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殿のメンタルが弱すぎる件 ―天下一メンタル侍・玄斎、今日も心を斬る―  作者: 大木 雫


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殿、恋の相談を受けるの巻 ―恋の乱れは心の乱れ―

ーーーー【町娘、恋を直訴】ーーーー


 朝靄の中、日向城の大手門が開かれる。

 いつもなら武士たちの行き来しかないその場所に、

 一人の町娘が土下座していた。


「お願いです! 殿に、恋の相談をさせてください!」


 門番二人、硬直。

 風鈴のような声なのに、言葉の内容が重い。


「こ、恋……の、相談……!?」

「ここは寺ではないぞ! それに殿は恋愛指南役ではない!」


「殿しか頼れないんです! 心が乱れて、もう抹茶が立ちません!」


「抹茶が…!?」「なんと、それは大事だ」

 娘は――茶屋“楓庵”の看板娘、(かえで)であった。


 その真剣な目に押され、門番は視線を交わし合う。

「……宗玄様にお伺いを立てねば……」




 数分後、評定の間。

 宗玄が顔をしかめ、書状を握りしめていた。


「殿、どうか落ち着いてお聞きくだされ。

 城門に、恋の相談を願い出た娘が――」


「恋?」


 殿が筆を止めた。

 眉がぴくりと動き、頬にかすかな赤みがさす。


「恋とは……あの、“心が熱くなる”やつか?」


「それです」


「戦の火か?」


「違います」


「心頭滅却すれば消えるか?」


「消えません!」


 宗玄の声が跳ねる。

 殿は少し目を泳がせ、机の上の茶碗を見つめた。


「……恋、か。噂には聞くが、実際に見るのは初めてだな」


「殿、“見る”ものではありませんぞ!」


「では、どこで起こる?」


「心の中です!」


「……なるほど、心の病だな」


「病ではありません!」


 宗玄が机を叩いた瞬間、廊下の奥から足音が響く。

「騒がしいと思えば……」

 扇を手にした玄斎が姿を現した。


「――恋の病、診察いたしましょう」


 宗玄の胃が鳴った。

 殿は一息つき、真剣な顔でうなずいた。


「よし、呼べ。恋に悩む娘をここへ」


「殿、恋愛相談より先に政務を…」


「いかぬ。心を整えねば、政も乱れる」


「どんな理屈ですか! 恋バナしたいだけでは!?」


 そのやりとりの末、

 楓は殿の前へと通された。




 玄斎はその姿を目にした瞬間、わずかに目を見開いた。


「……楓であらぬか。」


 楓が驚きに息をのむ。

「――玄斎!」


 殿と宗玄が同時に目を丸くした。

 玄斎は少し苦笑し、扇をたたんだ。


「久しいな。まさか、ここで会おうとは思わなんだ。 楓が恋の病の者だったか」


 楓は頬をかすかに赤らめながら笑う。

「う、うるさいな。子どものころ、あんた勉強しかしてないガリ勉だったのに……偉くなったねぇ。」


「変わらぬな、楓。口も達者のままか。」


 宗玄が殿に向かってコソコソと漏らす。

「……なんか距離感が違いまするな」




 殿は姿勢を正し、コホンと咳払いをする。


「楓といったか。申してみよ。恋の戦況を」


「……はい。好きな人がいます。

 けれど、怖くて気持ちを伝えられないんです……」


 殿、息をのむ。


「なんと、戦もせずに負けを認めるとは……! 否、戦わずに勝とうとしておるのか?」


「違います! 戦じゃないんです!」


 宗玄が頭を抱える横で、玄斎が穏やかに笑った。


「殿。これは“恋の初陣”にございます。

 此度の武具は剣ではなく、言葉。

 しかし戦でも恋でも、まずは心を整えるところから。

 ――恋の乱れは、心の乱れにございます」


 殿はしばらく考え込み、

 まるで新たな敵を前にした武将のように、ゆっくり立ち上がった。


「よかろう。ならばこの恋の戦、我らが指南してやろう!」


 楓が驚いて顔を上げる。

 宗玄は頭を抱え、玄斎はにっこりと微笑む。


「……殿、まことに恋の修行を始められますか?」


「うむ! これもまた、心の稽古なり!」




ーーーー【玄斎、“恋心の構造”を解説】ーーーー


 その日の午後。

