4.日記アプリは?
料理を味わいながら、会話も止まらない。
千智が箸を置いて、じっとこちらを見つめながら問いかけてきた。
「葵ちゃんも、それから健一おじさんも。今もあの日記アプリってあるの?」
思わず葵と視線を交わす。彼女は少し戸惑ったように笑ってから、自分のスマホを軽く指で叩いた。
「うん、あるにはあるんです。アイコンも残ってるし、表示もできる。でも押しても何も反応しないんですよ」
「俺も同じだな」
俺もポケットから、スマホを取り出してみせる。
「日記アプリ自体は残ってる。けど、タップしても反応無し。全く動かない」
その答えに、円卓の周りでいくつか意見が飛び出した。
「役目を果たして終わったアプリってことなんじゃない?表示は残ってるけど、中身はもう空っぽで」
彩花が控えめに口にする。
それに対して岳人は腕を組み、首をかしげた。
「いや、完全終了ってよりは休眠状態ってほうがありそうだな。今は止まってるけど、条件次第でまた動き出すとか」
「条件って、再度異世界に飛ばされる可能性とか?」
葵が真剣な顔になった。
「あり得るね」
千智が頷く。
「今度は健一おじさんじゃなくて、葵ちゃんが飛ばされるかもしれない。他の誰かと繋がるかも」
その言葉に場が一瞬沈黙する。冗談で済ませにくい気配があった。
すると俺は思い出したことを口にする。
「そういえば、潤を助けてくれた三浦さんのケースがあったよな。潤のスマホが異世界で失われた時、三浦さん側の日記アプリは消えてなくなったって話だった。あれも役割が完全に切れた証拠なんだろう」
みんなは頷き合いながらも、それ以上は推測するしかなく、結論は出なかった。ただ一つ確かなのは、アプリが消えていない限り、完全に縁が切れたとは言い切れないということだった。
そのもやもやする感覚が、逆に全員の背筋をほんの少しだけ冷たくした。
「健一さんと葵が繋がってたでしょ。それから三浦さんと潤くん。他にもいたりしてね」
千智が冗談めかして言うと、円卓の空気がふっと重くなった。
「いや、ありえるかもしれん」
岳人が腕を組んで低く言う。
「つまり他にも、異世界に飛ばされた誰かが存在して、日記アプリを通じて必死に繋がろうとしたケースがあっても不思議じゃない」
「でも、そもそも異世界に飛ばされるのって、何かの意思なのかな」
葵が小首を傾げる。
「物語でよくある神様の気まぐれとか?それとも事故みたいなもの?」
みんなの視線がこちらに集まった。俺は苦笑しながら首を振る。
「少なくとも俺は神様に会った覚えはない。転生特典だのスキル授与だの、そういうイベントも無かった。せいぜい、ヴァル爺が地域を守ってる存在ってくらいかな。あの人を神様と言えるかは微妙だけど、少なくとも俺を異世界に飛ばした張本人じゃないだろう」
「じゃあ転移させたのは、誰でもないってこと?」
彩花が小声で呟く。
「あるいは、誰かの明確な意思じゃなくて、自然災害みたいな現象だった可能性もあるな」
岳人が頷く。
「事故に近いって考える方が近いかもな」
そこへ葵が、思いついたように声を上げた。
「でも、日記アプリってさ、転移の原因とは別に、『助けるため』に現れた気がするんだよね。飛ばされちゃった人を救うために、作られたシステムっていうか」
「なるほどな」
俺も頷いた。
「転移そのものの仕組みは不明でも、少なくともアプリには救済の意志がある。俺が帰ってこられたのは、その結果だろう」
「じゃあやっぱり、他にも誰かがいるんじゃない?」
千智が再び口にする。
「可能性は高いな」
岳人の返答に、円卓を囲む全員が顔を見合わせる。
日記アプリのアイコンがまだ消えていない事実は、ひとつの予兆のように感じられ、料理の熱気の中にひやりとした空気が混じった。
空になった皿とグラスが並ぶ円卓を見渡し、俺は深く息をついた。随分食べて、随分話もした。店員が締めのデザートを下げていった頃には、もう全員が満腹と疲れを顔に浮かべていた。
「そろそろお開きにするか」
岳人が腕時計を見ながら言い、頷く声があちこちから上がる。俺は改めてみんなに頭を下げた。
「今日は本当にありがとう。俺ひとりじゃどうにもならなかったんだ。助けてくれて、感謝してる」
「気にすんなって」
岳人が笑って受け流し、すぐさま娘へ声をかける。
「千智、葵と彩花を送ってやれ。夜も遅いし、車でな。俺は健一と飲みに行く」
「了解。二人とも一緒に行こう」
そうして分かれることになった。岳人と俺は以前、果たせなかった約束があった。
それは「二人で腰を落ち着けて飲みに行く」こと。互いの苦労を語り合い、愚痴を吐く。それをやっと今夜叶えられる。
一方、千智の運転する車の後部座席では、葵が窓の外を見ながらぽつりと声を出した。
「ねえ。もし、私たち以外にもあのアプリで困ってる人がいるとしたら、手助けできないのかな」
横に座る彩花が驚いたように振り向く。
「助けるって、私たちが?」
「うん。今回の経験があるからこそ、出来ることがあると思うんだ。放っておける気がしなくて」
その真剣な言葉に、助手席の千智はハンドルを握ったままバックミラー越しに葵を見た。
「私は反対しないよ。でも、何か動くなら慎重にね。軽率に首を突っ込むと、自分や周りも危険に巻き込むかもしれない」
「そうね」
彩花も頷く。
「一緒にやるのは構わないけど、考えて行動しよう。何ができるのかね」
葵は二人の言葉に小さく頷いた。車の窓越しに夜景が流れていく中、三人の間でひそやかな決意が形になりつつあった。
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