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元婚約者様、おかえりはあちらです

作者: ヨシノ

よろしくお願いいたします。

「俺がいなくても生きていけるだろ?」

 婚約が解消される前、彼が言った言葉をソニアは今も忘れることができないでいる。




 ある晴れた日のことだった。

 近隣では葡萄の産地として有名なとある町で巻き起こる事件。その一幕が密やかに上がった。


 平日のお昼には少し早い時間は皆それぞれの仕事で忙しい。もちろん町の運営に直接関わっている執行官の一人、ソニア・スミスも例外ではない。

 この町には町長というものが存在しない。遠い昔にはそう呼ばれる人物がいた。しかし問題が起こりいなくなった。町長に任せておけばいいと町の運営を、つまり住んでいる皆のことを考えず、自分勝手なことをする人間が増えてしまった。


 まずは一緒に生きる家族のことを考えるのは当然のことだろうが、人は家族の中だけで生きていけるものではない。

 自給自足をしている山奥の集落でさえ家族以外との意思の疎通は必要だ。少ない人数で暮らすには皆が協力しなくては円滑に機能しない。不測の事態が起こった時には一人一人の負担は大きなものになる。

 家族以外の他の誰とも交流を持ちたくないのであれば、集落から離れ独りで森の中で生きていくだけの術を身につけなくてはならないだろう。


 ソニアは初の女性執行官とあって、就任当初は期待半分、批判多数の目を向けられてきた。8年ほどの歳月を重ね、仕事の要領も肌でわかるようになった。やっと最近では認められてきたという実感を持って仕事にまい進できると喜んでいたのだ。

 町の執行官がするのは何も町長の代わりだけではない。6人の執行官達に課せられているのは町で起きる様々な問題の解決であり、自身のことよりもまず町のことを考えられるような人物でなければ長く務めることのできない仕事であった。


(まあ充実はしてたわね……結婚は遠のいたけど)


 昔、将来を誓いあった相手がいた。ソニアの幼馴染であるジムだ。ソニア一家の隣に住むジムは一番仲の良い友達で、いつの間にか彼女の好きな人になっていた。近い未来には旦那様になるはずだった。


 機会が失われたのは学生だったソニアの卒業が迫った頃だ。二人の運命を変える出来事が起こった。

 ソニアの父が早くに亡くなってしまったのだ。執政官の一人であったソニアの父がいなくなったことで、次の執行官をどうするかという問題が浮上したのだった。

 執行官は世襲制ではない。しかし実際に何をするべきなのか知らないままに就任するのは難しいことだ。特にまだ社会人経験もなく世間も知らないままでは難しいとソニアは思った。しかし町の皆の意向と執政官達の賛成により、ソニアはまだうら若い乙女であるのに執政官となることが決定してしまったのだった。

 ソニアが自分には無理だと言ってしまえば話は違ったかもしれない。しかし、ソニアにとって「執政官」は亡き父と自分をつなぐたった一つのものになっていた。


「ソニアはさ、俺より仕事のほうが大切なんだろ?」


 ジムの放った言葉にソニアは咄嗟に返事をすることができなかった。


「これからはお互い自分のしたいと思うことを思い切りやってこう、な?」

「な、なんで?」

「俺がいなくても生きていけるだろ?」


 つまり自分がいてはジムの好きなことができないということらしい。ソニアはなぜと思いつつもどこか納得する部分があった。ジムはソニアに隠れて他の女の子と遊んでいたのだ。

 幼馴染である二人の関係は町の人達にも知れ渡っていた。しかもソニアの父はたった6人しかいない町の執行官なのだ。一人娘であるソニアは幼い頃から町の人々に視線を向けられてきた。そういうものだと思っていたから、ジムの気持ちを思いやることが足りなかったのかもしれない。


「もう監視されるのはうんざりなんだよ。この町から出れば俺は『ソニアの旦那になるジム』じゃない。ただその辺にいる男になって紛れて暮らしたいんだ」


 出ていくジムの腕にソニアと同じ年頃の娘がもたれかかっていたという。ソニアの耳にも入ったが、その娘が誰であったのかは気を遣われたのだろうか、ソニアが直接知ることはなかった。

 仕事に夢中になっていればいつかは忘れられる。そう思い仕事に必死に食らいついてきたものの、慣れてしまった今では余裕がでいた分だけ、思い出すことが増えてしまった。


 仕事は変わらず日々忙しい。そのはずなのにこなれてしまったからだろう。問題が起こっても解決への糸口を掴めないということがなくなった。ルーティンワーク化してしまったのか最初ほどへとへとになる程のエネルギーを必要としなくなったのだ。


「はああ、嫌になっちゃうわ……」


 ソニアは深い溜息をつき手にしたマグカップに口をつける。温かいカフェオレが気持ちに変化をもたらしてくれる。


「気にしない、気にしない。今日も仕事頑張んなきゃ」


 窓から街並を眺めつつ、仕事の合間に気持ちを落ち着かせていると扉が叩かれた。

 ソニアの返事を待ってから扉が開く。その先にいたのは大きな箱を抱きかかえた一人の男だった。ふわふわした髪は邪魔にならない程度に整えられている。にっこりと笑う目尻に皺はなく、4歳年下であるという若さをソニアに思い出させるのだった。


「おっはようございます!」

「おはよ。ねえケビン、どうしたのよそれ?」

「華の執行官に贈り物です。いやあ、まだまだ人気は衰えず!ってことでしょうね。さすがソニアさん。隅には置けませんね」


 テンションが高いように見えるがソニアは知っている。怒りを抑えているせいで上機嫌に見えるだけだと。こんな時のケビンはご機嫌はナナメであるのだった。


(多分業務に関係ない仕事を増やすなってことなんでしょうね……)


