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9.王女アレクサンドラ②


たとえば、四年前、ルキウスがエズモンド公爵家を手中に収め、若き当主となったとき。


あのときはルキウスが王都へ戻ってきたら婚約解消の話をしようと思っていた。

二歳年下の男の子は立派になった。父親の背中へ短剣を向けるのではなく、真っ当に戦って父親を退かせて、自らが当主の椅子に座った。


───きみにはもう第五王女の婚約者という盾は必要ない。きみは自分の力で戦うことができる。いずれ愛する人と巡り合うだろう。幸せになるんだよ。


そんな話をしようと思っていた。けれど現実には、アレクサンドラはベッドの上で包帯でぐるぐるに巻かれたミノムシのように身動きも取れずにいて、ルキウスの心配性は一気に悪化した。


自力歩行ができる程度には回復して動けるミノムシとなった後も、ルキウスの瞳は暗闇の水面のような揺らぎを映し出していた。とても婚約解消を提案できる雰囲気ではなかった。


過保護化した婚約者殿は、なにかにつけて小言をいうようになったし、後から考えるとあれがネチネチとした説教の始まりだった。アレクサンドラはリチャード・ウィンターに拉致されて負傷したことを何度も後悔した。もっと上手くやればよかった。


婚約者殿が聞いたら「まずは厄介事に関わらないという自己防衛意識を持っていただけませんか!?」と怒り出すだろうことを考えつつも、アレクサンドラはルキウスの不安が落ち着くのを待った。


彼が、もともと趣味で行っていた魔道具作りを、個人の事業として本格的に始めたときには良い傾向だと思ったし、その才能を開花させて次々と斬新な製品開発を行ったときには心からの賛辞を送った。


しかし、ルキウスの才覚はアレクサンドラの予想をはるかに超えた規格外のものだった。彼は大陸中にその名を轟かせて、一挙一動に注目を集める存在となった。


これもまた婚約解消するには最悪のタイミングだった。


変わり者の第五王女ではルキウス・エズモンドの婚約者にふさわしくないと考えている者は多かっただろうが、それでも、国外からの縁談や引き抜きじみた話が数多くある中では、すでに王族と婚約していることに安心感を覚える者は少なくなかっただろう。何なら父親である国王と一番上の兄である王太子がその筆頭だったかもしれない。


さすがにこの状況下で婚約解消へ向けて動くことはアレクサンドラにはできなかった。今ルキウスが王家の姫との婚約を解消したら、彼の国に対する忠誠心を疑う声すら上がるだろうとわかっていたからだ。


アレクサンドラは過熱した状況が落ち着くのを待った。

そして、第一騎士団を辞したタイミングで、今こそ好機と思って婚約解消を持ち掛けた。


しかし返ってきたのは、絶対零度の拒否だった……。




「エズモンド卿といえば地位に権力に財力も兼ね備えた美貌の青年。おまえという婚約者がいるにもかかわらず、彼へ舞い込む縁談は数知れず。若い娘たちの縁談を纏めるご婦人の手帳には、最高級物件としてエズモンド卿の名前があると聞くわ。誰もが彼を捕まえたいと思いながらも叶えられた者はいない、憧れの存在なのよ」


「ルキウスを伝説の食材か何かのようにいうのはどうかと思いますよ」


「彼と結婚できるなんてすごいわ! 幸運だわ! エズモンド卿の妻になることを夢見る娘は、この大陸中に星の数ほどいるのよ?」


「なら母上が良い女性を紹介してあげたらいいじゃないですか」


「娘の婚約者にほかの女をあてがう母親がどこにいるの」


「わたしは結婚する気はないと昔から申し上げているでしょう」


母と娘はしばし無言で睨み合った。


やがて王妃は慈悲深い母親の顔を捨て去り、冷徹に娘を見下ろしていった。


「ねえ、アレクサンドラ。第三騎士団設立に関して、おまえはお父様に借りがあるわよね?」


「それは……」


「王女を団長とする小規模の騎士団を作ることには、それなりに反発があったわ。でもお父様はそれを抑え込んだの」


「わたしが成功すれば国にとって利益になるし、失敗しても八番目の末の子なら切り捨てるのは難しくない。そう判断したからでしょう」


「おまえの計画に耳を貸さないという選択肢もあったわ。それが一番安全な道よ? でもお父様はあなたに力を貸すことを選んだ。おまえはどうかしら、アレクサンドラ? ルキウス・エズモンドが今や我が国にとって失うことのできない人材だということを、おまえだって理解しているでしょう?」





……そのようなやり取りがあったのだと、アレクサンドラは苦々しい顔で語った。


ルキウスは冷静な表情を保ったまま、自分がすでに人生で二度も婚約破棄の危機に瀕していたことを知って、心臓が暴れ馬のように跳ねていた。


アレクサンドラは“婚約解消”などという穏やかな言い回しをしているが、どう考えても破棄だ。こちらが望んでいないというのに婚約者という地位を失ってしまうのは破棄に決まっている。


話し終えたアレクサンドラは、紅茶を一口飲んでから、はーっと疲れたような息を吐き出した。そして、深緑色の瞳をすがめてこちらを見た。


「念のために聞いておくけど、わたしと結婚するように陛下から圧力をかけられたんじゃないだろうね?」


「まさか。あり得ませんね。陛下は素晴らしい主君であり、私は忠実な臣下ですよ。未来の義理の親子としても、関係は非常に良好です」


「つまり共犯者なんだね?」


ルキウスは薄く笑んだまま答えなかった。


アレクサンドラは軽く頭を振った。長く美しい紅の髪がふるりと揺れる。


彼女は姿勢を正し、まるで教師が幼子に教え諭すような口調でいった。


「いいか、ルキウス。わたしも多少はきみの気持ちがわかる。きみはエズモンド家の当主だから、周囲から結婚をせっつかれることが多いのだろう。きみは社交的に振舞っているだけで、社交が好きなわけじゃないからね。見知らぬ女性を妻に迎えると考えるだけで憂鬱になるんだろう? その点、わたしなら長い付き合いで気楽なものだろうね。───だけどね、だからといって、わたしで妥協しようとするんじゃないよ」


ルキウスは、このわからず屋に、どうやって“わからせて”やろうかと、脳内で百通りもの様々な方法について考えを巡らせた。


アレクサンドラは騎士団を率いる者としては実力と人柄と責任感を兼ね備えているが、ルキウスが七年間も観察したところによると、すべての察しの良さを職務で使い果たしている。


公私における私、とくに恋愛事になると、愚鈍なカメ以下の鈍さを発揮してくれる。


なお、王都は海に面しているので、海亀もときどき砂浜を這っている。地を這うその速度ですらアレクサンドラの恋愛的情緒より速かろうとルキウスは思う。



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