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【第一章完結】異世界からの言葉  作者: クサフグ侍
第1章 異世界のライバル

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2.人の縁

 俺は50歳の誕生日に異世界に飛ばされた。

 佐藤健一。普通のサラリーマンが体力の衰えを実感している年頃になって、若い頃に憧れた異世界転移を味わった。


 多くの人の助けで、日本に帰還できた訳だが問題は多かった。

 今は自室でカップから立ちのぼるコーヒーの湯気をぼんやり眺めながら、俺はソファに腰を沈めていた。

 窓の隙間から差し込む朝の光はまだ弱くて、部屋全体を淡く照らしている。


 異世界から戻ってきて、ようやく落ち着いて「振り返る」なんて言葉が頭に浮かぶ余裕が出てきた気がする。

 会社への報告は大変だった。まあ、正直言って一番堪えた。

 どうしても「異世界に飛ばされてました」なんて口が裂けても言えないから、仕方なく嘘を積み重ねるしかなかった。プライベートでトラブルに巻き込まれて、精神的に追い詰められた末の失踪。

 そういう筋書きを作って、上司や同僚に頭を下げ続けた。心の底から申し訳ないと思っていたのは事実だから、その態度が本当に反省してるように見えたのは不幸中の幸いだ。

 理解というより、同情に近い形で受け止めてもらえたのだろう。結果として、休職扱いにしてもらえたのはありがたかった。


 ただ、異世界から戻ってきて思うのは、「あっち」よりも「こっち」の方がよっぽど大変だってことだ。高原は小屋もあったし、サバイバルっていっても最低限の道具くらいはあった。アルビオルやヴァル爺さんがいたから、飢え死にする心配も命を落とすような危険もほとんどなかった。

 景色に関して言えば、向こうの世界の方がずっと豊かで胸を打つものがあったくらいだ。


 苦笑いが漏れたのも、自分で皮肉だと思っている証拠だ。

 今日は久しぶりに気楽な予定がある。岳人や千智、そして葵と彩花と一緒に食事をすることになっているのだ。

 それぞれに迷惑も、助けてもらった恩もある相手たちだし、こういう場を設けられるのは嬉しい。

 特に葵や彩花には、日記アプリを通して俺を現代に引き戻してくれたという借りがある。あの子達が居なければ、俺はいまだに高原で獣の声を聞きながら毛布を抱いて震えてるだけだったかもしれない。

 コーヒーをもうひと口、口に含みながら、俺は窓の向こうに広がる朝の青みがかった空を見上げる。戻ってこられたことは幸運だった。でも、本当の勝負はここからなんだろうな。


 時計を見て立ち上がり、軽くシャツの襟を正す。財布とスマホをポケットにねじ込み、玄関先で靴を履くと、思わず「行ってきます」と声を漏らした。

 誰も返事してくれるわけじゃないけど、口にしないと一歩を踏み出せない感じがあった。


 外に出ると、蒸し暑い空気がまとわりついてくる。真夏日はまだまだ続くらしい。額にじんわり汗が浮かび、溜息が出る。


「高原は涼しくて良かったよなあ」


 自然と思い出してしまう。あの澄んだ風、雲の影が流れていく広い大地。戻ってこれて良かったんだと心から思ってるけど、この暑さだけは我慢ならない。

 正直なところ、またひと夏だけでも高原に逃げ込みたい気分だ。


 舗装された道路を歩き、並ぶビルの谷間を抜ける。頭上を塞ぐような人工の影に、現実に戻った実感が押し寄せてくる。

 あの世界では、ずっとすり鉢のように広がる空と地平線を眺めていた。人の痕跡なんて小屋以外に無く、一人きりで大きな世界に放り込まれていたからこそ、こうして建物に囲まれた道を歩くと、胸の奥が妙にざわつく。

 懐かしいというより、改めて「戻ってきた」と意識させられる感覚だ。


 歩き続けて目的の中華料理店に辿り着いた。古めかしい外観に赤い提灯、そして今では珍しい大きな円卓が売りの、本格的な店だ。個室も多く、ちょっとした宴会に丁度いい広さがある。

 味は折り紙付きで、岳人が昔から通う店で、健一も何回か来た場所でもある。

 今日の顔ぶれには、確かにここしかないって思える店だ。

 店に入り、予約名を伝えると、店員に奥の部屋へ案内される。襖を開けた先の個室には、大きな円卓を囲んで既に全員が揃っていた。

 岳人が「おう、健一!」と手を挙げ、千智が嬉しそうに身を乗り出す。葵も彩花も笑顔を向けてくれて、空席を指差す。

 その光景を目にした瞬間、背中から力が抜けた。ようやく辿り着いた気がしたのだ。


 円卓に腰を下ろしながら、俺は自然と視線をぐるりと巡らせた。

 まず目に飛び込んでくるのは岳人だ。同い年で、入社も一緒だったはずなんだけどなぁ、やっぱりどう見ても会社員には見えない。胸板の厚さとか腕の太さとか、ただのサラリーマンからはかけ離れすぎてる。

 知らない人に「格闘技団体の役員です」って名刺出されたら、全員そのまま信じるに違いない。

 俺が普通に営業カバンぶら下げてる横で岳人が立ってるだけで、人種違うんじゃないかって錯覚するくらいだ。

 その岳人の隣には、娘の千智。もう大学生になったわけだけど、生まれた時から会っているぶん、俺にとってはほとんど姪みたいな存在だ。

 ショートカット寄りの短めの髪、快活そうな目つき、すらりとした姿勢。岳人譲りの運動神経の良さが見えるようで、正直女バスでも陸上でも十分やっていけそうな体つきだ。

 同性からモテるタイプっていうのも、なんとなく想像できる。あの赤ん坊の頃の千智が、こんな凛々しい女性になったのかと思うと、親戚のおじさんとしては感慨深い。

 対して、葵と彩花の二人は、俺にとっては全く新しい縁だった。ほんの一ヶ月前まで名前すら知らなかったのに、今ここでこうして顔を合わせ、しかも「恩人」として胸に刻んでいるんだから不思議なものだ。

 葵は初めて会った時から印象的な子だった。ショートポニーがよく似合って、ぱっと見の元気さで場を明るくしてしまうタイプ。

 日記アプリを通じてやりとりしていた相手が、この子だったと知ったときは妙に納得した。人の良さが伝わりすぎて、下手をすれば騙されるんじゃないかって心配になるくらいの善人だ。

 可愛い容姿も相まって、世の中の怪しい人間が放っておかないんじゃないかと想像して、勝手にじいちゃん目線で心配してしまう。

 完全におっさんの余計なお節介だってわかってるんだけどさ。

 その葵の隣に座る彩花は、一見すると正反対の落ち着いた雰囲気だ。綺麗に手入れされたストレートの黒髪、大人しそうな物腰。

 けれど初めての挨拶で「葵のブレーキ役です」なんて言っていた時点で、間違いなく同じ匂いがするコンビだって気づいた。

 結果的に葵と一緒に俺を助けてくれたわけで、根っこの部分ではやっぱり似た者同士の善人なんだろう。

 こうして眺めていると、血も繋がっていない、職場も学年もバラバラなはずの面子が、何の不思議もなく円卓に集まり、俺を迎えてくれている。

 人の縁ってやつは、時々説明のつかない形で繋がるものなんだな、って思わず口元が緩んだ。








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