四、虚
四、虚
「どうだった?」
コジロウ・駿河曹長がコックピットに戻ると、リリア・ブランクーシ曹長が訊いてきた。リリアはコジロウが宇宙服を脱ぐのを、後ろから手伝ってくれる。
セシリア・リム准尉は寝息を立てて眠っていた。この分だと、命に別状はないだろう。
そう思ったコジロウは自然と口が軽くなった。
「異常なし。敵襲でもなければ問題ないだろう」
「それが一番の心配ね」
「大丈夫。心強い氷の魔法の使い手がいるからね」
「それを言うなら、頼もしい獅子の魔法の使い手がいるからでしょ?」
「まだ、初心者だよ」
コジロウはやっとのことで大きな宇宙服を脱ぎ捨てる。何時の時代になっても、何故こんなに大げさな装備がないと、人類は宇宙に出れないのだろうと思ってしまう。
「末恐ろしい。初心者ね」
「そうだな…… でも、少しでも、訓練しておくかな」
コジロウはそう言うと、焼けたコンソール類の前に立つ。確認を兼ねて二連五芒星に魔力を送る水晶に、手をかざしてみる。水晶は反応した。こちらはどうやら生きているようだ。
「あんまり魔力は送らないでね。敵に感づかれちゃう」
「ああ。イメージトレーニングだけ――と思ったら……」
コジロウはフロントガラスの向こうに、妖しい光を見つける。星々の煌めきの中、それは魔力で揺らぎ瞬いていた。
「どうやら訓練どころか、実戦のようだよ。ブランクーシ曹長」
敵の連撃艦の大型砲から使い魔の光が放たれた。真っ直ぐこちらに向かってくる。間違いない。敵に気付かれてしまったのだ。
「この!」
コジロウは偵察艇の上部甲板に配置された、固定魔法円から金色の獅子を呼び出そうとする。
「く……」
「どうしたの?」
「うまいこと実体化しない」
その言葉を裏付けるように、艇の外では二連五芒星が不安定な明滅を繰り返していた。
「二連五芒星は扱いが難しいわ。代わりましょうか?」
「いや。切り札は取っておくよ」
コジロウはそう言うと、もう一度魔力を集中する。二連五芒星が安定して輝き出し、金色の獅子の鼻先がその中心から姿を現した。
「何て言うか…… 普通の五芒星と密度が違うな…… 翼が重い。魔力のバランスが悪いような――魔力的に傾いたような感じがする」
それでもコジロウは四肢を着いて立ち上がる金色の獅子を心に描く。そのイメージのままに、偵察艇の天板に雄々しい獅子が現れ、敵の使い魔を睨み付けた。
「大丈夫?」
セシリアの側に寄り添ってその身を押さえてやると、天板を見上げてリリアが訊いた。もちろん偵察部隊所属のリリアといえども、天板越しにはコジロウの獅子は見えない。
「大丈夫だ。主砲や手袋の五芒星の使い魔よりも、格段と明るい感じがする。頼もしいよ」
「そう。見えないのが残念だわ」
「敵を正面で迎え撃つから、すぐに見えるさ…… きた!」
金色の獅子が天板を蹴った。コジロウの言葉通り、フロントガラスの向こうに過去二度現れた獅子の姿が見える。
「お尻しか見えないわ。残念」
「贅沢言わないでくれ」
コジロウはなるべく遠くで迎え撃とうと、獅子を力の限り駆けさせる。
力強い。コジロウはその獅子の躍動にそう感じる。筋肉の質が一般人のそれから、アスリートのそれに――いや野生動物のそれに変わったかのようだ。
それ故にバランスは取りにくいが、今は二連五芒星が引き出した魔力にコジロウは素直に感謝した。
だが大きさは明らかに敵の方が上だった。
敵偵察部隊が放った使い魔は、上下のアゴが両方とも上アゴのワニだった。
上下に付いた目が、コジロウの獅子を下にねめつける。その頭部だけでコジロウの獅子に倍する大きさがあった。
コジロウは敵の鼻先に、使い魔から炎の魔法を放って牽制する。
金色の獅子が抵抗すると見たのか、敵は連撃艦の大型砲から更に二つ、使い魔の光を放った。
ワニは首を払って獅子の炎を退けると、そのまま飛び掛かってくる。下に付いた目で獅子を視界の端に捉えながら、上から丸呑みにするような勢いでアゴをふるった。
コジロウは敵の上を取ろうと、その四肢の膝を跳ね上げる。虚空を蹴って獅子が飛び上がり、ワニのアゴは空を切った。
