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魔術戦艦  作者: 境康隆
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一、魔術戦艦

一、魔術戦艦


 帝国軍第十七艦隊所属――コジロウ・ 駿河(するが)曹長は艦橋に向かった。

 生まれて初めてのことだ。そして最初で最後かもしれない。

 流れる自身の血で、視界がぼやける。この艦もコジロウも、どちらも満身創痍だった。

 自分の方が先に最後を迎えてもおかしくないなと、コジロウはふらつく足取りで自嘲する。

 そう、ここは沈み行く連撃艦〈耶律阿保機〉。

 そしてコジロウは、その運命をともにしそうな乗員だ。

 いつもは重宝する重力魔法を埋め込んだ床が、今日程恨めしく思えたことはない。まるで足取りが覚束ない。無重力に身を任せられればと思ってしまう。

 艦のいたるところに火がついている。床は歪み、ハシゴは折れていた。幾つかの天井も落ちている。壁もめくれ上がり、脱出艇までの道を閉ざしていた。

 生き残った者は皆、脱出艇へと向かっていることだろう。

 この惨状の中を、辿り着ければ――の話だが。

 実際幾人かの乗員とすれ違いながら、コジロウは艦橋へと向かう。

 この艦は沈む。退艦命令を聞くまでもない。

 コジロウのような、下士官でも分かる。初陣でも分かる。

 士官学校を卒業し、生まれて初めて配属された艦。その艦が沈む。

 連撃艦〈耶律阿保機〉は、その命運が尽きたのだ。

 コジロウは脱出をあきらめた訳ではない。もちろん命を捨てる気も毛頭ない。

 だが何かに突き動かされた。内なる衝動に突き動かされ、コジロウは何故だか分からぬままに艦橋を目指した。

 途中艦の外壁際を通った。強化ガラス越しに外の様子が窺える。漆黒の宇宙空間に、禍々しい閃光が瞬いていた。

 艦の周囲には、入り乱れる敵味方の使い魔達がいる。

 宇宙空間に妖しい光をまとった幻獣――使い魔達が、ありもしない命の奪い合いをしていた。その魔力による閃光だ。

 敵使い魔達を、僅かに生き残った〈耶律阿保機〉の対空砲火が、思い出したように火を噴いて迎え撃っていた。

 今最も激しい攻撃をこの〈耶律阿保機〉にくわえているのは、銅線やバネを節々からはみ出させた金属質なサソリだ。

 全身の皮膚の下に無数のイトミミズを這わすブタとともに、その身を旋回させて迎撃の砲火を避けるや、サソリは突進してくる。

 強化ガラスの前をかすめたサソリとブタは、一瞬コジロウの視界から消えた。

「――ッ!」

 だがその過ぎ去ったと思しき方角から、鳩尾を直接叩かれたかのような衝撃がコジロウに襲いくる。ずんと大きく腹を震わせたそれは、余韻を引いて艦全体を渡って行く。

「ぶつかったのか? 外壁――やられたか?」

 コジロウは敵使い魔の軌道と、衝撃の大きさから状況を把握する。

 外壁は破られても、ひとまずは応急処置剤が吹き付けられる。艦内の気圧は保たれるだろう。

 だがそれが意味することも、コジロウは同時に理解する。

「入り込まれてたら、鉢合わせだな、こりゃ……」

 コジロウはそう呟くと、左手の手袋をはめ直す。

 左手は全ての兵士にとって、魔術的な利き腕だ。

 その左手にはめた手袋の甲には、小さな水晶が五つ――五芒星を描く形で縫いつけられていた。水晶は小さいながら、内に煌いて周囲の光を反射していた。

 コジロウはその水晶に軽く魔力を送った。コジロウの魔力に反応して、五つの水晶が青紫に淡く輝いた。その光に合わせ、虚空に一瞬五芒星を内にはらんだ魔法円が煌めく。

「今更退けるかっての!」

 コジロウは傷む体を押して艦橋の方へ――

 敵使い魔の侵入したと思しき、その途中にある格納庫へと再度足を進めた。


 戦艦〈ブラド・サード〉の対空砲火が、その砲撃の唸りを止めた。

 砲身に縦に連なって埋め込まれた水晶――その水晶で描かれた五芒星が、内から放っていた光を失う。

 対空砲火用の小型の砲身が鳴り止むと、続いて攻撃用の大型の砲も静まった。

 地球時代の大鑑巨砲主義を彷彿とさせる、まさに砲台が先祖帰りしたかのような大型砲だ。

 邪悪な神殿の柱にでも使われていそうな黒い円柱。禍々しい程巨大な、虚ろな穴が穿たれた筒状の鉄塊。手を伸ばした死神の指先のように、死を宣告せんと伸ばされた砲身だ。

 そしてそこから放たれるのは、電撃。火焔。氷塊――

 術者によって様々な魔術を放ち、今まさに死を呼び込んでいたその黒い砲身が、不気味な、おこりのような震えとともに沈黙する。

 それぞれの仰角を保ったままで押し黙ったそれは、まるで艦に突き刺さり、そして朽ちるのを待つばかりの、巨大な墓標のようにも見える。

 だがこれは主砲ではない。主砲はこのような小さな砲ではない。

 そう、主砲は艦全体の魔力を持っていかれる程巨大だ。

 そして主砲を展開するとそちらに魔力をとられ、どの艦でも対空砲火が手薄になる。 

 実際に〈ヴラド・サード〉の主砲の展開が始まると、ゲオルゲの艦に襲い掛かる敵の使い魔が勢いを増した。


「何考えてやがる!」

 その僚艦の愚行に間髪を入れず怒鳴り上げたのは、左翼の統率を任された戦艦〈グロズーヌイ〉の雷中将――アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフだ。

