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魔術戦艦  作者: 境康隆
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六、双子艦

六、双子艦


 〈グロズーヌイ〉に取り付いた兵に、味方の使い魔が襲い掛かった。

「くそっ! あれも虚ってことか!」

 アレクセイは第四アームの先端に今まさに取り付こうとしている、味方の宇宙服を着た兵を睨み付ける。

 先頭を漂っていた兵が、第四アームに辿り着くと、そのまま爆発した。

 水晶はまだ無事なようだ。艦内のセンサーと、モニターの中で光るその輝きに、アレクセイは束の間の安堵を得る。

 だがまだ二人が続いていた。

 先程身を翻した味方の使い魔が一匹、漂う虚を貫いた。

 ピンクの蛍光色と血の色の二色のまだらな模様をしたウミヘビが、槍のように身を尖らせて虚の一人を串刺しにする。

 串刺しにした勢いを利用してその虚を投げ捨てると、使い魔はもう一度第四アームに向けて身を翻した。

 最後の虚は今まさに水晶に取り付かんとしている。

 ウミヘビの使い魔は虚と思しきその兵に、再度その身を突き刺そうとした。

 その瞬間――

 〈ヴラド・サード〉の左舷第三大型砲から、電撃の魔法が放たれた。

 電撃の魔法はウミヘビを一瞬で吹き飛ばす。

「〈ヴラド・サード〉からだと? 同士討ち? いや、虚か!」

 アレクセイは即座に状況を悟る。この瞬間を狙っていた虚がいた。ゲオルゲの命令が間に合わなかった虚がいたのだろう。

 難を逃れた方の虚は第四アームに取り付くと、何の未練もないかのように閃光を放って消えた。

 そして第四アームの水晶から、淡い光がこちらも消える。

「第四アーム…… 損傷……」

 士官が報告する。

 それは戦艦クラスの艦を守る、その(すべ)が失われたことを意味していた。

「くそったれ……」

 士官の報告に、アレクセイは歯ぎしりとともに吐き捨てた。


 第十七艦隊の艦内で、虚狩りが行われた。

 艦内の圧力が下がり、その身を膨れ上がらせた虚の多くは、周りの機器類を巻き込んでの自爆を選んだ。

 だがその身を膨れ上がらせながらも、反撃に出る虚もいた。

 〈ヴラド・サード〉の左舷第三大型砲で、味方の使い魔を撃ち落とした虚は、周りを取り囲んだ兵にあらん限りの魔力を放つ。

 袖口から膨れ上がった左手を向け、同じく襟から膨れ上がった首を周囲に向ける。

 人間としてのメリハリをなくしたそれは、滑稽でそれでいて不気味だった。

 虚の不意打ちを耐えた兵は、各々が魔力を放って反撃する。

 虚の多くはそこにいたことすら疑いたくなるような、布と皮膚だけを残してその存在が消えた。

 艦内の虚がほぼ掃討された報を受け取ると、ゲオルゲはモニターの向こうからアレクセイに向き直る。

「すまない…… アレクセイ……」

「こればっかりはな。おめえのせいじゃねえよ」

 アレクセイは〈グロズーヌイ〉の光を失った第四アームを見て応える。

 そしてこれ程何度もこの同僚が謝るのも珍しい。そうも思いながら、アレクセイは次に頭を切り替える。

 護衛艦が五芒星を失った二隻の戦艦に前に回り込む。通常の魔法攻撃に対しては、その防御能力をいかんなく発揮する護衛艦といえども、核攻撃に対しては心もとない。

 だが悩む間もなく、敵の重撃艦が一隻、そのメインエンジンに火を入れた。最大出力と思しき勢いで、こちらに向かってくる。

「くるぞ! ゲオルゲ! 第一陣様だ!」

「く…… 各艦主砲は防御のまま、個別の判断で、迫りくる重撃艦に大型砲で対処せよ!」

 ゲオルゲは全艦隊に命令を下す。

「おう! 野郎ども、聞こえたな! 特攻攻撃なんて、割に合わねえってことを教えてやれ!」

 アレクセイが檄を飛ばす。

 迫りくる敵艦に、帝国軍第十七艦隊の各艦の大型砲が狙いを付け、そして唸り始めた。


「コジロウ! どうするつもり?」

 〈ヴラド・サード〉の格納庫に着艦した連絡艇から降りながら、リリアがコジロウに振り返る。無意識にコジロウと呼んだが、本人は特にそのことに気が付かなかった。それ程自然と口に出ていた。

