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魔術戦艦  作者: 境康隆
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三、リリア・ミリャ

三、リリア・ミリャ


 戦艦〈ヴラド・サード〉と同〈グロズーヌイ〉のメインエンジンに、火が入れられた。軽空母〈張学良〉以下、旗下の艦隊が続く。

 先行して放った偵察部隊を追い掛けるように、帝国軍第十七艦隊は敵本星及びその資源衛星へと向かう。

 目的は資源衛星の軍事的脅威を取り除くことだ。

 この時代、衛星を押さえるということは、地球時代で言えば港湾や空港を押さえることに近かった。交通や通商を押さえ、敵を死に体にすることができたからだ。

 そして衛星を押さえることで、敵の本星に軍事的に蓋をすることができる。また本星攻略時に敵に背後をとられない為にも、衛星制圧は最重要事項だった。

 今回の敵本星の衛星は、豊富な資源を誇るが一つしかない。この衛星が落ちれば、後は剥き出しとでも言うべき本星が残るのみとなる。

 更に衛星としては小規模で、恒常的な基地が建設されておらず、その防衛は宇宙艦隊に依存していた。

 つまり艦隊戦により衛星の敵艦隊を打破すれば、この戦争の趨勢は決まったも同然になる。

 この帝国軍第十七艦隊の主な魔術戦艦は、戦艦〈ヴラド・サード〉及び〈グロズーヌイ〉以下、軽空母四隻、重撃艦四隻、連撃艦五隻、護衛艦八隻。それに、軽が付く重撃艦や連撃艦のような中型艦以下が続く。

