君はともだち
息も凍るほど、凍えるような寒さの中、僕は一人で道を歩く。遠くから狼の遠吠えが聞こえる。
「早く帰らなきゃ。」
僕は荷物をよいしょと背負い直すと、滑らないように、気をつけて、山道を登り始めた。迫り来る分厚い雲、ちらつく雪。本格的に雪が降り始めれば、家の方向もわからなくなる。
もうすぐ峠を超える。山のいただきに差し掛かった時、足元に、もふんとまあるい、ボールのようなものがぶつかった。たぬきか何かかと思ったのだけれど、どこにもあの立派な尻尾はない。ただただまあるいボールは、僕に蹴飛ばされて、そこでブルブルと震えている。
恐る恐る手を伸ばし、両手にかかえる。思っていたよりも重たいふわふわのボールは、冷え切った僕の両手よりも冷たくなっていた。
「早く温めてあげなきゃ。」
早くしないとダメだと思った。ええい。僕は荷物を投げ捨てると、ふもとの家まで走り出した。もう、足の感覚がない。最後の方は走っているより、転がっている時間の方が長かった。3回諦めそうになったが、4回踏ん張ってようやく小屋が見えてきた。
扉を閉めると、僕は暖炉に火を起こした。ありったけの力で息を吹いて、ありったけの布切れをかき集めた。早く温めなきゃ、早く、早く、早く……。
いつの間にか気を失っていた僕は、くすぐったくて目を覚ました。目を開けると、珍妙な毛玉は一人で踊るように僕の周りを歩いていた。その姿はボールから4本の足を生やした、不思議な生物に変貌していた。ひっ。僕は叫びたくなるのをこらえて、声をかけてみた。
「ねえ、君はどこからきたの?」
毛玉はビクッとその場で飛び上がる。すごく驚いて飛び上がるものだから、僕もその場でびっくりして30cmも飛び上がった。
いくら待っても、返事はない。その後何度話しかけても毛玉は返事もしないで、終いには僕の声に合わせてポムポムと飛び跳ねるようになった。
「君は」ポポム
「どこから」ポポポム
「きたの」ポポム
「どうして」ポムポム
「踊っているの?」ポポムポムポムポポムポム
「楽しいの?」ポポポムポム
あまりにも愉快に飛び跳ねるので、笑いが止まらなくなってしまった。面白くて笑い、笑いごえで毛玉が跳びはねる。また跳びはねる毛玉に笑い、毛玉も笑うように跳びはねる。腹を抱えて笑う僕と、弾むように踊る毛玉。気がつくといつの間にか毛玉の頭に耳がぴょこんと生えていた。
「お前、耳があったのか。妖怪毛玉は、タヌキの仲間か何かなのかな」
毛玉はそれでも気にせず、ポムポムと飛び跳ねている。
ひとしきり跳びはねると、毛玉はおとなしくなった。僕も笑いすぎてお腹が減った。芋を一つ手に取るとホオノキの葉で包んで、暖炉の中に放り込む。鍋に水を注ぎ、火にかけると干した肉を少し大根の葉を刻み入れ、塩で味を整える。
いい香りが漂ってくる、僕のお腹がグルルとなった。
器によそい、食卓に並べる。スープは干し肉の味がしっかりと出ていて絶品だ。
毛玉は静かにまた動かなくなってしまった。
一口スープをすする。一口芋をかじる。ぐるるる。
一口肉をかじる、一口芋を頬張る。ぐるるるるるるる。
ぐるるるるるるる。ぐるるるるる。
ぐるるるるるるる。ぐるるるるる。毛玉が大きな音を立てている。
「もしかしてお前、腹が減っているのか?」
毛玉はぴょんと飛び跳ねて返事をした。
「スープ飲むか?」
毛玉の前にあったかいスープを置いてやる。
毛玉は一口も飲まずに、スープの前に佇んだままだ。
僕はうんと考えて、ふかした芋を目の前に置いてやる。
それでも毛玉は黙ったまま。
もしかして。僕は干し肉と大根を手に取るとちょうどいい大きさにちぎって、毛玉の前に置いてやる。
毛玉はふんふんと肉の匂いを嗅ぐと、干し肉を丸呑みしてしまった。
一瞬で飲み込んだ毛玉に、ギョッと驚いた時、毛玉の額からまん丸な目玉が僕を見つけた。