「そうだな……」

 コジロウは連絡艇の着艦までに見た光景を思い出す。両戦艦とも主砲用の水晶を破壊されていた。この戦場では、応急の処置すらままならないのは明らかだった。

「五芒星の水晶は、五つの頂点に魔力の送られた水晶があれば成り立つ。そうだよな?」

 コジロウは己の左の手袋をチラリと見る。一度は他の水晶で、代用しようとした手袋の五芒星だ。

「そうよ」

「要はきちんと必要なところに配置して、五芒星の形にして、同時に魔力を送ればいい訳だ」

 コジロウはリリアが正確に五角形の位置に、水晶を縫い付けてくれたことを思い出す。

「そうだけど」

 コジロウとリリアは虚の説明を求められ、艦橋へと招集された。格納庫を足早に駆け抜けながら、二人は虚よりも今の状況を確認し合う。

「〈ヴラド・サード〉と〈グロズーヌイ〉は姉妹艦――いやほとんど双子艦と言える程の、瓜二つの艦だ。規格そのものが、全く同じ艦だ」

「?」

「お互いの主砲の全長、展開幅、水晶の大きさ、その限界魔力――それらを最も知っている艦同士だ」

「そうね……」

「もっと言えば、お互いのことを、最も知っている艦長同士でもある」

「それは多分、本人同士が――」

 爆音が近くでし、艦が激しく揺れた。

 リリアは思わずよろけてしまい、コジロウに身を寄せる。

「気持ち悪がって否定するでしょうね。でも、何? まさか……」

「そう、そのまさか。先ずは艦長に進言しよう」

 リリアの肩を抱きながら、コジロウは会心の笑みを浮かべた。

 そして格納庫の出口付近に設置された通信機を取り上げると、コジロウは艦橋に己の考えを上申した。


「個別の判断でよろしいのですね? ミリャ中将」

 ゲオルゲのモニターに軽連撃艦〈梁紅玉〉から、確認の通信が入った。

「ああ、劉艦長。どうした?」

「第一陣を落とす落とさないは、相手側の士気にかかわります。ここは確実に」

 〈梁紅玉〉の 劉玉鳳(りゅうぎょくほう)大佐は、その切れ長の目を妖しげに光らせて、特攻を仕掛ける敵艦をねめつけた。

 齢四十を超え、三児の母でありながら、それをまるで感じさせない玉鳳は、舌なめずりをしながら〈梁紅玉〉の主砲を絞り気味に展開させた。

「疑似生命魔法! 劉艦長! 何を?」

 ゲオルゲは〈梁紅玉〉の主砲の光を見て驚く。才能ある艦長とはいえ、この状況で主砲規模の使い魔を使うとする意図が、とっさに理解できない。

「行って参ります」

 玉鳳は明るく言うと、艦に発進の命を下した。

 驚くゲオルゲを尻目に、軽連撃艦〈梁紅玉〉はメインエンジンを全開にして前に突き進む。

「全速力で近付きなさい。〈梁紅玉〉のおみ足――皆様にお見せするのよ」

 玉鳳は涼しい顔をして軽連撃艦〈梁紅玉〉を、核ミサイルと化した敵重撃艦に向かわせた。

 敵の第一陣は一隻だけのようだ。先ずはけん制の為に放たれたのか、それとも用意が整い次第闇雲に特攻を仕掛けてくるつもりか、それは分からない。

 だが先頭を切るのは、いずれにせよ勇気がいるものだ。ましてや二度と戻れぬ特攻攻撃だ。敵艦の士気は高いだろう。だからこそ、これを成功させる訳にはいかない。

 玉鳳はそう考える。そして相手が命懸けなら、こちらも死に物狂いにならなければならない。そうとも考える。

 〈梁紅玉〉は同型艦〈シャクシャイン〉と並ぶ第十七艦隊最速の速力で、迫りくる特攻艦に向かって行く。

「〈シャクシャイン〉にばかり見せ場を持って行かれては、同じ性能の艦として肩身が狭いわ」

「はっ!」

 玉鳳が脇に控えた副官に同意を求めると、若い士官が迷いのないような鋭い返答をした。

「苦労をかけるわね、あなた」

「気にしてないよ、玉鳳」

 一瞬だけ上官と部下から夫婦に戻って会話をした二人は、クスッと笑って同時に前を向く。

 〈梁紅玉〉は主砲を展開したまま、敵の重撃艦に突き進んだ。

 敵も避ける気はないようだ。進路を変えようともしない。もはや互いにぶつけ合うように、突き進んでいる。

 〈梁紅玉〉の五芒星が一際強く輝いた。その瞬間〈梁紅玉〉と敵重撃艦が交差した。

 そして巨大な閃光が上がる。

「核か!」

 アレクセイが叫ぶ。

「いや、核にしては小さい。普通の――おそらく機関部の爆発だ。アレクセイ」

「そうか…… それにしても…… 核に突っ込んで行くなんて……」

 アレクセイが目を細めて閃光が収まるを待つ。

 〈梁紅玉〉は艦隊を守る為に、敵の特攻艦と我が身を挺して刺し違えた――

 あまりの閃光の大きさに、アレクセイがそう思っていると、その閃光の向こうに回頭を始めた〈梁紅玉〉の艦影が見えた。

 方々がくすぶっているが、制御不能という訳ではなさそうだ。あのまま回頭を続けて、こちらに戻ってくるつもりだろう。

