な顔をせず食べ始める。変人さんめ同様に。
多分かき氷の素材はさっきまで特訓用に降らしていた雹。そこはまだ良い。まだ良いけれど、こんな寒くなる時期にかき氷は辛い。この部屋に暖房があるとしてもまだ辛い。
店長と変人さんは嫌な顔せず平然と食べている。まさか天候操作で体感温度を調節できるのだろうか。そうで無ければ説明できない。私は恐らく4分の1を食べれずにダウンする。
『チリン』
「失礼しまー……」
扉を開け、そこからこちらを覗いた客候補が停止した。
……無理も無い。こんな寒い時期に人数分のかき氷、しかも私以外の2人が躊躇わず食べているのを見れば、一瞬思考停止しても十二分に足りうる材料だ。
「よいしょ」
ソファーから起き上がり、テーブルの上を片付ける。店長はかき氷が乗っかったお椀を持ち上げ、変人さんの食べ切ったかき氷を回収する。
変人さんがいつの間にか何処かに行ってしまったのを疑問に思いつつ、一通り片付けを終えて扉に視線を移すと、変人さんがお客候補にかき氷を勧めていた。
(……普通の人にそれはダメでしょ。嫌がらせにしか見えないし)
即座に変人さんお客候補から引き剥がし、この場から引きずり隣の部屋へと放り込む。
「こちらにどうぞ」
「は、はい……子供?」
ソファーに座った途端、反対側に座る店長を見るや否や、お客からそんな言葉が口から出ていた。それに対し、店長は慣れた様子でスッと運転免許証を取り出し、お客を黙らせた。
「それでは、ご用は何でしょう?」
「……あ、はい。えぇっと、その……」
取り敢えずお茶を出したけど、このお客。凄い挙動不審だ。汗が垂れてるし、目線があちらこちらに行ってるし、まともな会話が全然できて無いし、そのまま舌を嚙んだ様子で口を押えたし、緊張しているにも限度がある。おかしな言動ばかりのその様子に、私の中で変人さんに次ぐ変人認定を目の前のお客に出した。
挙動不審でまともな会話すらできていなかったそのお客が言ったことを要約すると、ここから隣の隣の市にある自然公園の写真撮影を手伝って欲しいと言うことだった。つまり、天候操作で景色を最高のコンディションにしてくれと言うことだろう。
特段理不尽な依頼では無いし、依頼料も充分だし、この前の件もあり断る理由は無く、店長は快く了承した。
「に、日時は明後日。あ、名刺です。お願いします……」
(普通それ一番最初に出すもんじゃないの……?)
「しつ、れ、礼しました」
『チリン』
お客が扉を開けて曇天代行店を出て行く。おかしな人だったし、ヤバい人だったなと私が思っていると、店長が隣の部屋に放り込んで置いた変人さんを呼んだ。
すぐに変人さんが出てくると、私を親指で指差しながら口を開く。
「期限は明日の深夜。23時59分まで。詰め込んどけ」
その言葉に私の首筋から冷や汗が垂れるのと、頭上から雹が落下してくるのはほぼ同時だった。
私は何度目か分からない地獄を見た。
疲れた。
取り敢えず今は店長から気分転換にと、変人さんの護衛付きで近くのスーパーに買い物。そしてその帰り道。
あぁ、ちょっと遠くから子供たちのはしゃぎ声が聞こえる。あぁ、幼稚園か。幼稚園だ。小学生の頃は許されたのに、今は許されない。あぁ、混ざりたい。撫でたい。猫に顔を沈めるように、子供を、ちっこい子供たちをすい——
「イタっ!」
「警察を呼ばれたいのですか?」
「それはちょっと勘弁してください」
変人さんに110番通報寸前のスマホを見せられ、私は泣く泣くその場を後にした。
当日。眩しい朝に照らされ、自然公園にいる10人ほどの撮影陣に同行し、そして夕刻。特に何も無かった。
「来なかったな」
「来なかったですね」
「警戒されちゃいましたかねぇ……」
店長と変人さんが事実を呟き、私は可能性を呟く。店長はあの母親が来るのを前提に警戒し、神経を張り詰めていた。だが丸一日警戒した結果がこれだと、やるせない疲労感が体に重くのし掛かる。
店長の言動からこの日に来るのを想定して力の詰め込み特訓をして来た私にとっても、疲れが肩を貫く。
あれから私は曇天代行店に寝泊まりをしているが、完全に安心するまでは抜け出せ無さそうだ。アパートの管理人から「窓が割れているが何があったんだ?!」と言う鬼電に対する事情説明で静かになったけれど、「無事なのか?!」と言う鬼電にはまだ悩ませられそうだ。
「お、お疲れです。あ、さまです……飲み、物を」
三人一緒に自然公園のベンチでぐったりとしていると、その様子を見た依頼人が飲料水入りのペットボトルを差し入れてくれた。緊張で疲れた精神と体は色々と渇望している。
私達三人はそれを喜んで受け取り、依頼人は撮影陣と確認したいことがあると言ってこの場から離れて行く。その様子を変人さんと一緒に見ていると、店長が先に蓋を開けて飲み始めた。まぁ当然だろう。今回の依頼で一番疲れたのは店長なのだから。
「……う”ぁ”!げほ、げぼっ!」
「店長?!」
「だ、大丈夫ですか?!」
先に口を付けた店長が、急に苦しそうに呻き体を丸めた。私と変人さんは完全に不測の事態に混乱しつつも、すぐに店長の状態を確認する。
(……急に風が吹いて来たけど。この感じ……まさか!)