 〈グロズーヌイ〉から送られてくる画像の中で、雷中将はひげ面を怒りに歪めていた。モニターの四隅全てから、顔をはみ出さんばかりの剣幕で真っ赤になっている。

 帝国軍第十七艦隊はその艦隊を二つに分け、二方向から敵資源小惑星へと攻め込んだ。そして最終段階に入って艦隊は合流し、今は敵資源小惑星の面前で、大きく右翼と左翼に分けて部隊を展開している。

 上下左右に区別のない宇宙空間でも、艦隊の基本の布陣は左右への展開だ。これは密集しつつも、それぞれの砲の扇形に広がる発射角度を最大限に生かす為だ。

 余程の戦力差があれば、これに加えて上下、または左右からも敵陣に部隊を送り込む。

 だが今回は数の上では戦力が拮抗している。

 帝国軍第十七艦隊は、セオリー通り左右に展開し、敵正面に布陣を敷いていた。

 〈ヴラド・サード〉が右翼、〈グロズーヌイ〉が左翼だ。

 〈ヴラド・サード〉と〈グロズーヌイ〉は、その外観からほとんど区別がつかない。

 同型艦として同時に進宙し、今や双子艦とまで称されている。それは常に同じ艦隊に所属し、戦歴をともにしたことからもそう呼ばれていた。

 この布陣で、多くの武勲を二人の将は上げてきた。

 その左翼側の統率者――アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフ中将は、気性の激しさで有名だった。

 今もモニターの向こうで、その気性のままに顔を怒りに赤くしている。尚も画面からもはみ出しそうな勢いで、アレクセイは食って掛かっていた。

 だが怒鳴り上げたが、止められるとはアレクセイは思っていない。雷中将は自艦の士官に、〈ヴラド・サード〉の主砲線上から、味方の退避を同時に命令させていた。

 〈ヴラド・サード〉が唸りを上げた。全長五二六メートルの艦が、その巨体を震わせてまで主砲を展開する。

 そうそれは、魔術戦艦と呼ばれる所以の、その牙とも爪とも時に呼ばれる主砲だ。

「アレクセイ、お前も付き合え」

 ゲオルゲはアレクセイの叱責を意に介さない。モニターの向こうのひげ面の戦友に、顔色一つ変えずに言ってやる。

 電撃魔法が得意なアレクセイの〈グロズーヌイ〉の主砲なら、自分の艦のそれよりも、派手に僚艦の最後を称えてやれる。ゲオルゲは皮肉なしにそう思う。

 ゲオルゲが〈ヴラド・サード〉の主砲を撃つ為に、己の魔力を高め始めた。

 冷血中将とまで称えられた、ゲオルゲ・ミリャによる魔術戦艦〈ヴラド・サード〉の主砲。

 それはその名にふさわしい――血も凍るような一撃だ。

「ゲオルゲ!」

 アレクセイの怒号を無視し、〈ヴラド・サード〉はその主砲を展開し始めた。


 爆発音とともに、ドアが音を立てて弾け飛んだ。

 弾け飛んだその鋼鉄のドアは、黒こげになりながら反対側に飛んで行く。

 見る者がいれば、目を見張って感嘆の声を上げたことだろう。

 だがコジロウは見せつけた魔力の結果に見向きもせず、ドアに続いてその中に飛び込んだ。

 飛び込んだのは、〈耶律阿保機〉の格納庫だ。中の空気圧を壁の計器で確かめ、更に敵の気配を本能で感じ取ると、ドアを吹き飛ばして突入した。

 その瞬間に襲いくる、肉と脂の焼ける臭い――

 コジロウは怯みそうになる己の心を奮い立たせて、飛び込んだ勢いで床を転がる。

 だが匂いがあるということは、やはり空気があるということだ。隔壁の自動閉鎖が上手くいったのだろう。

 全ての収容艇が出払ったがらんとした格納庫を、コジロウは相手にとらえられまいと長く転がって行く。そして見まいと思っていても、その脇に倒れ伏す味方の兵の焼死体も目に入る。

