二、コジロウ・駿河
二、コジロウ・駿河
人類が他の惑星へ進出する際、その絶望的な宇宙のスケールは、科学で乗り越えることができなかった。代わって人々が頼ったのは――魔術だった。
魔術による宇宙規模の長距離移動は、人類の活動の場を飛躍的に拡げた。
光速すら凌駕するこの瞬間跳躍魔法は、文字通り魔術的な移動能力を人類にもたらした。
加えて天然自然の摂理を操る魔術は、可住惑星の選択肢をも別次元に拡げる。
火水木金土――
適切な太陽光と重力さえあれば、後はこれらのエレメントを操るだけだ。
飛躍する人類。次々と手に入る可住惑星。
土地を巡る諍い。資源を巡る争い。食料を巡る戦い。水を巡る殺し合い――
その全てが解決すると、楽観視する者も一時は多くいた。
だが人類は――やはり宇宙でも、どうしようもない程どん欲だった。
凛――
その言葉がよく似合う女性下士官が、戦艦〈ヴラド・サード〉の作戦会議室に現れた。先に待っていたゲオルゲ・ミリャ中将とアレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフ中将に敬礼をする。
地球時代の海軍式に天を貫くかのように真っ直ぐ伸ばされたその指は、細くそして長かった。
手袋をしていなければ、そのきめ細やかな肌と、艶やかな爪とで、見る者を魅了しただろう。
だが多くの者を実際に虜にするのは、その指が添えられた美貌の方だ。顔の全ての作りが細く優美であるのに、まるでか弱さを感じさせない。
細い眉はそこ以外にないと言わんばかりに、優雅に湾曲して生え揃っている。
目は大きく、そして内なる意思の強さを表すかのように、強く明るく輝いている。長いまつげに隠されながら、それでも目の奥のその輝きは見る者の心をとらえて離さない。
鼻は細く高く、真っ直ぐ息を吸う為に、美の女神が手ずから作ったかのようだ。
唇は瑞々しい。そして薄く広く伸ばされている。入室の挨拶の際にこぼれて見えた白い歯と相まって、まるで陽に翻る三色旗のようだった。
「〈ギの八〉を通じて見ておったな…… どう思った?」
ゲオルゲは母親によく似たその顔に見入りながら、返礼を解いて女性下士官に尋ねる。
「率直に申し上げて、よろしいでしょうか?」
唯一父親に似た細いアゴを動かして、女性下士官は敬礼を解く。
「構わんよ」
「惚れてしまいそうです」
「――ッ!」
冷血中将が気色ばみ、
「だははっ!」
雷中将は弾けたように豪快に笑った。
「そのような個人的な感想はいい……」
「はっ! あれだけの巨大な使い魔を操る魔力。攻撃を受けながらなお、目的にのみ邁進する胆力。誰にも見抜けなかった、敵の捨て身の作戦を見抜いた眼力。何より実際に我が艦隊を救ったその行動力――」
「惚れてしまいそうか?」
アレクセイが歯を剥き出して笑う。
「はい」
「それはいいと、言っておる!」
珍しくゲオルゲが声を荒らげる。そして慌てたように後を続けた。
「貴君に指令を与える。敵本星の最終防衛ラインと思われる、資源衛星の戦力確認だ。コジロウ・駿河曹長とともに――」
冷血中将ゲオルゲ・ミリャは、真っ赤になりながら命令をまくしたてた。
女性下士官は笑みをたたえてその命令を拝命する。
お腹の底からこみ上げてくる笑いを、この下士官は微笑みでごまかしているのだ。
アレクセイはそうと見抜いていた。
本来なら上官を侮辱するようなその態度を、この雷中将は叱責していただろう。
だがアレクセイも笑いを堪えるのに必死だった。冷血中将のこの焦り様は、やはこの女性下士官でないと引き出せない。アレクセイは戦友の、ともすればしどろもどろになりかねない態度を、堪能させてもらうことにした。
「では。失礼します」
拝命を終えた女性下士官は敬礼する。二人の中将が返礼すると、部屋を出て行った。
「『惚れてしまいそう』だとよ。どうするよ? 間違いの一つぐらいあるかもな」
アレクセイが笑顔で蒸し返す。腹の底から笑っていた。
「……ふん、衛兵!」
ゲオルゲが壁に備えられたモニターの呼び出しボタンを押した。
敬礼した士官が、モニターに映し出される。
「盗聴器の用意を――」
「しなくていいからな」
アレクセイがモニター前に割り込み、ゲオルゲの命令を取り消した。
式系統が失われていたとはいえ、艦を勝手に動かしたコジロウは、叱責されるものだと思っていた。いや、叱責では済まない可能性の方が大きかったが、それは意識して考えまいとした。
現に左翼の統率艦である〈グロズーヌイ〉に集められた〈耶律阿保機〉の仲間とは別に、コジロウは一人〈ヴラド・サード〉に収容されている。
それは艦隊の司令官――冷血中将ゲオルゲ・ミリャの艦だ。
正直言って心細い。失敗した。今更ながらコジロウはそうも思う。
〈ヴラド・サード〉の軍医は『頭を打っただけだ。失血は少々多かったみたいだが、怪我そのものはたいしたことはない。どんな軍法会議でも大丈夫』と、本気とも、冗談ともとれない慰めとともに、コジロウを治療した。
だが傷の治療が終わり、あてがわれた部屋で受け取った命令は、偵察任務とのことだった。
コジロウが詳細を聞きに伝令室に行くと、待っていたのは女性下士官だった。
下士官は微笑みながら敬礼し、おもむろに話し掛けてきた。
「〈ギの八〉を通じて見ておりました。大したものですね」
「そりゃ…… どうも」
階級章を見るに、階級は同じ曹長。コジロウと同じく、士官学校を出たばかりの新任の下士官のようだ。
思わぬ褒め言葉と、その気さくな物言いに、コジロウも我知らず砕けた返事をしてしまう。
「軽空母〈 張学良〉の曹長。リリア・ミリャです。偵察部隊に所属しています」
「ミリャ?」
それはコジロウでも、聞けば思わず背筋が伸びてしまう将校の名前だ。
「何か悪い?」
リリアと名乗った女性下士官は、わざとらしくも眉をひそめてみせる。『文句ある』とでも言わんばかりに、片頬が上がっていた。