 評定の間には、いつになく静かな空気が流れていた。

 まずは殿が恋を学ぶため、本日は楓はこの場にいない。


 畳の中央には、紙が一面に広げられている。

 玄斎が筆をとり、淡々と図を描いていた。


「恋の構造を、図にしてみました。」


 殿と宗玄、思わず身を乗り出す。

 広げられた紙には、見慣れぬ文字と円がいくつも。

 真ん中に大きく書かれているのは――『心』。

 そこから矢印が放射状に伸び、「ときめき」「不安」「妄想」「現実逃避」「胃痛」などが並んでいる。


「……なにやら呪符のようだな」殿がつぶやく。

「胃痛って……それは恋の構造か?」宗玄が顔をしかめた。


 玄斎は静かに筆を置き、語り始めた。


「殿、恋とはいわば“心が刀を抜く瞬間”にございます。」


 殿、ぴくりと反応。

「刀を……抜く?」


「はい。普段、心は鞘の中にございます。

 だが、誰かを思うことで――その刃が相手に向かって外へ出る。

 つまり恋とは、心が素手で世に出る瞬間です。」


「……危険な状態だな」


「そうですとも。 さらに、一度抜いたその刀はなかなか鞘には戻らず、暴れ続けるのでございます」


「……なるほど。」


 宗玄が頭を抱えた。

「納得してる……! これで納得できる殿がわかりませぬ!」


 玄斎は気にも留めず、さらに図に書き足した。

 “心の戦図”と題された新しい円の周りに、さらに線が伸びていく。


 ① 出会い期

 ② ときめき期

 ③ 動揺期

 ④ 妄想期

 ⑤ 反省期

 ⑥ 無言期

 ⑦ 撤退期


「これは、心の戦図。とくに『恋の戦、変容七段階』にございます。」


 殿は感心したように頷いている。

「なるほど、恋にも段取りがあるのだな。まるで出陣前の作法だ。」


「左様にございます。」


 玄斎は講義を続けるように扇を開いた。


「出会いは“敵影を認める”段。

 ときめきは“心の陣形を乱す”。

 動揺は“矢が刺さる”。

 妄想は“敵の位置を誤認”。

 反省は“被弾報告”。

 無言は“弓の弦が切れた状態”。

 撤退は“負け惜しみ”。」


 宗玄の額に汗が滲む。

「…それはただの失恋経過でござりますぞ! なにゆえ失恋前提なのか!お主、失恋しかしたことないのでは!?」


 しかし殿は一方で、深くうなずいていた。


「……心の戦とは、かくも激しいものか。

 玄斎、ならば勝つにはどうすればよい?」


「勝とうとするから負けるのです。」


「哲学が過ぎる…」宗玄のツッコミ力がなくなっていく。


 玄斎は静かに殿へ目を向けた。


「殿。恋における勝利とは、“己の心を保つ”こと。

 愛とは支配ではなく、己の心の理解でございます。」


 殿は真剣な表情で頷く。


「理解か……。ならば、此度は彼女の相談ゆえ、まずは彼女の心を理解せねば。」


「その通りにございます。」




 玄斎はふっと笑った。


「では、次の稽古に入りましょう。“恋心の観察”です。」


「観察……?」


「失礼ながら殿。殿は恋をしたことがござりまするか?」


「ぬ…。あらぬ」


「左様でございましょう。それゆえ、まずは相手の心を観るのです。

 目ではなく、心の刀で。」


 殿は感動したように立ち上がった。

「……よかろう。恋の戦、いざ実戦訓練だ。」


「殿、それよりも政務を…」


 宗玄が慌てて止めようとするも、もう遅い。

 殿は拳を握りしめ、目を輝かせた。


「心の刃、今こそ抜かれた! 玄斎、指導を頼む!」


 玄斎は静かにうなずく。

「心得ました。“恋の呼吸・一の型――見つめ合い”にございます。」


「いや、それなんかどっかのやつ持ってきてない!? 大丈夫!?」

 宗玄の絶叫が廊下に響いた。



 ――こうして殿の“恋の修行”は、

 ますます本格的かつ不可解な道へと進み始める。






ーーーー【殿、恋心を誤認】ーーーー


 ーーーー翌日。

 殿は、なぜか鎧の上半身だけを着込み、鏡の前で胸の前に手を当てていた。


「……鼓動、乱れておる。これが“恋の第一段階”か……」


「違います、ただの緊張です」宗玄の冷静な声。

 脇で書類を抱えた宗玄は、すでに目の下にクマを作っていた。


「殿、楓殿の恋は“誰か別の者”に対してでございましょう?

