001「かつては勇者の仲間だった」
魔王を倒して世界を救った勇者は旅に出た。勇者は二度と故郷に戻らず、その姿を見た者もいない。これは誰でも知っている話。だけどわたしの知っている話とは少し違う。
魔王を倒して世界を救った勇者は旅に出た。勇者の新たな目的は神竜を倒すことだった。神竜はその名の通り、世界を支える神たる竜。勇者の内心は誰も知らない。神を殺してどうしたいのか。世界を滅ぼしたかったのか、神に成り代わりたかったのか、それは永遠にわからない。魔王を倒した勇者は仲間の女賢者と結婚した。彼女はそのとき身ごもっていて、勇者の新たな旅について行くことはできなかった。勇者が旅に出てから今日まで世界は変わらずここにある。そして世界を支える柱は今も神竜のまま。あれから三百年が過ぎた。勇者と女賢者の子孫は今も勇者の末裔として人々に愛されている。そして女賢者は、神竜教会の禁じた竜言語魔法を研究する魔女となり、その最高秘術である『竜殺し』を完成させるべく転生を繰り返している。すべては勇者に代わって神竜を倒すため。勇者の歩んだ道を辿れば、勇者が何をしようとしたのか、少しは見えるだろうと信じて。そんな誰も知らない話をわたしは知っている。わたしが魔女その人だから。わたしはかつては勇者を愛していた。しかし今ではすべてがすり減り、かつては勇者を愛していたというただその執念だけが、わたしの魂をこの世に繋ぎ止めている。
わたしの転生は自動的におこなわれる。転生者であっても生まれる場所は選べないし、性別すらも運任せ。ただしわたしの目的は『竜殺し』を完成させることだから、人格に多大な悪影響を及ぼすたぐいの記憶は転生時に削除されることになっている。『竜殺し』への興味を失い、かつては勇者を愛していたという事実すらも価値を失い、この世の終わりの日まで生き続けるなんてわたしには我慢ならない。この三百年、幾度となくわたしは『竜殺し』への執念を失った。だけどそれを覚えているのは、その生涯のうちに自力で挫折を乗り越えたということ。異界の神との契約によって繰り返される転生は、神竜を殺した時点で終わりを迎えることになっている。『竜殺し』の完成は、かつて勇者を愛したわたしが己自身に科した刑罰のような義務だった。
レースのような白い手すりの向こうに青い海が見える。
花や草木をモチーフにした曲線的なデザインは随所に周辺諸国の影響を見て取れるものの、全体的なバランスとそこに顕れた芸術性はエルステラ王国特有のもの。
ここはおそらくは世界で唯一、国家の庇護のもとで竜言語魔法の研究をおこなうことのできる場所。施設の年齢は、今のわたしの肉体年齢よりも遥かに若い。ここには世界各地から優秀な魔術師やその卵が集まってくる。エルステラ王国は留学生や研修生の受け入れに積極的で、成績優秀者には自国の要職を保証している。つまり優秀な人材を諸外国から引き抜くということ。エルステラ島は古来より軍事や交易の拠点として様々な強国の支配下に置かれてきた。火山を抱く肥沃な大地もエルステラ島の領土としての価値を高めていた。独立国となった今も、周辺国家の脅威は消えない。だからエルステラ王国は、世界中から優秀な人的資源を奪うことで、自国を強化しようとしている。そんな国家の思惑は公然の秘密だった。だけど誰ひとりとして知らないこともある。たとえばこの施設を作ったのが、実年齢約三百歳の転生魔女だということとか。
レスフィーヌ魔術学院のバルコニーを吹き抜ける涼やかな汐風がわたしのドレスの裾を揺らした。