そしてその表情豊かな顔が、更にこの下士官の魅力を押し上げていた。
「いや…… 失礼。何だか一瞬で、背筋が凍りついたような気がしてね」
「あら、そう? 普段はリリア・ブランクーシって名乗っているわ。母方の姓よ」
リリアは不機嫌な顔をすぐに内に納めると、コジロウに笑ってみせる。柔和でそれでいてこちらも砕けた笑みを浮かべていた。
「それはお優しいことで」
「あら? 艦艇を一人で勝手に動かすようなあなたでも、萎縮することはあるのね」
「一睨みで、空母をも沈黙させると言われている人だからな」
「家では娘一人黙らせられないわよ」
「オッケー。それ以上は聞かないでおくよ。軍法会議はまだまだごめんでね」
「罪状は国家機密漏洩罪ね」
地球時代のブラックジョークを、リリアは明るく言って微笑む。
「笑えない冗談だな」
「笑えない冗談なら、家でいくらでも聞けるわよ」
二人は連絡艇に向かう為、伝令室を出て歩き出した。廊下を二人して行く。
「そうか……」
「今度招待してあげましょうか?」
「曹長の家にかい?」
「そうよ。私の国、お肉がおいしいのよ」
「いや、肉はしばらく遠慮するよ」
「そう? 残念ね。お肉はともかく、見物なのに。冷血中将のジョーク――」
リリアは横を歩くコジロウの顔を覗き込むと、
「背筋も凍るわよ」
明るく笑ってそう言った。
軽空母〈張学良〉に向かって、戦艦〈ヴラド・サード〉から連絡艇が射出された。
〈ヴラド・サード〉の艦長室で、その様子をモニター越しにゲオルゲが見送る。
「……」
「心配するな」
一際意地悪げな顔を向けて、アレクセイは戦友に言ってやる。戦友は艦長席を挟んでアレクセイと向かい合って座っているというのに、モニターからまるで目を離さない。
「心配などしておらん」
「そうか」
「ふん」
「大きくなったもんだな、あの娘も。増々母親に似てきたな」
「ああ、そうだな」
「母親も似合っていたが、あの娘も軍服が様になるな」
「ああ、そうだな」
「思い出すな、お前の嫁さんのあの白鳥。美しい使い魔だった」
「ああ、そうだな」
ゲオルゲはやはりモニターから目を離さない。
「さっきからずっと同じ返事だぞ、ゲオルゲ」
「ああ、そうだな」
ゲオルゲはやはり同じ返事をし、完全に見えなくなった連絡艇の、その小さな光を見つめる。
「そんなに心配なら、たまには親子の会話の時間を作れよ」
「話はちゃんとしている」
「さっきみたいな、上官と部下みたいな話ばかりだろ?」
「任務中だ。職権の濫用は厳に慎むべきだ」
モニターの中の連絡艇が、完全に見えなくなった。ゲオルゲはモニターをやっと切り替える。
「そうかよ。今年の新兵の任地任命の時期には、人事担当官は相当なプレッシャーを受けたと聞いているがな」
「何のことだ? 私は日頃の苦労を労う電話をしただけだ」
「がはは。そういうことにしておいてやるよ」
「ふん」
「ありゃ、でも相当怒ってるかもしれねぇぞ」
「何がだ?」
「只でさえ親の七光りは疎ましいと思う性格だろう。その上父親の艦隊に入れられてはな。保護されているような気になってなきゃいいがな」
「何を言う。ちゃんとこうして、単独任務を任せているではないか」
「そうかよ」
「そうだ」
「まあ、いいさ。それにしても、あれだけの怪我の曹長に、すぐさま次の任務とは驚いたな」
「ああ、考えがあってな」
ゲオルゲは机に肘を着いて指を組み、その上にアゴを乗せた。それはこの中将が考え事をする時の癖だった。
「考え?」
「ああ……」
「駿河曹長との任務にそこまで考えているとは、意外に理解がある父親だったんだな」
「何の話だ」
「何のって。二人乗りの艇って訳じゃねえから、二人っきり――てことはねぇだろうがよ……」
「何を言っている…… そんな考えではない、アレクセイ」
「違ったか?」
分かっていて言ったアレクセイが、歯を剥き出して笑いながら確認する。
「違う。そんなことより、三時間後に、査察官が今回の戦闘の戦闘記録を受け取りにくる」
「いつものことだろ? 任せたぜ。俺はああいうのは、あちこちがかゆくなるからな」
アレクセイは実際に首筋を掻きながら応える。
「いやどんなに掻きむしっても、今回はお前に書いてもらう」
「何だよ。いつも任せてるだろ? いやむしろ、任せてくれないだろ?」
「今回は特別だ」
そう言ってゲオルゲはコジロウの顔を思い浮かべる。
これからの苦労を思えば、アレクセイが自分で戦闘記録を書くなど、たいしたことではないだろう。
「スペルミスがどうの。数字が違うがどうの。細かいこと、ねちねち言われんのは、苦手なんだよ」
ゲオルゲは尚も渋るアレクセイをなだめすかしてその書類を書かせ、自分はこれからのことに頭を使うことにした。
それは小さな肉塊だった。
指でつまめる程の大きさだ。そしてそんな小さな肉塊にもかかわらず、その周囲にはちゃんと毛穴すら空いた皮膚があり、あまつさえ息をするかのようにうごめいていた。
肉塊は内からの力に押されるかのように、小刻みに震え出す。そしてその振動に合わせて、その皮膚の表面に男の顔が浮かび上がった。
それは肉塊の表面に浮かぶ小さな顔だった。その顔が無理矢理肉塊の表面に内から押し付けらるかのように、左右に 面を振りながら徐々に浮き上がってくる。
その面に浮かぶ苦痛の表情そのままに、肉塊は震えながらその顔を外にせり出そうとしていた。苦悶という言葉をまさに体現したような、おこりのような身震いをさせながら、顔は浮き上がってくる。
まるでゴムでも伸ばすかのように、この肉塊の顔は見る間に皮膚を引き伸して、面を浮き上がらせる。そして小さな肉塊から、人間相当の大きさの顔が現れた。
目、鼻、口、耳の穴はない。引き伸された皮膚のままだ。
その顔の脇から突如、右手が突き出された。
顔と右手の肉塊は、己の右手の突き出た勢いに負けて、横に転がってしまう。
