黒木高志と言う男(3)
女がちゃんとキャバ嬢しているのか気になったオレは、店に行った。
黒服がオレを他の客と接触させないように、VIPルームに追いやった。
女は近藤杏奈と言った。仮にもキャバ嬢のくせに営業トークの一つすらしなかった。
ただ慣れた手つきで酒を作ってオレに差し出す。オレはそれを一気に煽る。そしてまた酒を作る女に、趣味はなんだと聞くと「ゲーム」だと答えた。
キャバ嬢がゲームをするのが似合わなさすぎて、オレは思わず笑った。
タバコを吸い終わると、オレは立ち上がって部屋を出ようとしたところで、女は名刺を差し出してきた。普通は最初に渡すものだ。
オレは名刺をポケットにねじ込むと、部屋から出た。黒服が怯えながら女が何か粗相でもしたのかと慌ててやってきたが、オレは金を渡すと店をあとにした。
それからオレはシノギの合間に店の裏口でサボってる女に会いに行った。
最初こそ怪訝そうにしていた女だったが、図太いのかすんなりとオレという存在を受け入れた。
女はオレを「黒木さん」とおやっさんに貰った名前で呼んできた。
オレはたまに女を「杏奈」と呼んでやった。
余程ゲームが好きなのか、合うたびに熱心にゲームに没頭していた。
それが気に食わなかったオレは他愛もないクソみたいな話を杏奈にした。杏奈は少しずつオレを受け入れるようになり、気付けばオレが店に行くと笑顔を見せた。
女はオレの職業を「ヤクザ屋さん」と呼んだ。気の抜ける呼び方だったが杏奈らしいとも思った。
杏奈は今熱中してるゲームの内容をゲーム画面を見せながら、必死にオレに教えた。
やたらとカラフルな髪の毛をしたキャラクターを不思議に思いつつ、主人公が聖女とやらをざまぁ(なにかは知らないが死なせることのようだ)するために、魔法学園とやらで聖女に虐げられながらもコツコツと勉学に励んで最終的に味方になってくれた隣国の王子(薄い砂のような髪色をしていた)と共に、ざまぁとやらをしてハッピーエンドになるんだと熱弁を振るっていた。
杏奈は「ストーリーはクソだけどミニゲームがガチで面白いんだよねー」とオレに言った。
「お前はそんな世界に行ってみたいのか?」
純粋な疑問をぶつけると、杏奈はケラケラ笑った。
「やだよ。黒木さんに会えなくなるじゃん」
何でもないことのように杏奈は言う。
杏奈の中でオレという存在がデカくなってることに、何故からオレは初めて抱く感情を持った。後で知った。その感情は
――嬉しい
というやつだと。生まれて初めての感情はオレを戸惑わせたし振り回したが、手放そうとは思わなかった。
杏奈とバカ話をするとオレの心は凪いだ海のように落ち着くのを感じた。常に怒りと凶暴な感情を持ち続けていたオレの心を柔らかな風で撫でていくような感覚。
ある日、杏奈が自分が処女だと告白した。オレは持っていたタバコを落としそうになった。
杏奈は無邪気に「私、初めては黒木さんがいい」とはにかみながら言った。
オレは感じたことの無い――喜び――を感じつつ、こんなクソみたいな稼業をしている男に杏奈の大切なものを貰う資格なんて無いと直ぐに思った。
杏奈は文句を言っていたが、これだけは譲れなかった。
それは突然の報せだった。
杏奈が誰かに殺されたとニュースで報道されたのは。
オレは黒いスーツを身に纏い、髪を下ろして伊達眼鏡を掛けて警察に行った。
遠い親戚だと嘘をついても警察は簡単に信じた。
安置室で杏奈はしずかに横たわっていた。
「お顔にも傷がありまして、見るのはおやめになった方が……」と警官が言ったが見せてくれと頼んだ。
顔の布が取り払われる。
血の気のない杏奈の左頬に深いナイフ傷が痛々しく付いていた。
警官に頼んで杏奈がどこをどう刺されたのかを問いただした。
警官は渋ったが、懇願するオレに検死結果を教えた。
体に無数のナイフ傷、特に腹部の傷は深くてナイフで抉られたようだと警官は言った。
オレは礼を言い、線香に火を付けて手を合わせた。
その後、オレは方々を駆けずり回り、杏奈を殺した犯人を見つけ出すのに血眼になった。
