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殿のメンタルが弱すぎる件 ―天下一メンタル侍・玄斎、今日も心を斬る―  作者: 大木 雫


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4/8

殿、悪口禁止令を出すの巻 ―心理的安全性を高めよ!―(下)

 翌朝――。

 日の光が昇るより早く、城内に号令が響き渡った。


「布告!布告! 本日より、悪口・陰口・舌打ち・ため息、一切これを禁ず!」

「また、褒め言葉を申す者、賞与一分加増とす!」


 その知らせは瞬く間に広まり、日向藩は“誉めの国”と化した。


 廊下を歩けば――


「おはようございます宗玄殿! 本日も実に見事な足取りで!」

「そなたの眉毛の左右差が、威厳を醸しておりますな!」

「殿のくしゃみ音、昨日よりも伸びがありましたぞ!」


 言葉の嵐。

 廊下が褒め言葉の戦場と化す。

 すれ違うたびに互いを称え、誰も目を合わせず、ひたすら笑顔を貼りつけている。


 出仕したばかりの宗玄は、その真ん中で青ざめていた。


「……玄斎、これは一体……」


「殿の命にございます。悪口は封じ、誉めを解き放つ。

 言葉の風が良き方向に吹いておりますが…」

「いや、暴風だろうこれは!!」


 宗玄が廊下の端を指差す。

 そこでは侍女たちが、涙目で互いを褒め合っていた。


「お、おまえの掃き方、まるで風雅な舞のよう……!」

「いえ、あなたの塵の集め方こそ、まるで詩……!」

「……もう、言うことが……思いつかぬ……!」

「考えて! 沈黙は悪口扱いになるのよ!」


 宗玄が顔を覆った。


「……いつの間に沈黙まで罪になったか」


 そのとき、奥から元気な声が響いた。


「皆の者、よう褒めておるかー!」


 殿が現れた。

 満面の笑みで、両腕を広げている。


「見よ、これぞ言葉の平和じゃ! 争いも、怒りも、どこにもない!

 この和やかさ、まるで極楽ではないか!」


「極楽というより、地獄にございます……」

 宗玄が小声で返す。


「なにか申したか?」


「いえ、褒めておりました。“殿の笑顔、朝日よりまぶしい”と」


「うむ、それは良き言葉じゃ!」


 殿が満足げに頷く。

 その後ろで書記が淡々と筆を取っていた。


「殿、ちなみにこの政策、記録上の名称は何とされますか?」


「“悪口禁止令”でよい!」

 よいよい〜♪と何やら口ずさみながら、殿は機嫌よく去っていく。


「…では副題に“誉め言葉奨励の儀”と添えましょう」

「儀にした!? 短期間で終了するのがお主にも見えているのだな…!?」

 宗玄が思わずコソコソと突っ込む。

 書記は静かに頷いた。


 昼。

 評定の間では、もはや会議になっていなかった。


「殿のお声、響きが清らかにございます!」

「殿の沈黙、まるで悟りの境地のよう!」

「殿の稽古中の汗、まるで玉露のしずく……!」


「おぬしら、何を言うておる!」

 殿がボッと赤面する。

 だが、誰も止まらない。止めたら罪になるからだ。


「殿の照れ顔、少年のようで実に初々しい!」

「殿の戸惑い、深き哲学のよう!」

「宗玄殿の眉間の皺は、責任感の証にございますな!」


「誰が責任感だ!」宗玄が怒鳴る。

 だが、その声を聞いた一人が小声で囁いた。


「……怒鳴った。悪口にあたるのでは……?」


 全員が一斉に宗玄を見る。

 宗玄、冷や汗。


「ち、違う! 叱責だ、叱責! これは悪口ではない!」


「でも声が荒い……」

「語気が強い……」

「怖い……」

 「そもそも叱責と悪口の違いってなんだ?」


「〜〜〜〜〜〜あぁあああ、ええいっ、いい加減にせんかッ!」


 宗玄が叫んだ瞬間、玄斎がすっと立ち上がった。


「皆の者、静まりなさい」

 彼は扇を開き、静かな声で言葉を落とす。


「笑顔も過ぎれば仮面。

 褒めすぎれば、それもまた悪口の裏返しにございます」


 殿が目を瞬かせる。


「裏返し……?」


「はい。言葉とは刃。褒めも悪口も、使い方を誤れば人を傷つける。

 ――心のない誉めは、刃の裏で人を打つようなもの」


 宗玄が肩で息をしながら呟く。

「……ついにまともなことを言った……」


 殿はしばし考え込み、ゆっくりとうなずいた。


「なるほど……誉め言葉も過ぎれば毒、か。

 ならば、言葉とは、適度な呼吸のようなものだな」


「左様。呼吸も吸いすぎても、吐きすぎても苦しくなる。言葉も無理によい言葉を発そうとしすぎても、己も相手をも苦しめるのです」


 その瞬間、部屋の空気が少しだけ軽くなった。

 誰も褒めず、誰もけなさず、ただ黙って頷く。

 その静けさに、殿が小さく呟いた。


「……ようやく、息がしやすいな」


 殿の同意によって、全員が安堵の息をついた。




 だが――。


 その静けさの裏で、ひとりの足軽が城下へ走っていた。

 彼の手には、一枚の紙。


「悪口禁止令発布。誉め言葉奨励の儀」

 紙は町の掲示板へ貼られ、一部は風に乗って舞う。


 城下の者たちはそれを見て笑った。

 「まぁた殿が何かやってらぁ」

 「悪口についてなんかあったんかねえ」

 ケラケラと笑うその様子は、決して侮蔑でも非難でもなく。

 ただ敬愛する若い国主がたまに取る、不可解な行動を楽しく見守っていた。



 *



 その夜。

 日向城の灯が落ち、廊下には虫の声だけが響いていた。

 評定の間では、昼の“誉め合い騒動”の後始末が行われている。


 宗玄が帳簿の山に埋もれ、ぐったりしていた。

 玄斎は黙って茶を注ぎ、殿の前に差し出す。

 殿は湯気の立つ湯呑を見つめながら、ため息をついた。


「……玄斎。良かれと思うて、皆に『誉めよ』と言ってしまったが、拙者は間違っていたのだな」

 

