星をもらった日
「どうして私にはお母さんがいないの?」
まだ幼いころ父親に聞いたことがある。
その日は冬の澄んだ空気が漂い始めた頃で、今なら星がよく見えるだろうという父に連れられて、夜の散歩をしていた。さくさくと枯葉を踏みしめている足音が重なり、吐き出す息は白い。
息が白くなるのが面白くて何度も吸ったり吐いたりして遊んでみる。ぴゅうぴゅうと吹く風が顔にぶつかり熱を奪っていく。たくさん着込んだ分動きずらくてもごもごと腕を動かしてみる。やっぱり動きにくい。普段は森を駆けまわることも多いが、この格好では走り回るのに邪魔そうだ。
静かな森の中でほうほうと梟の鳴き声が聞こえてくる。どこかにいるのかときょろきょろ辺りを見渡したが、残念ながら姿は見えない。今度はガサガサと音を立てる草むらが気になりそちらに目が行く。
余所見をしているのがわかったのか、父が危ないよと咎めるように握っていた私の手を強く引く。
父と繋いでいる手のひらからじんわりと熱が伝わり、その熱を辿るようにそっと父の顔を伺った。父は一度軽く息を吐き、それからぎゅっと唇を結んだ。
美しい横顔だった。
自分の父親に持つ感想としてはおかしいかもしれないが、幼い私は父より美しい人を見たことがなかった。
柔らかなダークウッドの髪が項のあたりで切りそろえられ揺れていた。じっと前を見据える瞳は春を切り取ったような若葉の色。一見すると鋭く見える目元は、下がり気味の眉のおかげで柔らかい印象を与えている。すっと通った鼻筋も、薄い唇も、すべてのパーツが計算されて作られたように、完璧な位置に置かれていた。
神様に創られたような圧倒的な造形美。すらっとした細身の体つきだが、私が抱き着いたくらいではびくともしない。抱き上げてもらったときでさえ、リジーは羽が生えてるみたいに軽いねと言いながら、くるくると回ってみせた。それが私は大好きでよく父にせがんではしてもらっていた。
まるで人形のような美しさを持つこの父が、ただ私を、「リジー」と呼ぶときに花がほころぶように微笑むことを私は知っていた。
だけど、この日の父はどこか上の空で考え込むことが多く、感情をあらわさないその表情が余計に彼を人ならざる者に近づけていた。
だからだろうか。今まで疑問に思っていたけれど聞けないでいた質問をついにしてしまった。いつもしないことをしてしまったのはこの冬の寂しさのせいもあるのだろうか。父の横顔を見て歩いていた私はぽろっと冒頭の言葉をもらしていた。
私の問いかけに父は足をぴたりと止めた。それに合わせるように私の足も動くのを止めた。
二人分の足音がなくなり、森がさらに静けさを増した。さっきまでは気にならなかった森の静かさが、途端に気になる。落ち着かない心持でじっと足元を見つめた。
ああ、怒られてしまうのか。
私が無意識に手に力を込めると、父はそれよりも強い力でぎゅっと握り返してきた。
「リジー、君のお母さんはもうここにはいない。賢い君には今まで寂しい思いを我慢させてきたかもしれない。でも、あれを見てごらん」
父が自由になっている右腕を空に向かって伸ばした。
その指先を追いかけるように目線を向けると、そこには冬の夜空を彩るように、満点の星空が広がっていた。砂粒のように小さな光から、白く力強く輝く星もある。まるで誰かが夜空というキャンバスに宝石をばらまいたかのような美しさが眼前で披露されていた。
視界いっぱいに広がるきらきらした星が、今にも二人の上に降り注いできそうな自然の荘厳さ。
夜空に輝く星とは、こんなにも綺麗なものだったのか。
すごい、と声に出して言ったはずが、ただの白い息となって冬の空気と溶けていく。私は遥か遠くに広がる光の洪水にただただ見惚れていた。
「君のお母さんは星になったんだ。」
「星に?でもこんなにあったらどれがお母さんかわからないわ」
「そうだね。この中の星のどれか一つかもしれないし、そのどれでもないかもしれない。」
父に言われたことを理解しようと私はじっと空を見上げていた。
光り輝く星々は美しく、夜の闇の中立ち止まった親子を優しく照らしていた。
今まで夜は、まるで暗闇に飲み込まれそうで怖かった。
夜になるといつもの風景も恐ろしく感じてしまい、どうしても眠れないときがあった。そんなときは、そっと父のベッドに忍び込んで、「眠れないのかい、リジー」と、優しく私を抱きしめてくれる腕にぎゅっと抱き着いた。優しいぬくもりに包まれて、恐ろしい夜が過ぎるのを待つだけだった。
これまで怖いと思っていた夜が、母に会える特別な時間に変わった瞬間だった。
「今は遠い場所にいるけれど、お母さんはリジーのことを愛していた。ただそばにいないからといってリジーのことを心配していないわけではないよ。」
「そして、リジーに」
「あの一番輝いている星をリジーにあげる」