 敵はもちろん、最後の抵抗を試みるだろう。敵は小国とはいえ、残った艦を全星域から集めれば、この帝国の二個艦隊程度にはなることが予想されている。

 だが数の上で相手が勝るとはいえ、練度や装備の質は、多くの艦隊を有する帝国の方が上だ。

 第十七艦隊はその勝利はおろか、苦戦すら疑わない者も多かった。

 ましてやその内なる敵など、誰も想像だにしていなかった。


「ぐ…… 貴様……」

 セシリア・リム准尉が苦しげに声を漏らす。セシリアの軍服の右脇を貫き、ナイフの鋭い切っ先が光り輝いていた。鉄ではない。氷の魔力で作り出されたナイフだ。

「リム准尉!」

「てめぇ!」

「ヴェガ少尉…… これは……」

「見ての通りだよ。リム准尉殿」

 背後から同僚を刺した男は、黒こげのルイス・ヴェガ少尉の顔で澄まして答える。

「な……」

「最初にやられたと見せ掛けたのは、確実に背後を取る為の芝居さ」

「ぐ……」

 セシリアが左手を自分の肩の後ろに回し、己を刺した男の肩を掴む。

「おっと」

 ルイスがセシリアを放り出すように前に突き出した。

 慌ててリリアがその身を受け止めようと手を差し出す。

「……」

 そのタイミングに合わせるかのように、マグヌス・イプセン軍曹がコジロウに飛び掛かった。

「この!」

 コジロウはマグヌスの右の拳を、鼻先でかわす。空振りし、体ごとつんのめったマグヌスの顔に、コジロウは右肘を叩き込んだ。

 だがコジロウの右肘はやはりこの顔にめり込んでしまう。コジロウはとっさに身を屈め、狭い船内で刈り取るように相手の脚を払った。

「……」

 マグヌスはやはり無言でのけぞり、またもや計器類に腰を打ち付ける。

 コジロウはその身に間髪を入れずにのし掛かった。

「く……」

「准尉!」

 イスの背もたれから崩れ落ちるセシリアを抱きとめ、リリアはルイスに左手を向けた。

「……やっ!」

「あまい!」

 ルイスがセシリアの血糊の付いた氷のナイフを振り上げ、

「――ッ! この!」

 リリアは魔力を放つ寸前で、そのナイフを避けて手を引っ込めてしまう。

「ためらったね? ブランクーシ曹長。父親譲りの力は嫌いと見える」

「何を……」

「火だるまの僕を助ける為には躊躇なく使えて、殺す為には使えない。ははっ! 随分と我がままだね、曹長!」

「く……」

「この!」

 コジロウがマグヌスの上に馬乗りになり、右手で首筋を押さえ付けた。

 だが人間離れした力で、マグヌスはコジロウを乗せたまま跳ね起きてしまう。

「おっと」

 コジロウは倒れそうになり、とっさにバランスを取り直した。

 マグヌスは既に立ち上がっており、コジロウとリリア達の間に立ち塞がっている。

「死ね!」

 ルイスがナイフを振り上げた。

「――ッ!」

 セシリアを抱えたリリアは、僅かばかりに身をそらして、そのナイフをかわした。

 だが広くはないコックピット。すぐにリリアは壁に背をぶつけてしまう。僅かでも距離をとろうとしてか、そのまま二人はその壁に身を寄せた。

 その様子をコジロウはマグヌスの肩越しに見た。

 マグヌスはもう一度、右手を振り上げようとしている。

 ルイスのナイフは切り返され、リリア達に向けて振り上げられている。

 リリアはセシリアを背中にかばおうと、その軍服を引っ張った。だが間に合いそうにない。セシリアはもう一度刺され、その後すぐリリアも襲われるだろう。

 マグヌスが右手を繰り出す。その動きでコジロウはリリア達の姿を、一瞬見失ってしまう。

「させるか!」

 そこまで見たコジロウは、本能的に左手を跳ね上げた。

 だが皆がほぼコジロウの攻撃範囲に入っている。このまま炎の魔法を放てば、リリアとセシリアも無事では済まないだろう。

「――ッ!」

 それでもコジロウが、左手に魔力を送ったその瞬間――


「チタンに鉄、ウランにアルミニウム、マグネシウム他か……」

 ゲオルゲ・ミリャ中将は戦艦〈ヴラド・サード〉の艦長室で、一人静かに敵資源衛星の基本資料に目を通していた。

 帝国に隣接する敵国は、本星一つだけの小さな国だった。先程落とした資源小惑星とこの資源衛星の鉱物を頼りに、小国に見合わない挑発的な態度で知られていた。

 帝国から見れば辺境にあたる宙域で、新たな資源小惑星が確認された。この資源小惑星の所属を巡り、帝国と敵国は対立した。

 既存の互いの資源小惑星と、ちょうど中間の位置にその新たな資源小惑星は存在したからだ。

 今回も敵国は、挑発的な態度で交渉に臨んだ。実際国の規模の違いから言って、敵国は多少リスクを冒しても、この新しい資源小惑星を手に入れたかったのかもしれない。

 それでも戦端は開かないと敵国が高をくくっていたところに、帝国は自国側の既存の資源小惑星防衛を名目に宣戦布告をし、電撃的な進攻を始めた。

 帝国にとって所属の争われた新しい資源小惑星は、数ある小規模な資源提供元の一つに過ぎなかった。敵国政府が戦争にはならないと考え、挑発的態度を繰り返したのも無理のないことだった。

 だが敵国本星の資源衛星は別だ。魔術全盛のこの時代でも、通常の建材や資材、そして動力燃料は普通の天然資源に頼っている。

 埋蔵量の点から見ても、この資源衛星は魅力的だった。

 そして実際帝国政府は、自国の資源小惑星の防衛にとどまらず、本星の衛星までも落とそうとしている。表向きは敵本星の無力化と、降伏を促す為だが、実際は資源確保が目的なのは誰の目にも明らかだった。