敵の新たな使い魔が二匹、コジロウの獅子に近付いてくる。ワニの上を取ったコジロウの視界に、異形の二匹が入ってきた。
ハリネズミのように体毛を尖らせて、針の山のようなイノシシが突進してくる。その横では丸々と太ったオランウータンが、転がりながら宙を飛んでいる。
先ずはとコジロウは、上を取った有利を生かすべく、ワニに右前脚をふるった。
だがワニはその四肢をくるりと反転させると、体の上下の役割が瞬時に入れ替わる。やはり下に付いた目でコジロウをねめつけると、その脚をアゴで迎え撃った。
しかしコジロウの右前脚は、ワニのアゴをその大きさの違いをものともせずに弾き飛ばす。
ワニは目を剥いて驚き、そのアゴを大きく拡げて噛み付きに掛かる。
コジロウが閉じられるワニのアゴを避けると、針の山のイノシシが突進してくる。コジロウは片翼をはためかせ、その突進を右に体を傾けて避けた。
イノシシは勢いが止まらず、そのまま通り過ぎてしまう。針の山を帆のように逆立て、ありもしない風を受けるかのように宇宙で急制動を掛けて反転し出す。
脚を折り畳み、その膝に手をやって組んだオランウータンが、少し遅れて転がってくる。真球の脂肪に、オランウータンの絵を描いたかのような、丸い肉の塊だ。
コジロウは期せずして、三方を敵に取り囲まれたことになった。
ワニが再度アゴをふるう。
身を翻して避けた獅子に、オランウータンが丸まったまま襲い掛かってきた。その反対側ではイノシシが反転を終え、やはりこちらに向かってきている。
獅子はオランウータンを避け切れず、その右の脇腹に、丸まると太った体を打ち付けられてしまう。
オランウータンは嬉々として、それでいてまだ腕を組み、体を丸めたまま、弾け飛ぶようにその身を獅子から離す。
ワニが身を翻し、その巨大な尾が獅子の左の脇に打ち込まれた。
「く……」
重い攻撃の左右からの連打。コジロウの意識が一瞬遠退いた。
「――ッ!」
コジロウが朦朧とする意識を首を振って取り戻すと、背後でリリアが息を呑む気配がした。
「大丈夫だ!」
コジロウがそう叫ぶと、金色の獅子も同時に吠えた。リリアも手を貸したいだろうが、水晶はコジロウで塞がっている。コジロウはせめて心配させまいと、気丈に叫び上げた。
オランウータンがまるで壁にでも当たったかのように、宇宙でその身を跳ね返らせる。
コジロウは四肢に力を入れて、体を後ろにそらし、その贅肉の塊を鼻の先で避けた。
避けると同時に獅子は吠えると、オランウータンに炎の魔法を叩き付けてやる。
「――ッ!」
やはり脂肪の塊だったのか、オランウータンは瞬く間に火に包まれる。火だるまになったオランウータンは、それでも腕を組むのを止めようとせず、虚空をあちらこちらに弾みながら遠ざかる。
そしてその先にいたのは、襲い掛かろうとしたイノシシだった。火だるまのオランウータンを避けたイノシシの隙を突いて、コジロウは有りっ丈の魔力を放った。
その隙にワニがもう一度正面を向き直り、上下対称の大きなアゴを拡げて獅子に噛み付こうとした。
巨大な炎の固まりが、イノシシとその周りで飛び回っていたオランウータンを包み込む。
コジロウはその様子を目の端に捉えて確認すると、その身を起き上がらせワニのアゴを迎え撃った。
その鋭い両上アゴの歯をものともせず、コジロウは両前脚で上の上アゴを押し上げる。下の上アゴは右の後脚で捉え、こちらも下に押し下げた。
チラリと獅子が視線を向けると、イノシシとオランウータンは消し炭になっていた。コジロウは二匹の使い魔の末路を見届けると、目の前の敵に全ての魔力を集中する。
獅子がその巨大なワニのアゴを、その限界以上に押し拡げようとする。
ワニのアゴが軋みを上げ始めたその時――
ワニのアゴの中で何かが光った。四個の光だ。
コジロウはとっさに障壁魔法を展開する。展開したと同時に障壁魔法に手応えを感じた。その獅子の柔らかい腹の前で、大きな音を立てて何かが障壁にぶつかっていた。
獅子がそちらに目を向けると、上下の上アゴの奥から、左右に付いた上アゴが覗いていた。喉の奥から舌代わりと言わんばかりに、更なるアゴが突き出されてくる。そして獅子の腹の前で歯を鳴らして、噛み付こうとしている。
