19.真司の日記アプリ
真司は、グラスの水を一口飲んでから、ゆっくりと話し始めた。
「俺のスマホに、あの日記アプリが出てきたのは十日でした。最初は正直、ヤバいアプリかなって思って、ネットで名前とか画面の感じとか調べたんです。詐欺とかマルウェアとかの報告がないかも、一通り検索して」
そこで一度言葉を切り、苦笑いを浮かべる。
「でも、何も出てこなかったんですよ。アプリ名も、それっぽい情報もゼロで。公式ストアにも見当たらなくて、余計に気味が悪かった」
「それはまあ、たしかに気味が悪い話しだな」
俺は相槌を打ちながら促す。
「それで、おそるおそる起動してみたら、その時は日記が一件だけ入ってました」
「一件?私の時もそうだったなぁ」
そう葵も頷く。
「はい。一つだけ。で、その内容が」
真司はどこか居心地悪そうに目をそらして、ぽつりと言った。
「『いやっほー!異世界に来たーーー!!』っていう短い一文で」
その内容に思わず顔が引きつるのが自分でも分かった。
「これが若さか」
思わず、口から感想が漏れる。
葵が吹き出した。
「テンション高いなあ」
真美も、緊張が少しだけ解けたように微笑む。
「最初にそれだけ見たら、ふざけたネタだと思っても仕方ないかも」
真司は肩をすぼめた。
「ですよね。俺もなんだこれ、異世界転生ごっこのアプリか?くらいに思って。 それで十日に見てから、二十八日まで放置しました」
「十八日間、完全放置か」
俺がつぶやくと、真司はうなずき、少し悔しそうな顔をした。
「今はそれをすごく後悔してます。もし最初からちゃんと読んで、ちゃんと返してたら、向こうの人間の正体にもっと早く気づけたかもしれないし、何か出来たかもしれないって」
「後悔する気持ちは分かるよ」
俺は少し身を乗り出して言った。
「でも、その時点じゃ俺だって信じなかったかもしれない。見知らぬアプリに異世界来たって書いてあったら、まずネタだと思う。大事なのは、今どうするかだろ? 放置してたことを責め続けるより、これから出来ることを考えたほうがいい」
真司は俺の顔を見て、ゆっくりとうなずいた。
「はい。そう思うようにします。健一さんにそう言ってもらえると、ちょっと楽になります」
少し表情が軽くなったところで、話は二十八日に飛ぶ。
「で、二十八日に、もう一度アプリを開いてみたんです。なんか、ずっと放っておいたのが妙に引っかかって。久しぶりにアイコンを押したら」
真司は、自分のスマホを取り出して画面を見下ろした。
「放置してた間も、日記は更新されてたんですよ。『キャラバンに拾われた』とか、『集落についた』とか。何件も溜まってて」
葵の表情がきゅっと引き締まる。
かつて俺の日記を読んでいたとき、彼女はこんな顔をしていたのかも知れない。
「それを見て、これはさすがに笑い事じゃないと思いました。でも一人で抱えるのも怖くて。それで、真美に相談したんです」
隣の真美が、こくりと頷く。
「最初は私もネタだと思ったけど、内容を聞いているうちに、これ、誰かが本当に異世界に居るかもって思って。二人でどうするか話し合って、でも結局どうしたらいいか分からなくて。それで、ネットでスマホ 日記アプリ 異世界って調べたら、葵さんのブログが引っかかったんです」
そこまで話して、真司は俺と葵をまっすぐ見た。
「放置してたことは、もう変えられません。だから、せめて今からは、きちんと向き合いたいです。自分のためにも」
その言葉に、葵が力強く頷いた。
「うん。一緒に考えよう。私たちも最初から正解を知ってたわけじゃないし、だからこそ今からどうするかを手伝えると思う」
俺も軽く笑って、言葉を添える。
「君達で三組目。同じ状況になってる仲間なんだ。だったら、みんなで考えていこう。あの時、俺が葵に助けられたみたいにな」
「はい。お願いします」
真司は小さく、しかし力強く頷いた。
その声には、さっきまでの後悔だけじゃなく、これから先に向かう覚悟が、少しだけ混じり始めていた。
真司は、少しスマホをいじる仕草をしてから口を開いた。
「あと、日記っていっても、毎日更新されてたわけじゃないんです。わりと不定期で、書き込みの間が数日空いてたりして」
そう前置きしてから、一つ一つ思い出すように内容を話し始める。
「最初の『異世界に来た』ってやつのあとに、とても広い平原にいるって書いてあって。どこを見ても地平線まで草原で、人っ子一人いないって」
その一文に、胸の奥がざわっとした。
「ああ、それには心当たりがあるな」
思わず口を挟む。
「俺も、最初に目を覚ました場所は、見渡す限りの大草原だった。同じ世界に飛ばされてた可能性が高そうだ」
真司は驚いた顔でこちらを見たが、すぐにまた画面に視線を落とす。
「そのあと、歩き続けて力尽きて、行き倒れたところをキャラバンに拾われたって書いてあって。で、しばらく一緒に移動して、ある集落に着いたところでキャラバンと別れたって」
「集落っていうと、草原の民のか?」
つい身を乗り出してしまいながら尋ねる。
真司は慌ててスクロールし、画面を確認する。
「はい。ここ、草原の民って種族と書いてあります」
それを聞いた瞬間、背中に冷たいものが走る。 やっぱり同じ世界どころか、俺が観てきた場所、同じ領域にいる。
真司はさらに続けた。
「で、その集落に、不思議な二人組が来たって日記があって。詳しいことは書いてないんですけど、記憶喪失の男性とエルフみたいな女性だって。 そのあと、集落が襲撃されたって書いてあって。次が後始末と後悔。その次の更新で、集落ごと森の中に転移したらしいって」
葵が息をのむ。健一の方を見ながら確認する。
「集落ごと?それって」
「はい。草原の真ん中にあったはずなのに、気がついたら周り一面が森になってたって。そこまでが、俺が二十八日に確認した分の内容です」
真司はそこで一度話を区切った。
「十日に初めてアプリを見て、それからずっと放置してて。二十八日に開き直して確認したら、向こうではそんなことになってた、っていう」
彼の言葉を聞きながら、俺は頭の中で地図を引き直す。
あの大草原。草原の民。黒い森へと変貌した世界。
断片が、じわじわと一つの線になりかけていた。
「なるほど。状況は、だいたいつかめてきた」
そう言って、俺は息を吐く。
「やっぱり、向こう側で起きてることは、俺が知ってる『あの異変』と地続きみたいだな」
真司の視線には、不安と期待が入り混じっていた。 ここから先は、皆んな一緒に考えていく番だ。
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