「嫌味を言うくらいならはっきり言って頂戴と何度言ったらわかってくれるのかしらね、私の補佐官様は」

「ははは、すみません!物覚えが悪いものですから。僕きっと明日には忘れていると思うのでまた言ってくださいね」


 あまりに表裏なく笑顔を振りまくものだからソニアもつい口元が緩みそうになる。それを抑えるように溜息をついた。


「寝たら忘れるってこと?」

「はい、大抵の嫌なことは美味しいご飯食べてゆっくり寝ればあっさり忘れます!」

「羨ましいわ。ケビンはいい人生送ってるのねえ」


(……忘れたくても忘れられない人もいるのに)


 呆れ混じりの感想にケビンは首を傾げる。


「ソニアさんは違うんですか?あ、真面目ですもんね。仕事に真剣になっても得られるもんあんまりないじゃないですか。ぶっちゃけちゃうと、なんでこんな自分のこと大切にできないような仕事の詰め込み具合なんだろって思ってました」


 今度こそソニアは大きな溜息をついた。聞かせるためではなく、本心から出てしまった。


「今までもずっとそうだったから、あんたが来てからが特別ってわけじゃないのよ」


 言い訳がましいなと思いつつソニアはフォローしようとしたが、必要なかったかもしれないと思い直した。ケビンの目が輝いていたからだ。


「ははあ、つまりソニアさんは仕事をすることで忘れたい出来事でもあったってことですか?僕にこっそり教えてくださいよお」

「こっそりも何も知ってるんじゃ……って、ああ。この町の出身じゃなかったんだっけ」

「はい。だから皆さんが言うことに時々賛成できなくて。素直に頷けない時は笑って誤魔化すようにしているんですけど。結局は余所者なので僕は聞き流して済みますけどソニアさんは大変ですよね。巻き込まれっぱなしですもん」


(知らない振りをしているだけでやっぱり知っているのよね。そりゃそうだわ)


 なぜかがっかりしたことに驚くが、ケビンには幾つになっても純粋な少年のように思ってしまっているのだろうと申し訳なく思った。すぐに偏見を直そうと決める。深く理由を考えることはなく、そのためソニアはケビンを仲間だと思っていることに気づかない。


「ソニアさんのお父様も執政官だったんですよね?だからみんなソニアさんが継いでくれてよかったって言ってますよ。僕はそう思わないですけど」

「どうして?」

「何にも知らないのにやらなきゃいけないって押し付けられたんじゃないですか。誰もソニアさんの身にならなかったってことでしょう。僕が来てからだってソニアさん大変そうなんですから、いない時はどれだけだったのか想像したくないです」

「どうだったかしらね。過ぎてずいぶん経つからもう忘れたわ」

「えええ?覚えておきましょうよ」


「いいの。正直一人でやってた時のことは思い出したくないし。今は随分楽になったから。ケビンが来てくれて助かったって思ってるわ」

「本当ですか?僕もうれしいです。ソニアさんのお役に立てて」


 ニコニコと笑うケビン。その笑顔に癒されソニアは脱線した話を戻すことにした。


「で?その荷物は誰から送られてきたのよ」

「それがわからないんですよね。これって旧字体じゃないですか?僕には読めなくって」

「どれ?う、うーん」


 妙に線の多い文様が並んでいた。どこかの言語であるのだろうと推測はできるが一体なんと書いてあるのか検討もつかない。


「あ、なんだ。ソニアさんにも読めないんだ。よかった。僕だけじゃなくってほっとしました」

「ケビンくん……」


 できないことがあると責められている気持ちにソニアはなってしまった。無邪気に発せられた言葉に悪意がないとわかっているのにに気になってしまうのは、きっとソニアが今までできないことを気にしてきたからだろう。


「あ、またくん付けにしましたね。4つ年下でもあなたの補佐官なんですから、子供扱いはしないでくださいよ。外の誰かが言うなら甘んじて受けますけど、ソニアさんがその扱いじゃ駄目です。補佐官の僕の評価は上司であるあなたの評価に繋がるわけで。自分が軽く見られる可能性は少しでも減らしておくべきかと」


(あ、しまった)


 ケビンの小言スイッチを推してしまったらしい。こうなっては彼の気が済むまで話は終わらない。言っていることが正しい分だけソニアは彼の行動を止める術を持っていないのだ。

 しばらく続くであろう時間を想像して遠い目になっていると扉の開く音がした。


「おおいたいた。ソニアちゃんってばなかなか呼んでくれないものだから来ちゃったよ」

 立っていたのは恰幅の良い初老の男性だった。男の姿を目にするなりケビンが顔をしかめる。


「ドリアス社長にはお待ちくださいってあれだけ言ったのに……」


 小さく呟いたつもりが男の耳にも届いてしまったのだろう。ケビンと同じような顔になると冷たい声で言い放つ。


「補佐官の君には用はないのだが」

「な」

「いえ、彼はちょうど私を呼びに来てくれたところでして」

「(ちょっと!ソニアさんってばいいんですか?この人の面談って2時間先に予定されていたでしょ)」

「(来ちゃったんだからしょうがないじゃない。食事は後でとるから)」


 男に見えないように口の動きだけで話し合う。知る必要がないと思ったのだろう。男は周囲を見回し、机の上に置かれた箱に目を留めた。


「ん?なんだいこれ」

「ああ、どなたからかわかりませんが、私への贈り物のようでして」

「開けてもいないようだが?」


 ケビンがソニアに向ける視線を遮るように割り込む。


「今ちょうど着いたとこだったんです」

「ほうそうか。なら今開けてみて中身を確かめてみてはどうかね。おかしなものが送られてきていたら困るだろう」

「ええ、開けてみましょうか」


 一理あると思ったソニアは素直に了承すると箱を開けてみることにした。


「ん、なんだ。お菓子だな。見るからに甘そうだが君は好きそうじゃないか」

「執政官はどなたもお召し上がりになりますよ。仕事柄頭をよく使いますから」

「いやいや、女子供は好きそうだと言ったんだよ」


 明らかに見下した態度にソニアが怒るより先にケビンの顔色が変わった。ソニアのことを執政官として認めているケビンにとって禁句である言葉であった。


(まずいわ……)