「ふふ。そのおもちゃを守る為に奔走してたみたいだけど、本人が倒れたら意味無いわよねぇ?」
「……チッ!貴様!」
変人さんが怒りを露わにしながら現れたその母親に手を伸ばす。直後、地面に小さな穴が開いていた。一定の間隔を開けてまた小さな穴が開き、そこからどんどんとその感覚が短くなる。果てには空からガトリングの弾の嵐が吹き荒れるかのように、超速の雹が降り尽くす。
「何度も何度も、今まで何度これが防がれてきたのかくらい分かるでしょう?強力なのは分かるけど味気ないわねぇ」
急な爆風で、降る雹とその上空にある雲が一気に消し飛び、変人さんが苦い顔で目の前を睨みつける。
「……坊ちゃんに何を仕込んだ?!」
「それを聞いても、もう手遅れなことくらい分からないかしら?邪魔なのよねぇ、今まで私から逃げて逃げて、噛みつこうとして。最初は良かったけど、もう退屈なのよね」
「どうしようもない野郎だ」
「本当にどうしようもない母親だ」
(へ……?)
「…………なぜ」
「坊ちゃん!お、お身体は大丈夫ですか?!何処か痛い所は?!不調があればすぐに申して下さい!」
倒れてうずくまっていた店長が何でもない顔で変人さんの隣に立っていた。事前に何も知らない変人さんは驚きつつも店長の状態を確認し、あの母親は驚きを隠せずその場に立ち尽くしていた。
(……今かな?)
「なぜ……」
「飲むふりをしただけだ。今までの言動から、標的が俺から音野瀬に変わったことくらい分かっていたからな。こう言う場面で出てくることくらい予想できる。今まで俺が何を見て来たと思っている?毒母」
勝利の確信を踏みにじられたその母親は、奥歯をギリッと噛み締め店長を見つめた。
「だとしても、即効性の猛毒を飲むふり?今までの根回しと買収が全部パーになっちゃったわ。ふふ、本当に忌々しい子ね。良いわ。わたくしのおもちゃにならない物は、わたくしが捨て去って、ひゃ?!」
「よし確保おぉ!!」
店長と変人に意識が向いている内に、自然公園の自然に紛れ、背後からそろりそろりと近付き羽交締め。そしてあの地獄の特訓で習得したアンチ天候操作。それを発動する時が来た。
「おもちゃはおもちゃらしく地べたに転がってなさい!……風が……?!」
(ふぅぅぅ……まだちょっと不安だったけどなんとか、なんとかせいこーう!)