 そしてその横には白銀の女鹿が、四散する敵艦の破片の中で身を躍らせている。

「劉艦長の使い魔だな…… 生きているのが、心憎いな」

 アレクセイは〈梁紅玉〉とその艦長の使い魔に目を細めた。

「全くだ。だが、何度もああは、上手く行かんぞ」

 ゲオルゲがモニターの向こうのアレクセイに応える。

 その〈ヴラド・サード〉の艦橋に、格納庫から通信が届けられた。


「貴君がコジロウ・駿河曹長か?」

 艦橋への上申を終えると、コジロウはリリアとともに格納庫を後にした。

 格納庫を出て艦橋へと廊下を急ぐと、そう言ってコジロウ達の正面に立ち塞がる将校がいた。正確には将校と、その部下と思しき二名の、都合三名だ。

「はっ!」

 コジロウは反射的に立ち止まり、同じく立ち止まったリリアとともに敬礼をする。

「……」

 将校は値踏みでもするかのように、コジロウを下から上へねめつける。

 階級章を見るに中佐だ。そして只の中佐ではない。情報局に所属することを表す、黒地に濃い赤色の三本棒が入った腕章を腕に付けている。

 あの腕章を巻くと、五階級ぐらい態度が大きくなると、兵士の間ではまことしやかに囁かれている。相手にしたい輩ではない。

 ましてや今は戦闘中だ。更に言えばコジロウの進言で、今や艦橋は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっているはずだ。

 できればこのまま名前の確認だけで、放免してもらいたい。コジロウは全く期待はしていないが、内心でそう思ってしまう。

 だが何よりこの情報将校は、コジロウをその名で呼び止めている。

 厄介なことになっているのだろう。

 コジロウもリリアも瞬時に悟る。

 そしてそれよりも何よりも、この中佐の後ろに立つ、二人の部下に目が行ってしまう。

「中佐殿――」

「アントニオ・フェルナンデス・カルロス・タナカ中佐だ。駿河曹長、今は私が話している」

 自分から黙り込んだはずのタナカ中佐は、そう言って何か言い掛けたコジロウを遮る。

「はっ!」

 コジロウはタナカと名乗った将校に返事をしながら、やはり後ろの部下から目が離せない。チラリと横を見れば、リリアも油断なく後方に注意を向けているようだ。

「随分と待たせてもらったよ。貴君には聞きたいことが山ほどあるんでね。特に――金色の使い魔についてね」

「はっ!」

 コジロウは今の事態を計り損ねる。

 情報将校の自信に満ち溢れた目。戦闘中だと言うのに、尋問でも始めようかという態度。何より後ろに控えるあの部下――

 この将校は正気かと疑ってしまう。

「ですが、中佐殿。申し訳ありませんが……」

「口答えは一切許さん。我々ときてもらう」

「中佐殿。お言葉ですが我々は、ゲオルゲ・ミリャ艦長の下に、艦橋へと招集されています」

 リリアがコジロウに代わって応える。その間情報将校の背後の部下から、一切目を離さない。

「艦長には私から連絡しよう。代わりの者を立てるように、進言しておく」

「ですが……」

「どれだけ、私が待たされたと思っているのかね。偵察艇とは連絡がつかない。〈シャクシャイン〉とも音信不通。やっと君らが小型艇で帰還するのをモニターで見て、私は部屋を飛び出し、一目散に駆け付けたのだ」

「一目散でありますか?」

 コジロウが訊く。己の左手に、いつでも魔力を送れるように神経を集中する。

「そうだ」

「脇見も振らずでありますか?」

 コジロウがもう一度訊く。

 コジロウの魔力は、外からは分からないようにしながらも、万全の状態になって行く。

「そうだ」

 高圧的な態度の割には根が真面目なのか、随分と階級が下であるコジロウの質問に、律儀に情報将校は答える。

「後ろも振り向かずに――という訳ですね?」

 今度はリリアが訊いた。リリアも己の魔力を、そうと悟らせずに己の左手にチャージする。

「そうだ。後ろの部下と…… 後ろ? 何だ、さっきから? 何を後ろの方ばかり見ている?」

 情報将校はやっと二人の視線が、自分ではなくその背後の部下に向いていることに気付いた。

 情報将校は何気ない様子で振り返る。

 コジロウが左手を跳ね上げた。そうと見るや、リリアも左腕をスッと上げる。

 情報将校の二人の部下は、

「――ッ!」

 驚く中佐を尻目に、気圧の関係で膨れ上がった左手を、コジロウ達に突き付けていた。


「何! 気持ち悪いこと言うな!」

 雷中将アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフは、その通りの名のままに、雷のごとく怒鳴り散らす。