 欺瞞だとは分かっているが、ゲオルゲは粛々と命令を遂行する。どうせいつかは衝突する。ならば自分の手によって、最小限の被害で片を付けるつもりだ。

「今度も死に物狂いでくるか……」

 そしてゲオルゲは敵との資源小惑星での攻防を思い出す。

 敵国の政府が楽観視していても、現場の将校達は違ったようだ。それこそこちらとの密通を疑うような、大規模な準備をしていた。

 そして最後に選んだのは捨て身の攻撃だった。

「死に物狂い…… 当然と言えば当然だが……」

 ゲオルゲは資料を脇に置き、まだモニターの中に映る小さな点でしかない、敵の本星の光に目を凝らした。


 リリア達が危機に陥ったその瞬間――

 コジロウの左手の手袋の、甲に縫い付けられた五芒星が鋭く光った。

 それは発するや否や直進する光となり、マグヌスの懐に飛んで行く。

「――ッ!」

 マグヌスの右胸が撃ち抜かれ、ルイスの右手が弾け飛んだ。

「……」

 マグヌスは無言で膝を屈し、

「く……」

 ルイスは己の右手首を左手でとっさに押さえた。

「……」

 マグヌスはやはり無言で、胸から空気が抜けて瞬く間にしぼんで行く。まるで人の形をした風船だ。

「なんだ…… やればできるじゃないか……」

 ルイスは後ろを振り返り、モニターに四肢を着いた使い魔を見て呟く。

 そこには子猫のように小さな金色の獅子が、氷のナイフを持ったルイスの右手をくわえて立っていた。ナイフはすぐにずり落ち、右手は手袋のように平になる。

 ルイスは左手で己の右の手首を押さえるが、そこから音を立てて空気が漏れ出て行く。

「貴様は何者だ?」

 コジロウは平になったマグヌスを乗り越え、リリアとセシリアを守るように身を乗り出す。コジロウは自身の目と獅子の目を通じた視界で、この突然の裏切りを働いた将校を睨み付けた。

 空気が完全に抜けてしまったマグヌスは、もはやぴくりとも動かない。

 右手から同じく空気が抜けて行くルイスは、おそらくはこのまま同じ運命を辿るはずだ。

「君達が言っていた通り。僕は虚だよ」

 空気が抜けているせいか、幾分なで肩になったルイスが答える。

「そうそう、それとブランクーシ曹長。僕ら虚は、元より息はしていない。お心遣いはありがたかったけど、口元に手をやっても生死の確認はできないよ」

「准尉! 気を確かに!」

 呼び掛けられたリリアはルイスの話を聞いていなかった。リリアは艇のキャビネットから、急いで簡易救命セットを取り出す。セシリアの脇腹をめくり、止血シートをあてがった。

「随分とおしゃべりだったがな」

「虚が無口だと言うのは、過去の話だね。人を真似るのが、まだまだ苦手だった時代のね」

 立っていられなくなったのか、コックピットのシートに正座をするようにルイスが座る。

「そっちの虚が話さなかったのは、人間の真似が…… 上手過ぎたせいだね…… 元の人間が極端に無口だったから、それすら真似をした…… そういうことだよ……」

「……」

「駿河曹長…… 相手の目的を、聞き出しなさい……」

「リム准尉! 安静に!」

「お前らは何だ?」

「何だ――とは哲学的だな…… うん…… 人間のふりをするのは得意だけど、哲学が分かっているふりをするのは大変そうだね…… そっちの虚が生まれるのは見てたけど、確かに僕らは何だろうね…… 僕らは生命誕生…… というには、あまりに滑稽な程…… 転がり回りながら…… 生まれるんだ……」

