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6.聖女リティ(前)


ルキウスは隙のない笑みを浮かべていった。


「殿下が第三騎士団団長となった今では、第一騎士団の団長にとっては赤の他人といえるほど関わりがないというのに、それほど心を砕いてくださるとはありがたいことです。殿下の夫として礼をいわせてください」


「とんでもない。アレクにとっては弟のような存在であるエズモンド卿が傍にいてくださることに、俺こそ感謝を申し上げたいところです。関わりのない異性ではあいつも意識してしまうでしょうが、弟相手なら安心できるでしょうから」


「何か誤解があるようですが、私はアレクサンドラ殿下の夫ですよ? あの方と人生を共に歩む唯一の男です」


「おや、発言には注意したほうがいいですよ、エズモンド卿。まだ婚約者の身にすぎないでしょう? それも訳ありのね。君がウィンター家に詳しいように、俺もエズモンド家のことはそれなりに知っているんですよ」


「ははっ、その割には情報が古いようですね。公爵家が結婚式の準備に向けて動いていることもご存じないとは」


「意に沿わない婚姻を強制させられそうになった花嫁が、他の人間の手を取って式の当日に姿を消す。そんな演劇をご覧になったことはありますか、エズモンド卿?」


「そうですねえ、迷っているところです。その発言を宣戦布告と見なして、我が公爵家の全力を挙げてあなたを叩き潰すかどうか」


「これは参ったな。なにか誤解があるようです。俺はただ忠告しただけですよ、エズモンド卿。───どこぞの聖女殿の動向には注意を払っておいたほうがいい、とね」


エドワードは含みのある笑みを浮かべてそういった。





ルキウスは苛々と王宮の廊下を歩いていた。

不機嫌さを表に出すような真似はしないが、内心は大荒れだ。


エドワードの狙いはわかっている。あの優男は自分を聖女への抑止力として使いたいのだ。いっそ共倒れになってくれたら最高だとでも思っているのだろう。第三騎士団設立の本当の事情をルキウスに明かしたのもそのためだ。


単に脅しに屈したわけではない。

あの男はアレクサンドラにとって不利になる情報なら拷問にかけられようと吐かない。


エドワードはアレクサンドラのためなら笑って死ぬ男だ。


ルキウスはちがう。ルキウスはアレクサンドラのためには死なない。手をもがれようと足を失おうと、這いずってでも生き延びてアレクサンドラのもとへ帰る。


だってアレクサンドラは自分が死ぬと悲しむのだ。


彼女を泣かせはしない。彼女を置いていきはしない。それが夫としての務めだ。

だからルキウスは、あんな身の内に破滅願望を飼っているような男より、はるかに彼女の夫としてふさわしいのだ。そう自負している。




しかしあの聖女と呼ばれるロフェ男爵家の一人娘リティ・ロフェは、ある意味ではエドワードより厄介だった。


エドワードは七歳も年下のアレクサンドラへ想いを寄せる変態だが、彼女を利用する気はまったくない。


だが、リティ・ロフェはちがう。


桜色の髪と瞳を持ち、小柄で華奢で可愛らしく、誰からも愛される聖女様。


それがリティ・ロフェへの一般的な評価だろう。

ルキウスも教会絡みの式典で何度か顔を合わせたことがある。


上目遣いでこちらを見上げてくる大きな瞳に、くるくると変わる表情、誰にでも平等に優しい聖女様。


その可憐な仕草を見ただけで、アレクサンドラには近づけたくないと思ったものだ。


教会の上層部を占める老人方は、みな、リティ・ロフェを孫娘のように可愛がっているのだという。健気であどけなく、この世の汚れを知らない愛らしい娘。そういって溺愛しているらしい。


ルキウスはそれを聞いたとき、まるで小動物に対する可愛がり方のようだと思った。手のひらに乗せて愛でて、けれど意思疎通を図ることはない。なぜなら相手の言葉が理解できないから。


本物の小動物ならそれもやむを得まい。


だが、相手は人間だ。


あの女が笑顔の下に何を隠し持っているか、都合の良い耳しか持たない年寄りどもは、その権力の座を追われるまで気づかないのだろうか?


いや、追われるそのときになってもまだ認められないかもしれない。




愛らしいだけだと思ってその鳴き声にも耳を傾けなかった存在が、確固たる意志と憎悪を抱いて、教会の頂点を目指し突き進んでいることなど。




───可憐な仕草は芝居。愛らしさは武器。弱く見せるのは相手の隙を誘うため。




───微笑みは猛毒で、実際のところ自分を取り囲む男どものことなど豚にしか見えていない。




───いつかお前たちの首を残らず刈り取って犬の餌にしてやろう。その日までせいぜい肉を蓄えておけばいい。




……あれはそういう考えの聖女だと、ルキウスは最初から気づいていた。


とはいえ、式典であいさつを交わす程度の関係であったときは、特に何も思うことはなかった。


教皇を始めとした老人どもが、孫のようだと語る口で抑圧の息を吐き出しているのを眺めては、あの聖女が教皇の座を手にするのは、さて、十年後か二十年後か……と考えたくらいだ。


あの聖女はいつか、年寄りどもの首を一つ残らず刈り取って、血塗れの椅子に座り、心からの笑みを浮かべるのだろう。


そう予測できていたが、ルキウスにリティ・ロフェの野心を阻む理由はなかった。いずれ教会は大きく揺れ動くだろうから、王家と公爵家と、何よりアレクサンドラが巻き込まれないように手を打っていこうとは思った。その程度だった。


そう、リティ・ロフェが、アレクサンドラを利用するために近づくまでは。


いいや正確にいうなら、あの頑固者のアレクサンドラが、人々を守ることができるならという理由でリティ・ロフェの手を取ってしまうまでは!









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