 ケビンが取返しのつかない言葉を放つ前にソニアは愛想笑いを貼り付ける。


「すぐに向かいますので応接室でお待ちいただけますか?こちらでは座り心地の良い椅子をご用意することができませんので」

「別にあんたの膝でも構わんがな。早めに来てくれよ」


 セクハラ発言に引きつりそうになりながらも笑顔を維持する。成果が発揮された。本来もっと違う時に使うべきだろうなと思いつつ表情筋を動かす練習をした自分を褒めようとソニアは己を称賛した。

後ろ髪ひかれるように振り返りつつ男が出ていくとソニアとケビン二人ともに溜息をついた。


「なんですか、あれ。僕すごい苦手なタイプです」

「同意するわ。得意な人っているのかしらね……」


 ううーん、とケビンがうなる。


「どうにか他の執政官に変われないんですか?ああいうタイプは同性の年上と話す時にはそれなりに敬意を持って接するんじゃないでしょうか」

「それがデイビットおじいちゃんが担当だったみたいなんだけど、ウマが合わないから変えてくれって向こうが頼んだみたいでね」


 ケビンの言葉にソニアは頷いた。自分でも考えていたことだったからだ。


「デイビット様ってあの厳格な人ですよね?僕も苦手かも」

「あのね、デイビットおじいちゃんは怖そうに見えるだけで結構優しいのよ?ただねえ。時間に正確さを求めるから会談の時間は遅刻は言うまでもないけど、あんまり早いのも機嫌が悪くなるのよね」

「確かに2時間も早く来られたら嫌にもなると思いますよ」

「それがね、おじいちゃんいわく5分前からだって」

「え、正確過ぎません?大丈夫なんですか?守れる人間なんてこの町ほとんどいないじゃないですか……」


 田舎のせいか流れる空気はゆったりとしたものだ。生活環境なのか、住む人の雰囲気かはわからない。


「この町で唯一と言っていいくらいに時間を守る人なのよね」

「なるほど……別の町であればデイビット様の考えが普通なんですけど、ここじゃ生きづらそうですね」

「だからいつも眉間に皺が寄っているのかも……っていけない雑談している場合じゃないわ。ケビンくん資料用意して。あんまりお待たせさせられないから」

「はいはい。ソニアさんも生きづらそうですよねえ……」



 応接室のソファに足を投げ出して座っている。


「お待たせしました」

「おお。待った待った。資料を生け捕りに行ってしまったのかと思った」

「まあ、冗談がお上手ですね。折角お話するのですから身だしなみくらい整えさせてくださいよ」

「何を言ってるんだ。ソニアちゃんはいつも可愛いぞ?」

「あらお世辞でもうれしいですね。ありがとうございます」


「さて、雑談はこのくらいにしておいて。考えておいてくれたかね?」

「考えはしましたが、最初と結論が変わることはありませんよ。広い土地を必要とするそちらの事業はうちの町の規模では展開するのは難しいでしょう」

「いやいや広いほうがいいに越したことはないが、それなりの規模でもできないことはないんだよ」

「でしたら修正した案をご提出いただいてからまた検討する形になりますが」

「いやいやソニアちゃんとワシの仲でしょう。少しは譲ってくれてもいいんじゃないかい?」

「大変申し上げにくいのですが、会談のお約束は2時間後でしたよね?それを早めて対応しているのですから柔軟な対応はしているつもりです」

「そうかいそうかい。まだ若いからきっとわからないんだろうなあ。色々と学んだほうがいいんじゃないかね?」


 ソニアは無言で笑顔を向けた。上辺だけの言葉の応酬にかける時間も労力も勿体ない。


「ご忠告ありがとうございます」

「年上の助言はきくものだよ。……今日はここで失礼するよ。私の手がすべったらソニアちゃんが困るだろ?」


 お茶を運んできたケビンはソニアの前に一つ置くともう一つを自分で飲み始めた。


「よかったんですか?怒らせて」

「今の対応以外で上手く切り抜ける方法があったら教えてほしいものだわ。まったく。デイビットおじいちゃんも人が悪いんだから」

「悪いのはさっきの社長でしょう?」

「彼が悪いのは悪いのよ。でも確実に私よりもデイビットおじいちゃんのほうが上手くあしらえるもの。向こうの要望だからって担当を変えなくてもよかったはずでしょ」


 ソファに体を預けるようにして沈み込む。ソニアはクッションを抱きしめて項垂れた。


「経験を積めってことでは……」

「多分一番は面倒だったからよ。デイビットおじいちゃんもこの町の人だもの」


 下手な説明よりもケビンは納得できる理由だと感じた。結局自分以外の誰かに厄介なことを押し付けたいのだろう。上から頼まれれば下の立場の者は断ることができない。狭い世間で断れば、すぐに噂で評判を下げられてしまうだろう。


「そもそもちゃんと書類を用意してこないのですから話し合う内容なんてもうないのでは?どうしてこちら側だけがしっかり調査をしてまとめたデータを出さなくてはいけないんですか」