 空気が抜け、関節のメリハリがなくなり出したルイスが笑う。放り捨てられたシャツのように、力なく折れ曲がりながら笑う。

「襲撃の理由は…… 話さないよ…… 虚にだって…… 目的はあるからね……」

「本物のヴェガ少尉とイプセン軍曹は、どうした?」

「知らないな…… なり代われと…… 言われた…… だけだし……」

 顔を辛うじてコジロウに向けながら、ルイスは空気が抜けて折り畳まれて行く。

「誰にだ?」

「ふふん……」

 最後の空気を使い切るかのように、シートの上で平になったルイスが笑った。

「……」

 コジロウはルイスが最後の質問に、視線とその失笑で答えたような気がした。


「連絡がとれんだと……」

 ゲオルゲ・ミリャ中将はその報告を〈ヴラド・サード〉の艦長室で聞いた。

「はっ! 艇長ルイス・ヴェガ少尉の偵察艇と、二時間前の定時ビーコン以来、音信不通です」

「……」

 ゲオルゲはしばし沈黙する。

 艦長室に急ぎ現れて報告をした士官は、その様子に黙って起立して待つ。

 ゲオルゲの沈黙は、いつもよりやや長い。報告に現れた士官はそう思う。

 ルイスの艇には、リリア・ブランクーシ曹長が乗っている。顔には出さないが、中将はやはり動揺しているのだろう。

「他の艇は?」

「全て連絡が着きます。既に近くにいた四艇に、周辺の探索をさせています」

「うむ……」

 ゲオルゲは考える。娘は心配だ。だが司令官としてコジロウ・駿河曹長のことが気に掛かる。

 コジロウが狙われているのなら、どのような手に相手が出るのか分からない。そう考えて艦隊とコジロウを切り離したつもりだったが、もしかすると裏目に出たのかもしれない。

「こちらからも救援隊を出しましょう」

 艦長が迷っていると見たのか、士官はゲオルゲにそう提案する。

「ああ、だがこの距離では、近すぎて瞬間跳躍魔法は使えまい…… 軽連撃艦の〈シャクシャイン〉と〈 梁紅玉(りょうこうぎょく)〉が、足が速かったな。そうだな〈シャクシャイン〉に行ってもらおう」

「はっ!」

 士官が力のこもった敬礼をした。

 その心強い顔を見て、ゲオルゲは自分が背中を押されたことに今更ながら気付く。

 リリア・ブランクーシ曹長がゲオルゲ・ミリャ中将の娘であることは、多くの将校が知っている。母方の姓は名乗っていても隠している訳でないからだ。だが、返ってその親子の半端な距離感が周りに気を使わせていたようだ。

「すまないな」

 ゲオルゲは返礼を返しながら、日頃の礼も込めてそう言った。


「どう? 駿河曹長?」

 偵察艇の計器類のカバーを外して中を覗き込むコジロウに、後ろからリリアが声を掛けた。

「ダメだな。完全に計器類がいかれてる。通信機も壊されてるよ」

「あんな一瞬で?」

「炎の魔法を放つのは、最初から予定していたみたいだしな。炎の魔法の痕跡以外に、薬品の匂いもするよ」

 コジロウは実際に鼻で息を吸いながら答えた。

「計画的に燃やしたってこと?」

「そうだろうな」

「じゃあ、救援を待つしかないっての?」

「そうだ。闇雲に動かしても、宇宙の迷子だよ」

「こんな敵陣の近くで…… リム准尉も心配なのに……」

 リリアは己の膝の上に頭を預けるセシリア・リム准尉に目を落とす。

 狭いコックピットには、けが人を寝かせるようなスペースは元よりない。

 リリアは入り口脇のスペースに、床に直に座って膝枕を作り、セシリアを寝かせていた。

 セシリアは先程まで熱にうなされていたようだったが、今は落ち着いて寝息を立てている。

 だが施したのは簡易な治療だけだ。氷結の魔法も使い、出血を止めたが、やはり一刻も早く本格的な治療を受けさせてやりたい。二人はともにそう思う。

「そうだな……」

 コジロウは計器類から顔を上げると、脱いでいた左の手袋をその機械の上から取り上げた。

「気に入ってたんだがな……」

 コジロウはその手袋を見つめる。表面に縫い付けてあった水晶が二つ弾け飛んでいた。小さな魔法円から強力な使い魔を呼び出したことで、コジロウの魔力に耐えられなかったようだ。