「ふぅ」
「良くやった!そのまま抑えておいてくれ!縄を持ちに行かせたからそのままで頼む!」
縄を取りに行った変人さんを見送った店長が、未だ警戒の晴れぬ目で手に小さな雲を生み出した。ゴロゴロ鳴っているから、多分雷雲。
「なんで?なんで?!こんなことって、あり得ない!」
「わっ、ちょっと暴れないで」
よく見たら本当に子供にしか見えないなぁ。店長の母親なら40以上は確実なのに。肌ツヤよし。指の柔らかさよし。髪の匂いよし。ぷにぷに頬っぺよし。可愛い叫び声よし。
(今の力関係は私が上なんだよね……)
あの時攻撃された時を思い出して、今の状況に少し溜飲が下がる。でも、まだ物足りない。
「ひぐ……ぅぅ」
(あ、急に涙目に……可愛い……可愛い……あっ撫で、れる)
その時、私の中にあった撫でたい願望が爆発した。
「坊ちゃん!もどり……ました……何ですか?この状況は」
「天候操作さえ無ければ非力な子供と形容したが……見たくない。この光景なんて見たくない。聞きたくもない。絶対、絶対にだ」
「……目隠しと耳栓です。店長」
「ヘッドホンと爆音の音楽も頼む」
「持って来た荷物は坊ちゃんも確認しましたよね?」
「坊ちゃんは止めろ」
「分かりました」
「~~~~~~~」
「良いよ良いよ良いよ!ははは!あはははは!可愛いね?可哀そうな顔可愛いね?!もっと、もっとそんな顔を見せてよ!」
「……」
「……」
「なぁ、あれをうちの店に入れたのは間違いか?いつか警察が来そうな雰囲気だが」
「そうなる前に店長が犠牲になって下さい」
「よし、今度のお前の給料は六割カットだ」
「……」
「……」
「ふぅ……すっきり!」
溜め込んでいた願望を全て解放し切ると、店長と変人さんが手で耳を塞ぎながら明後日の方向を見つめていた。
「縄。ありますか?」
私がそう聞くと、笑顔を張り付けた変人さんがてきぱきと一瞬で店長の母親を縛り上げた。それも過剰に。そしてそのままいつの間にか組み立てていた段ボール箱に放り込み。臭い物に蓋をするかのようにガムテープで雁字搦めに封印した。全てを終えると、変人さんは酷く息を切らし段ボール箱を軽く蹴った。
怒りや恨みを吐き出すように息を整えて、そして私を見て少し口元を歪め、イイ笑顔で私に迫る。
「後輩ちゃん。一つ思い付いたんだ。君に取っても有意義なことだ。今はまだ可能性としてだけど、店長の許可が下りればこの人を後輩ちゃんにあげることも……」
「え?!お願いします店長!あなたの母親を私にください!」
「変態と変人は少し黙ってろ……!」
おっと、店長に叱られちゃった。やり過ぎたかな。
「はぁ……水を一杯」
「はいどうぞ」
疲れ切った顔で店長がベンチに座り、変人さんが懐から水入りのペットボトルを取り出した。さっき猛毒入りを渡された店長としては、変人さんから渡される方が、まだ安心できるだろう。
(あぁ……まだちょっと撫で足りない。店長撫でたいなぁ……)
「取り敢えずこの毒親は然るべき司法機関に送り、刑を受けさせる。証拠はそろっているからすぐに刑務所に放り込めるだろう」
「店長。あの人が逃げ出す可能性は?あの人なら刑務所から脱獄するくらい訳ないでしょう?」
「……今の毒母にそんな勇気と度胸があるとでも?……不本意ながら……音野瀬のお陰で半分廃人化しているから、まぁうん。多分トラウマになってるから、うん。大丈夫だろう。うん……」
店長の何とも言えない顔から放たれたその言葉に、変人さんは納得と何とも言えない顔で頷いた。
その後、店長の知り合いだと言う警察官たちが駆け付け、段ボール箱の中身を確認し、護送車に放り込んですぐに去って行った。中身を見た人全員が顔を顰めて私達を見たけれど、そこには何も言わないで置いた。多分何か言えば私も一緒に捕まる。
その後店長と変人さんは曇天代行店の前で別れ、私は久方ぶりにアパートに帰った。
アパートの中はいつも通りだったけど、私を助けるために変人さんに割られたはずの窓が直っていた。おおかた管理人が自腹で直してくれてのだろう……直してくれたからには全額払って返さなければ……
(予想外の出費だよぅ……はぁ)
『チリン』
扉の鈴の音が鳴り響き、未だ掃除中だったお土産を切り上げ視線を移す。
