4.騎士団長エドワード(中)
ルキウスは可能な限り穏やかな口調でいった。
「ところで、団長。殿下はすでに第一騎士団を辞されて、今は第三騎士団団長を務める身です。いつまでも気安く愛称で呼ばれるのはいかがなものでしょうか? いえ、殿下は寛大な方ですから気にされないでしょうが……、団長は華やかな噂を数えきれないほどお持ちでしょう? もしも誤解で殿下が逆恨みされるようなことがあったらと、私は案じているのですよ。なんといっても、四年前には似たようなことがあったわけですから……」
心配でたまらないといわんばかりの憂いを帯びた顔をする。演技をする必要もない。心配でたまらないのは本心だ。
ルキウスが公爵家の自領で引継ぎをしている間に、アレクサンドラが大怪我を負ったあの一件。
あれはこのエドワード・ウィンターを庇った末のことだった。
エドワードは侯爵家の庶子で、正妻の子である異母兄と異母弟がいた。
異母弟は物静かな性格で腹違いの兄弟に何かを仕掛けることはなかったが、異母兄のリチャードはちがったらしい。エドワードを目の敵にして、なにかにつけて嫌がらせをしていた。
エドワードが成功しかければ足を引っ張り、友人を得れば相手の家へ圧力をかけ、夢を抱けばその邪魔をしたのだという。
異母兄といっても同い年だというのがまたリチャードを狂わせたのかもしれない。
エドワードに対する嫌がらせはもはや執着といってよく、二人の父親が亡くなってリチャードが侯爵家当主の椅子に座ると事態はますます悪化した。
騎士団内の同僚たちは薄々事情を察していたが、侯爵家に対してできることはなく、それは当時の団長ですら同じだった。
それを、アレクサンドラが公然と庇った。
王の子とはいえ、三人の兄と四人の姉を持つアレクサンドラに、権力と呼べるものはない。王家の威信ですら末の子となれば薄いベールのようなものだ。
───でも、盾になることはできるだろう?
アレクサンドラはそういった。
侯爵家当主を止められるほどの力はないが、盾になることはできる。この身を直接害するのは王家を侮るのと同じこと。第五王女の陰口ならいくらでも叩けるが、公の場で自分を侮辱することはできない。それが王族であるということだ。
───だから、盾になれる。
そう考えて当時上司だったエドワードを庇い続けたアレクサンドラは、とうとう狂ったリチャードの執着を弟から引きはがすことに成功した。
代わりに自分が標的になるという最悪の結末付きで。
アレクサンドラは非常に頑固で平然と無茶をやる人間だが、彼女は至極まともな人柄だ。だから彼女にはリチャードの歪みを理解できなかったし、甘く見てもいた。
リチャードは王家へ剣を向ける罪の重さより、侯爵家当主の地位よりも、何よりもアレクサンドラの絶望を求めた。挙句の果てにはそれが愛であるとすら口にした。
アレクサンドラが間一髪のところで助かったのは、彼女自身の強さに加えて、エドワードの必死の捜索と、ルキウスが渡していた試作品の魔道具があったからだ。
それでもアレクサンドラは大怪我を負った。
もし彼女が失われる事態になっていたら、ルキウスは憎悪の怪物になっていただろう。
実際、事情を聞いたルキウスは怒り狂った。牢に繋がれたリチャードはもちろん、エドワードも殺してやると叫んだ。しかしアレクサンドラは静かな瞳でルキウスを見つめていった。
───リチャード・ウィンターは捕まった。この先はわたしやきみの仕事じゃない。
───副団長は被害者だよ、ルキウス。
そこには確固たる意志があり、強さがあった。
アレクサンドラはエドワードを加害者側の人間として扱うことを認めなかった。
歯を食いしばったルキウスに、彼女はふと疲れたような息を吐き出して、まどろむように眼を閉じていった。
───ここで死ぬのかと思ったときに、頭に浮かんだのはきみの顔だった。どうしてだろうね。きみはもう立派な公爵家当主で、きみを支えてくれる人たちがいるとわかっていたのに。それでも……、どうしてだろう。もう一度きみに会いたいと思ったんだ……。叶ってよかった……。
ルキウスは何もいわなかった。
いえなかった。
耐えきれないほどに目が熱く、喉が熱く、胸が焼けるようだった。
ルキウスはアレクサンドラの手を握った。
彼女が眠りに落ちるまで、そして眠りに落ちた後も、ずっとそうやってそばにいた。