 まるで荒れ狂う雷雨の中にいるような錯覚を、近くにいてとばっちりを受けた士官は覚えた程だ。慣れてはいるが、思わず首をすくめてしまう。

「だが現時点で上げられた作戦の中では、現状に最も適したものでもある」

 コジロウからの提案を受け取ったゲオルゲは、その内容に一瞬だけ眉をひそめると即断した。

 ゲオルゲはその提案を受け入れた。あとはアレクセイを納得させるだけだ。

「駿河の提案なんだな?」

「ああ。相変わらずおかしな奴だ」

「損傷してるアームはどうすんだよ?」

「パージする」

「おいおい、簡単に言うなよ」

「先端部分だけだ」

「そうは言うがよ……」

「実際、決断すればことは簡単だ」

「ぐぐぐ……」

 アレクセイは破壊された戦艦〈グロズーヌイ〉の第四アームを、モニター越しに見上げる。やはり光を失っている。

 これでは主砲は撃てない。瞬間跳躍魔法もできない。もちろん障壁魔法もだ。

 土台ごと損傷している為、応急処置もままならない。

 このままでは捨て身の攻撃に出ている敵を打ち倒すことも、この場から逃げ出すこともかなわない。

 通常の航行で遠ざかろうにも、虚の自爆で出力系統がやられている。更に相手は追い付けなくとも、近場で爆発させればそれでいい。これでは逃げ切れない。

 この場を撤退する為には、瞬間跳躍魔法が欠かせない。

 瞬間跳躍魔法は元より時間を要する。小型艇に乗員を移し替えて他艦に脱出する為には、その決断をしなければならない刻限が、刻一刻と近付いている。

 そして二隻の戦艦は、最悪の場合自沈させるしかない。

 だが任務に失敗し、そして戦艦を二隻も沈める結果を受け入れるには、あまりに時間がなさ過ぎた。

 誇りの問題だ。だがパワーバランスの問題でもある。

 戦艦二隻を同時に失えば、別の星の領土的野心を呼び覚ましかねない。

「なるほど……」

 雷中将は僚艦をちらりと見る。戦艦〈ヴラド・サード〉の第二アームが光を失っていた。

 確かにこの双子艦なら、新米下士官の提案通りにことを運べるかもしれない――

「ええい! くそっ! 気持ち悪い! 二度とやらんぞ!」

 アレクセイはその言葉とともに、コジロウの提案を受け入れた。


 情報将校が廊下で後ろを振り向き、驚きのあまりのけぞった。

 そうと見るや、リリアはその足下に氷の魔法を放った。狙ったのは、その情報将校の足下だ。

「――ッ!」

 足下を襲った氷塊が、後ろを振り向きのけぞっている情報将校の膝裏に叩き付けられる。

 コジロウは先ずはと、障壁魔法を展開する。リリアの分も含め、自分達の前面に不可視の壁を張り巡らせた。

 コジロウ達から見て、左に立つ中尉の階級章を付けた虚が、炎の魔法を放つ。

 同じく右に立つ少尉の階級章を付けた虚は、圧縮空気の魔法を放った。

 狭い廊下の中で、二人の人間と、二体の虚の魔力が交錯する。

 情報将校はリリアの魔法で、膝を完全に払われていた。膝を軸にして、宙を浮くように背中から転ぶと、その上を虚の魔法がかすめていく。

「――ッ!」

 己の鼻先をかすめた魔力に、情報将校は驚きのあまり、やはり声を出すこともできない。

 虚の魔法はコジロウの障壁魔法に阻まれて霧散した。炎が煙と化し、解放された圧縮空気がその煙を更にまき散らす。

「――ッ!」

 情報将校は背中から床に落ちてしまう。背中全体で衝撃を受けてしまい、肺が悲鳴を上げる。やはり声を出すこともできない。

 中尉の虚は第一撃が避けられたと見るや、大股で前に出る。自身の魔法が霧散した煙で、前がよく見えないのだろう。

 息を詰まらせて仰向けに倒れている情報将校の脇を、その頬をかすめるように脚を踏みつけて、中尉の虚は駆け出す。

「ヒッ!」

 やっと声が出せた情報将校は、自分の元部下の中尉が氷の魔法で穴だらけになるのを、その瞬間に目撃する。

 血は噴き出さない。代わりにその身から吹き出る空気に負けて、滑稽な程身を捩りながら、元部下の中尉はしぼんで行く。

 その様子に慌てて立ち上がろうとした情報将校は、

「ウワッ!」

 己の頭上を襲ったコジロウの炎の魔法を、慌てて床に伏せてやり過ごした。

 コジロウの炎の魔法は、少尉の姿をした虚の障壁魔法で防がれてしまう。

 コジロウの攻撃が防がれたと見るや、リリアは機銃掃射を思い起こさせる連射で、氷のつぶてを敵に浴びせ掛けた。

 虚の障壁魔法は強固だった。リリアの氷の攻撃を、ことごとくその魔力で粉砕する。

「あわわ……」

 情報将校は巻き添えを食らうまいと、四つん這いになりながら床を漕ぐようにコジロウ達の方へと向かう。だが障壁魔法に弾かれ落ちた氷で、早くも凍り始めた床に、情報将校の手足は滑ってしまい、幾ばくも動けない。

「おのれ……」

 このままでは逃げられない。そう悟った情報将校は、己の誇りを取り戻す。その場で身を捩って、自らの魔法を叩き付けんと左手を跳ね上げた。

 少尉の姿をした虚に、一撃食らわせてやらんと、とっさに将校は魔力を高めて行く。

 立ち上がることができずに、腰を床に着いたそのままの姿勢で、左手を差し出しているこの情報将校は、その真剣さとは裏腹に、どこか命乞いをしているようにも見えた。

 だが本人は至って真面目に、若い曹長二人に力を貸すべく、己の魔力を放とうとする。

 中佐の左手の先に、魔法円が輝く。見た目で選んだコルテヴェーク―ド・フリース方程式が、本人の気合いにだけは反応して明るく輝く。その方程式が、孤立波と呼ばれるものを表す為のものである皮肉には、もちろんこの中佐はまるで気が付かない。