それは上下の上アゴに比べると小さなものだ。だが曝け出している獅子の腹を食いちぎるには、十分すぎる程鋭い歯を持っていた。
四肢に大外の上下のアゴの歯が突き刺さる。その力に負けて障壁の魔法が霧散した。左右の上アゴはここぞとばかりに首を伸ばしてくるが、僅かに届かないようだ。
このまま押し拡げれば、上下のアゴを引きちぎれるだろう。だがそれに反するように、中の左右のアゴがより獅子の腹に近付いてくる。
そして力を抜いて左右の上アゴを避ければ、上下の上アゴは力を取り戻して獅子を呑み込みかねない。
二律背反に陥ったコジロウが、炎の魔法を使おうと、そちらに魔力を向ける。だがコジロウが魔力に力を取られると、ワニが俄然力を取り戻し上下のアゴを押し込んでくる。
コジロウは一度体勢を立て直そうと、ワニのアゴを突き放すタイミングを見計らう。
内なる左右の上アゴを、その目の前でワニが開いた。その口中に魔力が溜まって行くのが、コジロウには肌で感じられた。
コジロウが体勢を整える前に、直接攻撃魔法を食らわせるつもりだろう。
ワニのアゴの中で、今にも放たれんと電撃が火花を散らした。
「駿河曹長!」
危険悟ったリリアが、思わず叫ぶと、
「――ッ!」
獅子の目の前で眩い閃光が走った。
一条の電撃が虚空を貫いた。
その電撃は虚空を貫くや、そのままワニの脇腹をも貫通する。
「――ッ!」
ワニは己が放とうとした電撃が霧散し、自身が電撃にやられていることに目を剥いた。
獅子がその体を突き飛ばすと、ワニは力なく四肢を投げ出して虚空に漂い出す。その身を更に電撃が貫いた。ワニは二つの穴を虚空に曝して、力なく漂って行く。
コジロウが目を転ずると、遥か遠くに五芒星の光が見える。この距離を届かせたということは、主砲の五芒星だろう。
この距離を正確に撃ち抜いた技量に、コジロウが舌を巻く。
通常戦闘時、主砲を放つのは主に魔砲士長の職務だ。
余程腕のいい魔砲士長が乗っているのだろう。
主砲を放ったのは軽連撃艦だった。その軽連撃艦は主砲を収めながらも近付いてくる。
それに合わせるかのように、敵の連撃艦は反転して去って行った。
「ふぅ……」
獅子が偵察艇に舞い戻り、二連五芒星に帰還した。
コジロウは偵察艇の中で、シートに尻餅を着く。
「……」
そのコジロウの肩にそっと手が置かれた。労いの気持ちの籠った、優しくそれでいて力の籠った手がコジロウの肩に触れる。
「ありがとう」
コジロウが思わず手を添えて振り返ると、
「あら? 年上が好みなの?」
セシリア・リム准尉が背後で微笑んでいた。
「准尉殿! お目覚めでしたか!」
コジロウは慌てて腰を浮かす。
「あんなに派手に叫んでおいて…… 静かに寝てろとは…… 酷な話よ、曹長……」
セシリアはまだ苦しそうに声を絞り出すが、顔色は随分とよくなっていた。
リリアはその後ろで笑いをかみ殺している。
「軽連撃艦の〈シャクシャイン〉ね…… 一番脚が早い艦で捜しにきてくれたのね……」
セシリアはフロントガラス越しに、その姿を認めて呟く。おそらく味方の識別ビーコンを発しているだろうが、この計器類が壊滅状態の連絡艇では捉えることができない。
そしてこちらからも通信を送ることすらできない。
セシリアがコジロウの前の水晶を指差した。
「駿河曹長。五芒星を明滅させて、モールスを送るのよ――」
それは地球時代からなくならない、最後の通信手段だった。
「もう。しっちゃかめっちゃかだって……」
「はっ!」
上官の命令を真に受けたコジロウが、本当にその言葉の通りモールスを打とうとして、
「何しんてのよ」
セシリアとリリアに不条理にも止められた。
セシリア・リム准尉以下三名は、軽連撃艦〈シャクシャイン〉に収容された。セシリアはすぐさま医務室に運び込まれ、艦長への報告は二人の曹長がすることになった。
一刻も早い報告を申し入れた二人は、准尉と別れるとそのまま艦長室に駆け足で向かった。
コジロウとリリアは副官と話し込んでいた艦長の下に駆け寄る。
