空を見上げてごらん
だから寂しくなったら空を見上げてごらん。
いつでも優しく見守ってくれているから。
そう言って父は優しく私の頭を撫でてくれた。
だけど、その父も今はいない。
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「懐かしい夢を見たな……」
落ち着いた色で部屋を彩っているカーテンの隙間から朝陽がこぼれている。どこからか鳥の囀りも聞こえてくる気持ちのいい朝だった。
ゆっくりとベッドから起き上がるとひとつ伸びをした。そっと降ろした足が床に触れるとひんやりとした冷たさを感じ、身震いした。
薄暗い室内に光が入るようカーテンを開けると、窓から冷気が漂ってきてさらに寒い。はぁっと零した息が白く染まり、窓の透明度を奪う。
季節はすっかり暖かさを失い、外の景色はしんしんとした静謐さを湛えている。この様子では、今夜あたりから吹雪いてくるかもしれない。その前に早く冬支度の最終確認を終わらせないといけない。
幼いころから住んでいるので慣れたものだが、このトリスの森では冬季は一週間ほど吹雪くときが何度かある。一度吹雪いてしまえば止むのは一週間後。そこから数日晴れる日はあるが、またすぐに吹雪がやってくる。それを何回か繰り返すうちに冬は終わり、暖かな春が訪れる。
天気が荒れてしまえば外で作業することはできなくなってしまうので、家に篭る準備は今のうちに整えておかなければならない。幸い今日一日は天気がもつだろうから、今のうちに片づけてしまおう。
この家の周りに住んでいるのは自分だけなので、誰かに助けてもらうことはできない。数年前までは父と一緒にしていた冬支度も、今では一人でできるようになった。
朝からの予定をぼんやりと考えていると窓に映る女性の姿に気付いた。
ヘーゼルナッツのような柔らかくふわふわした髪は、寝起きのせいなのか所々ぴょんっと飛び跳ねている。まだ眠そうな瞳は透き通ったエメラルドのようだが、瞼が時々重たそうに閉じてはその輝きを隠してしまう。外に出ることが多いはずの肌は日焼けしらずの白さだ。白いといっても不健康そうなものではないことを、うっすらと色づいた頬が証明していた。小さめな顔にちょこんと乗ったさくらんぼ色の唇が愛らしい。
色味だけ見ればあの整いすぎた印象を与える父と似たようなものなのに、本人の雰囲気のせいか、どこか親しみやすい可愛らしい印象になっていた。もっとも、他人と話したことなんて、ここ数年はほとんどない少女、いや、今は花開く美しさを秘めた女性は、自分の容姿を気にすることはあまりなかった。
ふわりと風を巻き起こすと日の光に透けた髪が躍った。寝癖が付いてしまった場所を意識しながらくるくると風を操ると、跳ねていたところがなかったかのようにすとんと、まとまった。
「さ、今日も一日頑張りましょう」
窓に映った自分に、にこっと笑いかけた。その後、くるりと体をひねり、頭の中で組み立てた今日の予定をさっそく片づけるべく、リジーは部屋を後にした。
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コトコトと湯気を立てるシチューからおいしそうな香りが部屋中に広がって、幸せな気持ちになる。焦げ付かないようにクルクルと中身をかき回せば、大きめに切った具材も一緒に揺れて、まるで早く食べてほしいと言わんばかりに食欲を刺激した。
たくさん動いたせいか、いつもより疲れた体は正直で、自分のお腹からくぅと可愛らしい鳴き声が聞こえた。
今日は思っていたよりも作業が進み、無事に冬支度が整った。
パチパチと音を奏でる暖炉には、暖かい炎がゆらゆらと揺れている。薪の用意も十分したので、遠慮せず火を使うこともできる。
暖かい空気に包まれていると刺すような寒さもだいぶ和らぎ、外とは違って暖かな温もりがあった。
自分へのご褒美も込めてよそったシチューの上にたっぷりのチーズをかけ、いつもより少し豪勢な食事にありつこうと席に座った瞬間、チカッと視界の端が青白く光り、続いてバンッと爆発音が森にこだました。
一瞬の閃光。
そして、轟音。
慌てて窓の外に目を向けるも、ガラスがびりびりと震えるだけで怪しい影は見当たらない。
静かな冬の森に響いた突然の轟音に、動物たちが驚いたのか、どこかから遠吠えが聞こえる。
何が起こったかわからないが、もし山火事などにつながるならリジーがこのままこの家に居続けるのも危ない。早急に逃げなければいけなくなる。
とりあえず外の様子を見に行こうと、いつも森に入る格好を慌てて身に着ける。丈夫な皮で作った手袋を両手にしっかりとはめ、父のおさがりでもある寒さ対策のマフラーをぐるぐると巻き、すっぽりと体を覆うような黒いローブで身を包み込む。編み上げの冬用ブーツはそのままだったので、取り急ぎ夜の森に飛び出した。