第3話 「ひび割れ」
「ひっ‥‥いやっ」
頭に置かれた手を振り払い、身体を抱きしめた。
あっちこっちを触っても、どこも傷ついて居ない。
血に濡れていることもなく、私だった肉片が散らばっていることもなく。
「つまりそういうことだ。見かねた私がお前に選択肢を与えてやるということになった。」
「はぁはぁ‥‥選択‥‥?」
一体何を与えるというのだろうか、リアルだったあの瞬間を思い出すだけで身体が震えてしまう。
普通に生きていれば、経験することのないだろう事故の一瞬。
鮮明に思い出せるワンシーン、吹き飛ばされ、死の間際まで聞こえていた音。
「うっ‥‥」
柔らかい果物を地面に落としてしまった時に聞いた事があるだろうその音。
自分の身体から発せられる似た音は不快で、受け入れられるようなものではなかった。
「刺激が強すぎたか、どちらにしろ信じてもらえたか?」
「‥‥は、はい。」
こちらの状況など知らないと言わんばかりに、話を続ける得体の知れない人物。
「お前に与える選択肢は2つ、このまま死ぬか、私の管理する世界に転移するか。このどちらかだ。」
「‥‥このままだと、死ぬしかないんですか?」
「そうだ。何をどう足掻いたところで死ぬしかない。死後の事など教えた所で仕方が無いが一応教えてやろう、お前だった物は記憶として残るが、お前だった物は消滅する。それだけだ。」
無慈悲、残酷、冷酷、このどれも当てはまるだろう声色は、私にこれ以上の言葉を喋らせない理由になりえた。
「選択肢なんて言って、余地なんてどこにもないんですね‥‥」
「お前がどの選択をしようが変えられないものはある。お前だけが特別なのではない、不幸、この言葉に該当する者はみな共通の選択肢を与えられる。」
「こんなの理不尽ですよ。」
「人間は常に理不尽と戦う者ではないのか?」
世の中にはどうにもならない不条理というものがある、抗えないものも受け入れるしかなかった。
今のこの状況も、そうなのだろう。
「理不尽」というやつなのだ。
「‥‥転移させてください。私は死にたくありません。」
「よかろう。」
「その前に‥‥1つ質問させてください。」
このまま死ぬくらいなら、大概の人間なら嘘かホントか分からないが生きられる方を選ぶに決まってる。
仮に転移したとして、そこはどういう世界なのか、情報を集めておく必要がある。
「あなたの管理する世界とは、どういった世界なんですか?」
「地球との文明とはまるで違う所だ。どの世界でも同じだが人は死ぬ。違う所と言えば、超常現象‥‥いわゆる超能力、魔法というものがある。」
「‥‥幻想的ですね。」
「地球人のお前には想像上だけの存在ではあるだろう、だが、実在するし、その眼で確かめるといい。」
視界がブレていく、しっかりと見て居るはずのなのにズレていく。
「他にもお前と同じ人間がいるだろう、その者達には私から祝福を与えている。お前にも贈ろう。」
「‥‥!? 他にも日本人が!?」
私以外にも、不幸か幸いか先を行く人達がいる。
私だけではないということが何よりも驚き、知りたくなった。
「出会えるかどうかはお前次第だ。」
ズレていく視界の風景は、割れた鏡のようにひび割れていく。
パキッ、パキッ、亀裂は徐々に大きなものへと変わっていく。
「人間と話したのは久しぶりでな、お前達の言葉を借りるなら、楽しかった。退屈しなかったぞ。」
「待って!! まだ!!」
捉えていたはずの人物の顔にもひび割れが伸びていく。
もう顔も分からない程に亀裂が入っていた。
「それにしてもお前はお喋りな娘だ。読心するのも面白かったぞ。」
「私は面白くなんかっ‥‥まだ話は終わってなんかいなっ!!」
「お前に授ける物は少し多目にしてやろう。唯、簡単に死なぬようにな。」
鏡のようなひび割れは、急速に勢いを増して視界中に広がる。私という存在は、この時に、完全に砕けた。