003「ツガイヒメ」
白昼のエルステラ王宮、その謁見の間に現れたのは、神竜教会の使節団だった。彼らを招き入れたのは、わたしの現在の器であるレスフィーヌ王女の兄に当たる第一王子リュシーだった。リュシーはいつになく上機嫌で、友を自宅に招じ入れるように使節団に接していた。一方の使節団は、一国の王子の接待を当然のような顔で受けていた。気に入らない。わたしの脳裏に古い記憶がよみがえる。生家の冷たい床に転がる廃人のような勇者の姿。何度魔物に殺されても神竜教会の手で復活されられ、死の記憶に磨耗した勇者と呼ばれた青年の姿。彼らは勇者を人間扱いしなかった──
使節団の長はわたしを見た。傲然と顎をそびやかし、錫杖の先をわたしに向ける。
「神竜はレスフィーヌ王女をツガイヒメに選ばれた」
王と王妃が息を飲んだ。わたしは使節団の長から視線を外さなかったから、リュシーがどんな顔をしたのか、確かめることができなかった。ただ、王や王妃とは違って呼吸が乱れることはなかった、それだけは確かだった。そういうことか。わたしは陰謀に気づいた。教会の禁じた竜言語魔法の研究に着手したレスフィーヌ王女を神竜の生贄として抹殺する。それはリュシー王子にとっても都合の良いことだった。現行法では王位継承権は一に血筋の正統性、二に生まれた順序で決まる。性別は関係ない。つまり身分の低い妾の産んだリュシー王子ではなく、王妃の産んだレスフィーヌ王女が王位継承権第一位となる。リュシーはそれを不服とし、有力貴族に働きかけて法改正を進めていた。
しかしわたしはこの陰謀に気づかないフリをした。
馬鹿正直に指摘したところで彼らが認めるとは思えないし、どんな異常者のレッテルを貼られるかわかったものではない。それにこれはわたしにとっても悪い話ではなかった。ツガイヒメは生贄だ。ただし神竜の花嫁という名誉ある人身御供でもある。ツガイヒメに選ばれた者は、多くの護衛を伴って、神竜の住まう孤島に向かう。少なくとも、神竜のもとに辿り着くまでは、心身の安全は保障されているのだから、竜殺しをもくろむ者にとってこれほど旨い話もない。問題は、術が未完成だということだけ。これほどのチャンスが巡ってきたのに、未完成、その一点だけで好機を活かせず終わるのか。自分の中から完全に消えたと思っていたはずの無力感と焦りが胸に渦巻く。馬鹿馬鹿しい。時間は無限にあるというのに、目先のチャンスに囚われるなんて。わたしは使節団の長を嘲笑した。
「神竜教会も随分と凋落なさいましたのね」
「なんと……」
「ツガイヒメは古来より、神竜に仕える聖女が自ら望んで引き受けるものだったはず。複数の立候補者の中から選ぶことが通例と言われておりましたわ。なのにわたくしのような部外者をわざわざ任命なさるなんて、どれほど人材不足なのかしら。今の神竜教会には、信仰心のある聖女が一人もいらっしゃいませんのね」
「レスフィーヌ! 口を慎め!」
リュシーが声を荒らげた。しかし使節団の長は落ち着き払っていた。
「これはこれは……、驚きました。レスフィーヌ王女は随分と我々の習わしにお詳しいのですな」
「竜言語魔法の研究のせいで誤解する方がいらっしゃって、わたくし、困っておりますの。わたくしは背教者ではありませんもの。竜言語魔法の研究は神竜への理解を深めるため……、わたくしなりの信仰の在り方ですわ。ですから喜んでツガイヒメの責務をまっとういたします。わたくしを神竜の花嫁にお選びいただいて、ありがとう存じます」
わたしは心にもないことを淀みなく言ってのけた。リュシーの甘言に惑わされ、無実の王女を生贄にした。目の前の不遜な男にそんな罪悪感を植え付けて苦しませることができるのだと思うと、言葉はおのずと謙虚になり、自然と笑みが浮かんできた。たとえこの男にそんな良心がなかったとしても、無実の者を犠牲にした、その事実は呪いのように彼の人生を蝕むだろう。わたしの脳裏に在りし日の勇者の姿が去来する。世界のためになど戦わない。かすれる声でそう呟いた、磨耗した勇者の姿が。