褐色の肌をした副官の大尉が、艦長の前を空けてくれた。
「歓迎するよ。軽連撃艦〈シャクシャイン〉の艦長――」
壮年の艦長は柔和な笑みを浮かべて握手を求めてきた。
だがその声を、遠くからの爆発音と、けたたましい警報が遮る。
「どうした?」
「艦内数ヶ所で爆発! 内部からのようです!」
士官がモニターをめまぐるしく確認しながら、艦長の詰問に答える。
「何! 敵の破壊工作か? バカな!」
「まさか! 虚!」
「そんな…… 入り込まれているの……」
コジロウとリリアの脳裏に、敵の破壊工作よりも厄介な相手が真っ先に浮かぶ。
「虚? どういうことだ? 曹長」
「はっ、艦長! 我々の偵察艇は、虚の――」
「――ッ! ぐっ……」
コジロウ達の目の前で、〈シャクシャイン〉の艦長が膝を着いた。艦長はそのまま前に倒れてしまう。受け身はおろか、手で身をかばう様子すらない。
「艦長!」
艦長の背中はこげたようにくすぶっていた。僅かだが床に向けて、放電が走っている。
電撃の魔法だ――
それを悟るや、コジロウは障壁の魔法を展開した。本能に近い反応で、視界の端に走った雷に魔力をぶつける。
「この!」
「ひゅう。やるね」
とぼけた口調の声が聞こえた。それと同時にコジロウに向けて、幾条もの電撃が襲いくる。
コジロウは障壁に油断なく魔力を送って電撃を防ぎながら、疑似生命魔法を放つタイミングを見計らう。
だが――
「おのれ!」
だがコジロウより先に反撃に出たのは、艦長の脇に控えていた副官レイリー・ンボマ大尉だった。
したたかにもコジロウの障壁の後ろに回り込み、防御を任せっきりにすると、レイリーはその脇から圧縮空気の魔法円を展開する。
ハーゲン・ポアズイユの方程式が、魔法円の中で煌めいた。それは流体力学の方程式だ。
「血迷ったか? 士長!」
レイリーの魔法はその方程式の力をも借りたかのように、それ自身が空気であるにもかかわらず、空気を切り裂いて飛び、鋭いカーブを描いて士長と呼んだ兵に襲い掛かる。
「副官殿。自分はきわめて冷静であります」
士長は障壁を展開してその魔法を打ち砕くと、しゃがみ込んで床に左手を着いた。口調はどこかふざけた感じすら受ける。
士長の魔法円が光を放つ。そこに込められたスペルは、帝国軍では珍しい文言によるものだった。
Que sera sera――
まさにそうとでも言いたげに笑いながら、躊躇なく士長は手先から放電した。
「まずい!」
「この!」
コジロウとレイリーが同時に叫ぶ。
海面下すれすれを泳ぐサメのごとく、雷の魔法は床に電撃を背びれのようになびかせてコジロウに襲い掛かった。
雷はコジロウの魔法の障壁を床を伝わることで迂回するや、そこから飛び上がるように放電し、その後ろの副官に放たれた。
「ぐ……」
「おっと、曲げるのは、意外に難しかったな」
「大尉殿!」
コジロウは崩れ落ち掛けた副官を支えようと、右手を差し出す。
魔砲士長が威勢よく左手を振りかざした。
「も、一つ――」
だが魔砲士長の勢いはそこで止まった。突然の反乱を起こした士官に、リリア以下艦橋にいた兵がそれぞれ緊張の面持ちで左手を向けていたからだ。
「あれ? ここまでか……」
瞬く間に周りを取り囲まれた魔砲士長が、ふざけた笑みを浮かべた。
「どうしてこんな……」
「どうしてって…… 主砲じゃ的が小さ過ぎたんでね、あらためて狙ってみたんですよ」
「違う! 先ずはこの襲撃の理由と目的だ!」
周りの士官の問い掛けに、
「ふうん…… そう言えば、どうしてかな」
魔砲士長は無警戒に立ち上がりながら、人ごとのように答える。
動かなくなった艦長に別の士官が駆け寄り、その場から引きずるように引き離した。艦長はそのまま何人かに担がれて、救護室に運ばれて行く。
「私は虚なので、よく分からないですね」
「虚…… か……」
レイリーはコジロウに身を支えられながら、魔砲士長に向かって呟く。直撃を免れたようだ。
「おや、食えないですね。副官殿はあの状況で、障壁魔法を展開するのに、成功したと見える」
「ほざけ……」
「大尉殿……」
