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殿のメンタルが弱すぎる件 ―天下一メンタル侍・玄斎、今日も心を斬る―  作者: 大木 雫


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7/8

殿、働きたくないの巻 ―心の火、どこへ行った?―

ーーーー【評定、三日連続中止】ーーーー


 朝。

 評定の間はいつになく静かだった。

 ――というより、来るはずの人が来ない。


 宗玄は腕を組み、空っぽの席を見渡して嘆息した。


「……三日連続、中止でございますな。」


 書記官が恐る恐る頷く。

「は、はい。殿は“気力の充電中”と仰せでした。」


「電気の概念はまだない時代であろうに……」

 宗玄はこめかみを押さえた。


 そこへ、障子の向こうから布団がずるずると動いた。

 中に殿がいる。

 そのまま滑るように廊下を進み、評定の間の入り口で止まった。


「……殿。まさかとは思いますが、それは……新しい出仕の形ですか?」


 布団の山が微かに揺れ、くぐもった声が返る。

「宗玄、これは防衛戦である。」


「防衛……?」


「布団は城壁。敵は“仕事”。

 この中に籠れば、何者も拙者を責められぬ。」


「完全に籠城しておられるじゃないですか!」


 宗玄が慌てて布団を引っ張るが、殿はしっかり掴んで離さない。


「離せ! 今、城壁を破られたら士気が崩れる!」


「…そもそも士気がない状態で何を守っておられるんです!」


 布団の中でごそごそと動きながら、殿が言う。

「心が冷えると、動けぬのだ。

 心の火が消えぬよう、布団の砦を築いたのじゃ……」


 そこへ、障子が音を立てて開いた。

 静かに入ってきたのは、殿の心の指南役――玄斎。

 いつもの扇を片手に、落ち着いた声で言った。


「殿、また籠城ですか。」


「……うむ。敵は強大じゃ。名を“()る気がない”という。」


 「殿ッ!その字のやる気がないのは殿の常でございまするぞ!?」

 宗玄が鋭くツッコむ。


「なかなか手強い敵でございますな。」

 玄斎は微笑し、宗玄に目配せした。


「何を感心しておられるんですか! 引きずり出してください!」


「宗玄殿、焦りは禁物。

 …やる気とは“心の気流”にございます。

 流れが滞れば、風は止み、心は重くなるのです。」


 殿の布団の中から、くぐもった声が響く。

「ならば拙者の胸中、無風地帯であるな……」


「左様。今は“無風期”にございます。」


「……静穏期、とも言い換えられるか。悪くない響きじゃな……」


 宗玄が頭を抱える。

「殿、それを口実に永遠に引きこもるおつもりでは……!」


 玄斎は穏やかに言った。布団の殿の前に腰を下ろす。

「殿、“働きたくない”という声を敵視なさらず、

 まずはその声を聞いてみましょう。

 やる気を呼び戻すには、敵の正体を知ることが肝要にございます。」


 布団の中で殿がつぶやく。

「……敵の正体、か。怠け心か、疲れか……

 いずれにせよ、まだ城門は開けられぬ。」


 玄斎は小さく笑った。

 「されど、籠城にも終わりはございます。

 風はいつか、布団の隙間からも入りましょう。」


 「……その時、拙者は出陣する。」


 「それまでに政務が滞るほうが早いです…」


 ――こうして日向藩、三日連続の評定中止。

 だが玄斎は静かに扇をたたみ、呟いた。


「心の旅人が帰る刻は、案外近いかもしれませぬな。」




ーーーー【玄斎の提案 ―“やる気再起の儀”】ーーーー


 昼下がり。

 評定の間の片隅には、まだ殿の布団が鎮座していた。

 宗玄はその横で政務書類を積み上げ、ため息をつく。


「……もうこの布団も、殿の居城と化しておりますな。」


 殿は布団の中からくぐもった声で返す。