「相手の態度に問題があったからってこっちが同じ態度でいいってことはないからね。仕事は仕事だもの。おじいちゃんだって面倒だと思っても私には無理だって判断したら振ってこなかったはずだし」


 ケビンは呆れた。ソニアは執政官にしては人が良過ぎる。他人のことを良い方に解釈するせいで利用されていることに気がつかないのだろう。

 できるだろうと期待されたとしても明らかに仕事量が多すぎる。難しいと判断した段階で他に流すことも長く仕事をする上では必要になってくるスキルだ。ケビンでもわかることなのに本人にはいまいち自覚が薄い。


 世襲制に近い状態になっている弊害で、執政官とは名ばかりの給料泥棒が2人ほどいる。6人中の2人である。なかなかの確立だし、その分の仕事はどうしても他の4人に割り振られる形になってしまう。しかもソニアは一番の若手ということもあり、振られた仕事を断ることができない。してもいいが、今度は逆に仕事がまったくない状態になってしまう可能性もあることを嗅ぎとっているために選ぶことはないだろう。

 明らかに経験不足からくる行いも周りが気づかせなければ彼女が自覚することなどない。寂しい思いをするくらいなら辛いと感じるくらいで丁度いいとすら思っているのではないかとケビンは睨んでいる。


 昔から仲の良かった幼馴染に捨てられてソニアには縋るものが仕事しかなかったのだから。そのツケが回ってきていることに彼女自身が気づくのは一体いつになるのだろうか。


(その時に僕がいたら違った選択を用意できただろうに)


 こんな時ケビンは年下であることを歯がゆく思う。ソニアの頑張りは一番ケビンが知っている。短い期間であっても他の誰よりもソニアを見ているとケビンは自負していた。


(一人でさっさと立ち直ってさ。僕が来るまで駄目なままでいてくれてもよかったのに)


 そんな風に思うのはソニアにとっては良くないことだとわかっていても、考えずにはいられない。自分だけを頼りにしてくれるソニアはきっととても可愛いだろうと。

 想像が広がりそうになって慌てて頭を振った。

 自分の幸せには繋がってもソニアの為になりそうもない。だから実際にソニアがしょげていたらケビンは立ち直るために尽力するだろう。


 一緒にいるならお互いがそれぞれ幸せだと思える状況でなかったら長く続かないのだ。最初は同じような仲間だと思っていた幼馴染だって、違うと思ってしまったら別れるしかなかったのだから。




 後日また訪れたドリアス社長とソニアは向かい合っていた。


「休憩にしましょう。珈琲でしたよね?」

「ああ、ブラックで頼むよ」


 鷹揚に頷くのを壁際でケビンは眺める。二人きりで話したいと社長が言ったのを絶対にさせるものかと壁になるつもりで黙って立っている。部屋から出ていかない補佐官にさすがに無理を言ったと気づいたのか、視線を向けないことでいないつもりになることにしたようだった。


「そういえばソニアちゃん。この間届いたお菓子ってもう食べたのかい?」

「え、いえまだです。日持ちするものでしたので後でと思ってそのまま置いてあります」

「どんな味か興味あるな。どうだい。折角の休憩なんだ。ワシはともかく君は甘いものを補給したほうがこの後の話し合いも有意義なものになるのではないかな」


 ドリアスはソニアの出した箱の中から木の実を混ぜこまれた焼き菓子を取り出すと口に放り込んだ。


「ふむ、なかなか美味しいぞ?あんたも早く食べたらいい」

「えー?それじゃお言葉に甘えて」


 いそいそと手を伸ばしたのはケビンだ。


「補佐官の坊や。あんたに言ったんじゃない」

「ええ?でもソニア執政官は今ダイエット中ですし、甘いものは目の毒ですから」

「ふん。このくらいの菓子の一個や二個食べたところで体形には何の影響もないだろう」

「どうでしょう。我慢しているところに大切なお客様に勧められたのだからと口にすれば食べないようにして抑えていた分だけ一気に食べてしまうかもしれないじゃないですか。社長はソニア執政官のこのくびれが樽のようになってもいいとおっしゃるのですか?」


「そこまで増えるなどないだろう」

「そうでしょう、ないことなどない。前に社長がおっしゃっていた言葉のような?」

「ああ、わかったわかった。ではソニア執政官のためにも君も個数を減らす手伝いをしてあげたらどうだ」

「そうですね。社長がお帰りになってからいただくことにします。この部屋に今僕はいないことになっておりますしね。そもそも壁が食べたら変じゃないですか?」

「これだけ話しておいて壁のつもりだったのか……?」

「社長は折角ですし、もう一個どうぞ?こちらの形も美味しかったです」


「ふん、君のようなお子様に味の違いがわかるものかね」

「こういったものに関してはきっと社長よりも詳しいと思いますよ?甘党なので。あ、書かれていたメッセージカードも読めましたし、ね」


 おやとドリアスは小さく呟いた。


「なんだ、読めたんじゃないか。人が悪いなあソニアちゃんは」

「ええと?あの?私にはミミズののたくった字にしか見えなかったのですが……?」


 メッセージカードを頭に思い描きつつソニアは首を傾げるばかりだ。だが男にとってはやっと得たかった結果なのだろう。ソニアの態度から理解しようとはしなかった。


「ほら一つくらいはいいだろ?な?ワシももう一個食べるから……なっ。う、ぐ」


 一気に蒼褪めていく。


「え、どうしました?もしかして喉につまっちゃったんですか?しっかりしてくださいっ!」

 駆け寄ろうとするソニアの肩をケビンは掴んだ。

「いけません。近づいては」

「でもこのままじゃ」


 死んでしまうかもしれないとソニアは体を震わせる。父親の時のことが頭にあるせいだろう。目の前で苦しむ人は手を打たなくてはいけないと学んでしまったのだ。時には真逆の対応が必要であるのに、と思うがケビンの口から出たのはまったく別の言葉だった。