 コジロウは床に這いつくばり、辺りを見回す。

「何してるの?」

「水晶。落ちてないか? 付け直したいんだけど」

「虚の水晶を拝借すれば?」

「自分のを使いたいしな……」

 コジロウは床に目を凝らす。手袋はともかく、水晶は使い慣れたものにしたい。

 使い慣れたものの方が、強い魔力を引き出せるからだ。これは水晶の大小にも、使う魔法の違いにもかかわらず、あらゆるところでそう実感されている。

 通常、砲首を任された兵は、その砲撃に使う水晶に自分用のものを持ち込む。使い慣れたもの程、使いでがよく、威力も増すからだ。

 艦長クラスの士官ともなれば、そのキャリアとともに、歴戦の証拠とも言える水晶を持っているのが普通だった。

 小型砲に配置された新米兵が、大型砲を任され、主砲を預かり、やがては艦で一番重要な艦長用に自分の水晶を持ち込む。それが一種の成功物語と考えられている。

 艦長の苦労話には、水晶とともに語られるものが多い。艦長の水晶は権威でもあり、それを裏づける本人の戦歴そのものでもあるからだ。

「それに少尉と軍曹本人の水晶だったら、申し訳ないしな」

「そうね……」

「あった。帰ったら縫い直しだな……」

 床に転がっていた小粒の水晶を二つ拾い、コジロウは溜め息まじりに呟いた。

「貸して。私が縫ってあげる」

 リリアがコジロウに手を伸ばした。

「?」

 コジロウは言われるがままに手袋を差し出した。水晶はたとえ手縫いであろうと、きちんと五角形に並んでいればそれでいい。手作業で縫い直しても、正確な配置なら問題はない。

 だがリリアがこの戦場で、針や糸を持っているとも思えない。

「糸はこれで勘弁ね」

 リリアはそう言うと、脇に寄せていた虚――マグヌス・イプセン軍曹の軍服に手を伸ばす。

 ボタンの一つに手を伸ばすと、氷のナイフを呼び出してそれを外した。そのまま器用に、ボタンの糸をほぐして取り出す。

「針は? 流石に持ってないだろ?」

「そうね……」

 リリアはそう答えると、魔力を指先に集中した。現れたのは小さな 氷柱(つらら)だ。

「器用だな。針の代わりか?」

 コジロウは操縦席に腰を掛けた。

「そうよ。穴も自由自在だし、糸通しも楽なのよ」

「氷の魔法は、嫌いじゃなかったのか?」

「そうね…… お父さんに反発していた頃は、大嫌いだったわ」

 リリアは笑って水晶を縫い付け始める。

「嫌いだったのか?」

「そうよ…… 家には寄り付かないし、お母さんは毎日お祈りしながら暮らしているし、冷血中将だとか、ドラクルだとか、ありがたくもない呼ばれ方もしていたしね」

「軍人だからな。でもそれでよく軍人になったな?」

 リリアは自身の手袋を脱いで針を進めていた。コジロウはしばしその優美な指と、その動きに見とれる。

「父を見返してやろう。父を超えてやろうと思ったら、士官学校に入るのが一番だと思ったのよ。もちろんそれだけじゃないけど。まあ何て言うか、同じ人生を歩んでも、私はもっとうまくやってみせる――てね」

「はは、きついな……」

「そう? でも、士官学校で過去の戦闘の資料とか見たら、考え変わっちゃった。何度死にかけてるのよ、この人って思ったら…… で、じゃあ、何の為にそんな目に遭ってるんだろうって考えてね……」

 リリアは一つ目の水晶を縫い付け終わる。

「ほら、トランシルヴァニア・ノウって割に辺境じゃない。私達が生まれた時は、隣国と戦争状態だったし……」

「ああ、そうだな」

 コジロウは教練で教えられた戦争史を思い出す。帝国は領土拡張の野心から、隣国との戦争が絶えない。トランシルヴァニア・ノウは、その中でもむしろ押されていた地域のはずだ。

「結構な激戦があったのよ。ニュースや大人達の話で知っていたつもりだったけど、資料として淡々と見せられると、何だか寒気が走ったわ」

「それで今は仲直りしているのか?」

「それが、それ程素直にはなれなくってね。実は私も駿河曹長のことは笑えないのよ。士官学校時代はなるべく疑似生命魔法を使うようにして、氷の魔法は意固地になって使わなかったわ。まあ本人は生意気にも、人一倍使える氷の魔法がなくても、何とかなると思ってたのよね。結局最終試験で思いっきり使って、それまで一位だった生徒を押し退けて、主席で卒業したのよ」