 殿はあくまで相談を受ける側、巻き込まれてはいけませぬ!」


「わかっておる……つもりだ」


 そう言いながらも、殿の手はなぜか衣の襟を整えている。

 宗玄、沈黙。


 その頃、楓が再び城へ呼ばれ、評定の間に通された。

 彼女は緊張の面持ちで、畳に正座していた。


「楓殿、昨日の話、もう少し詳しく聞かせてたもれ」

 殿が優しく問いかける。


「……はい。その人は――」

 楓はうつむきながら、頬を赤らめる。


「――まじめで、いつもみんなの前では立派で……

 でも、ときどき少し抜けてて……顔が優しくて……」


(……ん?)

 殿の眉がぴくりと動く。


(まじめ、立派、抜けておる、顔が優しい……。それはまるで……拙者ではないか!)


 殿の顔にみるみる赤みがさす。

 宗玄が「やめてください、その顔!」と顔で叫ぶ。


「そ、その者とは……よく話すのか?」


「はい。ときどき茶屋に来てくださって……いつも、少し緊張した顔をしていて……」


(茶屋…城下の茶屋か。うぬ、拙者も忍びで行ったことがあるぞ。そして緊張した顔!? ……間違いない、拙者だ!)


 殿の脳内で太鼓が鳴る。

 玄斎の声が頭の中でこだまする。


“恋とは、心が刀を抜く瞬間にございます”


(今、抜かれた……!)