「食べた彼の自業自得です。このまま苦しむことになるでしょうが……」

仕方がないことなんですよと続けるとケビンは人を呼んできてくださいとソニアを部屋から出した。

「わ、わかった」


 駆けていくソニアの後ろ姿にケビンはすみませんと声をかけ、男を背負い上げたのだった。


「ふ、ぐ、あ……ぐぁ」

「ちょっとの間揺れるから気持ち悪くなるかもしれませんけど!自業自得なんで我慢してくださいね」

 ケビンの表情は鋭い。ソニアが決して見たことのない類のものだった。




 近隣から人を呼び、戻ってきたソニアが見たのは誰もいない部屋で。なんでと呟くソニアの後ろでなんだいないのかとがっかりしたような安心したような声が重なった。


 ソニアが直接顔を合わせることのないようにケビンが配慮した結果である。彼は町中のとある医院預かりになっているらしい。

 意識はなく、体動が激しくなることがあるために一時的に手足の拘束を行うことがあるらしい。話で聞くだけでソニアが見舞いに行くことは許されなかった。


 ソニアに社長傷害の疑惑がかかったのだ。

 社長が口にしたのはソニアに贈られた焼き菓子でソニアもデイビットも先に食べていたものだ。箱の中に残された菓子からは薬物は特に見つからなかった。残されていた三人分のティーカップにも異常はなく、しかし実際に社長が起こしたのは毒物または薬物による中毒反応であったのだ。



 後日、ソニアはデイビット個人的に呼び出された。補佐官としてケビンも随行したが、ソニアは言葉少なく、明らかに落ち込んでいるのが見てとれた。

 疑惑とはいえ判断が難しく、状況からすると言い逃れのできない状態であることをソニアは理解していた。執政官の臨時会議の前に先に解任を知らせて対応を決めようとしているのだとあたりをつけた。

 顔を合わせた途端にいつもなら笑みを浮かべるデイビットの表情が固い。それも当たり前だと胸を痛めながらもソニアは納得した。筆頭執政官にとっては他の執政官を管理するのも仕事のうちだからだ。特にソニアは学業を納めてすぐに執政官になったため、執政官に必要な学びのほとんどをデイビットから得ていたため、周囲もソニアの失態はデイビットの責任と考える向きが強い。

 ソニアはデイビットに呼び出された。


「ソニア、なんてことをしてくれたんだ」

「お言葉ですがデイビット執政官。ソニア執政官は業務をまっとうしていただけで落ち度はまったくありません」

「ケビン。しかしまずいことになったのはわかっているだろう。彼はこの町の人間ではないのだぞ」

「逆にこの町の人間だったら大丈夫だって思うほうが間違っていると僕は思いますけど?」


「茶化しているような場合ではない!」

「わかっていますよ、落ち着いてください。そもそも送られてきた菓子を食べようと言ったのは社長自らです。こちらがすすめたのであれば非もあるでしょうが」

「ふん。救いは死ななかったってことだな」

「あの量では死なないでしょう。いくら業の深い人間でも」


 デイビットが喉を鳴らした。ソニアは咎めるような目でケビンを見た。


「ケビン。やめなさい。被害に遭われた方に失礼でしょう」

「可哀想だったら今までされたことを水に流してしまうんですか?」

「それとこれは別でしょう」

「ソニアさんは別にできても僕にはできそうにありませんので」

「子供みたいなことを言わないの」

「子供で結構。全てを抑えなくてはならないなら大人になる必要なんてないと思いますんで」

「な!」


 思わずソニアが声を荒げたところで、デイビットが机を軽く叩いた。


「こら。痴話げんかをしている場合か。この後隣町の警備官がやってくる。事情をきかれるから正直に答えるようにな」


 無言で頷く二人を満足気に眺める。まったく同じ動きだったことは今突っ込むことではないなとデイビットは思った。


「資料の準備もあるだろう。ケビンは先に向かいなさい」


 ケビンは一礼すると席を立った。

 足音が遠ざかってからデイビットはソニアを見る。


「で?正直なところどうなんだ?」

「どうとはどういう意味でしょうか」


 よくわかっていなさそうなソニアに苦笑する。その鈍さはデイビットにとって愛すべきものだった。


「落ち着いているところを見ると事故だったのだろうな」

「……デイビットおじいちゃんには色々言いたいことがあるけど後にしておきますから」

「おお怖い。すまなかったな。あれほどしつこい奴だと最初にわかっていればソニアちゃんに振るようなことはしなかったんだがのう」


 ソニアは力なく顔を横に振る。


「彼は自分よりも下に見た相手にだけ高圧的になっていたんでしょうから。デイビットおじいちゃんにはどうせ礼儀正しかったんでしょ」

「そんなに拗ねないでくれ。ソニアちゃんが頑張っているのはワシが一番よくわかっておる。なるべく早く経験を積めるようにと配慮したつもりだったが逆効果になってしまったわい」

「隣町でどんな扱いになっているか不明ですが……提出してきた事業規模からすると町の機能を乗っ取ろうとしているのではないかと疑ってしまうくらい大きなものでした。私は情報収集より前にするべきことが多すぎて調べられておりませんけど」