 リリアは器用に針を進める。氷の針を素手で扱っているというのに、冷たく感じているようにも見えない。やはり氷の魔法は得意なのだろう。

「俺の方は実際に、役に立たなかったんだがな」

「あの可愛らしさじゃね」

 リリアはクスッと笑い、コジロウが呼び出した使い魔を思い出す。

 獅子は雄々しくも勇ましく、子猫の大きさで虚に警告の唸りを発して睨み付けていた。

 獅子は危機が去るや緊張をなくしたのか、金色の光を失って、全体の色が変わってしまった。獅子の模様はお腹が白色に、背中がネズミ色になった。顔のところでその白とネズミ色が、暖簾を描くように合流していた。

 金色を失い、ましてや内から溢れ出る覇気をなくした使い魔は、もはや只の子猫にしか見えなかった。たてがみは生え揃っておらず、片翼はあまりに小さく体毛に紛れて目立たなくなっていたからだ。

 何よりセシリアの応急手当に追われたリリアの横に、心配げに腰を下ろす様は、主の仕草に気を取られる只の飼い猫にしか見えなかった。

 リリアが自分の方は気を取られまいと手当に没頭しようとすると、子猫は身を翻してコジロウの下に戻って行った。

 単にコジロウが呼び戻しただけだが、リリアにはそれがまるで気ままな子猫の振る舞いそのものに見えた。

 帰還する魔法円を失った使い魔は、無理矢理コジロウの中に戻る為に、その身をすり寄せるようにして戻って行った。

 その様はやはり、子猫が飼い主に頬をすり寄せているようにしか見えなかった。

 残念――

 手当が終わったら触らせてもらおう。そう思っていたリリアは、その時内心で思わず呟いたのを覚えている。

「で、駿河曹長はどうなの? 私ばっかり質問されて、不公平よ。はい」

 リリアは水晶を縫い付け終わり、コジロウに手袋を返した。

「ありがとう。父親はいないよ」

「本当に?」

「……生きているにしても…… たとえどこの誰だとしても…… 今の俺には関係がないし」

 コジロウは手袋をはめると、早速五芒星に魔力を送る。五芒星が明るく輝いた。

「おおっ、ちゃんと五角形に揃ってる。いい感じだ。ありがとうな」

「どういたしまして。お母さんは何て? お父さんのこと」

「いい男だった――だってさ」

「それだけ」

「それだけ。酒場で出会って、並みいる他の女どもをなぎ倒して、私がゲットした――とかも言ってたかな」

「面白いお母さんね」

「これがまた、本当に他人を『なぎ倒して』ないとは、言い切れないような 女性(ひと)でね」

「ふぅん。見習うことにするわ」

「止めとけって」

「ん……」

 セシリアが身じろぎした。

「准尉!」

「大丈夫ですか?」

 コジロウとリリアは競うように、セシリアの顔を覗き込む。

 セシリアは目をうっすらと開けた。ぼやける視界で見えたのは、額を突き付け合わすように自分をこちらを窺う二人の曹長だ。

 セシリアは、その揃って眉をひそめている二人の様子を見て、

「あら…… お邪魔だったかしら……」

 汗だくの笑みでそう言った。


 アントニオ・フェルナンデス・カルロス・タナカ中佐は上機嫌だった。

 集まってくる情報は、着々と一人の新兵の姿を浮き上がらせて行く。

 タナカ中佐が特に気になった情報――アレクセイが時計を見た時間は、偵察艇が任務に出た時間だった。そこに不自然に配置されているその新兵。疑うなという方が無理だ。

 視線ほど雄弁なものはない。挙動ほど正直なものもない。沈黙ほど明白なものもない。情報局を相手に情報操作をしようなどと、所詮無理があったのだ。タナカ中佐はそう思う。

「ふん、私の力をあまく見ないことだ」

 鼻を鳴らしながら一人でそう呟くと、タナカ中佐は〈ヴラド・サード〉の廊下を行く。

 〈ヴラド・サード〉と〈グロズーヌイ〉の一般兵の尋問を任せていた将校と、中佐はその廊下の先の部屋で落ち合った。