平穏が曇天代行店に帰って来てから、気付けば半年近くが経過していた。店長の母親は余罪を掘れば別の余罪がボロボロ出て来て、終身刑になったそうだ。店長からそう聞いた。それと、女性を見ると気絶してしまうくらいの女性不振になってしまったらしい。店長と変人さんからじっとりとした目で見られたが、正直言うと心外だ。
あれからの半年の間は何度か面倒事に巻き込まれ、私の力を使う時があったけれど、あの母親の時のようなことは起きていない。あれのようなことが起きない限り、私の中での平穏は続いている。
「お久しぶりです」
「こちらこそ、大体半年ぶりだったか?君が元気そうで嬉しいよ。ここなら君を知る誰かがいるのではと思ったが、勘が当たったみたいだな」
約半年ちょい振りの私の元社長。私としても知り合いが元気そうで嬉しいものだ。
取り敢えず、無駄に高くクオリティの高くテーブルの上に建てられた文房具タワーを崩し、乱雑にレジ袋に入れて回収する。変人さんが「あーっ!」と言っているがゴミ箱にぶち込まないだけでも温情だろう。目立つテーブルの上にあるのは流石に見苦しい。
文房具を入れたレジ袋の中をよくよく見ると、全てが使い切りかけた鉛筆やボールペンや消しゴムなどなど。中古店でも買い手がつかないレベル。やはり変人さんは変人だ。おや?その中に一つだけ違うものがある。超激甘ガム。甘すぎて口から火を吹くぞ!……なんだろうかこれは。
「あれから農家を初めてね、これを見てくれ」
元社長が手に持っていた二つのレジ袋をテーブルの上に置き、私と店長がその中を覗き込む。中には、色とりどりの野菜。見た限りはかなり重そうで量がある。多分三人で毎食これを使っても、数日は掛るだろう。
「差し入れの採れたて野菜だ。今朝一番にできたこれを、君に渡したくてね。それと、お礼と言えるのかは分からないが、これを店長さん達に」
(あっ……お土産増えた?!まだ終わってないのにぃぃ……!)
私が増えたお土産に頭を抱えている間に、店長が喜んでそれを受け取った。そしてそれに満足したのか、手ぶらになったその手で扉を開けて店を出て行った。少し心配だったけれど、天職を見つけたようで、私は頭を抱えつつ安心した。
さらに増えたお土産をどうするかが、さらに問題になったけれど。
「そう言えば、店長のお金ってどこから出てるんですかね?私に払う給料以上に稼いでいる様子はありませんけど」
増えたお土産に頭を抱えつつ整理をしていると、ふと疑問が思い浮かび、気付けば店長に質問していた。よくよく考えてみると、私や変人さんへの給料はかなりのもので、そしてこの曇天代行店はあまり稼いでいる様子は無い。
私が見える範囲では、いつ潰れてもおかしくないような店なのだ。
「副業で幾つか会社を抱えているからな。そこから主に来ている。あと株とかもやっているから、曇天代行店には金銭的な心配は要らない。安心して中和剤をやってくれ」
開いた口が塞がらなかった。もうこの曇天代行店が副業なのでは?と声を大にして言いたい。
(本当に、何だかんだで色々規格外な店長だなぁ……)
完全に思考停止する前に、考えるのは後にしてやることをやろう。まずはこの使い物にならない文房具。それと変なガム。
「ああ!後輩ちゃんそのドッキリ用激甘ガムは捨てないで!店長用のやつだから!」
「そのまま捨てろ音野瀬」
(そしてこっちはいつも通りの変人さん、と。店長の母親に対峙した時に見せた全力さを見せて欲しいけど、いや、別方向で全力か……)
このちょっとおかしい店長と、変人な変人さんという変な人たちがいる曇天代行店。ここ働く限り、退屈には絶対にならなそうだと、私は改めて実感した。
(……あっ撫でたい)
再び、私の撫でたい願望が爆発した。
「な?!……チッ、この変態を押さえつけろ!」
「了解です坊ちゃん!」
「あぁ!ちょっで良いです!ちょっで良いから撫でさせて下さい店長!」
「そんな顔で言われても説得力が無いぞ音野瀬!いや変態!」
「あっ」
「店長確保おぉ!!」
「た、たた助けろおぉ!」
「……犠牲になって下さい。あなたが後輩ちゃんをこの店に入れたんですから」
「この薄情者!次の給料は十割カットだ覚えてろおぉ!!!」
この時、店長の叫び声が曇天代行店に響き渡った。