「大丈夫だ、曹長。一人で立てる。離してくれ」
コジロウが肩から降ろすと、レイリーは気丈にも一歩虚に近付く。
「ライオネルはどうした?」
「知りませんよ。真似をしろと言われただけですからね。私は」
「ライオネル?」
リリアが隣の下士官に尋ねる。
「魔砲士長殿の名前です。大尉殿とは確か、同期だったはずです」
「そんな……」
「貴様……」
レイリーはライオネルの顔をした人間の様なものに、歯ぎしりとともに怒りをぶつける。
「何を怒っているのですか? 私だってライオネルですよ。ライオネルはこんな性格のはずですよ。狙撃が得意な魔砲士長――ライオネル・孫・エステファンは。とぼけた感じの、軽薄な印象を受ける、陽気な中尉殿。そうそう音声放送のMCの真似が得意でしたね」
「黙れ…… その顔で、その声で、虚がライオネルを語るな」
「何が違うと言うのです。私が中身のない虚だからですか? どうせ人間なんて、元より互いの外側しか見ないでしょ? 何か不都合がありましたっけ? ライオネルという名前で、ライオネルと思われる行動をする。それがライオネルですよ。何もおかしくはないですよ」
「黙れ!」
「ああ、軽薄なせいか出世が遅れている、だけどどこか憎めない士官――それでいて仲間思いなんでしたっけ? それはまだお見せする見せ場がないからですよ。いざとなれば――」
「黙れと言っている!」
「おお、おっかない。まあ、言われたことはやりましたから、そろそろおいとましますけどね」
虚はそう言うと、自らの胸元に左手を当てて放電した。その軍服に小さな穴が空く。
「――ッ! 取り押さえろ!」
レイリーの号令一下、取り囲んでいた兵が飛び掛かる。
「いや、結構。心臓マッサージは返って、空気の抜けが早くなりますから」
虚がとぼけた口調でそう言うと、その胸元から空気が抜けて行く。
取り押さえた兵達は、どうしていいのか分からない。虚の手足を掴んではみたが、相手の体は瞬く間にしぼんで行く。
「では皆さん。艦長はいない。副官殿も負傷している。魔砲士長に至っては、無責任にも一足先においとましている。そんな艦の旅を……」
虚は自分では立っていられなくなり、へたり込むように前に倒れこむ。
「お楽しみ下さい…… そうそう…… 通信機器も破壊…… しておきましたし……」
その瞬間、通信用のコンソールが火を噴いた。内部から爆発したかのように、一瞬で炎があがる。通信担当の下士官が、慌ててその身を後ろに避けた。
「おのれ……」
レイリーは最後までライオネルの軽薄さを真似しようとする虚に、やり場のない怒りを覚えて歯ぎしりをする。
「……」
リリアはコジロウの横に移った。虚の話を聞けば聞く程、薄ら寒くなってくる。冒涜とはまさにこのことだ。思わずその身を寄せてしまった。
「どうな…… るんで…… しょうね…… この艦…… 心配です……」
虚はコジロウ達の目の前で、服を辛うじて着た薄い皮だけの存在になって行く。
「まあ…… ケセラセラ――なるようになるでしょう……」
虚はなおも一人で口を開き、
「以上…… ライオネル…… 孫・エステファン…… でした……」
最後まで軽薄にしゃべり続けた。
艦は人を選ぶ。
特に主砲を任される艦長並びに、魔砲士長はよくそう言われている。
本当はそうであってはならないが、帝国軍に限らずどの軍隊でもまことしやかにそう言われている。艦には種類によって、それなりに特徴があるからだ。
この時代の艦は大きく分けて五種類に分けられている。
連撃艦、重撃艦、護衛艦、空母、そして戦艦だ。人によっては巡洋艦と駆逐艦もあるとするが、多くは空母以外のいずれかに、集約されてしまうと考えられている。
艦の定義を第一に決めるのは、その主砲の役割と大きさだ。
先ずは連撃艦。連射や細やかな射撃を主目的とし、またその大きさも他と比べて小型のものが連撃艦と呼ばれている。携行武器に例えるなら短銃や、機関銃、ライフルがこれにあたる。
重撃艦はその意味ではバズーカ砲だ。主砲を重視してできるだけ大きくとり、一撃の威力が大きい攻撃を旨とする。砲も対空砲火は最低限しかなく、攻撃の為の大型砲が多く配置される場合が多い。