その回転を止めたのは、やはり突如現れた左足だ。
奇妙な肉塊は、もはや奇妙な人間と呼ぶべきかもしれない。
その未完成な奇妙な人間を、一人の男が見守っていた。
男は薄く笑っていた。
自室の床に転がる、自身の魔法が生み出した奇妙な人間に、興味深げな視線を送る。
奇妙な人間は肉塊から右足を突き出すと、その奇妙な体と足とで、器用に立ち上がる。
そして二、三度しゃっくりをするかのように身を震わせると、その度に胴体が伸びた。
妙に細長い胴体のまま、奇妙な人間は体をくねらせる。くねらせる度に内から膨れていき、全体の形が整えられるにつれて、肉塊の体は人間のそれに似て行く。
奇妙な人間はやはり男のようだ。
その奇妙な男は最後に肩から左手を突き出した。
そのままためらいもなく己の顔に、左手の指を突き刺す。目、鼻、口、耳と指を入れて、皮膚を内に押し込んで行く。
穴を空けたのではないらしい。男はそれぞれ人間なら本来あるべき場所に、その器官によく似たくぼみを作り出していた。
更にえづくように体を震わせると、今度は体毛が生え、爪が伸びる。
目の位置のくぼみにまつげが生え、二、三度瞬きのような動きをぎこちなくする。するとその皮膚の向こうに眼球が現れ、瞬きも自然なものになった。
「これを着たまえ」
見守っていた男は、その肉塊だった人間に軍服を放り投げた。
「……」
肉塊から生まれた男は、無言でその軍服を受け取る。
「生まれたばかりで申し訳ないが、これから一仕事してもらうよ」
軍服を与えた方の男は、にこやかな笑みでそう言った。
虚空に五芒星が描かれた。居並ぶ帝国軍第十七艦隊の大外に、宇宙の闇を照らして五芒星が現れる。その妖しい光を放つ魔法円は、一際明るい光を放つと内から魔術的な振動を発する。
その振動とともに魔法円の中心から現れたのは、艦首――折り畳まれた主砲だった。いずれかのクラスの艦が、瞬間跳躍魔法で出現するようだ。
艦は長距離移動をする際に、魔法円による瞬間跳躍魔法を利用する。これは主砲で描き出した自艦よりも大きい魔法円を、一時的に宇宙空間に固定し、その中に飛び込むことで行う。
虚空に魔法円を固定させるには、大きな魔力と時間を要する。おいそれと利用できる魔法ではないが、その分その力がもたらす跳躍力は絶大だった。
人類が手にした魔術的な力の一つを見せつけて、今軽連撃艦クラスの艦が帝国軍第十七艦隊に合流しようとしていた。
「遠路はるばる、ご苦労なこった」
〈グロズーヌイ〉の艦長室のモニターで、宇宙スケールの跳躍を見ながらアレクセイが呟く。
そして今なら簡単に撃ち落とせるなと、不謹慎にも思ってしまう。
大量の魔力を使う瞬間跳躍魔法は、その移動後はほぼ無防備に近い。今まさに第十七艦隊が、通常移動で戦場に向かっている理由の一つだ。
「面倒くさいんだよな、情報将校様は」
アレクセイはやはりそう呟くと、悪戦苦闘の末、ようやく書き終わった戦闘記録を手に席を立った。
「ガモフ中将殿。戦闘記録は正確にお願い致したい」
軍人というよりは官僚といった感じの将校は、表情一つ変えずにそう言った。
小太りで眼鏡、背は高くない。きちんと分けられた髪と、縁の厚い眼鏡、そしてその奥の細い目が相まって、軍人という印象をまるで感じさせない。
階級は中佐。にもかかわらず中将を相手に、六人の部下とまるで威圧するかのような態度を見せている。
この中佐は背筋をピンと伸ばし、中将と向かい合って作戦テーブルに一人座っていた。
いや、威圧に成功しているのは、その背後に立つ部下達だけのようだ。
中佐の迫力不足を自分達で補おうとするかのように、部下達は無言で胸を張り、冷たい石壁のように居並んでいる。
全員が左腕に、黒地に濃い赤の三本線の入った腕章を付けている。
それは戦局の情報を集める情報局の将校の印だ。
〈グロズーヌイ〉の作戦会議室で、アレクセイとその情報将校達は気難しい顔を突き付け合わせて、戦闘記録の確認をしていた。
「おう。正確に書いたつもりだったがな。何か間違っていたか? えっと……」
何度も掻いたかのような赤い痕を首筋に見せ、雷中将は迫力不足の顔の査察官に応えた。
「アントニオ・フェルナンデス・カルロス・タナカです。最初に名乗ったと思いますが?」
「そうだったな。俺は物覚えが悪くてね。気にしないでくれ。ぇっと…… アントニオ……」
「アントニオ・フェルナンデス・カルロス・タナカです」
「そうそう、タナカ中佐。で、タナカ中佐? 何が間違ってるって?」
「間違いではありません。いえ、確かに間違いは多々あります。スペルミスに加え、単純な艦艇の認識番号の間違いまで、ざっと見ただけでかなりあります」
タナカと名乗った情報将校は、目に力を入れ、やや上目遣いでアレクセイを見る。視線を下からえぐり入れることで、まるで相手の心の内に入り込めるとでも思っているかのようだ。
「そうかよ」
いつも通りだがよと思いながら、アレクセイはその視線を気にも止めずに受け止める。
「そうです。指摘する身にもなっていただきたいものです。ですが今、一番問題なのは、それらではありません。明らかに足りない箇所があることです」
「なんだ。俺はややこしいのは嫌いでな。はっきり言ってくれ」
雷中将は鼻梁を掻きながら言った。ゲオルゲにするなと言われていた仕草だ。
やましいことがあると、すぐ鼻を掻く癖がアレクセイにはあるらしい。
「では申し上げます。連撃艦〈耶律阿保機〉が最後に放った主砲――」
アレクセイはまたもや鼻を掻いた。
「その主砲は疑似生命魔法とありますが。使い魔の詳細がいっさいありません」
「しょうがねえだろ。〈耶律阿保機〉は大破。記録装置はブラックボックスを含めて、皆敵の炎の魔法で焼き切れていたんだからよ」
「……」
情報将校は冷たい目でゲオルゲを見やる。部下もそれに合わせて、無言でアレクセイを見た。
