8.岳人と二人飲み
健一と岳人は中華料理店で葵達と別れた後、二人で飲みに行く。電話で空きを確認して、予約すると早速向かう。
到着し、「月の盃」の暖簾をくぐった瞬間、鼻腔に広がる出汁の香りと、木の温もりを感じさせる落ち着いた空気に包まれた。
評判通り、料理と酒に並々ならぬこだわりを持つ和食処だ。
この店は、俺が異世界に飛ばされたあの日の夜、岳人と一緒に訪れるはずだった場所だった。それが今ようやく果たせたのだと思うと、胸の奥が不思議に熱くなった。
「じゃ、まずはこれをいっとくか」
岳人は迷う素振りもなく、目的の日本酒を注文しながら、さらに料理を幾つも重ねて頼んでいく。天ぷら、刺身、煮物、鍋物に至るまで。
「お前、まだ食うのか?」
呆れ半分で突っ込む俺の顔を見て、岳人は豪快に笑った。
酒と料理が運ばれ、二人で徳利を注ぎ合い、杯を合わせた。
「今回は助かった、本当に」
俺がそう言えば、岳人も真剣な目をして返す。
「無事に帰ってこれて良かったよ」
杯を傾けてから岳人がふと俺を見た。
「なあ健一、調子はどうだ?戻ってから忙しすぎて落ち着かないだろ。仕事は復帰の目処は立ってんのか?まあ、焦る必要は無いから落ち着くまで休む方が良い。あんまり遊んでばかりだと戻れなくなっちまうけどな」
冗談混じりの口調に、俺は苦笑しながらも答えた。
「すぐにでも戻れる状態なんだけどな。実を言うと、昨日ある男に会って、それで迷ってるんだ」
そう前置きして、俺は昨日の光景を思い出しながら語り始めた。
夕暮れの喫茶店。仕事帰りの人々が足早に駅へと向かう中、店内だけは時間が緩やかに流れていた。会社での報告と相談を終えて、俺は隅の席で一息ついていた。
とりあえず、急ぎで会社には報告した。迷惑をかけた面々にも謝罪に回った。次の予定を考えながら、コーヒーを飲む。
そんな折に、ドアベルが鳴り、三十代後半ほどのスーツ姿の男が入ってきた。鋭い眼差しに、しかし奥底に柔らかさを隠した視線。
その男は迷いなく俺の前へ歩み寄り、軽く会釈すると腰を下ろした。
「失礼、貴方が佐藤健一さんですね」
驚く俺に構わず、男は話しを続ける。
「俺は榊原銀次。環境庁の外郭団体に籍を置いているというのは表向きだが、本当は『特異事象調整局』。通称、特調だ」
榊原は淡々と語った。彼らの任務は、世間に知られてはならない 『様々な超常的事象』を調整すること。異世界転移や神や精霊との接触、人知を超えた存在に関わる出来事を隠し、収めるのが役目だと。
「我々の方針は封じ込めることではなく、共存を探ることだ。しかし現場では恐れる声も大きい。犠牲になるのは常に一般市民だからな」
そして彼はまっすぐな視線で俺を射抜いた。
「だから、貴方の力が必要だ。異世界を実際に経験し、生きて戻ってきた者は極めて少ない。我々には知識が足りない。だが、貴方には生き延びた経験がある」
頭を下げ、榊原は最後に言った。
「我々に協力し、被害者を救ってくれないか」
榊原の話しは驚いた。それに健一の事は、しっかりと把握されてる様だ。どんな組織なのか、健一に何を求めているのか。話し合いは長く続いた。
俺が話を終えると、岳人はしばらく沈黙してから杯を置いた。
「つまり、それはあれだ。お前、国家の秘密組織にスカウトされたってことか」
彼の呟きに、俺は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
徳利を持ち上げ、日本酒を注ぎながらゆっくり話し出した。
「榊原とは結構長く話したんだ。最初は半信半疑だったけど、彼は俺のことも、潤くんのことも細かく知っていた。それだけじゃない。葵や彩花、千智、そしてお前のことまで把握していた」
「俺らのことまで?」
岳人が眉をひそめ、箸を止めた。
「ああ。名前も経緯も全部。どうやら、表沙汰にならない程度に調査が入ってたみたいだ」
岳人は腕を組み、うなり声を漏らした。
「なるほどな。つまり、スンナリ潤の件が片付いたのは、その特調って連中が裏で動いてくれてたってことか」
「俺もそう思う。あのとき拍子抜けするほど簡単だったって言ってたろ?全部辻褄が合う」
「甘かったな、俺ら」
岳人はぐっと杯をあおって、ふと肩を落とした。
「この国の組織が絡んだら、そりゃ情報なんてすぐに掴まれるわけだ」
健一は苦笑を返しながら頷いた。
「俺もだ。秘密にしてたつもりだったけど、国レベルの情報網から逃れられるはずがない。むしろ、今まで何もなかったのが不思議なくらいだ」
「特異事象調整局、だったか」
岳人がポケットからスマホを取り出しかけて、ふと思いとどまる。
「検索しても、どうせ出てこないだろうな」
「出てこないよ。名刺にも『環境保全研究機構』とかそんな肩書きしか書かれてなかった。本当の所属名は一切無し。榊原は普段は環境庁の外郭団体として動いてるって言ってたけど、実際のところは非公開機関だろうな」
「映画みたいだな!政府の超常現象対策チーム、通称『特調』なんかB級っぽくて笑えるけど、実在してるわけか」
二人で顔を見合わせて苦笑する。だが、笑みの奥には薄い緊張が漂っていた。
健一は盃を回しながら口を開く。
「あんなふうに話をされてみると、実際、過去にも俺みたいな出来事はあったんだろうな。異世界転移だとか、得体の知れない現象だとか。だからこそ、対応する組織が存在してる」
「だろうな」
岳人が頷く。
「それにしても、榊原って人、どうだった?」
少し考えてから、健一は答えた。
「意外と普通の人だった。上からの圧力とか、押し付ける感じもなかった。むしろ現場の人らしくて、組織の立場より人として動こうとしてる印象だった」
岳人は安堵したように息をついた。
「それならまだマシだな。秘密組織って聞くと、もっと強権的で怖い連中を想像してたけど」
「俺もそう。ああいう接し方をされるなら、少なくとも敵じゃないと思える」
二人はもう一度杯を合わせた。静かな和の空間で、盃を揺らす灯りが月のように光り、その名にふさわしい穏やかな時間が流れていった。
二人は料理をつつきながら、再び話題を戻した。焼き魚の香ばしい匂いと、出汁の香りが混ざり合う中で、岳人が箸を止める。
「それで、どうするつもりなんだ?その特調って組織に加わるのか?」
健一は徳利を傾けて自分の杯に注ぎ、一拍置いてから答えた。
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