「ああ、それなら調べがついておるよ。敵対勢力が強すぎてこちらに進出してこようとしていたようだ」


「なるほど、だったら今回の件はむしろ好機と捉える派閥があるということですね」

「だからこそソニアちゃんの仕業に仕立て上げたいっていう者もいるだろうて、あんまり気を抜かんようにな」


「わかってます」

「一人でできないと判断したらさっさと頼っておくれよ。今ならまだ後ろ盾程度にはなれるでな」

「おじいちゃんのことはいつも頼りにしてますよ。知ってるでしょ?」



「頼っているつもりがあるんだったらワシに呼び出される前に報告してほしかったのう……」


 閉まった扉に目を向けたままデイビットは呟いた。誰よりも先に知っていれば対応も変えられただろうことを考えると残念でならなかった。


「すまんな。ワシはなんもしてやれん……」




 ケビンは先を急いでいた。自分の予測が正しければソニアに一番会わせたくない人物が乗り込んできているからだ。


「お待たせしてしまったようですね。補佐官のケビンと申します」

「俺が会うべきはソニア執政官のはずなんだが」


 眉をひそめる姿も絵になっている。


(これが元婚約者、か……)


「今取り込み中でしてね、代わりに僕がご用件を承りますので」

「ふん。昔の男に会うのは面倒ってことか?さすがお忙しい執政官はやることが違うね。あ、もしかしてあんたが今の男ってこと?まあ俺と別れてから随分経ってるし、付き合う男の一人や二人いるだろうと思ってたけど、あいつも趣味変わったなあ」


「あなたとソニア執政官の間に何があったのかは存じ上げませんが、彼女のことをわかったような口ぶりで話すのはおやめになったほうが懸命ですよ。まだ若いとはいえソニア執政官はこの町にとって大切な人ですから」


「はっ。この町にとって?大きく言うもんだな。自分にとってって言えないからってな」


「万が一あなたのおっしゃる通りだったとしても、他人のプライバシーに土足で上がりこむような真似はやめていただきたいですね。そんなに無神経だから一緒に町から出た女にも愛想を尽かされるんですよ」


「お?なんだ、名乗らなくても俺のことわかってるってことか」

「ええまあ。補佐官にとっては執政官の心の平安を保つのも仕事のうちですから」


「言うね。見たとこ良いとこの坊ちゃんなんだろ?しかも他所から来た」

「僕がどこの出身でも出てった方には関係ないでしょう」


「俺は関係ないがソニアと付き合うなら関係大ありだからな。思っているより根は深いから気をつけろよ」


 返す言葉を選んでいる間に扉が勢いよく開けられた。

 もう来てしまったことにケビンは内心溜息をついた。


「よお、ソニア。元気にしてたか?」

「は?ちょ、なんでいるの?」


「なんでって言われてもなあ。聞き取り調査だよ調査。俺だって理由がなければ捨てたはずの故郷になんか来ないからな。捨てた婚約者が大出世してるってのは風の噂で聞いていたし。ははは。これでもあんたなんて知らないって言われるかと思ってビクビクしてたんだぜ?」


 ソニアはケビンに顔を向ける。本当なの?という目線にケビンは渋々頷く。

 デイビットがケビンをあっさり解放した理由はソニアに会わせたくなかったからだろう。


(あの人爪が甘いんだよねえ。会わせる気がないならもう少し話を引き伸ばせってーの)


 この場にいない筆頭執政官に悪態をついていると、ジムがうずうずと体を動かした。


「で?本当のとこはどうなのさ。ウザくてやっちゃった?」


 軽い。言い方が軽いにも程があるとケビンは思った。


「あんたねえ、もう少し気をつけて話しなさいよ。他の人にもそんな言葉遣いなの?」

「いや?ソニアの顔見たら懐かしくって」


 はははと裏のなさそうな顔で男は笑う。


(いやあんた、僕しかいない時だってあんまり変わらなかっただろう)


 思わずじとっとした目を向けてしまうのも仕方ない。ソニアに想いを寄せつつも部下としいては認めらていると感じるものの異性としてまったく意識されていない状況にあるケビンにとっては、破棄したとはいえ元婚約者の幼馴染なんて存在は害悪でしかないのだから。


「ふうん?つまり昔の女には敬意を表しなくていいと判断したってことね。わざわざお越しいただいて申し訳ないけど、お帰りくださる?」

「は?」


「だから帰れって言ってんのよ。聞こえなかった?私が知り合いだからって舐めた態度のままで仕事できると思ったら大違いなのよ」

「いやさ、だって。お前、俺に会えてうれしくないの?」


「どうしてよ。自分が何やったのか覚えていないってこと?あんたはね、私の純情踏みにじってくれたのよ。子供の頃からの仲でもやっていいことと悪いことってのがあるわけ。越えちゃいけない線ってのがあるのよ。零れた水が元の水差しには戻らないようにあんたへの気持ちなんてマイナスに振り切ってるってーの!」


「ですから先ほども申し上げましたよね。僕が代わりにご用件を伺いますと」

「あー……すまなかったな坊や。どうやらソニアの意向をちゃんと伝えてくれてたみたいだな」

「ええ、補佐官ですので」


「じゃあドリアス社長の服毒の話を聞かせてほしい。あんたらを疑う気はないが状況的には毒を盛った犯人だととられてもおかしくない状況だってのはわかっているんだろ?」


「なんでよ、私に贈られたお菓子を食べたのよ?」

「はいはい。落ち着いてください。では順に説明しますね」


「すでにご存じかもしれませんがドリアス社長はこちらで事業を展開していくことを希望されておりました」

「他所からの参入って審査が厳しくって実質無理って言われていたけどなあ。チャレンジャーだな……」

「お住まいだったあなたにはそのへんは今更ご説明するほどではありませんでしょうから割愛することにしますが、彼の出してきた事業計画書には色々と穴がありまして、最初から真っ当な事業を展開しようとする意思などないのだと思わざる負えない状況でした」