「くらえ――」

 その中佐が得意の――本人としてはそう思っている――圧縮空気の魔法を放とうとした。

 その時、情報将校の頭を何かがトンと叩く。まるで子猫のような小動物が、中佐の頭を踏み台にして宙を舞ったかのような感触だ。

「?」

 情報将校の頭を踏み台にし、障壁魔法を上から飛び越えたその小動物は、牙を剥いて少尉の虚に飛び掛かる。

 情報将校が確認したかった、まさにその金色の使い魔が、

「おお……」

 将校の感嘆の声を背に、少尉の虚の首筋に噛み付いていた。

 その使い魔は相手の喉笛を食い破る。

 虚は瞬く間に、その喉元から空気が抜けて行った。

「やはり金色の獅子! 〈耶律阿保機〉が放った使い魔は――これか!」

 情報将校は嬉々として振り返る。自身の情報収集能力の高さが裏付けられた瞬間だ。その喜びに思わず小躍りするかのように、タナカ中佐はコジロウ達に振り返る。

「コジロウ・駿河曹長! 私ときてもら――」

 意気軒昂とそこまで言い掛けた情報将校の眼前に、

「――ッ!」

 その顔程の大きさの氷塊が襲いくる。

「ぐ……」

 情報将校はその身をのけぞらして、後ろに倒れて行った。

「……誤射…… だよな……」

「ええ、誤射よ」

 遠慮がちに訊くコジロウに、リリアが澄ました声で答える。

 氷塊で気を失った情報将校を後にし、コジロウとリリアは一路艦橋に向かって駆け出した。


 コジロウとリリアは気を失ってしまった情報将校をその場に残し、二人で艦橋に急いだ。

 二人が〈ヴラド・サード〉の艦橋に現れると、ゲオルゲが直ちに近くに呼び寄せる。ゲオルゲは返礼もそこそこに、そして娘の様子をチラリとだけ見て切り出した。

「駿河曹長。我々は操舵及び、この前例にない五芒星の制御に、全神経を使わなくてはならない。また直接攻撃魔法では、敵内部へのいたずらな打撃により、返って相手の攻撃を早めかねない。よって、敵中枢への攻撃は疑似生命魔法で行う」

「はっ!」

 コジロウは胸を張って応える。

「微調整の期待できないこの魔法円は、艦の性能の限界点――すなわちアームの全開幅で描かれる。最大円かつこの特殊な魔法円の力を制御し、またこの遠距離を隔てて疑似生命魔法を行える者は、我が艦隊には一人もいない――」

「……」

「ま、公式には――だがな」

「はっ!」

「コジロウ・駿河曹長に命じる! 戦艦〈ヴラド・サード〉及び戦艦〈グロズーヌイ〉の二つの主砲が描き出す――」

 ゲオルゲはそこで一度言葉を途切れさす。声に出す前にもう一度、その前代未聞な試みを頭に描いてみる。やはり無謀に思える。

 戦艦を横に並べ、失ったアームを補い合い、二つの五芒星を同時に描き出す――

「この二連五芒星を制御し、敵中枢の重力魔法を阻止せよ! その――」

 戦艦主砲規模の二連五芒星など聞いたことがない。だがこの策に、そして目の前の男に賭けるしかない。ゲオルゲは己の憂いを断つ為に、声を張り上げる。

「金色の獅子の魔法で!」

「はっ!」

 コジロウは肺腑を震わせて返礼し、その命令を受け取った。


「リリア。手伝ってくれ」

「どうするの」

 名前で呼ばれて、リリアは後ろの気配を探ってしまう。父は少しだけ身じろぎしたようだ。

「両方の艦の五芒星に同時に魔力を送る。できれば相手の艦にサポートしてくれる人間が欲しい。頼めるかい?」

「〈ヴラド・サード〉か〈グロズーヌイ〉のどちらかで、あなたの魔力を制御すればいいのね」

「そういうこと」

「……」

 リリアは少しだけ目をつむって考えた。父の視線を背中に感じたような気がした。

「私は〈ヴラド・サード〉に残っていい?」

 リリアは目を開ける。おそらく父は、顔に出さずに安堵の息を漏らしていることだろう。

「いいとも。俺が〈グロズーヌイ〉に行くよ」

「気を付けて…… 頼んだわよ…… コジロウ」

「ああ…… こっちこそ。よろしく頼む」

 コジロウは軽く敬礼すると、身を翻した。

「あっ……」

「ブランクーシ曹長……」

「はっ!」

 リリアは即座に振り返り、出掛けた声を押し殺す。そのまま直ぐさま振り向き、凛とした敬礼をしてみせた。

「魔砲士長用の水晶を空ける。駿河曹長の魔力を協調して伝達し、二連五芒星を制御せよ」

「はっ!」

「うむ」

 ゲオルゲは極力事務的に済まそうとしたのか、こちらもすぐに背中を向けてしまう。実際次の指示があるのだろう。この戦場でいくら娘とはいえ、特別長く話をする訳にはいかない。

 だがその実際に指揮を執るところを初めて見せる父の背中に、

「艦長――」

 リリアは思い切って声を掛けた。


 コジロウが小型艇で〈ヴラド・サード〉から飛び出すと、〈グロズーヌイ〉から入れ替わるように幾人かの兵が飛び出した。先に接続機器の付いたケーブルを手に、その身を宇宙服一つで戦場に投げ出す。