「どうだった?」

 先に控えていた部下の二人に、入室するや、この情報将校は鼻息も荒く問いただす。

 それでいて相手の方をろくに見てもいない。意見を聞く前から、自分の中ではもう結論ができているようだ。

 聞くまでない。そんな自信に満ち溢れた勢いで、二人の前の机に中佐は一人だけ座る。

 その腰の落とし方も、自分の存在感を見せつけるかのように大げさだった。小太りな体が音を立ててイスに納まった。

「なるほど。やはりな」

 その上、部下のもたらした情報は、タナカ中佐の取り調べを裏付けるものだった。それでいてこの中佐の情報の方が、正確で多様だった。

 それは自身が上官を中心に取り調べた為の当然の結果だった。だがそんな些末なことは、この中佐は気にならない。結果、部下の報告は、この情報将校を更に気分よくさせた。

「後もう、ひと調べだ」

 タナカ中佐はそう言って立ち上がる。取り調べ対象には決して見せない柔和な――それでいて不自然な、作ったような笑みを浮かべて、おもむろに部下に近寄った。

 そのまま二人並んだ部下のそれぞれの肩に、タナカ中佐は己の両手を置いた。

「よし、いいぞ。引き続き取り調べを続けろ」

 信頼を置いている。そうとでも言いたげに、軽く二度それぞれの肩を叩いた。

 部下に対する、こういった何げない気さくな態度と配慮の言葉が、出世には必要だとタナカ中佐は日頃からそう信じている。

 こちらから信頼することで、こちらも部下の信頼と力が引き出せるからだ。

 そして部下から信頼されているという心証と、何よりその部下の力とが、自分の評価を高めてくれるからだ。もっと言えば、何かの本にそう書いてあったからだ。

 だがその仕草に、二人の部下は内心驚いたようだ。ビクッと肩を、微かに震わせた。そして一瞬だけ互いに目配せをする。

 しかしタナカ中佐は、その部下の不審な様子に気付かず、

「どうした? 行くぞ」

 二人を引き連れてもう一度廊下に出た。

「見てろ! 雷中将!」

 二人の部下と部屋を出たところで別れて、タナカ中佐は鼻息荒く、廊下を行く。

 また一つ出世への功績を掴んだ気がして、この情報将校は己の両手を揉んだ。まるで本当に功績が形をなして、その両手の中にでもあるかのようだ。

 だが実際に掌にあるのは、先程叩いた二人の部下の肩の感触だけだ。

 随分と柔だったな。情報局所属とはいえ、軍人ならもう少し鍛えんとな。と、タナカ中佐は己の体躯のことは棚に上げて、その掌の中の感触を思い出す。

 その叩いた部下のそれぞれの肩が、まるで中身がないかのように軽く沈み込んだことには、

「はは!」

 この上機嫌な情報将校は最後まで気が付かなかった。


「確かに動かない方がいいわね……」

 セシリアは状況を一通り聞くと、自身も体を動かさずにそう言った。

「はっ。一緒に出た偵察艇か、本隊から捜索隊がくるまで待ちたいと思います」

「そうしなさい…… ブランクーシ曹長…… 駿河曹長」

「はっ」

「はっ」

 コジロウとリリアは息の合った返礼を返す。

「あら。随分としゃんとしてるわね。新兵さん達」

「栄えある帝国軍人ですから」

「あら。ブランクーシ曹長…… そんな理由――」

「准尉。あまり無理をなさらない方が」

「そうね。ちょっと調子に乗りすぎたみたい……」

 リリアに止められ、セシリアは自分が話し続けていないと不安で仕方がないのだと気付かされる。なるべく明るい話題をと、新兵の仲同士をちゃかそうとまでしていた。

 もしかするとブランクーシ曹長は、その言われる先を予想して、自分の言葉を遮ったのかもしれない。

 セシリアはそこまで考えてから、もう一度休もうと、最後に指示を出すことにした。

「駿河曹長、こうなってはあなたも十分な戦力よ…… することがないとは言わせないわ……」