 玄斎はじっと殿の様子を見つめる。

「いいえ。

 “褒める”という優しき行為にも、それを奨励した殿の優しさにも、誤りはございません。

 ただ――優しさもまた、過ぎれば己が心を鈍らせましょう」


「……過ぎれば、鈍らせる?」


「はい。刃も磨きすぎれば光に映り、相手の影が見えなくなる。

 誉め言葉も同じ。光らせすぎては、影を見失ってしまうのです」

 殿は小首をかしげる。


 宗玄が帳簿の向こうで顔を上げた。

「……玄斎、難しく申すな。はっきり申せ。つまり、殿が優しすぎると?」

 「なんだと…宗玄。口を慎め!」


 コホン、と咳払いで玄斎が制す。

「殿。ここでもう一つ、大切なことをお伝えしましょう。

 ………“率直な意見”こそ薬にございます」

 

 殿に笑顔を向ける。

 「『悪口』と『思いやりのある本音』の違いは、心の温度にございます。

 冷たく言えば刃、温かく言えば薬。ーーー宗玄殿は温かい」


「……そうか? 胃は冷たくなるがな」

 殿がふっと笑った。

 その笑いには、少し照れくささと、柔らかい光があった。


「心の温度か……。

 では、拙者もひとつ、本音を申そう」


 宗玄と玄斎が姿勢を正す。

 殿は静かに、二人を見回した。


「宗玄、そなたの叱責――痛いが、ありがたい。心に突き刺さるが、なぜか温かい。拙者の助けになっておる。

 そして玄斎。おぬしの説法…時折何を申しておるのかわからぬ。あと長すぎて眠くなるが、ありがたい」


「殿、それは悪口では?」宗玄が小声で囁く。

「いや、本音である」


 殿が笑う。その笑顔に、宗玄と玄斎もつられて笑った。

 ほんの短い沈黙が落ち、茶の湯気がふわりと三人を包み込む。


 殿は立ち上がり、夜の庭へ歩み出る。

 月明かりの下、そよぐ竹を見上げながら呟いた。


「よい。

 他者から出る言葉は、拙者には制限できぬ。ゆえに適度に距離を置くこと、流す意識も大切じゃ。

 そして悪口の対の位置にあり、よき効果があるのが『褒め言葉』。しかしそれとて、過剰は病の元だ。

 大切なのは、そこに心があるかどうかだ。

 本心からの褒め言葉は、大きな効果を発揮する。心ある言葉であれば、非を唱えるものであってもそれは悪口ではなく『思いやりのある本音』として相手の心を温める。…だろう?」


 玄斎がにっこり微笑む。


 「殿、心の刀、美しく磨かれましたな」

 ふふん、と殿は誇らしげである。


 宗玄が後ろで腕を組み、静かに顔を崩す。

「……殿、ようやく“普通の顔”に戻られましたな。不気味な笑顔でもなく、泣き顔でもなく。ちょうどよい塩梅です」

「褒めておるのか、それは」

「もちろん。悪口は禁じられておりますゆえ?」


 三人の笑い声が、月明かりの下に溶けていった。


 *


 朝霧の庭。

 竹林の向こうから、鳥の声が響く。

 殿――小田切安房守は、縁側に腰を下ろし、筆を手にしていた。

 机の上には一枚の短冊。そこに静かに文字を刻む。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()


 筆を置き、殿はふうと息を吐いた。

 その呼吸には、もう焦りも力みもなかった。


「……玄斎、言葉というものは、やはり難しいな。

 気をつけても、どこかで誰かを斬ってしまうかもしれぬ」


 背後から、いつもの落ち着いた声が返る。


「人は皆、無意識に刀を抜くものでございます。

 ですが殿は、もうその重さを知っておられる。

 それだけで、心の武士道を歩んでおられます。」


 殿は微笑み、竹林の方へ目をやる。


「……呼吸で戦を止め、言葉で心の争いの元を鎮めた。

 次は何を整えればよい?」


「“恋の乱れ”にございます。」


「は?」


 不意を突かれ、殿も宗玄も振り返る。

 玄斎は真顔のまま、扇をゆらゆらとあおいでいた。


「心の鍛錬、次は情の段。

 戦も言葉も静まった今、整えるべきは恋の嵐にございます。」


「恋ィーーー?」宗玄の叫びが奥から響く。


 玄斎が殿の手元を覗く。


「“言葉は風なり。真心とともに吹かせ”――

 これはまこと、恋風の句にございますな。」


「どう解釈したらそうなる!恋の要素ないだろう!」


 三人の笑い声が、庭の木立に吸い込まれていった。



ーーーその頃、城下の茶屋。


「聞いた? 殿、今度は“悪口も誉め言葉もほどほどにせよ”って言ったらしいよ」

「なんだそれ、よくわかっているじゃねえか」


「迷える若様だねえ」

 かえでは湯呑を置き、肩をすくめた。

 茶屋の外では、朝の風がのれんを揺らした。


 ――かくして日向藩、今日も平和である。

 殿の心の整いは、国の整いでもあるのだった。

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