 殿、勢いよく立ち上がる。

「楓殿! 拙者は――!」


「ひゃっ!?」楓がびくりと肩をすくめる。

 宗玄、慌てて立ち上がる。

「待ってください殿! 殿の抜刀は勘違いでござりまする!」


 だが殿は止まらない。

 胸に手を当て、力強く言い放つ。


「恋の戦とは、心の呼吸なり! 拙者、お主とは面識が初めてのように思うが…逃げぬ!」



 殿の真剣すぎる目に、楓は思わずぽかんとしている。

 そして真っ赤な顔で熱い視線を送る殿を見てハッとする。

「ち、違うんです! 好きなのは……別の方で!」


 殿、固まる。


「……べ、別?」


「はい。お茶を買いに来られる、同じ城の若い書役さんで……」


「書役……」


 宗玄、心の中で「ご愁傷様です」とつぶやく。

 玄斎が静かに近づき、殿の肩に手を置いた。


「殿、落ち着きを。

 これは恋の第三と半段目、“誤認期”にございます。」


「……かような段があったのか……」


「追記しました。」それまで静かに控えていた書記が初めて声を発する。


 殿は天井を仰ぎ、遠い目をした。

「……鼓動が痛い。これも稽古の一部か……」


 玄斎が淡々と口を走らせる。

「“心の筋肉痛”にございます。」


「……筋肉痛、か。ならば、成長の証だな」


 宗玄が頭を抱える。

「殿は未だ恋心を知らぬがゆえ… 大きな勘違いを…」


 だが殿はすでに、どこか清々しい顔をしていた。


「……よい。これもまた修行。恋の呼吸、二の型――受け流し。」


「だからそれ使っていいやつ!? 怒られまするぞ!?」




「わっ私!彼にこ、告白します! 殿のお姿とご指南に、勇気をいただきました!」


 ギョッとして宗玄が勢いよく楓を振り返る。

 「え、どの部分で!? なにゆえに!?」


 一方の殿は一瞬目を見開き、すぐにしたり顔になる。

 「ふむ。 お主には通じたようだな、拙者の考えが。

 よい。その主の心意気、この目で見届けようではないか!」


 宗玄がそっと呟く。

 「考えとは… 先ほどまで誤解でうつつを抜かしていただけでは…」




ーーーー【告白の儀】ーーーー


 夕暮れ。

 日向城の庭に、楓が立っていた。

 緊張した面持ちで、小さな包みを抱えている。


 玄斎と宗玄、そして殿が縁側からその様子を見守っていた。


「……あれが“告白の儀”か」

「儀じゃありません!」宗玄が即ツッコミ。

「心を伝える場面です!」


「伝える……。ふむ、宣戦布告か。」

「違います! 戦じゃないです!」

「では、和睦の儀か?」

「いえ…」

 宗玄がため息をつく。


 玄斎は静かに扇を閉じた。


「殿。恋とは斬り合いにあらず、間合いが(かなめ)にございます。」


「……間合い?」


「はい。近すぎても傷つき、遠すぎても届かぬ。

 恋の極意とは、その一歩の間合いでございます。」


 殿がうなずく。

「……なるほど、間合いか。剣も恋も。」


「左様にございます。剣の道も恋の道も同じ。」




 その頃、楓が庭の端に立ち、両手で包みを抱えたまま動けずにいた。

 殿は縁側を降り、庭木の一部をボキリと折ると、擬態のつもりかそれを頭に掲げて楓に近づく。

 

「あっ殿、お待ちを」

 慌てて宗玄と玄斎が殿の後に続く。


「楓殿、胸の内はいかがか。」


「……怖いです。伝えたいのに、声が出ません。」


 殿は静かにうなずき、少し間をおいて言った。


「恐れとは、心が前へ出ようとする兆しだ。

 拙者も先日、似た痛みを知った。」


 楓が顔を上げる。殿の瞳はまっすぐだった。


「戦では声を上げる者が勝つ。

 だが恋では、震える声こそ真の刃。

 震えを恥じるな。

 その震えが、“心が抜かれた証”にござる。」


 玄斎が静かに微笑む。

「殿、見事な“恋の指南”にございます。」


 宗玄が小声でぼやく。

「……もはや恋愛道場だな。」


 殿は続けた。


「言葉は刃に似ておる。

 出さねば届かず、出しすぎれば傷つける。

 だが、想いを閉じたままでは、何も始まらぬ。」


 楓はしばし黙っていたが、やがて深く息を吸った。

 その顔に、決意の色が宿る。


「……行ってきます。」


 殿がうなずく。

「うむ。心、折れずにあれ。」


 楓が歩き出す。

 その先に、若い書役が現れた。


 殿は固唾をのんで見守った。


 楓の声は震えていた。

「……あの、いつもお茶を飲んでくださって、ありがとうございます。

 これ……ささやかですが……」


 包みを差し出す楓。

 青年は驚いたように目を丸くし、それから柔らかく笑った。


「……ありがとう。僕も、ずっと……言おうと思ってたんだ。」


 楓の頬が紅に染まる。


 殿の胸が、きゅううううんと鳴った。


「……はっ、かっ… 鼓動が、強すぎる……!今何かきゅううううんと音が鳴ったぞ」


 胸を押さえて苦しみ出す殿。

 宗玄が慌てて背を叩く。

「殿、落ち着きなされませ! あれは、他人の恋でございます!」


「だが、心が揺れる……!」


 玄斎が穏やかに目を細めた。


「殿。恋とは伝染いたします。

 誰かの真心は、見る者の胸にも波紋を残す。」


「……そうか……。ならば、この痛みも……悪くないな。」


 殿は静かに立ち上がり、夕陽に照らされる二人の背中を見つめた。


 楓と青年が並んで歩き出す。


「……よい。戦に勝つより、誰かの心が通うほうが尊い。

 ――これぞ、恋の勝利。」


 庭の風がやわらかく吹く。

 落ち葉が一枚、殿の肩に舞い落ちる。

 殿はそれを指先でつまみ、微笑んだ。


「……散る葉にも、恋の余韻があるな。」


「殿、それはただの季節です。」


「……心が整った気がする。」


「それは錯覚です!」


 三人のやりとりが、夕空に吸い込まれていった。




 ――かくして、日向藩にまたひとつ新たな教訓が刻まれた。


 「恋は斬り合いにあらず、間合いである。

  出さねば届かず、出しすぎれば傷つける。

 だが、想いを閉じたままでは、何も始まらぬ。」


 そして殿の情緒は、わずかに鍛えられた。

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