 そしてコジロウは転がりながら目が合った。いやらしい目つきだ。

 見つけた――

 そうとでも言わんばかりだ。

 まさに追い詰めた獲物を見るかのように、コジロウを目で追ってくる。

「てめぇが、やりやがったのか?」

 コジロウは転がった勢いのままに立ち上がりながら、それを睨みつける。味方の死体を背にして立ち、その妙に人間めいた表情をする使い魔をねめつける。

 全身の皮膚の下に赤いイトミミズを這わすブタが、コジロウに振り返っていた。人の視線を思い起こさせるいやらしい瞳だ。

 人の背を倍するブタが、二本足で直立している。妙に人間臭いブタだ。

 もちろん使い魔は敵兵――人間によって呼び出され、その意思によって動いている。単に人間の本性が、その使い魔を通じてにじみ出ているだけなのかもしれない。

 ブタは天井に頭を突きそうになりながら、コジロウに向けて鼻を鳴らした。その鼻の動きに合わせて、無数のイトミミズが皮膚の下でうごめく。

 イトミミズはブタの興奮を表すかのように、その赤い身を皮膚下で踊らせていた。

「ブタ語なんて、分かるかよ!」

 コジロウはその左手を跳ね上げた。同時に魔力をその手先に集中する。

 左手越しに見えるブタの背後。その背後には細長い亀裂が入っており、艦内から射出されたと思しき粘性の応急処置剤が張りついていた。

 金属質なサソリが亀裂を空け、このブタがその隙間から入り込んだのだろう。

 ブタが大きく身を捩った。それは人間にも、ブタにもできるような動きではない。雑巾でも絞るかのように、ブタの体が幾重に捩れ細長くなる。

 この柔らかさを利用して、あの細い亀裂から艦内に入り込んだのだろう。

 コジロウはとっさに相手の特質をそう理解する。

「食らえ!」

 コジロウの左手から閃光が発せられ、魔力によって呼び出された炎がブタに襲いかかる。

 ブタの体がくの字に曲がる。ブタが捩れを一つ戻す反動を利用して、滑稽な程その全身をぐるりと回してその炎を避けたのだ。

 コジロウの炎はブタの背後の壁を焦がすだけに終わる。

 ブタがその身を前傾させた。体を捩ったまま、それでいてブタらしく四足歩行の体勢になる。

 捩じれたブタの使い魔は、そのまま後ろ足を蹴った。やはり滑稽な、それでいて激しく錐揉みをしながら、ブタがコジロウに飛びかかってくる。

 自身の捩れを利用して、ブタは旋回しながらコジロウに向かってくる。

「この!」

 コジロウはとっさに障壁の魔法を己の面前に展開した。


 戦艦〈ヴラド・サード〉の先端に亀裂が入った。

 艦は全体として五角錐に近い円錐形をしている。これは大型の戦艦でも小型艦でも、基本は同じだ。主砲の特性から、外観は皆似たような形になる。

 だが大型艦の先端に付いているそれは、やはり迫力が違う。

 〈ヴラド・サード〉の円錐の先、八十メートル程が五本に割れる。そのそれぞれの先端に取り付けられている五つの水晶が、戦場の煌めきに映えて、微かに輝きながら現れた。

 それは五分割されると、横滑りするように斜め後ろにゆっくりと開いていく。互いの距離が十分に空くと、アームは今度は傘を逆に開いたように展開した。内部のロボットアーム状の関節が、一度Z字に折れ曲がり、その上部が更に開く。

 これが主砲だ。

 そう、主砲とは――艦自体が魔法攻撃の魔法円を展開し、それ自身の砲身となる艦船規模の砲撃だ。

 艦前方部はその為の魔法円を描き出す、円錐を五本に分割した三角錐状の鋭利なアームとなっている。

 アームと呼ぶのが正式だが、いつでも律儀にそう呼ぶのは技術士官だけだ。宇宙空間に禍々しく咲くあだ花のようなそれは、自軍では牙と呼ばれることが多い。

 艦の七分の二を占めるそのアームが展開し、その前方に五芒星を二重円で囲った、光の魔法円を描き出した。

 全開時には艦よりも大きくなるこの魔法円は、移動時にはその中に飛び込むことで瞬間跳躍を可能にしてくれる。ただし近距離移動には向かず、比較的長距離な移動にしか利用できない。

 そして戦闘開始時には主砲として、遠距離の敵への第一撃に使用する。また同様の敵の攻撃に対しては、障壁魔法を展開し、その防御に使われる。

 主砲のその巨大な魔法円は攻防ともに、艦隊戦規模の魔術的砲撃の応酬に用いるのだ。

 その時放たれる攻撃は、直接的な雷や炎の魔法が多い。

「……」

 その戦艦〈ヴラド・サード〉の艦内では、艦長ゲオルゲ・ミリャが目の前の水晶に向かって呪文を詠唱していた。

 その詠唱は低く、重く、静かだ。

 ミリャの精悍な顔は、歳をとるごとに更に鋭くなって行った。

 細いアゴは年々鋭さを増し、見る者に威圧感を与えていた。

 そしてそれ以上に鋭いのは、その視線だ。

 中将は視線で敵を殲滅する――

 険しい顔で静かに呪文を詠唱するゲオルゲは、いつしかそう称えられるようになっていた。

 この混戦で主砲に魔力を集中し出した〈ヴラド・サード〉は、予想通り格好の的になっていた。敵の使い魔が対空砲火の薄くなった艦に、ここぞとばかりに攻撃をくわえる。

 だがゲオルゲはそんなことは意に介さない。

 ゲオルゲの魔力が艦長用の水晶を伝わり、更に艦前方に展開したアームに伝えられる。

 眩い光が戦場を照らした。

「主砲発射!」

 虚空に描き出された魔法円が閃光を発し、ゲオルゲの魔力を敵に向かって解き放つ。

 原子の振動が全て止まっているかのような冷気が、艦前方全面から、魔力とともに敵陣に撃ち出された。


「――ッ!」

 人語を話さぬブタは、それでも人間臭くその目を見開いた。

 己の体当たりの攻撃が、生身の人間の障壁魔法に弾き返されたからだ。

 ブタのゴムのようにやらかい体が、その表面を波打たせながら格納庫の後ろに飛んで行く。

 艦より放たれる使い魔は、通常艦に蓄積された余剰魔力に加勢されて呼び出される。それ故に、生身の体で呼び出す使い魔よりは、体も大きくその魔力も体力も強い。

 本来なら生身の人間など、一捻りのはずだ。実際先にブタの邪魔をした敵兵は、この格納庫の横で黒こげになっている。遭遇するや片手で弾き跳ばし、炎の魔法でその身を焼いたのだ。