護衛艦は特殊だ。その艦の構造よりは、主に運営方法でこう定義づけられている。設計思想としては連撃艦に近いが、大型砲よりは対空砲火用の砲が多い。
そして護衛艦の対空砲火の砲は、他艦よりも大きく、小型というよりは中型と捉えられている。更に障壁魔法に優れた者が優先的に配備され、他艦の攻撃中の護衛にあたり、また敵の攻撃の迎撃を主な任務とする。
空母は艇を多く収容している。主砲は障壁魔法と瞬間跳躍魔法に必要な大きさしかない場合が多い。これは偵察部隊を初めとして、工作部隊など特殊な任務を帯びた兵を主に収容し、その離発着が第一の任務の為だ。
ただし地球時代の空母とは違い、艇の発進には滑走路などは必要がない。その為実際には、軽空母と呼ばれるサイズの艦が主力となっている。
また連撃艦、重撃艦ともに『軽』が付く艦も多い。これは設計思想はそれぞれのままに、その小型艦を建造した場合にそう呼ばれている。
ただ軽重撃艦はその相反する名前の通り、設計思想がアンバランスになることが多く、現場からは不評でもある。
反対に軽連撃艦は使いでのよさから、重宝されている。足が速いのも、多くはこの軽連撃艦だ。
最後にこれらの艦の頂点に立つのが戦艦だ。
これは全てにおいて妥協せずに建造された艦がこう呼ばれる。
巨大な主砲、強力な大型砲、艦をハリネズミにする小型砲。その時代に必要と思われる砲のあり様からそのサイズを決め、それ故にどの艦よりも大きくなる艦。
それがこの時代の戦艦――魔術戦艦だ。
広義において魔術戦艦は、五芒星を艦首に描き出す、主砲を備えた全ての艦を指し示す。
狭義においては、まさにこの戦艦クラスの艦を、魔術戦艦と呼び習わす。特に誇りと畏敬を込めて呼ばれる場合は、まさにこのクラスのみを魔術戦艦と呼ぶ。
そして艦は人を選ぶ。
連撃艦は細やかな魔力が使える者を、重撃艦は大きな魔力を使える者を、護衛艦は障壁魔法が得意な者を選ぶ。もちろん実際に選ぶのは艦ではない。担当官だ。
だが必然的にそうなって行く印象を与え、『艦が人を選ぶ』と言われようになる。
特にそれが戦艦を指して言う場合、それは選ばれた者を意味する。連撃艦や重撃艦で実績を上げた者が配置されるからだ。
その一つである軽連撃艦〈シャクシャイン〉は、まさに軽連撃艦に選ばれたような魔砲士長を失った。艦長もだ。
主砲を任される艦長と魔砲士長を失った〈シャクシャイン〉は、その自慢の速力で一路復帰すべき艦隊に向かっていた。
「これが虚…… 話には聞いていたが、現実にこの目で見るとは思わなかったな……」
レイリー・ンボマ大尉が折り畳まれた軍服と皮だけの存在を見下ろす。
主のいなくなった軽連撃艦〈シャクシャイン〉の艦長室。その部屋の机の上に、人の皮と軍服が置かれていた。
レイリーは親友の顔をした皮に、一瞬だけ悲痛な表情を浮かべたがすぐに内に納めた。
「これが我が艦隊内に入り込んでいると言うのかね? 駿河曹長。ブランクーシ曹長」
レイリーは机の前で直立する二人の下士官に尋ねる。
机の二人の側にもやはり、二人分の皮と軍服が置かれていた。存在すら信じがたいものが今目の前にあり、更に艦隊内に入り込んでいる可能性があるという。
「はっ!」
「はっ!」
コジロウとリリアが声を合わせて答える。
軽連撃艦〈シャクシャイン〉は行方不明になった偵察隊員を拾い、戦列に復帰すべく、一路帰路に着いている。
だが〈シャクシャイン〉は艦長と魔砲士長、そして通信手段を失ってしまった。
通信機器の破壊は特に容赦がなかった。艦内で発生した爆発は、最初も最後も全て通信機器関係だった。
「本艦隊は現在、敵資源衛星に向かっている。これは敵が資源小惑星を失い、意気消沈している今を逃す手はないからだ」
「大尉殿。一刻も早く艦隊に連絡を取らないと。我々の報告が間に合わなければ、内と外に同時に敵を抱えることになりかねません」
「そうだな、ブランクーシ曹長。心配するな、艦はもう艦隊に向けて発進させている。通信機器の回復も可能な限りさせている。ただし、今は直接乗り込むまでは、相手に伝えることができない状態だ」
