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『誰か』といる夜に

作者: 犬丸 歩

ボクは一人布団にくるまりながら『誰か』の声を聞く。『誰か』の声はどこから聞こえるのかと言えば、ボクの持っているラジオからだ。ラジオからは優しそうな『誰か』二人の話が聞こえてくる。ボクはそれから逃げるように、布団にくるまっている。なぜ逃げているのかはわからない。好きで聞いているはずなのに、なぜかボクは悲しくなってしまう。

 誰かのうちの一人が最近あった話をする。もう片方がその話を茶化しながらも話をひろげていく。もうひとりが楽しそうにつっこんでいく……逃げていたはずのボクもいつの間にか声を出して笑っている。おもしろくて笑っているはずなのに寂しいのはなぜだろう。

「ラジオネーム:今日の夕飯は便所飯さん」

ラジオからボクの名前が呼ばれる。もちろん、「今日の夕飯は便所飯」なんて名前は本名じゃない。でも『誰か』のラジオではそれが本当のように話されていく。ゲド戦記の世界では誰もが本当の名前を隠しているように、ラジオの夜だってそうなんだ。自分の名前を呼ばれるのは随分とひさしぶりのような気がする。そんな村上春樹のようなことを考える前に、ボクは大きい犬のように吠えてしまっていた。威嚇するような吠え方ではなく遠吠えのような叫び。大きな声だけど、包まっている布団に消されて誰にも聞こえない。ボクの叫び声も聞かれない。それでもボクの「今日の夕飯は便所飯」という名前は誰かに聞かれている。もしかしたらボクの話に誰かが笑っているのかもしれないし、共感してくれるのかもしれない。それってもしかたらこの『誰か』を通してつながっているのかなと思ってしまう。

「ラジオネーム:皮かむり亭カタツムリノ介」

 また、意識がこっちに戻り『誰か』の声が聞こえてくる。馬鹿馬鹿しい名前の人ともつながっているとしたら、ちょっと嫌だな。なんて思いながらも、皮かむり亭カタツムリノ介さんのメールで声を出して笑ってしまう。悲しかったことなんか、いやだったことなんか忘れてボクは笑う。この『誰か』のラジオを聞いている時間がずっと続いたらいいのにな……と思いながら僕は目を瞑る。このうれしい時間がずっと続きますように、そう願いながら。


 今日もいつものように楽しそうな声からは逃げてしまう。楽しそうな声は『誰か』昨日の二人の声じゃない、『誰か』の声は優しそうな声じゃない。その嫌いな『誰か』の声を掻き消すようにボクは耳をふさぐ。ラジオから流れてくる『誰か』の声で『誰か』の声を聴こえないようにする。昨日、呼ばれたボクの名前のところを何度もリピートする。何度もボクの名前のところで心は跳びはねるように踊り出す。うれしいのだ、顔の筋肉が緩んでしまう。それを隠すように、ボクは自分の机に顔を伏せる。何度も何度もボクの話を繰り返す。夜のことが現実だと理解するように……昼の今が現実じゃないと理解させるように。誰かがボクの肩を叩く。夢から目覚めてしまったボクはその人の顔を見る。その人の口元は動いている。ボクは『誰か』の声が邪魔で何を言っているのか分からない。でもその人は嫌な顔をせずにボクに何度も話してくれる。ボクはイヤホンを外し、その人の優しい声を聞く。


 「何、聞いてるの?」


 帰り道、ボクは自転車に乗りながら叫ぶ。その叫びはうまくしゃべれなかったと言う悲しい叫び、誰かではないあの人から話しかけてもらったと言ううれしい叫び、何で叫んでいるボクにすらわからない。ボクは頭の中であの人との会話を繰り返す。ラジオのように何度もリピートすることはできない。リピートしたくても機械ではないから思い出すしかない。頭の中で反省する、もしここであんな会話ができていればと、もしこんなことを聞けえていればと。想像する、もし違う話が出来ていればあの人はどんな返事をしていたのだろうかと……。そんなことを思い描いていると本当に話していたのかさえ不安になっていく。もしかしたら今日あったことは全てボクの妄想じゃないのかと。そんなことを思いながら僕は自転車のギアをあげる。


 ボクは一人布団にくるまりながら『誰か』の声を聞く。『誰か』二人はいつものように楽しくしゃべっている。ボクはと言えば、まだ昼間の声が忘れられない。昼間の声の主の表情を思い出してみる……思い出せない。確かに話したはずなのになんで思い出せないんだろう。それでも、ボクはまだ心臓が高ぶっている。

「へぇー、ラジオ聞くんだ? 誰かのラジオ? 」

「いや、それどういう意味なんすか! 」

『誰か』の声といっしょにあの人の声が聞こえる。電波のようにあの人の少し高い声と『誰か』の優しい声が混ざってしまう。あの人はこんなに綺麗だったっけ、あの人はこんなにやさしい声をしていたんだっけ。ボクは何って答えたのだろう? あの人は何って返事をしたのだろう? 今思い出していることは妄想だったのか、本当だったのか心配になっていく。もう一度、鮮明に思い出そうとするたびに薄れていく。それは消しゴムを何度も繰り返しつかっていくように使いづらくなっていく。

「ラジオネーム:今日の夕飯は便所飯さん」

今日のボクは名前を呼ばれても吠えはしない。ボクはあの人の顔が見たくて中学の時の卒業アルバムを段ボールから引っ張り出してしまう。ラジオで読まれたこともうれしくて明日になったらもう一度、聞こうなんて思いながらアルバムをめくる。アルバムにはボクの想像よりも少し不細工なあの人。写真うつりが悪いのか、ただ単に顔が悪いのかどっちだったんだろう。でも、ミントを食べたように鼻からスッと思い出す。ボクがあの人と話したのはたしかなんだと。

「いや、聞いたことある声が聞こえてきたからさ」

「あぁ…」

「ってかいいよね、『誰か』」

「うん、いいよね」

 たいした会話じゃないけれど、思い返してみればボクは会話ができなったけど。

悲しい気持ちと嬉しい気持ちが交差する。うれしいって感情があの人に話しかけられたことがうれしいのか、同じ『誰か』の声を聞いていることがわかったのかわからない。でもうれしいことには間違いない。


「……ムリノ介 改め 剥きだし亭ナメクジノ介さん 『誰か』のラジオなんて頭の沸いているラジオ、聞いてる頭が沸いている人が私以外いたんです。もしかしたその人はお二人が雇った何かですか?もしかして産業スパイですか 」

「何かって何やねん。産業スパイってなんやねん」


ボクは『誰か』のメールと『誰か』の声に気づきながらも目を閉じる。このうれしい時間がずっと続きますように、そう願いながら。


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