「……」

 ブタはやはり無言で着地する。四肢を着いて、己の左手に魔力を溜め始めた敵兵を見た。

 士官学校を出たばかりに見えるこの若い敵兵は、生身で使い魔と対峙しているというのにまるで臆するところを見せない。

 ブタが鼻を細かく震わせ、皮膚下にうごめくイトミミズ達が、警戒するかのように細かく身を震えだす。

 それはブタにとっても、イトミミズ達にとっても無意識の動きのようだ。

 そう、それは本能的に感じた恐怖――

 ブタは己の迷いを振り払うかのように、一際大きく鼻を鳴らした。イトミミズが呼応するかのように、皮膚の下でのうごめきを再開する。

「――ッ!」

 ブタが四肢を駆った。イトミミズがその身を進行方向に直立させ、ブタの気力を代弁する。

 だが――

「――ッ!」

 だがそのブタを炎が襲いくる。それはブタの巨体をも超える大きさだ。

 先程ブタ自身が敵兵に放った炎を、遥かに凌駕する火焔がブタの全身を覆い尽くした。

 そう、艦の余剰魔力の力を借りているブタが放った炎よりも、

「食らえ! ブタ野郎!」

 そう口汚く吐き捨てる敵兵が、生身で放った炎は大きく、そして何より力強かった。


 敵戦列に閃光が走った。戦艦〈ヴラド・サード〉の攻撃が、避け切れなかったらしき一隻の敵艦と、その護衛にあたる敵使い魔を氷漬けにした。

 使い魔はその身を凍らせ、一瞬で砕け散る。

 敵艦の中の乗員も、同じ最後を迎えていることだろう。

「ほとんど当たってねえぞ!」

 アレクセイはモニター越しに、ゲオルゲに嫌みを言ってやる。自艦の防御を誰に任せっ切りにしているのか、早く思い出してもらいたいものだと、怒りを込めて吠えてやった。

「そうだな」

 ゲオルゲは気にしない。アレクセイもこだわっている訳ではない。

 〈ヴラド・サード〉は即座に主砲を閉じ始める。主砲は強力でも水晶そのものは脆い。使い魔が入り乱れる戦場で、主砲が活躍できない理由の一つだ。

 主砲に回していた魔力が艦全体に戻り、対空砲火の魔法円に光が戻る。

 魔法円はとても単純な構造をしている。中心の大部分を五芒星が占めていた。五芒星はその頂点を、主砲で言えばアームの先端に合わせて虚空に描かれる。

 そして五芒星を囲んで内円が一つ描かれる。その内円の外周に沿うように、呪文――スペルが書かれる。そしてそのスペルを閉じ込めるように、最後に外円が描かれる。それだけだ。

 スペルは神との契約の言葉でもなければ、悪魔との取引の言葉でもない。

 宇宙の真理を表す記述――定理や公式だ。

 哲学的なこの世の真理の言葉でもいい。それは術者によって違う。

 帝国内では圧倒的に定理と公式が重んじられた。

 また雷の魔法には電磁気学。炎と氷の魔法には熱力学。空気の魔法には流体力学――などがそれぞれ、相性がいいといわれているが、明確な根拠のない話とも考えられている。

 ゲオルゲは『オイラーの公式』を使う。

 冷血中将は『この世にこれ以上に美しい公式はない』と言う。

 アレクセイは『ピタゴラスの定理』だ。

 真理さえ突いていれば、公式や言葉の選択に貴賎はない。

 だが暗黙の了解として、高尚なものが選ばれるのも事実だった。

 『表記としてはあまりに単純では?』という同僚のからかいに、雷中将は『ややこしいのは、俺はいいんだよ』といつも不機嫌に返事をしていた。

 その『オイラーの公式』を内に収めた魔法円が、主砲のアームが閉じるのに合わせて消える。

「ゲオルゲ! おかしかねぇか!」

 モニターの向こうに向かって、アレクセイが不快げな声を上げる。

「ああ、あれは収束魔法だな」

 アレクセイの言わんとすることを、ゲオルゲはすぐに汲み取る。アレクセイに応えながら、ゲオルゲは自身が放った主砲を思い出していた。

 味方を退避させて、その主砲の射線を確保した。言わば見え見えの攻撃だ。敵艦に避けられても仕方がないと思っていた攻撃だ。

 だが一隻の艦が、避けもせずゲオルゲの氷の魔法の餌食になった。まるでそこを動いてはいけないかのような、敵艦の奇妙な行動だった。

 その敵艦の後ろには、 重撃艦(じゅうげきかん)と呼ばれるクラスの艦がいた。そう、この重撃艦の為に、敵艦は盾となったのだ。

 ゲオルゲはモニターをとっさに切り替えさせた。そして敵陣に広がる魔力にその意図を知る。

「収束魔法?」

「そうだ。重力魔法の一種だ。中心点に魔力を溜め込む為の魔法円だ」

「何?」

「魔力センサーで全体を見ろ。大きな魔法円の中心にあの魔法円がある」

「何だと? おい! モニター!」

「はっ!」

 アレクセイの半端な命令に、〈グロズーヌイ〉の士官が反応する。正面のメインモニターの色彩が変わり、淡い色が散りばめられた画面に変わった。

 それは敵味方の魔力的な属性を強調したセンサーの表示だ。

「なるほど。艦隊の外周円にそって、同調して明滅している点が五つありやがるな…… おい! 敵艦隊中の攻撃部隊に告げろ、今から指示を出す艦で、手短な奴を集中的に叩けってな!」