「……」
「曹長。虚は艦隊内に多数放たれているのか? 我が艦には一人しかいなかった。偵察艇は五人中二人が虚だった。そちらは流石に多過ぎるように思える。どう考えるべきか……」
レイリーはライオネルのような虚が他に艦内にいないか、乗員に互いの体を確かめさせた。人の姿をしているが、虚は皮膚でできた外側だけの存在。触ればその正体を知ることができた。
結果虚はライオネルを真似た一人だけだったようだ。それでいて偵察艇のような小さな集団に、二人も入り込まれている。
「……」
コジロウの表情が曇る。ルイス・ヴェガ少尉の最後の笑いが甦る。あれは自分に向けられていた。自分がどれほど間抜けな質問をしているのかを、分からせようとするかのような笑いだ。
ライオネル・孫・エステファン中尉の虚も、間を塞ぐ形になっていた艦長を狙った後は、コジロウを標的にしてきた。
元よりコジロウが乗り込むことが悟られていたからこそ、偵察艇を狙って虚に忍び込まれていた。だから二人も乗っていた――
そう考えると、やはりコジロウが狙われていると考えるのが、一番合理的だと思えてしまう。
「大尉殿。憶測ですがよろしいでしょうか」
「駿河曹長、何だね?」
「……」
リリアはコジロウの気配を、横目でうかがう。
「自分の使い魔は、翼を持った金色の獅子であります」
「何?」
「片翼ではありますが、翼を持った金色の獅子が、自分の使い魔であります。連撃艦〈耶律阿保機〉の主砲と、偵察艇で二度呼び出しました」
「……聞かなかったことに――」
「……」
「したいな…… まあ、無理だろうな。遠目には確かに獅子には見えたが…… 翼に金色ね……」
レイリーは机に肘を着いて腕を組んだ。そのままアゴを指に乗せるでもなく、身を乗り出す。
父ならあそこでアゴを乗せるだろうなと、それを見ていたリリアは、不意にそう思う。
「駿河曹長。翼のある金色の獅子は…… 我が帝国軍の軍旗だ。分かっているな――」
「はっ」
「何故軍旗に使っているのかも…… もちろん、知っているな――」
「はっ!」
「大破間際の〈耶律阿保機〉の主砲を撃ったのは――」
「自分であります!」
「そして曹長が敵に放った魔法は――」
「金色の獅子であります!」
「なるほど――」
「……」
「それではまるで、狙われているのは、自分だと言いたいように聞こえるな? 駿河曹長」
「はっ!」
「根拠が少々あまいな」
「『主砲じゃ的が小さ過ぎた』とも、エステファン中尉の虚は言っていました。艇の二連五芒星から呼び出した獅子を狙うのを諦め、あらためて艦橋に現れた自分を狙った――そういうことでは、ないでしょうか」
「……」
レイリーは組んだ指に額を押し付けた。突き付けられた現実を、頭の中に押し込んでいる。そんな風にリリアには見えた。
そして上官ならあんなに不安げな姿を、部下に見せて欲しくないとも思ってしまう。
もしかしたら父は、ともすれば指に押し付けたい頭を、我慢する為にアゴに乗せているのかしれない。そんな風にも思った。
「ブランクーシ曹長!」
「はっ!」
リリアはぼんやりとした考え事をとっさに振り払って、不意に顔を上げた上官に応える。
「質問だ。一人の兵を秘密裏に処分したい。貴君なら例えばどうする?」
「例えば虚を使った人間なら、本人を隠したものと同じ手段で、秘密裏に処理できるでしょう」
「そうだな。だがその手段は分からん。そして選んでもいないようだ。おそらく相手の魔力を警戒しているのだろう。他には?」
「艦ごと沈めます」
「そうだ。他には」
「味方と思い込ませた人間に襲わせます」
「それでもダメなら……」
「艦隊ごと敗北させ、あわよくば目撃者共々、まとめて戦死させます……」
リリアは努めて冷静に答えようとした。それでも語尾が僅かに濁ってしまった。そう、後半は『例えば』の話ではなかったからだ。
「うむ……」
レイリーは机の上のモニターのスイッチを入れた。
「艦長代理レイリー・ンボマ大尉だ。命令を確認する。全速力で艦隊に合流だ。順調か?」
