004「神竜だけを愛するよう」
ツガイヒメに選ばれた者は、神竜の元に向かう前に、アルサローン大陸のリリアニーサ大聖堂で『結魂の儀』に臨む。アルサローン大陸は、エルステラ王国民が本土と呼ぶ広大な大地を指し、神竜教会の総本山もそこに存在する。実際に神竜が住まうのは絶海の孤島の山頂で、教会の本庁はそちらに置かれているのだが、信仰は人の中に生まれなければ意味がなく、よって教会の総本山は人の集う大陸に移った。
リリアニーサ大聖堂の天井は高く、見上げると眩暈がしそうだった。細長い窓には色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、大聖堂の由来となった初代ツガイヒメこと聖女リリアニーサの生涯が描かれている。最果ての地の農村に生まれたリリアニーサは、神竜の加護を得て聖女となり、太古の魔王を打ち破り、やがて神竜の花嫁となって神竜教会の礎を築いた──勇者ラグナよりもさらに古い時代の出来事だった。
死人に口なし、ということか。わたしは冷ややかに思った。神竜教会のすることだ、リリアニーサもきっと抹殺されたのだろう。わたしに対してするように。或いは、勇者にしようとしたように。
付き人を置いてわたしは一人で祈祷室の扉をくぐる。礼拝堂の奥にある祈祷室に入っていいのはツガイヒメに選ばれた者だけだった。一歩、足を踏み出すたびに『結魂の法衣』と呼ばれるドレスの裾が足元で揺れる。魔法の糸で編まれたドレスで、いかなる汚泥を被っても輝くような純白は決して褪せることはない。何ものにも染まることのない、破滅の光のような白。それが神竜の花嫁の婚礼衣装だった。
そんなドレスにもステンドグラスを透かした光は降り注ぎ、影となってかりそめの色を与える。
礼拝堂に比べると祈祷室は狭く、石の床には円にほど近い紋様が描かれていた。それは複雑な方陣で、淡い光を放っており、その中央には剣のような杖が浮いている。窓を彩るステンドグラスも規則正しい幾何学模様で、床に落ちた鮮やかな光が複雑怪奇な方陣をいっそう難解に見せていた。複雑な装飾の施された杖の傍らには、きらびやかな法衣を纏った老いた男が立っている。男の眼光は鋭く、品位と威圧感があり、王侯貴族のものよりも豪奢な法衣も相まって、神々しいほどの存在感を放っていた。一目見て法王だとわかった。神竜教会の最高位の聖職者で、『結魂の儀』を執り行う役割を担っているという。脇を固める者たちも名のある聖職者なのだろう。彼らはわたしを一国の王女だからといって特別扱いしなかった。神である神竜はいかなる王よりも尊く、神に仕える者たちには、地上における神の代行者という自負がある。或いは傲慢さというべきか。しかしたとえ慢心であっても、集えば威圧感を生み、冒し難い神性がその場を支配する。まるで魔術の儀式をおこなおうとしているかのようだ。それも高位の召喚術。そんなことを思ったのは、遠い過去にそのような場に身を置いたことがあったからだった。わたしはかつて異界の下級神を召喚し、転生の契約をおこなった。教会の禁じた竜言語魔法の中でもさらに禁呪とされている術で──
聖職者が一斉に祈りの言葉を唱え始めた。何も知らない者が聞けば神竜教会特有の祈祷だと思うだろう。しかしそれは竜言語魔法の呪文、しかも禁呪だった。異界の扉を開き、そこに住まう下級神を召喚する術だった。
杖の周りの空間が歪み、光でできた翼を持つ骸骨が現れた。異界の甲冑に身を包み、手には書物を携えている。まるで風に煽られるように、骸骨の手の上の書物のページは高速でめくれ続けるが、ページが尽きることはない。骸骨の背後には、床に描かれた方陣に似た巨大な歯車が見える。
「……娘よ。この場で起きたことを理解しておるな?」
法王はわたしに確認した。わたしは何も答えなかった。
「竜言語魔法は我らのもの。そなたは我らに与えられた特権を奪おうとしたのだ」
「そのような罪人を神に捧げるとおっしゃいますの? ずいぶんと冒涜的ですのね」
「神は偉大だ。人間の尺度で定められた罪など、神にとっては無意味なこと。そなたの罪は生涯にわたり神竜のみを愛することによって購われるであろう」
それだけ言うと法王は竜語で命令を下した。召喚した下級神との取り引きに使う言葉だった。異界の骸骨はゆっくりとわたしに近づくと、淡い光を発しながらわたしの中に溶け込んだ。わたしは理解した。ツガイヒメの役割は、神竜の元に下級神を送り届けることなのだと。異界の下級神。彼らは高次元世界の遺物、世界の真の管理者だった。この世は異界の下級神の定めた法によって成り立っている。神竜と神竜教会、どちらが主でどちらが従なのか、わたしにはわからなくなっていた。