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奥様と呼んでいるのがカリーナです。エリシア様と呼んでいるのは今回初登場のメイドさん。
私が赤ちゃんになって1か月がたったころ、不思議なものを見た。
このころになると寝る時間が比較的減って起きられるようになったので、私の居る部屋を掃除しているメイドさんを見ていたのだ。
これまでは眠ってしまっていたので、掃除を見るのは初めて。
箒でごみを集め、雑巾で乾拭きし集めたごみを一か所に集める。どうやら掃除の風景は日本と変わらないようだ。
これにはかなりの安心を覚えた。地球には150以上の国があるが、その中でも日本はかなり発展している側。その日本と風景が変わらないということは文化レベルも同じくらいだろう。
これで文化レベルが下の方の国だったら、豊かな日本で暮らしていた記憶のある私はその環境に耐えられなかったかもしれない。
掃除機とかは使わないのかなとも考えたけど、赤ちゃんがいる部屋で使わないだろうとも思う。うるさいし。
弟が生まれたときもそうだった。私も小さかったから記憶があいまいだけど、赤ちゃんが寝ているときはなるべく静かに行動するようにしていた。
掃除機は使えないし、横を通るときもなるべく足音は立てないようにゆっくり歩いていた。
当時の私はそれを忍者ごっこと称して楽しんでいた。
いま、弟は何をしているだろうか。まだ小学生で、勉強を頑張っているのだろうか。もしかしたら高校生くらいになってはっちゃけているかもしれない。大学生くらいになって、将来をまじめに考えているのかも。
私が死んでから何年たったのか私は知らない。部屋にカレンダーがないから日にちすらもわからないのだ。寝返りすらできないから調べることもできない。
もしそこまで年月が経っていなくて家族と会うことができるなら、私はまた家族と会いたいと思う。姿かたちが変わって前世の面影など何もないけど、私が死んでから何があったのか話したい。
とはいえ、前世の家族から見たら私は変なことを言う子供でしかないのでそんなことはできないだろうが。
それでも遠くから眺めるくらいは許されないだろうか。私が住んでいたところは覚えている。北海道の田舎町。海がきれいでよく泳いでいた。ウニがおいしかった。さわやかなしおっけと濃厚なのにくどくないとろけるウニだ。バフンウニだっけ。毎年お祭りで何十個も買って食べていた。また食べたいなぁ。
閑話休題、私の居る部屋はかなり大きいので、5人程が役割分担をして掃除をしている。その中には私がメイドさんで唯一名前と顔が一致しているカリーナさんもいた。
そうして掃除がひと段落し、私も眠気が襲い掛かってきたタイミング。そのタイミングで、カリーナさんがおもむろにしゃがんで一言つぶやいたのだ。
「『ꯅꯨꯡꯁꯤꯠ, ꯑꯩꯕꯨ ꯄꯨꯗꯨꯅꯥ ꯆꯠꯂꯨ꯫』」
彼女がそうつぶやいたと同時、風などあるはずもない部屋の中から風を感じた。窓は開いていない。季節はわからないが、夏ではないのは確かだ。推定お父さんが私を抱きしめるとき、何度か厚着だったのを見た。
夏にあんな格好はできまい。
だがおかしいだろう。窓は開いていなくて、カリーナさん以外のメイドさんも動いていない。彼女が一言意味の分からない言葉でつぶやいただけ。それなのに私は確かに風を感じた
。
そして次の瞬間、私は今感じた風が間違いなく部屋で発生したものだと確信する。
なぜなら、私の目の前で集められたごみが浮いたからだ。それも、目に見えるほど密度の高い風によって。
その風によって集められたごみは移動し、私の寝ている天蓋付きのベッド下にある私からは見えない位置に落ちていった。
どうやらそこにゴミ箱があるらしい。
しかし今のは何だ?手品?まさか。わざわざ手品を使って掃除するなんて訳が分からないし、そもそもする意味もないだろう。