「捨て身だな……」

 敵の布陣を見て、モニターの向こうのゲオルゲが呟く。

 大規模魔法円で多くの魔力を使おうとしても、大きければ大きい程希釈してしまう。

 それを補う為に考え出されたのが、その中心にもう一つ魔法円を描き出し、そこに呼び出した魔力を溜め込むこの方法だ。

 そしてその溜め込まれた魔力を、地雷のようにその場で発動するようにしたり、魔力ごと移動させてミサイルのように敵の近くで発動させる。

 魔力そのものを放つ攻撃に比べて、ロスの少ないこの方法は魔力効率の点においては理想的だった。

 だが大きな欠点もある。

「大掛かりだわ、魔法円の近くにないとダメだわで、成功率は低い。よほど追い詰められなきゃやらんぜ。こんなこと」

「事実追い詰められているのだろう」

「おうよ。拠点防御用でほとんど動けねえ布陣とはいえ、あんな大規模な魔法円…… 命懸けじゃなきゃできねえぜ。狂信国家とはよく言ったもんだ」

 アレクセイは自らの敵のその政治体制を思い出す。

 敵本星の自然環境は過酷だ。恒星より受ける太陽光の輻射が、可住惑星の限界値の上限に近い。灼熱の惑星だ。

 その結果その環境を生き抜く為に、狂信的とでも言うべき独裁体制で国民を締め付けていた。

「捨て身の奴ら程。ま、怖いんだがな……」

 雷中将はそう呟くと、戦艦クラスを吹き飛ばすであろうその敵重撃艦の魔力を睨みつけた。


「しばらく、豚肉は勘弁だな……」

 格納庫を後にしたコジロウは、ようやく艦橋に辿り着いた。

 黒こげの死体だらけのその艦橋を、コジロウは畏敬を持って見渡す。

「いや、肉は全部ダメだな、こりゃ……」

 コジロウはそう呟くと、己の乗艦のここに至った状況を思い出す。

 連撃艦〈耶律阿保機〉は前に出過ぎたのだ。

 そう、連撃艦〈耶律阿保機〉は確かに前に出過ぎた。最左翼を任され、操舵を誤り孤立した。

 その中でも奮闘した。不幸だったのは、敵の最初の一撃が艦橋を直撃し、指揮系統に混乱をきたしたことだ。

 だが前に出過ぎたのは致命的だったが、混乱する中で、それでもそれを補う為に捨て身とも取れる奮闘をした。

 第一撃は直撃したが、艦橋を破壊するまでには至らなかったようだ。火を噴く計器類を操り、艦長以下、上官達は続く攻撃に耐えコジロウ達一般乗員に命令を発していた。

 そう、敵艦の主砲による第四撃までは耐え抜いた。しかし第四撃を受けた以降は、混乱しながらも発せられていた、その命令すら届けられなくなった。

 コジロウはあらためて、その結果の凄惨な艦橋を見回す。

 炎の魔法によるその第四撃は、艦そのものよりも、中の人員に直接ダメージを与えたようだ。

 その証拠に外壁は、第四撃までは目立った損傷を受けなかった。

 魔法の障壁だけが破られ、炎の魔法の侵入を許したのだろう。

 外見がきれいなままで、中身だけやられる。中の人間と計器類だけがやられる。

 直接攻撃魔法による艦隊戦では、それはまれにあることだった。

 だが外は無傷に見えても、艦としては脳死状態も同然だった。

 そして艦橋が第四撃で早めに沈黙した分、その他は使い魔による物理的な攻撃に曝された。もはや〈耶律阿保機〉は大破寸前だ。

 退艦命令も遅れた。脱出艇が何艇無事で、何人が無事に艇まで辿り着けるのか、コジロウにも誰にも分からない。

「……」

 コジロウは少しだけ目をつむって敬礼し、死者に哀悼の意を表した。

 コジロウは艦橋前方に目をやる。そこにあるのは、主砲を任される魔砲士長の席だ。通常戦闘時には、魔砲士長が主砲に魔力を送る。

 魔法士長用の水晶は、壁際のコンソール類の中央に設置されていた。これは他の砲の統制を執りながら、魔砲士長が座って作戦行動をとるためだ。

 コジロウはその損傷の激しさから、魔砲士長の水晶を諦めた。艦橋中央に設えられた、艦長用の水晶に歩み寄る。

 艦長用の水晶は、艦橋中央に床から突き出すように設置された、水晶用の台座に据えられている。これは艦長以下の高官は、通常起立して作戦の指揮を執る為だ。

 艦橋に横たわる死体は、皆その高官達のものだ。コジロウが顔を見知った者も当然いるだろうが、その顔が判別できる者は少なかった。

 わずかに生き残ったモニターを、コジロウはざっと見回す。この艦を戦闘不能と見たのか、〈耶律阿保機〉を囲んでいた敵の使い魔達は離れ始めていた。

 一際大きな閃光が宇宙空間を染め上げ、断末魔の声が届けられた。遠くからではあるが怨嗟の声をはらんだ叫びが、コジロウの精神を撫で上げる。

「気持ち悪いのは――あの艦か……」

 怨嗟の声以上に気味の悪い気を、コジロウはその断末魔の向こうに感じていた。唯一生き残っていた艦長用の水晶の前に、コジロウは大きく息を吸って立つ。

 息を吸い終わるとコジロウは、主砲に己の全魔力を送り出した。

「――ッ!」

 巨大なアームがゆっくりと身震いしながら、まるで己の運命でもこじ開けるかのように開いて行った。


「何だ?」

 完全に沈んだはずの艦が、身震いをしている。〈グロズーヌイ〉のアレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフ中将は、そのことに誰よりも早く気が付いた。モニターを訝しげに一瞥する。

「沈んでねえのか?」

 ひげ面をしかめる。捨て身の攻撃に出ている敵艦だけでも頭が痛い。

 これ以上『ややこしい』のは勘弁してもらいたいと、雷中将は露骨に不機嫌な顔をして、誰はばかることなく髪を掻きむしった。

「誤作動か?」

 そして誰彼となく訊いてしまう。

 〈耶律阿保機〉のアームが開き始めていた。誤作動というよりは、魔力で強引に展開しているように見える。つまり誰かが自分の意志で動かしているのだ。

 その証拠に完全に開き切ることができないようだ。全開とは言いがたい、七割程のところで展開が止まってしまっている。それ以上開くに開けず、艦全体が震えていた。

「現状では何とも言えません」

 独り言とも取れるアレクセイの疑問に、脇に控えた副官が律儀に答えた。

 〈耶律阿保機〉は外見を見る限り、電力の供給すらままならないように見える。ならその展開は人力――そう、魔力によるもののはずだ。だがこのような状況で、人数を割いてアームを開こうとする意図が分からない。

 音信はとうに途切れている。実際数こそは少ないが、脱出艇も艦を離れ始めていた。今〈耶律阿保機〉が牙を剥く理由が――

「まさか? 主砲を撃つつもりか?」

 〈耶律阿保機〉が牙を剥く理由に、アレクセイはがく然と思い至った。


 敵味方の使い魔が入り乱れる戦闘宙域。この状況で艦隊戦の極みである主砲による砲撃を行うのは、ゲオルゲのような向こう見ずな艦長だけだ。

 実際攻守のバランスを崩して、アレクセイがその援護を無言でやらされた。

 〈ヴラド・サード〉の主砲射線上では、味方の使い魔も退避させられた。

 使い魔のダメージは、それを呼び出した者のダメージだ。ゲオルゲ中将の攻撃は氷の魔法。巻き込まれては、味方の術者が凍り付き、砕け散ってしまう。故にそれは当然の処置だった。