「布団の城に籠れば、雑務の矢は届かぬ。安全じゃ。」


 「そのうち“飢え”で落城しますよ!」


 そこへ玄斎が茶を運んで現れた。

 扇をたたみ、穏やかに言う。


「殿。そろそろ、やる気を呼び戻す“儀”を始めましょう。」


「儀、とな?」殿の目が布団の隙間から覗く。


「“やる気再起の儀”。

 心の風を起こすための、古来より伝わる……いや、いま思いついた修行でございます。」


 「今、思いついたって申したな!?」


 玄斎は気にも留めず、茶を一口すすった。

「儀の第一段階――“心の声”を言葉にいたしましょう。

 やる気が出ぬ理由を、ありのままに口にするのです。」


 「……理由、か。そんなもの、言わずとも分かっておろう。

 ただ、働きたくないのだ。」


 玄斎は微笑んだ。

「怠惰ではございません。それも心の“疲れの声”です。

 まず、声を認めてやること。そこから風が吹き始めます。

 殿、殿の『働きたくない』理由をより仔細にいたしますと?」


「……では申すぞ。

 働きたくないのは…朝が早い。文が多い。人が多い。笑顔を作るのが疲れる。」


 宗玄がギョッとする。

 「なんと、最後のが一番深刻ですな……」


 「見事。もうひと息で第二段階、“変換の法”に入れます。」


 「変換?」


 「“やらねばならぬ”を、“やりたい”に変える心法です。

 義務を志に変え、他者のためを己のために見直す。」


 「……難儀な修行だな。

 評定を“やりたい”と思えれば苦労せぬ!無理じゃ!」


 玄斎は小さく笑った。そして「ふむ」と考える。

「では、まずは………

 無理に変えようとせず、“気の流れ”を観察なされ。

 心は風と同じ。止まっても、やがてまた動き出します。」


 「観察するだけでよいのか?」


 玄斎はうなずき、言葉を続けた。


「はい。人の心は、無理に動かそうとするとますます固くなります。

 大切なのは、“今の自分がどんな状態にあるか”を知ること。

 心が冷えているのか、曇っているのか、あるいは乾きすぎているのか――

 それを知らずに励まそうとすれば、逆にひびが入ります。」


 「……では、知ることが先か。」


「左様。己の心を知らぬまま、他者も国も動かせませぬ。

 やる気とは、理解の後にようやく芽吹くもの。

 今の自分を否定せず、ただ『こういう風が吹いているのだな』と

 受け止めることが肝要にございます。」


 殿はしばし黙り、息をついた。

「……なるほど、気流を読む前に、自分の空模様を知らねばならぬのだな。」


 「まさに。“心を知らずして天下を知るなかれ”でございます。」


 宗玄が首を傾げた。

「しかしながら、観察とは?」


 玄斎は懐から巻物を取り出し、床に広げた。

 そこには雲や風の絵が描かれ、中央に大きく「やる気前線」と記されている。


 宗玄が思わず叫ぶ。

「殿の情緒が天気図に!」


「ふむ……」殿は布団の中で覗き込む。

「拙者の心、今は“低気圧”の中心か。」


「左様。湿気多く、ため息が降りやすい気候でございますな。」


 宗玄が小さく呟く。「…まもなく“眠気注意報”が出るでしょうな」


 殿がふっと笑った。

「……悪くない。心の天気図、なかなか面白いぞ。」


 「では、殿。本日のところはこれにて。

 “晴れ間”が見えたらお知らせください。そのときこそ、再起の兆しにございます。」


 「うぬ。晴れ間が見えたら……布団をたたもう。」


 はぁ、と宗玄のため息が響く。

 「…それ、約束ですよ! 永遠の雨季は禁止です!」





ーーーー【殿、城の“やる気不調”を目撃す】ーーーー


 夕方。

 西日が廊下を照らし、金色の光が畳の縁を細く染めていた。

 殿はひとり、布団を抜け出して静かに歩いていた。


 ――玄斎の言葉が、耳の奥で反響していた。

 「己の心を知らぬまま、他者も国も動かせませぬ」


 殿はつぶやく。