「へえ、あの男には若い女ってだけで真っ当な対応する気なんてなかっただろうな」


「ソニア執政官はドリアス社長の案件だけを受け持っているわけではありませんからね。どれだけ誠意ある対応をしようとしても抜けが出てしまうのはしょうがないと言いますか当然のことなのです。しかし彼は自分の態度や書類を棚に上げてソニア執政官に圧力をかけようとしていました」


「話す時の態度や言動だけでなく、仕事の行き帰りに待ち伏せをして仕事以外の関係に持ち込もうとする意思を持っており、こちら側としては穏便な対応をするのも限界が近づいているところだったのですが……」


「ちょ、ちょっと?ケビンくん、初めて聞いたんだけど!」

「くん付けはおやめくださいと何度申し上げたらわかってくださいますか。まあいい。ソニア執政官はあなたもご存じの通りどこか抜けておりますし育ちの良さから人を疑わない部分がありますからね。危険な目に遭いそうな時は他の職員が協力して避けられるように配慮しておりましたので」


「なるほどなあ。じゃあソニアはドリアス社長にそういう意味で狙われていたってのは知らなかったってことか」

「ええ、今も何を言っているのかよくわかっていないと思いますよ。僕達はこの人が何も知らないままで生きていけるような世界が保てるならそれが一番いいと思っていますから」

「何も知らないままってのも残酷だとは思わないか?」


「知らないままでいられるならそのほうが幸せってこともあると思いますよ」

「目隠しをしたまま歩かせたってそのうち躓くだけだろ……」


 一度目の聴取はジムとケビンが火花を散らしながらのやりとりで終わった。


「本当に目ざわりな男です。一体どこまで知っているのやら」

「俺としては余所者のあんたが傾倒しているのが不思議だがなあ」


 ソニアと別れ、ケビンが一人呟いているとないはずの返事があった。


「お教えする必要はないでしょう。本人が知らないところで人を助けることがあるってことですよ。僕はあの人のためになるんだったら何だってやってみせる」


 ジムは目を瞬かせ首を振った。


「お前さあ、俺の立場をわかってる?あんたの発言は自分が犯人だって言ってるようなものなんだけど」

「はは、だとしたらあなたの目が節穴だっていうだけのことですよ。僕がやるならもっと徹底的にやりますし、僕ではない証拠を用意しておきますから」

「……その言葉信じてやるよ。あいつを悲しませるなよ」


「昔、思いっきり悲しませた男の言う言葉じゃないですよ」

「わかってるよ。俺があいつの幸せを願う資格なんてないことくらい。裏切った相手の言うことなんて信用できないだろうしな。だからこそ今一番近くにいるあんたは、あんただけはソニアを悲しませるようなことをしないでくれ」



「どの口が言うんだか……」




 悲しませるなと忠告するなら、そもそも自分が悲しませるべきではなかったのだ。今は落ち着いているが当時の落ち込みようは見ていられるようなものじゃなかったと証言が多く寄せられている。

ソニアを心配する人の多さに驚くと共に彼らもまたソニアにとっては守る範疇にいるのだと思うと余計な真似はしてくれるなよと思ってしまう。


 しかし彼らはまだいい。

 問題は元婚約者だ。

 結婚相手としてどう思っていたかはケビンにはわからないが、少なくとも幼馴染としての情はあるようだった。

 調査をしに来たのが彼だというのは、ソニアやケビンにとってプラスになる。しかしわざわざ犯人と疑う相手の知人友人を送り込んでくるものだろうか。


「上手く隠してて来れるように動いたっていうんだったらいいんですけどね」


 きちんとした手順を踏んで職を得ているに違いないのだから、採用の可否を決める際に必ず身辺調査が入っているはずなのだ。

 つまり相手側はジムがソニアの元婚約者とわかっていて送り込んできていることになる。

 目的はソニアを犯人に仕立て上げること、ではないのだろう。そうしたいなら正義は己の元にあると信じてやまない者でも送り込めばいいのだ。ソニアと真逆のそのタイプは壊滅的に相性が悪い。ソニアが相性の悪い者はケビンが手玉にとれる者であるため、普段は業務に支障は出ていない。

 ケビンは自分が来る前、ソニアがどうやってあしらっていたのかを想像するのが怖かった。


(絶対なんでもない事が大問題になっていた気がする……)


 その火消に奔走していたであろうデイビットや年嵩の執政官には同情するつもりはさらさらないが。彼らには補佐官やそのさらに補佐をするような仕事の経験がまったくないままに若いソニアを同じ役に引っ張り上げた責任があるのだから。




「で?なんで仕事が終わってまで顔を突き合わせなくっちゃいけないの?」

「安全のためです」

「自分の身くらい自分で守れるわよ」


 悩んだ結果ケビンが出した答えは一緒にいる時間を物理的に増やすことだった。


「……それ本気で言ってます?」


 ソニアが答えに詰まる。


「ジムさんに偶然会ったらどうするのかって決めているんだったら僕は構いませんけど」

「あれは私のことなんて何とも思ってないわよ。あれ?ケビンに話したっけ?」

「ソニアさんから直接はないですね」

「ああー、おじいちゃんやおばさん達には聞いてるってことね。多分みんなが思ってるのとは違うと思う」

「どう違うっていうんです?彼があなたではない相手を選んだってことでしょう」


「うん、それはそうなんだけど。ジムにとっては私は婚約者でも婚約者じゃなくてもよかったんだと思うのよね。子供の頃からずっと一緒にいて成長しても一緒だったから周りが先に誤解したってのが事の発端。外側だけ大人みたいに見えてても実際はまだ私達には自覚はなかったってのに」