 無論、この敵味方入り乱れる戦場で、主砲を撃つ――という前提自体が間違っていなければの話だが。

 だが〈ヴラド・サード〉と違い、最左翼に位置し、前に出過ぎてしまっている〈耶律阿保機〉の前には、元より何もない。がら空きだ。

 敵艦隊中に放った味方の使い魔の被害さえ考えなければ、絶好の位置にいるとも言える。

「〈耶律阿保機〉に通信を送れ! 直接攻撃魔法なら止めさせろ!」

 グロズーヌイの副官が、通信担当の士官に怒鳴り付ける。音信は不通だが、呼び掛けるより他ない。

 敵艦隊まではがら空きでも、その中にはこちらから攻撃に放った使い魔達がいる。直接攻撃魔法では同士討ちだ。

 〈耶律阿保機〉がせめて一矢と理性を失っているのなら、止めさせなくてはならない。

「いや。ありゃ直接攻撃魔法じゃねぇな。疑似生命魔法――使い魔を呼び出す気だ」

「まさか……」

 アレクセイの指摘に、その副官が息を呑む。

「考えられません。疑似生命魔法はその複雑さから、大規模魔法円には不向きであります。それにあの状態の艦では、余剰魔力の支援は期待できそうにありません」

 単純な自然現象である炎や雷を呼び出す直接攻撃魔法に比べ、まがい物とはいえ生命を呼び出す疑似生命魔法は複雑とされている。

 疑似生命魔法で何より大切なのは、魔力に合った大きさの魔法円を使うことだ。もしくは魔法円に合った魔力を用意することだ。

 その点から考えると、〈耶律阿保機〉の魔法円は大き過ぎる。

 副官が息を呑んだのも無理はなかった。

「……」

 アレクセイは副官に応えずに、〈耶律阿保機〉の士官達の顔を思い出す。

「無茶をする…… だが、どいつだ……」

 アレクセイは毒づく反面、知っている顔が一人でも生き残っている可能性に内心安堵する。

 アームを魔力で動かしているのなら、更に何人かが生き残っているのだろう。そのことも顔に出さずに喜んだ。

 もちろんアームを一人で動かしているなどとは、アレクセイは夢にも思わない。

 ましてやこれが初陣の下士官の顔など、知る由もない。

「余剰魔力がなんとか生きてんのか? 自分の魔力を初動にだけ回して、尻切れトンボか? それとも――」

 やってのけるのか――

 アレクセイは何故かそう思いながら、モニターの中の魔法円に見入ってしまった。


「大した光だな……」

 ゲオルゲもその光に気が付いていた。モニターの向こうから、何やら難しい顔をし出した戦友に呟く。

「お前負けてんじゃねえか?」

 アレクセイが指摘するまでもなく、ゲオルゲはその点にも気が付いている。

「撃てると思うか? 俺も負けるような魔力を使って?」

 そう、その魔力は今や、ゲオルゲのそれすら凌駕しているように見える。

「撃てるわきゃねえよ。ありゃ、疑似生命魔法の光だぜ。余剰魔力の応援は、あの艦の状態じゃ期待できねぇよ。よほど使い魔に強い魔力の血統でもなきゃな。それこそ金色の――」

 アレクセイは慌てて口をつぐむ。自分の考えに驚いて、ゲオルゲの顔をモニター越しに覗く。冷血中将は、とうに気が付いているようだ。その証拠に、無表情を決め込んでいた。

 虚空に描かれた光の魔法円は、更に明るく、そして鋭く光って行く。

「シュレーディンガーの波動関数だな――」

 魔法円に書かれたスペルを見て、ゲオルゲが感心する。

「うむ。時間項tが入っている――時間に依存する方だ。美しい」

 センスがいい。ガサツな戦友に見習わせたい。そう思ってしまう。

「ああ。じんましんが出るやつだ」

 同じスペルを見て、アレクセイは首筋を掻く。お上品なスペルは、体がかゆくなるからだ。

 アレクセイの部下の何人かが、その言葉に内心肩をすくめる。

 雷中将がかゆくならないスペルなど、この世に幾つもない。

 その為アレクセイの艦では、上官にいらぬ遠慮をして、皆簡単なスペルの魔法円を使う。

 その結果、帝国軍内でも魔法円の種類の少なさでは、〈グロズーヌイ〉は群を抜いていた。

「〈耶律阿保機〉。主砲の魔力が増大していきます」

 〈ヴラド・サード〉と〈グロズーヌイ〉の士官が、同時に報告した。

 その時、敵陣全体に巨大な魔法円が一瞬煌めいた。

 その魔法円は輝きながら急速に小さくなって行くと、その中心にいた収束魔法を内にはらんだ敵重撃艦に、吸い込まれるように消えて行く。

 そして敵重撃艦が、突如メインエンジンを点火した。

「きたか! 〈グロズーヌイ〉主砲展開! 牙を剥け!」

 アレクセイは嬉々として命令を下す。

「任せるぞ」

「任せておけ、ゲオルゲ。どうせ〈グロズーヌイ〉か〈ヴラド・サード〉を狙ってるんだろ」

 アレクセイは楽しげに鼻を鳴らしながら、指の関節をも鳴らす。

「ちまちま電撃するのも飽きるからな。派手にやらせてもらうさ。今度は防御を頼んだぞ」

「ああ。〈ヴラド・サード〉及び〈グロズーヌイ〉他、各艦に告げる。敵の収束魔法が、重撃艦ごと本艦隊に向かっている。迎撃は〈グロズーヌイ〉の主砲により行う。各艦援護せよ」

 〈グロズーヌイ〉の主砲が唸りを上げて展開された。主のご機嫌をそのまま写し取ったかのように、こちらも嬉々として牙を剥いているようにも見えた。まるで獲物を前にした猛獣だ。

