2.伝えられた想い
「……も少し詳しい事情を伺ってもよござんすかね?」
「はい! 何なりと!」
前後の事情ってやつを依頼人から聞いたところ、ホトケさんは中気だか何だかで倒れた後、身体が不自由になっちまったらしい。言葉も上手く喋れねぇし、手も震えて字を書く事もできなかったんだそうだ。
「……ですから、新しい遺言状というのがあるなら、発作が起きるより前だと思うのですが……既にある遺言状というのが、その発作の一月ほど前に書き改めたものでして……」
「その後に新しい遺言状を、それもご家族に内密に書いたってのが腑に落ちねぇ……ってわけですね?」
「はい。別に父とは仲違いしていたわけでもありませんし」
確かに、こりゃ俺でも合点がいかねぇわな。腑に落ちねぇって言うのも道理だぜ。
「ホト……お父上ははっきりと〝遺言状〟だってお示しになったんですかぃ?」
「はい。……と言うか、遺言なのかと聞いたら頷いたのですよ。はっきりと」
あぁ……だから面倒な事になってんのか……
「お父上は遺言状の在処を、どうお示しになったんで?」
「はっきりと書棚を指さしたのです。……震える指で、それでもしっかりと」
「……で、見つからなかった?」
「はい。てっきり本に挟んであるのだろうと思ったのですが……」
見ればでっかい本棚にゃ、ぎっしりと本が詰まってやがる。……この一つ一つを検めたのかよ。
「あ、いえ。最初は本の表紙を持って……こう、本を振るようにして……少し乱暴かなと思ったのですが、本の間に遺言状が挟んであると思いましたので……」
「で、見つからなかったと。……書き込みとかじゃねぇんですかぃ?」
「それも考えました。二度目は全てのページを調べましたとも。本棚の後ろに落ちた事も考えて、本棚を動かしたりもしました」
「……それでも見つからなかったんで?」
「書き込みは幾つかありましたが、前の持ち主が書き込んだらしいものばかりでして。……父は元々、本に書き込みなどしない質でしたから……。あ、一応、書き込みがあった本は別にしてあります」
「……とりあえず、そのご本ってやつを見せてもらいやすかね」
こうして俺ぁ、またぞろ厄介な話に引っ張り込まれちまったわけだ。
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「……こいつも外れかよ……故人の想いが残ってる品物ってなぁ、死霊術師なら何となく判るもんなんだが……」
丸一日かけて本を調べたんだが、それらしきもなぁ見当たらなかった。紙切れの一つも挟まってねぇし、それっぽい落書きも見当たらねぇ。背表紙をばらす事も考えたんだが、手の不自由なホトケさんにそんな小細工ができたとも思えねぇ。そもそも、そうまでして隠す理由が見当たらねぇ。こりゃ詰んじまったかと思ったんだが、
「お父上のご本ってなぁ、これで全部なんですかぃ?」
「あ、いえ。亡くなる前に読んでいた本は棺に入れてあります。読みかけのようでしたし、続きは来世で読んでもらおうと思って」
……ちょっと待ちやがれ、こん畜生!! 散々人に無駄足踏ませといて、ド本命は別にあるってオチのつもりかよ! おちょくってんのかこの野郎!!
「い、いえ……そういうつもりでは……遺言状が挟んでないのも、書き込みが無いのも、真っ先に調べましたし……」
「……ともかく……そいつを見せて下せぇ」
何とか腹の虫を抑えてそう言うと、オドオドした様子のご当主が、問題の本ってやつを持って来た。明日にも棺と一緒に埋葬するつもりだったそうだ。間一髪ってやつだわな。
……ご当主をすっかり怯えさせちまったみてぇだな。後で詫びを入れとくか。……俺の頭が冷えてからな。
「さて……」
手に取った瞬間に判ったともさ。故人の想いが遺ってんなぁ、間違い無くこの本だってな。だが……
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「……畜生め……真っ新で、何処も彼処も綺麗なもんじゃねぇか……」
ご当主が言ったとおり、分厚い新品の本には、書き込みどころか染み一つ遺っちゃいなかった。
「……けどなぁ……故人の想いを強く感じるんだよなぁ……ん? ……何だこりゃ? ……針の痕みてぇだが……あっ!」
そん時俺が天啓のように思い出したなぁ、以前に「賢者」のやつから聞いた――
「針刺し暗号か!!」
――針刺し暗号とは、古代ギリシアの歴史家アイネイアスが提案したもので、適当な文書の任意の文字の下に針で穴を開けるというものである。手渡される文書自体には何の変哲も無いため注意を引きにくく、仮にその文書に目を通したとしても、小っぽけな針の穴に目を付ける事はまず無いので、メッセージの秘密性は保たれる……というものであった。
この暗号は二千年後にイギリスで日の目を見るようになったが、意外にもそれは軍事暗号としてでも商業暗号としてでもなく……郵便料金を節約したいと考えた庶民が、新聞を送る事で手紙の代わりにしようと企んだ事によるという。
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「針刺し暗号……ですか?」
「へぇ。恐らくですが、指先が震えて筆記が難しくなっていたお父上が、思う事を何とか伝えようとなさったんじゃねぇかと……」
「………………」
「お父上の本棚を見直したら、ありましたよ。針刺し暗号について触れた歴史書が」
「………………」
「とりあえず、始めの方だけ目を通したんですがね。俺が目にしていいもんじゃねぇって思いやしたんで、そっから先は読んでません。ご家族で解読なすって下せぇ」
「………………」
「何が書いてあるのかぁ存じやせんがね、お父上が今際の際に言い残そうとした事ですぜ、多分」
「……解りました。……どうもありがとうございました」
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針刺し暗号なんて代物が法律的に有効なのかどうかは解んなかったがよ、そこまで心配すんなぁ俺の仕事じゃねぇ。礼金を貰っておさらばしたともよ。
後になって手紙が届いたんだが、あれは遺言状と言うより、家族に当てた手紙のようなものだったそうだ。家族への想いと感謝が切々と述べてあったんだと。そいつを見つけた俺への感謝の言葉が書いてあったよ。
死霊術たぁちと違うが、死者と生者の仲立ちを務めたわけだから、これも立派に死霊術師の仕事だと思ってるよ、俺ぁ。
【参考文献】
・シン,S.(一九九九)「暗号解読」 (青木薫 訳, 二〇〇一 新潮文庫)