「自覚はなかったって。でもあなたは好きだったんでしょう?」

「はは。そうだね。好きだったよ。多分初恋じゃないかな。うんと小さい頃にデイビットおじいちゃんと結婚するって言ったのをのぞけば」

 ケビンが固まった。


「は?なんですかそれ、誰からも聞いてません!」

「いちいち言うようなことじゃないでしょ。しかもさ、仕事上の付き合いの補佐官が上司のプライベート把握してるっておかしくない?」

「全然おかしくないです。知らないと配慮できないでしょ。言いふらすような真似はしませんし知らないより知っていたほうがいいのでは、じゃない。僕が聞きたいのはデイビットさんが初恋ってことですか?歳の差何歳あると思ってるんですか?」


「何焦ってるのよ。歳の差があるのは知ってるわ。デイビットおじいちゃんってお父さんより年上だもの、数歳だけね」

「え、あの人おじいちゃんっていうわりに見た目若いと思ってましたけど、まさかそんな……そんなに歳いってないだって?」

「ケビンくんもなかなか失礼なこと言うのね。おじいちゃんはそう呼んでほしいって言うからおじいちゃん呼びしてるのよ」

「僕のくん付けやめてくださいってのは却下し続けてるってのに?あっちは要望が通っていると。そういうことですよね」

「えええ?だってケビンくんとデイビットおじいちゃんは違うでしょ」

「まさかの枯れ専……だから僕がこんなにアプローチしているのに気がついてもらえないってこと?ええ?これ以上どうしろと?ハラスメント認定されないように気をつけてるのがいけないのか?」


 小声での呟きはソニアの耳には届かなかった。



「伏兵がまさかの人物だったとは……」

「ちょっといいかね?」

 噂をすればなんとやら。思わずに睨みつけそうになるのをケビンはぐっと堪えた。


「誤解しているようだから話しておかなくてはと思ってな」

「でわざわざソニアさんのいない時を狙ったっていうんですか?さすが彼女に結婚申し込まれただけはありますね」

「おや、嫉妬かね?はは、あの子がこんな小さい時の話だ。抱き上げて『私を越す執政官になったら』と伝えたら、『じゃあむりってことじゃない』って言ってな」

「当時にあなたがなさった改革のことを考えれば遠回りにお断りされていると思うのも当然では?」

「ははは、ワシは断ったつもりはないんだがなあ。しかしこんな老いぼれでは釣り合いがとれんだろ」

「は?まさか約束したっていうんじゃないでしょうね」

「君は仕事には真面目で成果もしっかり上げてくるがソニアちゃんに関してだけはポンコツになるのだな。まああの子との釣り合いを考えればそのくらいのほうが安心か」



 


 次の日、出勤したところを掴まえようとしているのかジムの姿があった。入口の道を挟んで向かい側のカフェにいたのだ。

「よお」

「お話があります」


 ケビンは返事を聞くより前にジムの向かい側の空いている椅子に座り込んだ。


「一人寂しく食事しているとこでも見に来たのか?」

「そんな暇あるはずないでしょう。補佐官の仕事量なめてるんですか?」

「いや。あんたのは知らないがソニアの父親についた時期があったからな、少しはわかってるつもりだ」


「だったらどうしてもう少し待ってあげられなかったんですか」

「考えなかったわけじゃない。でもソニアには教えるわけにはいかなかったんだよ。嫌だろ、普通に考えて自分の父親が不正まみれってのはさ」

「あの人、今も知らないんですよ。あなたがいなくなった本当の理由」

「知る必要なんてないだろ。一番支えてほしい時期に支えられなかったんだ。一緒にいることすら難しくなってな」

「それにしたって駆け落ちみたいな真似をしなくたってよかったんじゃないですか?」


「あんたには好都合だろ」

「それは、まあ」

「今更事実はどうだったって聞いたって結果は同じだからな。終わったことを掘り返してお良いことなんてない」

「でもあんたの意思じゃなかったってことくらいはソニアさんが知ってもいいはずだ」

「ケビンくん、だっけか?君にはソニアが随分儚く映っているみたいだな。ちょっとやそっとのことじゃ動じないよ。俺がいなくてもソニアは生きていけるし大丈夫だ」

「はっ、それが不満だったんですか?あんたなしでは生きていけないような精神状態が真っ当なものなはずないでしょう。そんなにあの人を追い込みたかったって?」


「君みたいな若さが俺にもあったら結果は違ったかもしれないな。そうだな。俺はソニアに戻ってきてと言われたかったんだと思う。ソニアにとって俺がなくてはならない相手だってことを実感したかったんだ。馬鹿な奴だろ」

「ええ。試すようなことをしなくたって、その時のソニアさんにはあなたは必要な存在だったってのに!それを自信のなさから疑って。今さら出てきたって遅いんです。あんたみたいな男にソニアさんは任せられない」

「なんだと」

「元婚約者様、おかえりはあちらですよ」


 にっこり笑みを浮かべつつ、ケビンは決意を新たにしたのだった。



 結局ソニアの容疑は晴れるもののジムはそのまま居座り、ソニアに度々ちょっかいをかけるようになった。ケビンだけではなくジムもまた過去を吹っ切ることにしたようだ。


 鈍感なソニアが彼らの想いに気づくまでまだまだ時間はかかるだろう。

 なおケビンが人間ではないために姿が変わらないために成長が止まっていて可愛らしく見えることや、実は年下ですらなかったことをソニアが知るのはケビンの想いが届いてからまた数年後の話である。


お読みくださりありがとうございました!


その後はソニアの仕事をケビンだけじゃなくジムも手伝うようになったんじゃないかなと思います。

ありがとうございました!

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