「何だよ? てか、お前の部下、愛想悪いぞ」
アレクセイはその沈黙と視線に耐え切れず、自分から口を開く。やはりゲオルゲにするなと言われていた振る舞いだ。
後ろめたいことあると、口数が多くなる癖がアレクセイにはあるらしい。
「余計なことは話さないように、部下には日頃から厳命しております。ご了承願いたい」
なるほどなと、アレクセイは思う。
無言で居並ぶ情報局の将校達。皆が少尉以上だ。そして情報局所属というだけで、階級以上の権限を持っている。並の兵ならアレクセイとはまた別の理由で、訊かれもしないことを自分から話してしまうだろう。
この威圧感だけで給料をもらっているんだろうな。楽な仕事だ。羨ましいな。と、アレクセイ自身はその威圧感に負けずに、内心暢気に思ったりもする。
「周りの艦はいっさい、連撃艦〈耶律阿保機〉の主砲を記録していないともあります。不自然ではありませんか?」
一人雄弁なタナカ中佐は、その自慢の威圧感を背に、荒くなりそうな鼻息を押さえながら口を開く。
「戦闘中だぜ。一度沈んだと思い込んだ艦に、何で注意してなきゃならん?」
「アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフ中将とゲオルゲ・ミリャ中将程の歴戦の勇者がいらっしゃって、戦艦〈グロズーヌイ〉及び戦艦〈ヴラド・サード〉以下どの艦も、その攻撃を光学的に記録していない」
「おう」
「隊列を組んでいた僚艦も、いっさい記録していない」
「ああ……」
「おかしくはありませんか? 雷中将殿」
タナカ中佐は、鼻息を荒く噴き出して身を乗り出した。わざとらしく、その戦功によって付けられた、アレクセイの二つ名で呼ぶ。
そろそろ時間だな――
アレクセイはその嫌みを気に留めない。それでいてタナカ中佐の視線から逃れるように、チラリと自分の腕時計を見てしまう。予定通りなら、今頃厄介な曹長を放り出している時間のはずだからだ。
半ば無意識の動きだった。
だが時間を気にする素振りは、ゲオルゲに絶対にするなと言われていた行為だ。
「……」
そのアレクセイの様子を見とがめたのか、タナカ中佐は片眉を少しだけ上げた。
アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフ中将が鼻を掻き、自ら口を開き、時計を盗み見た丁度その頃――
軽空母〈張学良〉から幾つかの偵察艇が、任務に飛び立って行った。
その中の一つにコジロウ・駿河曹長がいた。
コジロウは乗り慣れない小型艇の、座り慣れない補助シートに、見知らぬ顔に囲まれながら、少々居たたまれない心持ちで腰を下ろしていた。
そのコジロウに偵察艇の艇長が、自身の目の前の計器類を操作しながら説明をしてくれていた。コジロウの緊張を知ってか知らずか、幾分砕けたものの言い方だった。
「偵察内容は敵戦力の確認。外から光学的に記録するだけだから、たいした任務じゃない」
「はっ!」
「この艇は足も速い。光学装置も優秀だ。何より乗っているのが――」
コジロウに説明をしていた上官が、さわやかな笑みを浮かべて後ろを振り返る。自身の席の真後ろ、そこに座る女性下士官に艇長は明るい笑みを送った。
「惑星トランシルヴァニア・ノウ第四士官学校の、主席卒業生様だからな」
「へぇ、そうなのか? ブランクーシ曹長」
「そうよ。ぶっちぎり――と言いたいところだけど、最後の試験でまくってあげたわ」
「そうか。俺はそういう連中を、羨望の眼差しで見ていた方だな」
士官学校時代、成績のふるわなかったコジロウが頬を掻きながら言った。
「どちらにせよ、優秀な人材がいてくれて嬉しいよ。曹長」
艇長はそう言って前に向き直る。
偵察艇は通常四人乗りの小型機で、艇長以下今回は五人が乗船していた。
艇長のルイス・ヴェガ少尉。副官のセシリア・リム准尉。一般隊員のリリア・ブランクーシ曹長に、マグヌス・イプセン軍曹。そしてコジロウ・駿河曹長だ。
コジロウは乗員をざっと見回す。
艇長のヴェガ少尉は五人の中では最年長だが、まだ三十には届かないようだ。短く刈り込んだ髪を、癖なのかそれでも時折触って整えようとする。
リム准尉はグラマラスな女性で、軍服の胸元が少々きついような仕草を時折見せていた。二十代の前半のようにも見えたが、それは若く見える外見のせいかも知れない。
イプセン軍曹は見るからに若い。コジロウから見ても若い。それでも階級から考えれば、コジロウとそれほど年は変わらないか、年上でもおかしくはない。
こちらも若作りなのかもしれない。だとすると年齢は上、階級は下ということになる。
コジロウはそんな軍曹と、どう話をしたらいいものか、胸の中で少々不安になる。
そしてリリア・ブランクーシ曹長だ。
「……」
コジロウはその横顔にしばし見とれて、それから慌てたように視線をそらした。
「……」
情報将校アントニオ・フェルナンデス・カルロス・タナカ中佐は、相手の出方を窺うかのように沈黙で二人の間を埋めた。
それでいながらアレクセイと違い、実にさりげなく時間を確認する。
この権謀術策に疎そうな中将が、この時間に何を気にしたのか後で調べるつもりだろう。
「必死だったんだよ」
やはり自分から口を開き、アレクセイは一際大きく鼻を掻いた。もはや無理に掻くまいとする方が、何かと不自然な振る舞いを引き起こしそうだったからだ。
「護衛艦〈タークシン〉、軽重撃艦〈ヴィラコチャ〉、同〈ミドハト・パシャ〉。ざっと名前が上がるだけでも、三隻も近くにいてですか?」
「それは、元の配置ならだろ?」
「そうですが」
情報将校は一度後ろに身を退いた。もちろんその間、部下達は一切動かない。
「〈耶律阿保機〉は前に出過ぎていた。前というか斜め上だな」
「存じております」
言われるまでもないと言わんばかりに、情報将校は全身に力を入れる。