 宇宙服のスラスターを噴かせ、それぞれが脇に抱えたケーブルに、まるでしがみつくように宇宙に漂い出した。

 〈ヴラド・サード〉と〈グロズーヌイ〉の大型砲が、疑似生命魔法の閃光を発した。

 大型砲から放たれた味方の使い魔は、襲いくる敵使い魔の迎撃の為に、その周囲を旋回する。

 ケーブルは本来は魔力の補給用だ。〈グロズーヌイ〉でコジロウが呼び出した魔力を、このケーブルを使って〈ヴラド・サード〉に送る手はずになった。

 この一本しかないケーブルが、今回の作戦の心もとなさを象徴しているかのようだ。

 先頭のちょうどコネクター部を持った兵に、一匹の敵使い魔が襲いくる。

 マムシだ。

 目のないマムシが、十数匹と絡まり合って一つとなっている。そして方々に首を向けながら、それぞれが鎌首を持ち上げて兵に迫りきた。絡まり合ったマムシは、それでいながら皮膚からにじみ出る機械油らしき油のお陰か、もつれもせず滑らかにその身を動かしている。

 〈グロズーヌイ〉の対空砲火が火を噴いた。

 圧縮空気の魔法を食らい、マムシは一度コースを変える。僅かに軌道のそれたそれは、兵士の背中をかすめて飛んだ。

 かすめられた兵士が、その気配に身をすくめる。

 マムシは速やかに減速しながら、虚空を滑るように湾曲する。四方八方に突き出た頭を持つマムシは、回頭という概念が必要ないようだ。

 幾匹かの動かなくなったマムシを振り落とし、減速が終わるとそのままの向きで兵に再度襲い掛かった。

 そのマムシの前に、全身の皮膚の剥けた八本足のウマが駆け付ける。〈ヴラド・サード〉から放たれた使い魔だ。

 ウマの使い魔は駆け抜けるや、すれ違い様に四本の後ろ足でマムシを蹴り付ける。

 マムシはその蹴りをまともに食らい、よろめきながらまたもやコースを変えた。

 ケーブルの兵からそらされてしまったマムシは、その場で激しく身震いをする。絡まり合っていたマムシが、ほどけて四方に飛び散り出した。

 再度攻撃を食らわせんと、ウマの使い魔が振り返ると、その眼前にマムシが迫った。

 一匹一匹が自由になり敏捷性を増したマムシが、兵に、そしてこの使い魔に飛び掛かる。

 首筋に幾匹ものマムシに噛み付かれたウマは、いななきを上げて後ろ足で虚空に立ち上がる。

 次に現れたのは、〈グロズーヌイ〉の大型砲から放たれたムカデの使い魔だ。

 全ての節々から足ではなく触覚をはやしたムカデが、ウマの背後から現れ、兵に向かったマムシに襲い掛かった。

 ムカデはマムシに食らい付き、その大きな体躯で二匹を弾き飛ばしたが、全ては押さえ切れなかった。

 マムシの一匹が最後尾の兵の脇腹に噛み付くと、瞬く間にその兵はマムシの山と化して行く。

 魔術的な気を波打たせて兵の断末魔が伝わると、食らい付いていたマムシは、その前の兵に狙いを変える。

 既に振り向いていたその兵は、左手を突き出し、宇宙服に縫い付けられた五芒星に魔力を送った。虚空に魔法円が淡く光って浮かび上がる。

 冷気の魔法がマムシの頭を一つ吹き飛ばした。

 頭を吹き飛ばされたマムシは後方に吹き飛んだ。だが生き残ったその他のマムシが、その体を避けながら飛び掛かってくる。

「――ッ!」

 兵が声にならない悲鳴を上げると、その目の前にムカデが身をくねらせながら割って入った。

 ムカデに行く手を阻まれて、マムシが散開する。

 〈グロズーヌイ〉の対空砲火が唸りを上げた。圧縮空気の魔法が連射され、マムシの体を四散させる。

 ウマの使い魔が悲痛ないななきを上げた。八本あった足がマムシに食われ、三本がもげかけている。特に喉に食い付いたマムシは執拗で、暴れ狂うウマから離れようとしない。

 人間のカリスマモデルのような豊満な体をしたゴリラが、そのウマの下に駆け付ける。

 ゴリラはウマの喉元に噛み付いたマムシを引きちぎると、まだ息のあるウマのたてがみを掴み、〈ヴラド・サード〉の帰還用魔法円に強引に放り込んだ。

 完全に活動を停止する前に魔法円に戻った馬の使い魔の術者は、〈ヴラド・サード〉の中で意識を失いながらも生還する。

 今や数匹となったマムシは、ムカデに食い散らかされていた。

 接続ケーブルが〈ヴラド・サード〉に届いた。迎え出た〈ヴラド・サード〉側の兵に、〈グロズーヌイ〉の兵が抱きかかえられるように艦に着地する。接続部が渡されると、即座に艦が連結された。