「派手に行くぜ!」

 アレクセイは展開も終わり切っていない主砲に、はやる気持ちのままに早くも魔力を送り始めた。待ち切れないと言わんばかりだ。 

 モニターの向こうに敵重撃艦が映る。その姿は見る見る大きくなって行く。

「おいでなすった! おあつらえ向きに、狙いはこっちだ! 〈グロズーヌイ〉だ!」

 魔法円を全開で展開し終えた〈グロズーヌイ〉に、敵の重撃艦が迫りくる。

「疑似生命魔法で迎撃する! 角度を合わせろ! 防御は気にするな! 〈ヴラド・サード〉に任せておけ!」

 アレクセイは満面の笑みで、次々と指示を出す。

 敵重撃艦は砲撃を受けながらも、真っ直ぐ陣形深くに切り込んできた。捨て身のようだ。

 〈グロズーヌイ〉はスラスターを噴かし、その艦首を敵艦に向け始める。敵に対して真っ正面から迎え撃とうとする。

「新兵は腰を抜かすなよ! 雷中将――アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフの、魔術戦艦主砲による疑似生命魔法! 目をかっ穿じって、その(まなこ)に刻んでおけ!」

 最大円で展開された〈グロズーヌイ〉の主砲が、放電を繰り返しながら明るく輝き出す。

 〈ヴラド・サード〉の大型砲から、間断なく使い魔が射出される。使い魔は一目散に〈グロズーヌイ〉に向かい、その対空砲火の魔力すら主砲に回した艦の護衛に回った。

「構っては、いられんか…… だが……」

 その一方でゲオルゲは、通信も途絶えた僚艦〈耶律阿保機〉に目を向ける。

「第十三偵察部隊所属〈ギの八〉! 聞こえているな!」

「はっ!」

 凛とした女性兵士の声が、すぐにゲオルゲの近くで再生された。

「視界を借りる! 〈耶律阿保機〉の主砲を追え!」

「はっ!」

 その兵の返答が終わるや否や、ゲオルゲは自分の感覚を、〈ギの八〉と呼んだ索敵用の使い魔に繋いだ。視覚が一気に変わる。

「……金色の獅子か……」

 やはりとまさかの感慨をない交ぜにして、ゲオルゲは小さく呟く。

 魔力を溜め切った〈耶律阿保機〉の魔法円。その煌めく魔法円の向こうに、ゲオルゲは金色の獅子を見た。

 その呼び出される寸前の獅子には、羽が生えていた。左肩に一翼だけ、体と同じ金色の翼を拡げている。その翼は中央部分で、優雅に中折れをしていた。王者の余裕のような曲線だ。

 そしてその片翼でありながら尚美しい姿に、ゲオルゲは低く唸る。

「美しい……」

 それは心から出た、感歎の声だった。


「おぅりゃ!」

 雷中将アレクセイ・イヴァノヴィッチ・ガモフは、得意の電撃魔法と並び称される疑似生命魔法を放とうと、全ての魔力を解放した。

 人の形をした雷中将の使い魔は、雷神を思い起こさせる荘厳さで、見る者に畏怖を与えていた。まさに神話の世界から、抜け出してきたかのような神々の似姿だ。

 使い魔は皆異形の姿をしている。それは偽りの命を吹き込むからだ。そう信じられている。

 だが高度な魔力の使い手が呼び出した使い魔は、見とれる程美しい姿をしている――

 そうとも言われている。

 まるで神話や伝承に出てくる、神々や神獣の類いだ。人々が長年畏敬を込めて崇めてきたもの達の、まさにその似姿をしている使い魔達。その美しさ。

 そうそれは――誰もが目を奪われる程の美しさだ。

 例えば今、雷中将が呼び出しているような、雷神のごとき使い魔だ。

 その使い魔の右腕が、魔法円から突き出される。幻獣でありながら、鍛え抜いたかのような筋骨隆々の腕が、虚空に向かって突き出された。

「行くぜ!」

 アレクセイの使い魔は、更にその逞しい左手を魔法円の縁に掛けて、そこから這い出るように姿を現そうとする。

 続いて雷を思い起こさせる、金色の頭髪をたたえた頭部が魔法円から露になった。

 艦隊のそこかしこから、静かな喚声が上がった。もちろん直接アレクセイに伝わったのは、〈グロズーヌイ〉の艦橋にいる者達のさざ波のような陶酔の声だけだ。

 何度見ても雷中将の疑似生命魔法は美しい。偽りの生命ではあったが、それでもその肉体美とでも言うべき生命の輝きに、多くの者が見入っていた。

 戦艦の全開にされた主砲という、これ以上にない状況で呼び出された美しい使い魔。魂すら魅入られかねない光景だ。

「――ッ!」

 その時帝国軍の最左翼で、目も眩むような閃光が発せられた。それはアレクセイの使い魔に向けられていた兵士達の目を、奪い取るには十分な輝きだった。

「アレクセイ……」

 皆がその閃光に息を呑んで言葉を失う中、辛うじてゲオルゲがアレクセイに呼びかける。

「何だ! ゲオルゲ! 邪魔すんな!」

 それでも術に集中するアレクセイは、その閃光に気が付かなかったようだ。

 このまま身を踊り出させ、敵重撃艦を腕力と化した魔力と、抑えても溢れ出てしまう電撃で阻止するつもりだった。その大きさ故に長時間の呼び出しは不可能だが、返ってそれを好都合と、アレクセイ好みの文字通り電撃戦で沈める気になっていた。