「……ならば、まず他の心を見てみよう。

 皆の“気流”は、いかほどのものか。」


 廊下の先、台所。

 料理番たちが大鍋を囲んでいた。

 誰もがどこか眠そうな目をしている。


「味噌……もう混ぜるの面倒だわ……毎日毎日、やんなっちゃう」

「腕は動いておるが、心が湧かない……」


 殿は柱の陰からそっと覗き見て、目を丸くした。


 次に、文書係の部屋。

 夕陽の光が紙を橙に照らす中、若い侍が書類に向かっていた。

 だが筆は進まず、紙の上で止まっている。


「はぁ……30過ぎまで童貞だったら奇術師になれるって本当かな……」


 さらに庭に出ると、庭師が熊手を手にため息をついていた。

「落ち葉が減らぬ……いや、心の落ち葉も減らぬ……」


 殿、思わず吹き出しそうになる。

「……皆、同じではないか。」


 その声に応えるように、背後から柔らかな足音が近づいた。

 玄斎である。


「殿。視察でございますか?」


「うむ……どうやら拙者だけではなかった。

 ほかにも“無風地帯”におる者がいるようじゃ。」


 玄斎は頷き、微笑んだ。

「やる気とは、波にございます。

 誰しも上がる時もあれば、沈む時もある。

 それが人の“心の季節”にございます。」


「拙者だけが怠けておると思っておったが……

 心とは皆、曇るものなのだな。」


「曇りがあるから、晴れに気づけるのです。」


「……ならば、今は無理に晴らさずともよいか。」


 玄斎は小さく頷き、扇を閉じた。

「ええ。ただし――自分の心を知り、理解することを怠ってはなりませぬ。

 さらに、やる気がなくとも、止まらなければ少しずつでも進むのです。

 料理番も、文書係も、庭師も……手だけは程なく動かしておりました。

 それが肝要でございます。

 “やる気が出てから動く”のではなく、“動きながら気を起こす”。

 そうすれば、少しずつ風が通り、心は軽くなります。」


 殿はゆっくりと夕空を見上げた。

「……動きながら、気を起こす、か。」


「はい。止めてしまえば、後で自分が苦しくなる。

 だからこそ、曇りの日でも一歩を動かすのです。」


 殿は静かに頷き、口の端を上げた。

「ならば曇り空の拙者は、明朝は筆を取るだけでもよいな。」

「それで十分にございます。」


 「そして殿。 もしも心が凍える吹雪や”はりけーん”となっておりましたら例外でございます。そうともなれば、医者にかかった方が良いでしょう」

 「うむ。わかった…はりけーん?」


 殿の顔に、久方ぶりの穏やかな笑みが戻った。

 その背に、夕風がそっと通り抜けていく。


 まるで、殿の心の中に新しい風が吹いたかのように。




ーーーー【やる気再起の儀、開催】ーーーー


 翌朝。

 城の中庭に、珍しく多くの家臣たちが集められていた。

 その中心に立つのは――殿。


 宗玄が不安そうに尋ねる。

「殿、本日は……いったい何の評定で?」


 殿は朗らかに胸を張った。

「評定ではない。“やる気再起の儀”じゃ!」


 家臣たちの間に、ざわめきが走る。


「やる気……再起?」

「儀って……祝詞でもあげるのか?」


 玄斎が前に出て、扇を広げた。

「殿のご発案にございます。

 皆で己の“心の天気”を確かめ、気流を整える。

 名付けて――“情緒天気報告会”。」


 宗玄が顔をしかめる。

「……情緒の共有を!?」


「宗玄、堅苦しく考えるでない。」殿が笑った。

「藩政も心あってのこと。心が曇れば、書状も濡れる。」


「紙は濡れておりませぬ!」


 殿は笑いながら、庭の中央に立った。

「まずは拙者から申す。拙者の心――今朝は“薄曇りのち、やや晴れ”。

 昨日よりは軽い。」


 家臣たちが思わず頷く。泣き始める者もいる。

「おお……殿が晴れた!」

「昨日まで籠城しておられたのに……!」

「殿ぉおおおっ」


 玄斎が穏やかに言う。

「次は宗玄殿、どうぞ。」