 そしてその向こうでは、使用不能になっていた両戦艦のアームの先端が、艦内に爆音を響かせて切り離されていた。


「艦長。一つ具申させていただいてよろしいでしょうか?」

 〈ヴラド・サード〉の艦橋で、リリアが敬礼をしたまま上官である父に上申する。

「何だ……」

 ゲオルゲが言い淀む。

 娘はとても優秀な下士官だ。親のひいき目を除いて見ても、それは間違いない。

 この混乱の戦場の中で、一介の曹長が艦隊の司令官に上申するような差し出がましい真似をするとは、とても思えなかった。

「駿河曹長はおそらく〈グロズーヌイ〉で、艦長用の水晶を使って疑似生命魔法を行うでしょう。私も艦長用の水晶で魔法円を制御してよろしいでしょうか?」

「それは――」

 それはどうだろうかと、ゲオルゲは口を開き掛けた。アレクセイなら面白がってコジロウに席を譲るかもしれない。だがそれは今の段階では、憶測でしかない。

 むしろこちらが艦長用で準備すれば、向こうもそれに合わせてくることになるだろう。

「艦長。差し出がましいようですが、私もブランクーシ曹長の意見に賛成です」

 ゲオルゲの脇に控えた副官が、こちらも敬礼しながら上申する。

 顔が若干笑みを堪えているように見えた。

「同感であります、艦長」

 その様子を見るや、もう一人別の士官が同じく口を開いた。

「私もそう思います」

「同感であります」

 艦橋にいた比較的高官の士官達が、笑みを浮かべてそれぞれ後に続いた。

「どうした、君達? 構造上の優先順位はあっても、魔砲士長用の水晶と艦長用のそれに機械的な差異はない」

「はっ! その通りであります。違いがあるのは、そこに込められた思いだけであります」

「そうだ。権威だ。艦長の水晶をやすやすと――」

「失礼ながら、艦長。その水晶に込められている思いは、そのような形式的なものだけでしょうか?」

「君……」

「若い下士官が、その命を懸けて戦ってきた、自分達を守ってきてくれた、思いの詰まった水晶を使いたい。そう思うのは当然です」

「たいした心掛けですわ。自慢の下士官ですわね」

「君達……」

 ゲオルゲが士官達の真意に気付き出す。

「……」

 リリアは上官が口を開いている間、黙ってゲオルゲに敬礼していた。

「曹長……」

 ゲオルゲは困ったような顔でリリアを見た。

 リリアは敬礼を崩さずに口を開く。

「ゲオルゲ・ミリャ艦長の勇姿は、いつも母から聞かされて育ちました」

「――ッ!」

「私は軍人の父を持ち、幼少の頃はその職務故に家を空けがちな父に、いつも私達への愛情を疑ったものでした」

「それは……」

「母はいつもそんな私を叱りました。父は命懸けで私達を守っているのだと」

「……」

「命を預けるのなら、ゲオルゲ・ミリャ艦長の水晶に預けたいと思います」

「リリア……」

 思わず娘の名を呟いたゲオルゲの声を、

「ゲオルゲ!」

 アレクセイの怒号が遮った。

「おう! 準備できたぞ! 似合うだろ!」

「アレクセイ……」

 苦々しげなゲオルゲの表情に、アレクセイは気付かない。モニターの向こうの雷中将は自分の背後を指し示すと、

「コジロウ・駿河艦長殿だ!」

 破顔してそう言った。


「どうだ!」

 モニターには自慢げな顔のアレクセイと、居心地の悪そうに艦長用の水晶の後ろに立つコジロウの姿があった。

 そのばつの悪そうな顔は、〈シャクシャイン〉の時の比ではない。

「何だ? いいだろ? こちとら命を預けるんだからよ」

「いや…… そういう訳では」

「ほら、ゲオルゲ! てめえも席を譲りな! 本望だろ?」

「あのな…… アレクセイ……」

「ガモフ中将殿。艦長はもう、そのつもりでいらっしゃいました」

 ゲオルゲの副官が、満面の笑みで応える。

「君……」

「おう、そうか! たまには素直じゃねえか!」

「いや……」

「おし! 二連五芒星は〈グロズーヌイ〉及び〈ヴラド・サード〉の艦長用水晶から制御する! 全員、準備しろ!」

 アレクセイはろくに話も聞かずに、通信から顔を離して部下に命令をする。

「……」

 リリアは命令を待った。このまま艦長用の水晶の前に立っても、もう誰も異を唱えはしないだろう。

 だが既成事実化したとはいえ、やはり父の口から聞きたい。

「うむ…… リリア・ブラン……」

「……」

「いや。リリア・ミリャ曹長」

「はっ!」

「戦艦〈ヴラド・サード〉の主砲を預ける。この私の水晶で、見事皆を守ってみせよ!」

「はっ!」

 リリア・ミリャ曹長はもう一度居を正して敬礼すると、誇らしげに父の水晶に向かった。


 戦艦〈ヴラド・サード〉の主砲が全面展開し、同じく全開で主砲が開かれている戦艦〈グロズーヌイ〉の脇に近付いて行く。

 互いに五百メートルを超える艦が、それ程近接するだけでも至難の技だ。

 艦橋の兵員は、怒号に近い声で互いに指示を出し合う。

 数は減りつつあるとはいえ、未だに捨て身の攻撃を仕掛けてくる敵を、その対空砲火で迎撃しながら二つの艦は近付いて行く。

「ぶつけるな! 生きているアームまで、お釈迦になるぞ!」

 アレクセイが声をからして叱咤する。

「お前の艦は、止まっているだけだろう」

 その声にゲオルゲが苦笑する。

 実際の操舵は士官がするとはいえ、雷中将に繊細な作業は任せられない。

 両艦の艦橋要員は奇妙な連帯感と高揚感を覚えながら、互いに無言で目配せをしてそう判断した。そして暗黙の了解のまま、傾斜して停止している〈グロズーヌイ〉に、〈ヴラド・サード〉が接近することに決まった。