既に知っている情報だ。もう耳に入れる必要はない。あなたに言われる必要はない。
そうとでも言いたげな、頑な態度だ。自身の情報収集能力に自信があるのだろう。
「戦線を離脱していた訳だ。そっちに艦首を向けてる艦なんてねぇよ」
「……」
「それに――」
アレクセイはまたもや自分から口を開いてしまう。
「使い魔の詳細は、それほど重要なことだとは思えなかったんでね。いちいち各艦に報告なんてさせてねぇよ」
「あれ程の力を見せつけた疑似生命魔法。興味が湧かないとは、勇猛で名を馳せた雷中将殿らしくないではありませんか?」
「訓練中に見掛けたのなら、力比べでも申し込むわな」
「……帝国に必要な力だとは、思いませんでしたか?」
タナカ中佐は左の眉だけ器用に上げて、アレクセイを挑発するようにもう一度身を乗り出す。
「どんなに力があっても、死んでしまってはな……」
「……」
「……」
アレクセイとタナカ中佐の迫力不足を自分達で補おうとするかのようには無言で視線を戦わせる。
アレクセイは相手の力を探る為、その視線からタナカ中佐の魔力を読み取った。
だが拍子抜けした。まるで非力だ。これで情報局の中佐だというのだから、我が軍は大丈夫かとアレクセイは思ってしまう。
いやその分、情報将校としては優秀なのかもしれない。
アレクセイは雷中将と臆せず睨み合いを続ける中佐に、もしかしたら優秀なのかと思い始める。いや、こういう雑多なことを考える時間を与えるのが、向こうの手なのかもしれない。
アレクセイは相手の力を思い直し、もう一度、精神を集中し直す。
「……分かりました。連撃艦〈耶律阿保機〉が、大破間際に放った疑似生命魔法は――」
意外にも先に口を開いたのは、タナカ中佐の方だった。
「……」
アレクセイは鼻を掻くのを何とか堪えた。
「詳細は不明。おそらく術者も戦死。再現及び検証は不可能――」
「……」
アレクセイは口を開きそうになる。望んでいた結論が早く出るように、思わず声を出して促してしまいそうになる。
「ということですね」
「おう」
雷中将は無愛想に――それでいていつもの表情で、査察官に返答した。
「分かりました。ただしこちらでも調査させていただきます」
情報将校はそう言って立ち上がると、きびきびとした動きで席を離れる。
「何だよ」
「第十七艦隊の各艦に立ち寄らせていただきます。あらゆる階級の兵と直接面談を致しますので、そのおつもりで」
ドアのところで部下とともに一斉に振り返ったタナカ中佐は、脅すように声に力を込める。
「好きにしろよ」
アレクセイがそう平然と言うと、情報将校は部下とともにドアの向こうに消えた。
「……」
将校達の足音と気配が消えたとみると、
「かゆいな! クソッ!」
アレクセイは堪らず全身を掻きむしった。
コジロウ・駿河曹長は狭い艇内で、少し大げさに身じろぎした。実際に艇のイスに慣れないことと、長く同じ一人の同乗員を見つめていたせいだった。
その同乗員――リリア・ブランクーシ曹長はてきぱきと機器類を操作している。もちろん彼女以外の兵員も、それぞれ忙しそうに機器に向かっていた。
コジロウ以外は皆、軽空母〈張学良〉の乗員で、偵察や索敵を常の任務としていた。
つまりコジロウは知らない人員の中に放り込まれた、勝手の分からない、役割もない、全くの門外漢ということになる。
実際四人が機器類を忙しく操作している間も、コジロウはすることがなく、一人後部の補助シートに身を沈めている。
「少尉殿。質問をしてよろしいでしょうか?」
また視線を一人に奪われそうになってしまい、コジロウは慌てて口を開くことにする。
「何だい、駿河曹長?」
「偵察任務に出ろと命令を受けましたが、正直言ってすることがありません」
「正直だな」
ルイスは苦笑いをして応える。
「私達の任務は『見る』ことよ」
ルイスの左隣に座ったセシリアが、こちらは真剣な顔で振り返る。
「視力には自信がありますが、人並み以上という訳でありません」
「何言ってんのよ」
リリアが弾けたように笑う。
「私達は見ていたわ。どの艦から放たれた使い魔が、敵重撃艦を沈めたのかをね。もっと言えば、どんな使い魔が現れたのかもね」
「リム准尉。自分は――」
「皆まで言うな、曹長。この艇以外にも、あの疑似生命魔法を見た索敵要員は、ほぼ全員が偵察任務に駆り出されている。これは、いつもより多く、そして早い」
「……」
コジロウはうまく返事ができない。
「つまり。見てなかったことにしたいのよ。少なくても査察官が帰るまではね」
リリアが明るく言った。
「それと、私達はあなたを見るのも、仕事かしらね」
セシリアは意味ありげな視線を、コジロウに送る。あの使い魔を呼び出した男を、偵察部隊に放り込んでいるのだ。興味が湧かない訳がない。色々と観察せざるを得ない。
「リム准尉。准尉殿の目から見て、駿河曹長はどうだ? いい男か?」
「それはブランクーシ曹長に訊いた方が、いいかもしれませんね。少尉殿」
「あらどうして私ですか?」
リリアは澄まして応える。
「さっきからチラチラと、駿河曹長の方ばかり見てるじゃない」
「そんな手には、引っ掛かりませんよ准尉」
「あら、失礼。見ていたのは、駿河曹長の方だった?」
「えっ? そんなことはありません! 准尉殿!」
「こっちはあっさりと引っ掛かってくれますね、リム准尉」
リリアはくすくすと笑った。
「えっ?」
「ホントね」
「諜報部員とかには、なれないタイプだな。曹長」
セシリアとルイスも笑い、
「……」
イプセン軍曹はずっと無言で機器を操作していた。
「鼻を掻いて、自分から口を開いたな」
アレクセイの鼻頭が少々赤いと見るや、ゲオルゲは開口一番そう言った。
「何でもお見通しなら、自分で査問を受けやがれってんだ。ついでに言うと、時計も見ちまったぜ」