 だが――

「何!」

 そう、だが迫りくる敵重撃艦は、その途中で爆発四散した。

「何だよ…… 出番なしかよ……」

 己が狙っていた敵艦が、自陣に届く前に轟沈している。その現実にアレクセイはやっと周囲の状況を把握する。

「そのようだ」

「ケッ!」

「……」

 爆発の中心から姿を現したのは、牙を剥いて威嚇する金色の獅子――

 閃光とともに〈耶律阿保機〉から放たれた使い魔だ。

 ゲオルゲはその姿にしばし目を奪われる。

「金色の獅子……」

 ゲオルゲはその獅子の姿に、

 美しい――

 そう陶然として、やはり溜め息混じりに呟いた。


 戦闘は重撃艦の特攻を最後に終了した。敵残存兵力はそれぞれに本星へと退却し、帝国軍はその深追いをしなかった。

 重要な資源小惑星とはいえ、一度退くこと選んだようだ。おそらく本星に兵力を集め、体勢を立て直して反撃に出るつもりだろう。

 この戦闘において、敵はほぼ半壊状態。対する帝国軍は、目立った損害は連撃艦〈耶律阿保機〉だけだった。

 その連撃艦〈耶律阿保機〉から脱出した兵は、皆一度〈グロズーヌイ〉に集められた。

 そして〈耶律阿保機〉には、〈ヴラド・サード〉から小型艇が差し向けられた。

 乗っているのは、冷血中将――ゲオルゲ・ミリャその人だ。

 〈ヴラド・サード〉の艦長にして、時にドラクルとまで恐れられる本艦隊の司令官自らが、完全に機能を停止した連撃艦に向かった。

「……」

 ゲオルゲが艦橋で見たものは、散らばる焼死体と、二十歳過ぎの下士官の姿だった。

 ゲオルゲはしばし黙祷を捧げる。炭と化しているが、どれもが皆、この中将の戦友だ。

 下士官は頭から血を流し、うつぶせに一人倒れていた。

 意識を完全に失っているようだ。

「翼のある金色の獅子…… 片翼とはいえ…… いやその方が理屈には合うか……」

 ゲオルゲは下士官に歩み寄り、敵の捨て身の攻撃の直前に、その脅威を打ち破った獅子を思い出す。

 金色の獅子は魔力を使い果たしたのか、敵重撃艦の大破の後、かき消すように虚空に消えた。

 通常艦の外壁には、魔力の温存の為に帰還用の魔法円が用意されている。本人の負担の為にも、使い魔はその魔法円から呼び出された艦に戻ってくるのが常だ。

 だが金色の獅子にはその余裕はなかったようだ。

「自覚がない…… それでも呼び出されたのは、金色の獅子……」

 ゲオルゲは一人考える。

 呼び出されたのは、片翼であるが、金色の毛並みを誇る獅子。

 自覚がないまま呼び出された使い魔。それ故にその本来の姿をとらせることが、この青年はできなかったのかもしれない。

「……」

 ゲオルゲは己の軍服の紋章に目を落とす。翼を背にした金色の獅子の紋章だ。もちろん翼は左右ともにある。

 金色の獅子は帝国軍の紋章。それは皇帝の威光を表す。そう、金色の獅子は皇帝の力そのものだからだ。

 金色の獅子の使い魔を放った下士官は、今すぐにでも手当が必要な状態で倒れている。

「さて、どうしたものか……」

 ゲオルゲは思案する。中将は自分以外を艦橋に入れさせなかった。獅子の使い魔を放った人間が誰かを確かめ、どう処置するかを一人で決める為だ。

 首から架けた認識プレートで、その獅子を放った兵が誰かはすぐに知れた。新米の下士官だ。

 認識プレートには、戦死時に肉体が原型をとどめない程損壊しても、本人と確認できるように、個人の情報が刻み込まれている。

 その内容は、氏名、認識番号、生年月日、血液型、そして出身惑星だ。

 名前はコジロウ・駿河。襟章を見るに、階級は曹長だ。帝国の象徴とでも言うべき、金色の獅子の使い魔を放ったのは、この古式ゆかしい表意文字の姓を持つ若き曹長だ。

 だがもちろん皇族に、そのような名前の者はいない。

「コジロウ・駿河曹長…… 貴君はいてはならない存在か……」

 ゲオルゲはゆっくりと左手をコジロウに向けた。左手にはめた手袋の五芒星が、妖しい光を発し始める。

「――ッ!」

「ムッ!」

 その僅かな魔力に反応し、コジロウが跳ね起きた。視線も定まらぬ眼差しで、反撃を試みようと左手を跳ね上げる。

「ほお……」

 ゲオルゲは笑みを漏らす。気絶して尚、己に向けられた魔力に反応し、意識も定まらぬ中で反撃を試みようとしている。

 前もよく見えていないのだろう。意識が朦朧として、まだ敵と戦っているつもりなのかもしれない。己の身に降り掛かった魔力に、本能的に立ち向かおうとしたようだ。

 沈み行く艦で、一人で主砲を展開し、強靭な魔法を放っただけのことはある。

 ゲオルゲはそう感心する。

「だが……」

 だがと思い、ゲオルゲは身を翻した。血の気を失った新兵の攻撃など、食らうような冷血中将ではない。

 足を捌いて身を反転させるや、ゲオルゲはコジロウの背後に回り込む。コジロウにその位置を確かめさせる隙すら与えず、ゲオルゲはその首筋に手刀を見舞った。

「ぐ……」

 コジロウは息を詰まらせて、膝を屈する。

 崩れ落ちるコジロウの体を、ゲオルゲが左手で支えた。

 似ている――

 ゲオルゲはその顔を見てそう思ってしまう。

 特に意識することなく、一人の男の顔を思い出してしまう。

 ゲオルゲはもう一度認識プレートを見る。そして、なるほどと思ってしまう。

「コジロウ・駿河曹長――」

 士官学校で同期だった青年そっくりの、コジロウの凛々しい顔に話し掛けた。

 慈愛が籠っている。そう捉えられてもおかしくない笑みを、ゲオルゲは浮かべる。

「貴君の命。私が預かろう……」

 冷血中将ゲオルゲ・ミリャはそう呟くと、死体転がる艦橋から一人の下士官を救い出した。


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