つみとが 編 第九話
著者: ハリトユツキ様
企画:mirai(mirama)
《——アカツキ、アカツキ》
自分の名前を誰かが呼んでいる。
僕は深い海の底からゆっくりと意識を浮上させていく。視界がぼんやりとだけど動き始める。僕は、目の前の闇の中にいる。真黒の世界を朱い粉がはらはらとこぼれ落ちていった。
《アカツキ》
はっきりと声を聞き取ることができて、視界が突然にクリアになる。目の前にはアルトがいて、僕のことを心配そうな表情で——いや、表情などないのだけれど、鉄の眉をへの字にしているからそのように見えたのだ。
僕はアルトを安心させてあげたくて、鉄の顔に触れた。夜の空気にすっかり冷やされたせいか、その鉄はひどく冷たかった。
「……冷たいな、気持ちいい」
アルトの鉄の頰に触れたら、自分の手のひらの温度が奪われていくのがわかる。温度は鉄に移ると、かすかに僕の熱を帯びたアルトの頰。指をずらすと今度はアルトの身体に触れた。温度がさらに奪われていく。だんだんと意識がはっきりしていく。
《アカツキ、大丈夫カ?》
「うん、大丈夫、もう」
アルトはカチカチと鉄の指を鳴らしながら、僕の指にきゅっと触れる。僕はその小さくて冷たい手を包み込んでやる。ぎゅうと握り返して、身体を起こす。軽いめまいの後、喉の奥がちりちりと焼けるような痛みを感じる。おそらく嘔吐したのだろう、口の中がやけに酸っぱいような気がする。ごほんと咳払いをする。
「もう、本当に大丈夫だよ、アルトは心配することない」
《本当カ?》
「ああ、本当だ。ねえ、アルトこっちおいで」
てちてちと歩くアルトを抱き上げると、そのまま抱きしめる。
頭の中では、あの朱い蝶とその籠が鮮やかに思い出される。そうだ、僕があの朱世蝶を捕まえた。そのせいで世界はあっという間に滅んでしまった。じゃあ、もし。もしも、僕があの蝶を今放したら、この全てが失われてしまった世界にかえしたら。
——なんて、わかっている。もうこの世界が元どおりになることはないってこと。自分の起こしてしまったことの罪の重さを。あの罪はもう元に戻ることはないし、裁かれることも、償うことさえ許されはしない。
「……アルト……僕、大変なことを……」
大粒の涙が頬を伝って、ぽたりとアルトの頭に落ちた。鉄に雫が当たって、かんと小気味の良い音がする。僕は慌てて、アルトの頭を袖口で拭いた。そのボディは雨風をしのぐことができるとうたってはいるものの、塩分の混じった海水や涙はけしてアルトにいいとは言えないからだ。僕はアルトの水分を拭った袖で自分の涙を拭った。そうだ、泣いてばかりはいられない。