「目玉があったんだね。」
ただの毛玉はただの毛玉じゃなくなった。意思を持った目玉はキョロキョロと辺りを見回している。
「もっと食べたいの?」
僕はまたすこし切ると、彼の前に差し出した。嬉しそうに頬張る毛玉。あっという間に食べ切ると、もっともっととねだる。
いつの間にか家にあった干し肉を全部平らげると、もっともっとと言うかのように、鼻をフゴフゴと鳴らした。
「鼻もあったんだね。でもごめんよ、もううちにある干し肉はあれでおしまいなんだ。」
フゴフゴと鼻を鳴らす毛玉。干し肉の入っていたネットを逆さまに振って見せても、ジェスチャーでどうにか伝えようとしてもなかなか伝わらない。仕方がないので、ネットを毛玉にやってしまった。
鼻先をネットに突っ込んで、フゴフゴと鼻と鳴らす毛玉。いくら探しても肉が見つからないとわかると、わかりやすくうな垂れてしまった。毛玉の感情はわからないけれど、多分うな垂れている。
「食べ盛りなんだね。僕もこれで春まで大根生活だあ。毛玉は、どうするんだい。僕は鹿やイノシシを仕留めることができないんだぞ。村の誰かが引き取ってくれればいいけれど。困ったね。」
困り果てて僕は泣きたくなってきた。そうでなくても一人での冬ごえは過酷だ。よくわからない毛玉だってかわいそうだ。雪道でブルブルと震えて、かわいそうだからと家に連れてきた。でも、あの時、見つけたのが僕じゃなかったら、今ごとお腹いっぱい食べさせてもらって、暖かい毛布に包まれて寝ていたのかもしれない。
顔をあげると、毛玉がいない。
布切れの下にも。机の下にも。
探しても、探しても見つからなかった。
どこに行ってしまったのか。
ふと見ると入り口のドアが少しだけ開いていた。
「まさか!」
まさか、そのまさか。外に降り積もった雪の上には小さな足跡が綺麗に一直線に続いていた。僕は上着を2枚3枚重ねると、足跡を辿って探した。そんな僕を笑うように、風は雪の足跡を消していく。
少しもしないうちに、足跡は見えなくなってしまった。
「きっと愛想をつかして出て行ってしまったんだ。」
空っぽになった干し肉の袋を手で遊びながら、窓の外を眺めても、毛玉は帰ってこなかった。
「きっと金持ちの家に行って、今頃食べきれないような肉の塊をもらって、飛び跳ねているんだ。」
暖炉の火が揺れるたびに、ドアの外を見に行った。
「ドアが閉まっていたら、あいつ入れなくて凍えてしまうもんな。」
ずっと、ずっと長い時間がたった。僕は誰も居ないドアの向こうをじっと見つめていた。
なんども身支度をして、ドアを開けたんだ。でも小さな僕は、非力なもので、風に押されて一歩も前に進むことができない。段々と風が強くなり、いつの間にか外は白いベールで覆われたような吹雪になった。いつもより早く訪れた夜。ごおおおおお。冬の魔物のうなうような咆哮が、僕を笑うように鳴り響いていた。
自分一人が生きていくのにも背一杯だった。そんな僕が小さく震える毛玉を拾ってきて、世話をしてやれるなど、傲慢だったのかもしれない。荷物を放り投げて、冬の蓄えを失って、それでも毛玉を救えなかった僕。惨めで、もどかしくて、寂しい。
「そうだ。僕は寂しかったんだ。」
乾いた笑いがこぼれた。守ってやろうとか、そういうことではなかったんだ。僕は自分より弱い、「毛玉」を拾って世話をして、僕がいなければ生きていけないようにして、閉じ込めておきたかったんだ。僕の元から離れないように。
でも、毛玉は僕の元を去って行った。
寂しかったから、その埋め合わせに、毛玉を連れて帰ってくるなんて、滑稽。
本当に欲しかったのは、友達だったんだ。
狼の遠吠えが聞こえる。夜も更けてきた。雪が止んだら、街に工具を買いに行こう。薪がなくなったらそれこそ生死に関わる。