「わ、わしか!? ……ええと、心の天気は……“曇りときどきやらされ感”。」


 笑いが起こる。


 料理番が手を挙げた。

「拙者は“うす味ながら回復の兆し”でございます!」


 文書係も続く。

「筆が少し軽くなりました。“晴れのち小疲れ、時々童貞の悩み”です!」


 庭師は熊手を立てて言った。

「“落ち葉多し、しかし風通し良し”!」


 殿は笑いながらうなずいた。

「よいぞ。風が通り始めておる。」


 宗玄がぼそりと呟く。

「これはもはや、情緒気象庁ですな……」


 玄斎は微笑み、まとめに入った。

「心の天気は、晴れも曇りもございます。

 しかし大切なのは、その天気を正しく理解すること。

 とくに…、雨や台風のさなかにありながら“晴れ”と己に偽ってはなりませぬ。」


 そして…と続ける。

 「ときには、人に天気を報告するのもよし。それだけで風が通り、空が変わるのです。」


 殿は一歩前に出て、皆に声をかけた。

「やる気は湧かぬ日もある。だが、それを他方に隠す必要はない。皆の顔を見れば少し風が吹く。

 ……働くとは、心を合わせて息をすることなのだ。」


 家臣たちが微笑む。

 宗玄が笑いながら手を合わせた。

「殿、回復の兆しですな!」


「うむ!」殿は胸を張った。


 ――笑いが中庭に満ちた。

 風鈴が鳴り、木々の葉がやさしく揺れる。


 殿はふと、空を見上げた。

 昨日よりもずっと明るい光が差している。

 それは、心に吹いた新しい風のようだった。




ーーー【エピローグ ―心、休むことを知る―】ーーーー


 夕暮れ。

 評定の間の縁側に、殿が腰を下ろしていた。

 湯気の立つ茶碗を手に、ぼんやりと庭を眺めている。


 玄斎が隣に座り、静かに湯を注ぎ足した。


「殿、ようやく風が通い始めましたな。」


 殿は頷き、湯呑を傾けた。

「うむ。今朝の“やる気再起の儀”は妙に心地よかった。

 働いておるような、遊んでおるような……不思議な気分じゃ。」


「それこそ、心が休まっている証にございます。

 殿は3日の休息を取られた。

 加えて、己の心を理解し、他者へ打ち明け、共感なされました。

 心の休息とは“働かず止まること“も然り、しかし“それだけにあらず”。 心をほぐし、また動けるようにする方法は一つに限りませぬ。

 働く中で心を緩めることも、心の休息の一つでございます。」


 殿は小さく笑った。

「拙者はーーーずっと、“働く”とはただの苦行だと思っておった。

 だが今日、ほかにも少し分かった気がする。

 人のために動くことも、皆と笑うことも、それが“働く”の中にあるのだな。

 そう思うと、少し働きたくなる気がする。拙者は、皆と笑うのが好きじゃ!」


「おお…殿、自己理解が進みましたな」

「“自己理解”?」

 「自己理解は、『“やらねばならぬ”を、“やりたい”に変える心法』のために欠かせぬのでございます。

 殿は今ご自分で自己理解を進め、「やりたい」を引き出しておられたのです。

 …しかしながら、この心法は上級のものですゆえ、また時を改めてお教えしましょう」

 玄斎がニヤリと笑い、扇をパタリと開く。


「なっ…そういえば玄斎、お主『“やりたい”に変える心法』がどうとか申しておったな!」


 殿は茶を置き、夕陽に染まる庭を見つめた。


 そこへ宗玄が書類の束を抱えて駆け寄ってきた。

「殿、よろしいですかな! 本日は殿の恋愛指南書の発行嘆願と、決裁書類が山のように――」


 殿はゆるりと手を上げた。

「宗玄、今日は“心の休日”である。」


「そんな制度、聞いたことがございません!」


「ふっ、嘘じゃ宗玄。良い、やろうぞ。そなたと行う政務は悪くない」


 殿は笑いながら立ち上がった。


 ――かくして日向藩、今日も平和である。

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