「余剰魔力の連結、完了しました!」

「よしっ! 駿河曹長! 任せたぞ!」

 下士官の報告に、アレクセイが吠えるように応える。

「はっ!」

 コジロウが水晶に魔力を送ると、命懸けで繋がれたケーブルに、淡い光が走り出した。


 コジロウは魔力の限りを高める。

 二連五芒星は一瞬しか現れない可能性が高い。魔法円の継続起動による、使い魔への魔力の供給は期待できない。

 先ずは有りっ丈の魔力を呼び出した段階で注ぎ込み、途切れ途切れに回復する二連五芒星の断続的な魔力で敵重力魔法を粉砕するしかない。

 艦船の危険なまでの接近を警告するアラームが、〈グロズーヌイ〉の艦内に響き渡った。

「うるせえぞ! 止めろ! 分かってら!」

 アレクセイが吠える。

 アラームが鳴り止むと、コジロウは精神を集中し始める。繋がったケーブル越しに、リリアの魔力が感じられた気がした。

 リリアは細心の注意を払って、こちらの魔法に魔力を向けてくれている。それがコジロウには本能で分かったような気がした。

 コジロウは呪文を詠唱する。二連五芒星の現れる瞬間、一気に魔力を解き放つ為に、全ての神経を左手に向ける。

 水晶の物理的な位置が合う。

 リリアと息を合わせて魔力を送ると、二連五芒星が虚空に描かれた。

 シュレーディンガーの波動関数を内にはらんだ巨大な二つの魔法円が、重なりながら二隻の戦艦の前に瞬いた。

 その瞬間獅子の鼻先が、眩いばかりの閃光とともに現れる。

 だが――

「どうした! 駿河! しっかりしろ!」

 アレクセイが叱責する。

 そう、だがコジロウの獅子はその顔を全て魔法円の向こうに出すことなく、一度退いてしまった。

 二連五芒星が消えた。物理的な位置合わせがずれたのだ。

「スラスターを噴かせ! 右に七! 上に四! 後ろに三だ!」

 〈ヴラド・サード〉では士官が声を張り上げていた。

 〈ヴラド・サード〉がスラスター噴かせて位置を調整する間、コジロウは〈グロズーヌイ〉の艦橋で、己の魔力をもう一度高める。

 次に二連五芒星が現れる瞬間に向けて、コジロウは己の魔力を高めて待った。

「よっしゃ! 駿河! もう一度!」

 二連五芒星が現れ、アレクセイが吠えた。

 コジロウが魔力を高め切ると、今度は金色の獅子はゆっくりとその前脚までその身を乗り出した。金色の毛並みをたたえた前足が、虚空に一歩踏み出された。

 だが今度は先に二連五芒星が消えてしまう。

「ぐ……」

 突如霧散した獅子の魔力的な衝撃に、コジロウが呻く。

「コジロウ、大丈夫?」

「早すぎたか? だがそう悠長なことは言ってられんぞ!」

 リリアが無線で心配げに声を掛け、アレクセイはあたかも耳元で怒鳴り散らしているかのような大声で叱責する。

「左二! 下三! 前一!」

「……」

 スラスターの制御の声を聞きながら、コジロウは怪訝な顔をしてモニターに目をやる。モニターそのものを見たというよりは、そのことで自分の内面を見ているかのような視線だった。

「どうしたの?」

 無線でリリアが尋ねてくる。

「何て言うか…… バランスが悪い。片翼だからかな……」

 コジロウは偵察艇の二連五芒星を思い出した。あの時と同じ感覚だ。魔力の密度が濃厚であるが故に、使い魔のバランスの悪さが、大きく影響しているようだ。

「何? 偏ってるってこと?」

「そうみたいだ。左だけ重い感じがする」

「左だけ重いのね…… つまり――」

「?」

「右にも魔力が回ればいいのね……」

「そうだけど」

「やってみるわ」

 リリアが左手にコジロウの肩を掴んだ時の感覚を甦らせる。一度力になった時の感触を自らに甦らせ、コジロウと魔力を同調させようとする。

「これは……」

 コジロウは魔力の流れに目を見張る。

 左に偏り過ぎていた魔力が、リリアの言葉とともに右にも流れ出す。

 コジロウが意識をそちらに向けると、己の脳裏の中に純白の使い魔が浮かんだ。

「これが私の使い魔よ。偵察部隊での符号は〈ギの八〉ね」

「自分の使い魔を呼び出したのか?」

「そうよ。魔力が偏っているのでしょ? 右にも翼が欲しいのでしょ? だから右側にも使い魔を呼び出してみたの。そうね、何て言うか――」

 魔力の偏りがなくなった二連五芒星は、よどみなくコジロウとリリアの使い魔に魔力を注ぎ込み始める。

 その瞬間――

 左の魔法円にシュレーディンガーの波動関数が、右のそれにドレークの方程式が、躍り出るように輝き出した。

 三たび二連五芒星が虚空に描かれ、金色の獅子の鼻先が現れる。

「私があなたの――右の翼になってあげる」

 リリアがそう言うと、二人の使い魔は一気に魔法円の外に飛び出した。


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