情報将校の査問が終わると、アレクセイは僚艦〈ヴラド・サード〉を訪れていた。
艦長室でゲオルゲが指し示したイスに座る。
「やっぱりお前が戦闘記録を書いた方が、よかったんじゃねえのか?」
二人は執務用の机を挟んで向かい合った。
「私が書いた戦闘記録に穴がある――おかしいだろう」
「俺の戦闘記録が、日頃から穴だらけみたいだな」
「違うのか?」
「違わんがな」
アレクセイは座ったばかりのイスから腰を浮かし、部屋の主に断りも入れずに備え付けの棚に手を伸ばす。棚から取り出したのは、飲み掛けのスコッチとグラスだ。
「私物のスコッチが、本人は一口も口を付けていないのに、もう半分以下とはどういうことだ、アレクセイ?」
「飲みもしねえのなら、最初から持ち込むなよ、ゲオルゲ」
「ふん」
「俺の艦のはあっと言う間になくなるからな」
「水だ。水だと言いながら、あれだけ胃に流し込めば、残っている訳がなかろう」
「俺の故郷じゃ、あの無色透明な蒸留酒を水――ウォッカだって言うんだよ」
アレクセイが注ぐ前のグラスを、一息で飲み干す真似をした。
まさに水を飲み干すかのような勢いで、グラスを傾けてみせる。
実際にウォッカが入っていても、アレクセイは同じ様に胃に流し込んだだろう。
「ふん。で、査察官はどうだった?」
「不審の固まりだな、ありゃ。自分達で各艦に個別に面談に行くってよ。止める権限はねぇからな、行かせたぜ。だが偵察部隊を放り出しておいて、正解だったな。あの情報将校様、かなり疑ってるぜ」
「私は煙に巻けと言ったはずだがな」
なみなみとグラスに注がれる私物のスコッチ。それを見ながらゲオルゲは机に肘を着き、指を組んだ。下手をすれば、一口も飲めないかもしれないなと、その様子にゲオルゲは思う。
「それは人選を間違ってるぜ」
「私では半端な戦闘記録は作れない。お前では完璧な審問に答えられない――痛しかゆしだな」
「おう…… て、それ。俺にいいところがねえじゃねえか」
「そうだったか?」
「そうだよ。で、隠してどうすんだ?」
「元より今回の戦闘はおかしい……」
「あん?」
「そうは思わんか?」
「いきなり、何を言い出すんだよ――」
アレクセイは思った以上に深刻な顔する戦友に、戸惑いながら応える。
「おかしいって言えば、お前が俺に、戦闘記録を書かせたことぐらいだろ?」
「そうだな。だが、違う。おかしいのは、今回の戦闘の不自然な状況と、連撃艦〈耶律阿保機〉の不自然な突出だ。そしてそこに乗っていた、おかしな下士官だ」
「なんだよ?」
「繋がっているのではないのか? 何かが裏で……」
「おいおい。大丈夫か?」
アレクセイは思わず周囲を見回してしまう。
「この部屋のクリーニングは完璧だ。何なら好きなように放電してもらっても構わんぞ」
「電撃魔法による辺り構わずの電子機器の破壊は、艦を捨てる時の機密保持の為にやるもんだ。盗聴器壊すのに、艦ごとお釈迦にするつもりか?」
「お前と双子艦に乗っているのかと思うと、一刻も早く乗り換えたい気分なのは確かだがな」
「そりゃこっちの台詞だ」
「そうか。だが――」
ゲオルゲはアレクセイの目を覗き込む。
「杞憂でなければ、我々は大きな陰謀に巻き込まれている。そうは思わんか? アレクセイ」
「おいおい。飛躍し過ぎじゃねえのか?」
「そうかな」
「……脅かしっこなしだぜ……」
急に喉が渇いたような気がして、雷中将はスコッチをやはり水のように喉に流し込んだ。
「今日は何時にも増して、静かだなイプセン軍曹」
ルイス・ヴェガ少尉は任務開始から一言も口を開かない、マグヌス・イプセン軍曹の席に振り返った。敵資源衛星まで、後一時間とかからない。光学装置の最終確認をしながら、ルイスはマグヌスに話し掛ける。
「……」
マグヌスはやはり応えない。黙って頷くだけだ。
「無口にも程があるな。軍曹」
ルイスはそう言って声を出して笑う。
「ホントね」
セシリアも笑って応える。
「イプセン軍曹は、炎の直接攻撃魔法が得意なのよ、駿河曹長」
「そうなのか? 俺と同じだな」
「……」
リリアとコジロウの話題のふりに、それでもこの軍曹は応えない。
リリアは笑って肩をすくめてみせた。
「曹長は、炎と獅子の使い手なのね」
「それがリム准尉。自分の使い魔が獅子なのは、今日初めて知りました」
「なによ、それ」
リリアがくすくすと笑う。あれ程の巨大な使い魔を、今日初めて呼び出したとコジロウは言っているのだ。俄には信じられない。
「いや、いつもは子猫の使い魔が現れてね」
「子猫?」
「そう、子猫。呼び出してもじゃれついてくるだけで、実際何の役にも立たないんだ。気まずいぞ。教練中に皆が真剣に使い魔を制御している中、自分だけ子猫とじゃれつくのは」
「あはは、何それ? それって赤ちゃんライオンだったってこと?」
リリアは資料映像でしか見たことのない、ライオンの子供を思い出す。
「今となっては多分そうかもと思うけど。結局力不足で、使い魔は教練科目失格でね。ずっと炎の直接攻撃魔法一筋でやってきたんだ。先の戦闘も、一か八かだったんだよ。炎の直接攻撃魔法じゃ、一度耐えられたらそれで終わりだったろうし」
「ふぅん…… 興味あるわね」
「リム准尉。こんなダメな兵士に、興味持っちゃダメですよ」
「ひどいなブランクーシ曹長」
「いや、僕も興味があるね。使い魔の教練科目失格は、もしかしたら、むしろ魔力が強すぎたせいか? 大き過ぎる魔力のせいで、返って見過ごされる。たまにあると聞くしな」
ルイスが興味深げに振り返る。
疑似生命魔法は魔力に合ったサイズの魔法円が推奨されている。それは通常大きすぎる魔法円では、その力を制御することが、その疑似生命魔法の複雑さ故にままならないからだ。
だから小さな魔法円で、疑似生命魔法の教練は始められる。それでも苦労する者はいる。
「小さな魔法円ですら、満足に呼び出せない。だから適性がない。そう判断された。だが実際は――」