「はっ!」

「この艇のことは、カタログスペックでしか知らないわよね…… そうね。各部のチェックを兼ねて、今の内に実際に見て把握しておきなさい。内も外も全部よ」

「はっ!」

「じゃ…… 少し休ませて…… もらうわ……」

 セシリアはそう言うと、もう一度体を横たえた。今度は二人の虚からはぎとった、上着を二着重ねて枕にする。

「……大丈夫。准尉は眠っただけよ」

「そうか…… じゃあ俺は、機体の外側のチェックをするよ。えっと……」

 コジロウは艇内を見回す。確かにカタログスペックと、実際に艇を見るのとでは大違いだ。宇宙服の格納先すら、とっさにはコジロウには分からない。

「宇宙服ね。手伝うわ」

 リリアはそう言うと、コジロウの背中に手を回し、その背後の扉を開けた。


 リリアに手伝ってもらいコジロウは宇宙服に着替えた。

 コジロウは小さな気密室で待機をして、外に出るまで心の準備をする。宇宙に単身で身を乗り出すのは、魔術が発展したこの時代でも緊張を強いられる。

 何と言っても危険であり、そして何より孤独だからだ。

 魔力だけを頼りに生身で宇宙に飛び出す試みは、立案される端から夢物語として片づけられた。魔力すら最後には通じないそんな宇宙で、魔力の限りを尽くして戦争をしている。

 因果なものだと、コジロウは今更ながら思った。

 気密室の空気を艇内に納めると、コジロウは隔壁を開けて外に出た。

 偵察艇の全容が見える。それは戦艦のような艦艇とは、やはり印象が違った。

 艦と艇はまるで分類が違う。一番大きく違うのはアームを持っているかどうかだ。

 艦はアームを持っているが故に大きくなり、そして五角錐に近い円錐形になる。

 艇はアームを持たない。それ故にアームに形を縛られることがないので、目的に合わせて様々な形をしている。

 もちろんアームがないので、主砲のような強力な魔法は扱えず、元より期待もされていない。

 偵察艇は前方から見て、横長の八角形をしている。なるべく平たく作り、コックピットの為に中央が肉厚になっている。多くの艇が採用している基本の船体だ。

 コジロウは偵察艇後部のメインエンジンを皮切りに、機体の右舷から底部に回り、更に左舷から上部に体を乗り出して状態を確認した。

 偵察艇の上部の二つの五芒星は、念入りに確認する。何かあった場合は、唯一頼りになる五芒星だからだ。

 そして艇はアームを持たないが、その不利を補う為にこの五芒星に一つ工夫がされている。

 コジロウは天井の二つの五芒星の、『八つ』の水晶を一つ一つ確認する。

 そう、その二つの五芒星は互いに傾き合い、隣接する二つの水晶を共有していた。

 二連五芒星と呼ばれ、通常の五芒星よりも強力な魔力を呼び出すことができる。

 だがその複雑さ故か制御が難しく、大規模な魔法円には向かなかった。結果偵察艇のような小さな艇に、配置されるにとどまっている。

 コジロウは水晶に異常がないことを確かめると、艇の前方に身を漂わせた。

 艇のフロントガラスに、リリアが内から手を着いて待っていた。

 この魔術全盛時代、一つ宇宙の孤独を和らげてくれるものがある。

 心に直接響く思念だ。

 コジロウはリリアに合わせて、外側からガラスに手を差し出す。リリアの掌に合わせてガラスに手を着くと、その思念が伝わってきた。

 思念はとても難しい。間接的、直接的な物理的接触や、機械的な電波に乗せないと、この魔術全盛時代でも思いの交換は難しかった。

 宇宙服と強化ガラスを通じ、リリアの思念が伝わってくる。

 無線とはまた違う、内に響くその言葉。

 お疲れ様――

 短い言葉だったが、コジロウは宇宙にいる孤独が、少し癒されたような気がした。


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