その夜は不思議な夢を見た。真っ白い雪の上に並ぶ、その雪よりもさらに白い狼の群。不思議と怖くなかった。なぜか彼らが笑っている、そう思ったんだ。一頭の狼が僕の鼻先に触れて挨拶をする。その様子を見届けて、お辞儀をするようにして、僕の元を去っていく狼たち。くすぐったくて、暖かかった。
三日後、あんなに降っていた雪は止んでいた。
しっかりと上着を着込んで、ドアを開く。幻想的な朝日に照らされて、凍った空気がキラキラと漂っていた。今日はいい天気になりそうだ。日が登りきる前に荷物を探さないと、雪崩に巻き込まれてしまう。そう思って一歩を踏み出した時だった。
もふん。
僕の足に蹴り出されたのは、あの毛玉だった。
毛玉のくりっとした目玉がこちらを見つめている。じっと見つめていたのに、段々ぼやけて見えなくなった。探していたんだ、どこに行ったのか、元気なのか、凍えていないだろうか、もう会えないのかと思った。
僕はしゃがみこむと毛玉を抱きしめていた。抱きしめるというよりは縋り付くという方が合っていたかもしれないし、鼻水も擦り付けていたと思う。それでも毛玉はふんふん鼻を鳴らし、抱きしめられていた。
毛玉は、ひとしきり抱きしめられていた後、僕の両腕から抜け出した。そうしないと夜までそのままだったかもしれない。
コロコロっと転がる毛玉は僕の、ズボンの裾にガブリとかじりつくと、街とは反対方向に引っ張っていく。
「なんだよ、なんだよ。どこに向かうっていうんだい、今日は街に降りていかないと、いけ、ないん、だってば。」
「こらっ、もうやめ、ろってば、もう!」
どこにそんな力があるのか、どうやっても振りほどけない力に、僕は早々に諦めてついていくことにした。
3分ほど歩いたところで、毛玉は止まった。そこには力なく首を投げ出した、一羽の山鳥がいた。大きな鳥の周りを弾んで見せる毛玉は、喜んでいるようだった。
「まさか、この山鳥、お前が捕ったのか?」
毛玉はそこで、わふん!と返事をした。自分の体より大きな山鳥を捕まえたというんだ。
毛玉は、立派に一人で生きていくことのできる、森の住人だったのだ。
視線を感じて山を仰ぎ見るとそこには、ふわっと大きな純白の狼が見守っていた。
「この鳥、もらっていいのか。」
毛玉はもふんと僕の足の周りを一周した。鶴の恩返しという話は聞いたことがあるが、どうもうな、狼の恩返しとは、驚いたもんだ。
「仲間が居たんだな。」
狼は美しい毛並みに日の光をはじき返すと、僕らの前から姿を消した。
毛玉と僕は、黙って見送った。山鳥を片手に、家へ戻る僕の後ろをさも当然というように、毛玉はついてくる。山鳥から血を抜いて、捌く僕の手元をじいっと見ている。暖炉に火をかけ、食事の用意をする、僕の後ろで、当然のようにお行儀よく座っている。
スープを飲む僕の横で、毛玉は肉を食べている。
「山に帰らなくていいの?」
僕は毛玉を見つめて尋ねた。毛玉も目を離さなかった。
「友達になってくれないかい?」
僕は、おそるおそる聞きました。毛玉は、わふん!と返事をしました。
その日から、僕と毛玉は唯一無二の友達となったのです。
これが、僕と毛玉が友達になったお話です。
それからは、山へ行くのにも、街に行くのにもひと時も離れず、ついてきました。度々、獲物を仕留めては僕に運ぶようせがむ彼は、生涯、僕と過ごすことを選びました。彼が僕を選んでくれて本当に良かったなと思います。もしそうでなければ僕はあの時、食い殺されて居たでしょうから。
その後、泥だらけになって帰ってきて家中を汚したり、大怪我をして慌てた僕が人間の医者に連れて行って医者を困らせたり、突然美人な黒いお嫁さんを連れてきて白黒グレーな家族が増えたり、なんてこともありましたが、それはまた別のお話で。
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