閑話 聖女
救わなければならない。
彼女が私の前で、私のせいで死んでしまったときから、私はずっとそれだけを抱えて生きている。
彼女の夢を奪ったのは私だ。彼女の輝きが失われたのも私のせいだ。
だから私は残したいのだ。彼女の、エキナセアという名を。彼女からすべてを奪った私がその名を語るなど、彼女に対する冒涜にもほどがあるが。これ以外に彼女の名を残す方法が、当時の私には思いつかなかった。
だから私は名乗ったのだ。石板に手を置き、不思議何かを感じ、中央にある丸いくぼみが白く光り輝き、唖然とした表情で私の名を聞いた白い神官服を着た男に。
「私の名前はエキナセアです」と。
──☆☆☆☆☆☆☆☆──
「……」
昔の夢を見た。当時の私は何も知らない孤児で、唯一私のことを友達だと言ってくれた彼女だけが生きがいだった。
彼女が私を人にしてくれた。
私が聖女だと判明したときを夢に見たのはこれが初めてじゃない。それこそ聖女になった当初は毎日のように夢に見た。そして朝になると、私の体は汗にまみれてぐちゃぐちゃだった。
とはいえそれも1か月たてばなくなった。理由は簡単で、疲れ果てた私はほぼ毎日夜になると気絶していたからだ。
そんな夢を再び見たのは、おそらく彼女にあったからだろう。
私でも治せないような病気。『渡河病』というその病は、聖女の力をもってしても治すことが難しかった。治すためには私は力不足で、時間もなかった。
聖女の力は患者の体に手を当てると囁いてくる。『ここに魔力を送れ』『先にこちらを治せ』『サイボウ一つ一つに魔力を浸透させろ』と。
だが彼女の体に手を当てても、聖女の力はほとんど何も言わなかった。腰、おなか、手、首、胸、どこを触れても聖女の力は何も言わない。
例外は一つだけだった。足に触れたとき、聖女の力は囁いてきた。『ここを治せ』『代償を払えば治せる』と。
代償という言葉を強く意識すると、聖女の力は再び『10年は仮死状態に陥る』と囁く。
彼女の名を残したい。聖なる力を持ち、人々を癒したエキナセアという名を。それだけが私の目的だ。そのためなら、私は私の命だって捨ててしまえる。
でも私はその選択ができなかった。仮死状態の10年という期間は、エキナセアという名を残すうえであまりにも致命的だと思った。
一人を命がけで治すのは美談になろう。だがその10年で新たに聖女の力に縋りたい人々はどうなる?
その怒りはエキナセアに向かないか?エキナセアを恨むことにはならないか?
そんな考えがチラついて、私は彼女を見捨てる選択をした。彼女の願いを叶えたいのに。彼女の名を残したいのに。
相手は貴族令嬢だった。令嬢というのはわがままで短気だというのを時々治療に来る冒険者が言っていた。
私は恨まれることを覚悟した。どんな罵詈雑言も甘んじて受ける覚悟だった。許してほしいとは言わない。体を動かせず、ただ死を待つだけという現状には同情する。
でも私には、それを理解して尚治すという選択肢を選ぶことができなかった。
だが私の予想に反して、彼女は動かないはずの体を動かし、自らの足で立ち、私の涙を拭った。
彼女は強い人だった。確定した未来を受け入れず捻じ曲げようとする姿は、なにも似ていない彼女を私に想起させた。
私は運がよかった。アウリクラ様が神官の言うような貴族令嬢なら、ここを出た後に私のあることないことを吹聴し、聖女の尊厳を地に落としていただろう。
そうすれば私は彼女の名を残すという目的すら達成できなくなる。当時の私はそんなことにも気が付かなかったが。
結局、アウリクラ様はそのまま自らの足で去っていった。その間私は何もしていない。彼女の目的を果たすことができそうになくて、狂乱状態に陥っていたのを慰められていたくらいだ。
先日、私は司教にわがままを言った。2か月ほど休みをいただきたいと。聖女になってから初めて行ったわがままだったが、司教はむしろ働き過ぎだったと喜んでくれた。
その間、聖女として人を治すことはできない。彼女の名を残すという目的にも影響があるだろう。
それでも私は、どうしてももう一度アウリクラ様に会いたかった。
彼女が自らの足で立つ姿を見てしまった。運命を曲げる姿を。聖女の力をもってして何もできないその病に、自らの力で打ち勝つ姿を。
これは私の勝手な願いでしかない。それでも私はアウリクラ様に会いたいのだ。そして彼女が未来を変える姿をこの目で見たい。
そして願わくば、私がその一助になれたら嬉しいと思う。
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