「はっ! その件で艦長代理にご報告があります。たった今入りました情報です」
モニターの向こうの士官が、慌てた様子で敬礼した。
「どうした?」
「敵艦隊の一部が本艦の進路上に、道を塞ぐように展開しています」
「何?」
「我が艦隊に向け、一部艦隊が脇から回り込んできています。軽連撃艦クラスを集めた、小規模部隊のようですが、このままでは確実に我々の進路の邪魔になります」
「拠点防衛に必要な戦力を割いてまでか? 何故だ?」
「相手の意図は不明です、大尉殿。ですが実際のところ、敵の主砲射程内を避けて合流するには、大幅な迂回が必要かと思われます。この近距離では瞬間跳躍魔法も使えません。如何が致しましょうか? 合流は大幅に遅れますが、三角跳躍を致しますか?」
三角跳躍は一度大きく余所へ跳び、再び近場に戻ってくる瞬間跳躍魔法の使い方だ。ただでさえ時間の掛かる瞬間跳躍魔法を二度行う為、結局は通常移動よりも時間が掛かる場合が多い。
「分かった追ってすぐ命令する」
レイリーがモニターを切った。
「ブランクーシ曹長。もう一つ質問だ」
「はっ!」
「虚が敵と通じているとする――」
「自分達が提案する条件の見返りに、多少虚側に有利な布陣を敷かさせる。提案する内容に魅力があれば、あり得ると思います……」
皆まで聞かれずに、リリアは答える。それでいながら最後は少し言い淀んでしまう。
「その場合提案する条件は?」
「内側からのかく乱…… 絶対に起きて欲しくない、タイミング――」
リリアは最悪の状況を想定しつつも、最悪の結果を想像するまいと、己の声に力を込める。
「決戦中にです」
リリアが何とか言い切ると、
「……」
横でコジロウが大きく息を呑んだ。
帝国軍第十七艦隊は幾つかの予定外のトラブルに見舞われながらも、敵本星の資源衛星に到達した。
その前哨戦とも言える資源小惑星で、連撃艦〈耶律阿保機〉を失うという予想外の苦戦。
斥候に出した偵察艇との音信不通。そして更には、その探索に出した軽連撃艦〈シャクシャイン〉とも連絡がとれないという。
だが最も予想外だったのは、その内部に翼を持った金色の獅子の使い手がいることだった。
連撃艦〈耶律阿保機〉。偵察艇。軽連撃艦〈シャクシャイン〉。その全てに関係しているのは、今のところその金色の獅子の若い曹長だけだ。
やはり狙われている。艦隊の司令官ゲオルゲ・ミリャ中将は〈ヴラド・サード〉の艦橋に立って、指揮を執りながらそう思う。
敵は資源衛星の死守に、その命運を託しているようだ。敵の全艦隊――帝国の二個艦隊規模の艦船群――が、衛星を背にこちらを向いている。
また壁面に五芒星を配した板状の施設が、その面前に何十と設置されていた。障壁魔法を専門に展開するトーチカとでも言うべき防御拠点だ。
自力では動かせず、溜め込める魔力も少ないそれは、使い捨てに近い。だが守る兵士に、僅かばかりの安心感を与えるのに役に立つと言われている。
そして敵の一部部隊が、本体を離れていくのが確認されていた。それは〈シャクシャイン〉の帰路を塞ぐ形だ。
それにどの程度の意味があるのか、ゲオルゲにも分からない。大局に影響するような数ではない。足の速い〈シャクシャイン〉なら、逃げることも容易だろう。だが少なくとも〈シャクシャイン〉の合流が大幅に遅れるのは確実だ。
これもコジロウ・駿河曹長が関係しているのだろうか?
ゲオルゲはそう疑問に思うが、判断を下すには情報不足だと思った。
第十七艦隊の背後で、恒星が輝いていた。敵から見れば、第十七艦隊はこの恒星の光にすっぽりと隠れていることだろう。
いかに科学と魔力が発展しようとも、こういった単純な有利不利が、僅かなりとも戦局を左右することはままある。
軽連撃艦と音信不通であることが不安視されていない訳ではない。内にはらむ憂いがない訳ではない。敵の布陣に不審を感じなくはない。ゲオルゲの個人的な憂慮がない訳ではない。
だがこの機は逃せない。
「全艦戦闘態勢に入れ。陣形を維持したまま、前進せよ」
ゲオルゲが命令を下す。
獅子の帝国はその牙を剥いて、敵資源衛星に襲い掛かった。
内に抱えた敵に気付かぬまま――