「実際は魔法円が小さ過ぎたから…… やっぱり興味深いですね、ヴェガ少尉」
「そうだね、准尉。本人はどう思う? 駿河曹長」
「自分ではよく分かりません、少尉殿。分かっているのは、教官が額を押さえて呆れるのは、慣れればどうということはない――ということだけでしたから」
「慣れちゃダメでしょ」
リリアがわざとらしく頬を膨らませる。
「そうは言っても、まるで役に立たなかったし……」
「なるほど…… それで炎の魔法一筋か?」
ルイスは大げさにうなづき、マグヌスに振り返ると、
「どっちの炎が強いかな? イプセン軍曹?」
懲りずにマグヌスに問い掛けた。
「……」
マグヌスは無言で左手を挙げた。掌がルイスに向けられる。
「おっ、自信があるのか?」
ルイスがにこやかにそう言うと、
「……」
マグヌスは無言で炎の魔法を放った。
「敵の資源小惑星側の防御は、宣戦布告からの時間を考えると、少々分厚過ぎた――」
ゲオルゲは組んだ指に、その細いアゴを乗せる。
「今となっては――の印象だがな。だが何より大規模な魔法円を組んでいた。これは実際戦艦一つ消し飛んでもおかしくない規模の魔法だった」
「それだけ重要な拠点だったんだろ? 資源も大事だがよ、位置だって、ここを押さえりゃ後は本星まで、防御拠点になる星が資源衛星一つしかねえしな」
アレクセイは組んでいた足を組み替える。少しでもリラックスした姿勢で聞きたい。そう思って、自然と己の姿勢を探ってしまう。
「だがそんな時間はなかったはずだ」
「そうだがよ」
「それに〈耶律阿保機〉は、前に出過ぎだった……」
「確かに…… だがあり得ないこっちゃないだろ……」
「操舵を誤った人間は消し炭だ……」
ゲオルゲは痛ましげに目をつむる。
「詳細を知る人間も――だな」
「そうだ。幾人かは跡形すらない」
「……」
「その上その艦に乗っていたのは、金色の獅子を使い魔とする――」
ゲオルゲはその光景を思い出す。
「謎の新米下士官」
そしてその魔法を放った下士官の顔も思い出す。やはり似ていると思ってしまう。
「謎ね。経歴と素性はどうだ? 俺が査察官相手に、脂汗かいてる間に、報告はきてんだろ? 聞かせろよ。てか、俺はまだ写真も見てねえぞ」
「写真ぐらいは、データベースを呼び出せば、すぐに見られただろう?」
「ああいうややこしいのは、面倒なんだよ。苦手なんだよ。かゆくなんだよ。知ってんだろ?」
「たく、まあいい。報告では、本人の経歴も素性も問題はない――とのことだ…… たとえ父親が不明でも、軍に入るには支障はないからな」
「いねえのか? その…… やっぱり……」
「いない。記入されていない。生きているのどうかも――」
「どこの誰かも分からねえってか」
「そう言いたいところだが……」
ゲオルゲが何か考え込むように目を伏せた。思い出しのは、やはりその下士官の顔だ。
「……」
そのまま机の引き出しから資料を取り出し、ゲオルゲはしばらく黙ってそれを見つめる。
「どうした?」
「沈黙に耐えられないのは、やはりお前の悪い癖だな」
ゲオルゲは溜め息まじりにそう苦笑し、アレクセイの前にコジロウの資料を差し出した。
「――ッ!」
突然の炎に焼かれ、ルイス・ヴェガ少尉は悲鳴を上げる間もなく倒れた。
ルイスを包み込んだ炎は、その倒れ込んだ先の偵察艇の計器類をも包み込む。
「少尉! イプセン軍曹、あなた何を?」
セシリア・リム准尉が、突然の凶行に及んだ軍曹にとっさに左手を向ける。
セシリアの左手から、放たれる寸前の雷が放電を散らしながら瞬いた。
「ブランクーシ曹長! ヴェガ少尉と火を! 駿河曹長は私と軍曹を押さえなさい!」
「はっ!」
リリアは、とっさに氷の魔法を放つ。全身に火傷を負ったルイスに吹雪の魔法が襲う。
ルイスの体からはすぐに火が消えたが、少尉はぴくりとも動かない。
リリアはその様子を確かめると、未だに燃えている計器類に魔力を向けた。
こちらも吹雪と化した魔力が、その燃え盛る炎を瞬く間に消し去って行く。
「この……」
コジロウはすぐ前の席の、マグヌス・イプセン軍曹の背中に左手を向ける。
コジロウとセシリアで、マグヌスを挟み込む形だ。元より広い訳ではないコックピットで、手も触れんばかりの位置で二人は身構える。
「准尉…… 少尉が息をしていません……」
リリアはヴェガ少尉の鼻先に掌を当てて、そこから息が漏れ出ないのを確かめた。
「く…… 私の電撃で、心臓マッサージをしてみるわ…… 二人とも、軍曹を――」
「……」
セシリアが皆まで言う前に、マグヌスが無言で床を蹴った。この狭いコックピットで人間離れした後転を決めると、天井を蹴って、コジロウの前のスペースに両手を着いて着地する。
「なっ? おとなしくしろ!」
コジロウがマグヌスの動きに驚きながらも、上体を素早く起こしたその軍曹に飛び掛かった。渾身の右ストレートをその左頬に叩き付けてやる。
「なっ?」
コジロウの拳は、確かにマグヌスの頬を捉えた。
そして文字通り――めり込んで行く。
コジロウは手首まで埋まってしまった己の腕に、驚きに目を見開く。
「何だ?」
慌てて手を引っ込めたコジロウに、
「……」
マグヌスは無言で拳を構えた。
「なんなんだ……」
呟くコジロウの目の前で、マグヌスの顔は内側から膨れるように元に戻った。
「ふん! 雷中将殿は、我々の目を誤魔化せると、本気で思ってらっしゃるらしい!」
小太りな情報将校は部下を引き連れて、意気揚々と〈グロズーヌイ〉の廊下を闊歩していた。
「情報局も舐められたものだ! いや、このアントニオ・フェルナンデス・カルロス・タナカを舐めてくれたものだ!」
情報局の腕章をした一団は、似たような階級の一般兵すら、蹴散らすように廊下を進む。
タナカ中佐は、〈グロズーヌイ〉であてがわれた一室に、鼻息も荒く部下達と入って行った。