これまでお世話されてきたのを思い出す限り、彼女は職務中に遊ぶような不真面目な人ではない。
じゃあ、今のはなに?意味の分からない不気味な言葉。話していることは理解できるのに、今の一言だけは何もわからなかった。
そしてその疑問の答えは、近くにいたもう一人のメイドさんが教えてくれた。
「いいねぇ魔法。私も魔力があれば楽に掃除ができるんだけどねぇ」
「ありがとうございます。でも、アベナさんに魔力があったら私たちの仕事がなくなっちゃいますよ。もっと休んでください」
「そうですよ。私たちもちゃんと仕事覚えたんですから、たまには旦那さんと遊んで来たらどうですか?」
「言うねぇ、ひよっこども」
その後もメイドさんたちは談笑を続けていたが、その後の会話は何も覚えていない。
だって、さっきアベナさんとやらは言ったのだ。「魔法」と。「魔力があれば」と。要するに、魔力があれば魔法を使えるのだ。
でもおかしいじゃないか。地球に魔法なんてなかった。
だというのに、アベナさんは今目の前で起きた現象を魔法だという。そしてそれを、周囲のメイドさんも当たり前のように受け入れている。
魔法、魔力。こんなこと信じたくなかった。転生だけならまだ希望を持っていられた。また家族に会えるのではないかと。
日本でまた暮らせるのではないかと。
でも、そんな希望はもう砕けた。ここはきっと異世界だ。そうでもなければ魔法なんて存在するはずがない。
私はもう、家族の顔を見ることすらもできはしない。きっと、日本に行くことだってできやしない。
ふと、幼稚園の時にいた友人のことを思い出した。今ではもう顔も声も思い出すことができない彼女。
彼女のように、家族のことも忘れていくのだろうか。
優しく名前を呼んでくれていた大切な声も。
毎日私に笑いかけてくれた笑顔も。
そんなことを考えていたら、屋敷中に響き渡る声で大泣きしていたらしい。エリシア様がやってきて抱きしめてくれた。
「あぁ、どうしたのクラちゃん?どこかぶつけたのかしら?ほら、いいこいいこ。いたくないでしゅよ~。アベナ、何があったの?」
「それが、私たちにもわからないのです。掃除が終わって少ししたら急に泣き出してしまって。お小水でいないことは確認したのですが」
どうやらかなり急いでやってきたらしい。隠してはいるが、抱きしめられると息が切れているのがわかる。
私を心配してくれたのだ。そして急いで駆けつけてくれた。昼間に会いに来ることなどこれまで一度もなかったのに、泣きそうな顔で。
温かい。前世のお母さんとは外見も性格も違うのに、抱きしめてくれるその温かさだけは一緒だった。
私を守ってくれるという確信だ。好意や信頼とは似ているけど違う、だけども絶対的な安心感。エリシア様はきっと、私に何があっても助けてくれる。
愛してくれる。
「うぅ~おぎゃ、おぎゃあ」
「あら?少し泣き止んだわ。ふふ、顔を押し付けて。可愛いわね~」
「あ!」
「どうしたの、カリーナ」
「いえ、なんでもありません・・・」
「何でもない反応ではなかったわよ?話してみなさい。怒るわけじゃないから」
「それでは、その。アウリクラ様は寂しかったのではないでしょうか?」
「寂しい?」
「はい。旦那様も奥様も、会えるのは朝と夜だけですから。部屋には我々もおりますが、それでは両親と会えないことの寂しさは埋められないのではと」
「・・・そうね。改めて聞けば寂しくなるのは当たり前だわ。これからはこまめに会いに来るようにしましょう。子供が成長するのは早いもの。クラちゃん。お母さん、こまめに会いに来るからね。もう寂しくないわよ~」
「・・・きゃっきゃっ」
「あ、アウリクラ様が喜んでいますよ。奥様」
「そうね。ふふ、とっても可愛いわ」
ありがとう、エリシア様。
いや、お母さん。
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