「アレックス・スチュワード・シャガリ大尉!」
「はっ!」
中佐が部屋に入るや、振り向きもせずにその名を呼ぶと、褐色の肌をした将校が敬礼をした。
「大尉は指揮下の三名と手分けをして、〈グロズーヌイ〉と〈ヴラド・サード〉以外の艦で、証言の聴取にあたれ! 雷中将が時計を見た時間に何があったか調べるのも、忘れるな!」
「はっ!」
シャガリ大尉と呼ばれた将校は、近くにいた三名を連れてそのまま部屋を出て行く。
「我々は〈グロズーヌイ〉と〈ヴラド・サード〉の乗員を、徹底的に洗うぞ!」
「はっ!」
「はっ!」
残された中尉と少尉がそう返礼をしながら、今だ背中を見せている中佐に怪しげな視線を向ける。そして互いに頷くと、そっと左手を挙げた。
「二手に分かれて取り調べにあたるぞ! お前達二人は、一般乗員を徹底的に調べろ!」
職務を全うせんと意気込むこの中佐は、背後の中尉と少尉がそれぞれ、自分の背中に左手を差し向けたことに気が付かない。
中佐は部屋の隅にあったロッカーの扉を開け、その扉の内に付けられた鏡に己の姿を映す。情報将校としては、少々迫力不足の顔がそこには映し出されていた。
「何、心配するな!」
中佐は自分に言い聞かせるように、目も向けていない二人の部下に向かって言う。
その二人の部下は、互いに目配せをしてもう一度頷いた。中佐はやはりそれに気が付かない。
「このアントニオ・フェルナンデス・カルロス・タナカ! 魔力は弱くとも、その分情報局員として、その実力のみでここまで上り詰めてきた!」
中佐は己の魔力にコンプレックスでも感じているのか、訊かれてもいないことを口走る。そしてその通りなのか、二人の部下の左手に溜まり始めた魔力にまるで気が付かない。
「ふん! 何が歴戦の勇者だ! 雷中将だ! 目を奪われる雷神のごとき使い魔だ! 戦場で武勲を上げるだけが、出世の手段ではないわ!」
中佐は鏡の中の自分を念入りに確認する。少しでも高圧的に見える角度を探して、首を忙しなく動かした。それでいて目の端に写った部下の不穏な動きと魔力に、まるで気付きもしない。
二人の部下は困惑しているようだ。ここまであからさまな魔力を使っているのに、中佐は全く平素と変わりがない。
部下は戸惑いながら、互いの目を見る。この事態に中佐が何の反応も示さないことが、信じられないようだ。
それでも二人の部下の魔力が、今まさに放たれようとした、その時――
「行くぞ!」
中佐が勢いよくロッカーの扉を閉めて振り向き、
「……」
二人の部下は魔力を――その放つ寸前で引っ込めた。
「これはまさか! 虚!」
「虚?」
セシリアの言葉に、リリアが驚く。
それを合図したかのように、マグヌスがコジロウに飛び掛かった。
マグヌスと取っ組み合ったコジロウが、相手に上に乗られてしまう。コジロウが背中から転んだ先は、畳んでいなかった補助シートだ。
補助シートの上で二人が揉み合う。マグヌスはコジロウに右手を振り上げた。
「はっ!」
セシリアはコジロウの不利を悟るや、後部座席の背もたれに飛び移る。天井に頭を打ち付けないように体を傾けながら、それでいて気合いとともにマグヌスのこめかみを蹴り付けた。
ぐにゃりとした感触が、その足先に伝わる。
そして実際にセシリアの足先は、ゴムにでも蹴り込んだかのように、深くマグヌスの顔にめり込んだ。
「やっぱりだわ! 曹長!」
「虚…… 空虚なる者……」
リリアが呆然と呟く。その名の通り中が虚なのか、マグヌスの顔はセシリアの脚が引っ込められると、またもや内側から膨れるように元に戻った。
「気持ち悪い!」
コジロウはマグヌスを体の上から弾き飛ばす。
「……」
マグヌスは壁の計器類に背中打ち付けるが、特に痛がる様子も見せずに立ち上がった。
「悲鳴も上げなきゃ…… 痛いとも言わないか…… 何だ、こいつ?」
「虚よ…… 禁断の魔法の…… 使い手がまだいたなんて……」
セシリアが呟く。
偽りの命をそれが偽りだと分かっていて呼び出す疑似生命魔法。それとは別に、本当に命そのものを生み出そうとした、似て非なる魔法がかつてあった。
人の皮だけで作られたそれは、生命と人間への冒涜として禁止される。
それは『虚』と呼ばれていた。肉体として中身がないだけでなく、人間の肉体を模しているのに人生のないものとして、そう呼ばれた。
「お前の狙いは何だ? どうやって入り込んだ?」
コジロウがマグヌスの前に立つ。コックピットの入り口の脇にできた、補助シート二つ分程の、三人並べばそれだけでいっぱいになるようなスペースだ。
実際コジロウとマグヌスは、手を伸ばせば互いに届く位置で睨み合っている。
「虚はあまり話さないって言われているわ。正体がばれないようにね」
リリアが上を取ろうとイスに立ち上がる。
「なるほど、道理で無口だ。色々と気を遣ったのが、バカみたいだな」
コジロウは油断なく、相手を見つめる。少しでも動けば、左手を跳ね上げ炎の魔法を食らわすつもりだ。
「おしゃべりは後よ、二人とも」
セシリアがこちらもイスに上り、背もたれに足を掛け、突き出した左手に魔力を送り出す。
「リム准尉」
「ブランクーシ曹長。あなたの魔法で、こいつを突き刺しなさい」
「えっ?」
「私のは電撃の魔法。駿河曹長のは炎の魔法。計器類の密集するこの狭い船内では、これ以上電撃や炎は危険だわ」
セシリアは油断なく魔力を集めた左手を、マグヌスの顔をした虚に向ける。
マクスウェルの方程式を内にはらんだ魔法円が、セシリアの左手の先で妖しく光った。電磁気学の方程式だ。リリアが間に合わなければ、その時は自分が電撃を食らわせるつもりだった。
「その……」
「その力が嫌い? ブランクーシ曹長?」
「そう言う訳では……」
「やりなさい!」
「はっ!」
リリアが手袋をはめた左手を跳ね上げると、
「やらせないよ」
もう一人別の声が、セシリアの背後からした。