そして一人見つけた。杏奈を虐めていたキャバ嬢を脅し、犯行に関わったのかを尋ねると、あっさりとゲロった。
華蓮と言うその女は杏奈に客を取られて頭にきたから、少し脅すつもりだったと言った。
だが痛めつける為に呼んだ知人の男が暴走して杏奈を殺してしまったと言った。
オレは女に男を呼び出せと言って顔を殴った。
悲鳴を上げて逃げようとする女の髪を引っ張って引き寄せると、このまま殴り殺されたくなければ直ぐに呼び出せと再度言った。
女は泣きながら電話をかけた。
オレは男が来るまで女を殴り、蹴った。
しばらくして男は現れた。
「なんだよ華蓮さー? 急用ってなに?」
ヘラヘラと笑いながらやってきた男は顔中痣だらけの華蓮を見て初めて警戒した。
だが遅かった。
背後から静かに忍び寄ったオレは男を投げ飛ばすとコンクリートに体をぶつけて倒れ込んだ。
「なっ、なんだよおっさん! オレが誰か知ってんのかよ! 井沢組の組長の息子だぞ!」
オレは無言でポケットからナイフを取り出すと、倒れ込んだままの男の左頬を切り裂いた。
男が悲鳴を上げる。
オレは淡々と男をナイフで刺していった。
全て杏奈が刺された場所だった。
「お、お願いしま、す! 助けてくださ……」
オレは男の髪を掴んでその面を見ながら言った。
「杏奈が同じことを言った時にお前は止めたのか? 違うだろう?」
トドメとばかりに男の胸にナイフを突き立てた。
男の周りは血の海だった。
華蓮といった女は逃げようと藻掻いていた。
オレは地面に這いつくばる女の背中にナイフを突き立てると抉るように動かした。
そして女も息絶えた。
オレは血まみれのまま事務所に戻った。
オレを見た組員は黙り込んだままオレから離れていく。
おやっさんだけがオレを見ていた。
「おやっさん、井沢組の息子のタマとりました」
おやっさんが座る席の前でオレは告白した。
「オメェ、うちと井沢組が戦争になってもいいのか?」
ドスのきいた声でおやっさんが言う。
「いいえ、オレが全部カタとりますんで」
そう言うとおやっさんは引き出しからチャカを取り出してオレの方へ差し出した。
オレはそれを受け取り頭を深く下げた、
「拾って貰った恩義を返さずに、不義理を働いてすんませんでした。オレは親不孝もんです」
おやっさんが言う。
「俺もオメェをこんなことで手放すのは惜しいぜ」
俺は歯を食いしばって下げていた頭を上げた。
「今までありがとうございました!」
そう言ってオレは事務所を出ていった。
向かうは井沢組の事務所だ。
オレの組とはいつも縄張り争いが耐えない組だ。
歩きながらタバコに火を付けて煙で肺を満たす。
今までの人生が脳裏に浮かんでは消える。
――クソみてぇな人生の終わり方としちゃあ悪くねぇ。
胸ポケットからイヤホンを取り出してスマホを操作する。
美しいがどこか悲しげな歌声が聞こえてくる。
そういえば、母親がこの歌を時折口ずさんでいた気がする。
井沢組の事務所の前に来たオレは、事務所の扉を強く叩いた。
扉が開かれた隙間から素早く入り込み、扉を開けた組員の頭をチャカで殴る。
「カチコミじゃあ!」
誰かが言う。
オレは近くにいる組員が長ドスを手に駆け寄るのを避け、脇腹に一発チャカを弾くと長ドスを奪った。
絶え間なく遅い来る組員、だがオレの心は凪いでいた。
誰かのドスが背中に刺さる。気にせずオレは長ドスで反撃する。
波状攻撃のようにオレに襲いかかる組員を長ドスとチャカでなぎ倒して行く。
組長のいるだろう部屋の扉を開けると、そこには組長を守る組員と井沢組の組長がいた。
腹や背中から血が溢れては落ちていく。
耳元で囁くように歌う声。
――Time to say goodbye.
組長を守る組員を力ずくで片付けていく。
その時、組長のチャカが弾いた弾がオレの胸を貫いた。
――Paesi che non ho mai veduto e vissuto con te,
膝に力が入らず、その場に膝をつく。
持っていたチャカを弾くが弾切れだった。
組長が長ドスを持って近づいてくる。
――Con te partirò su navi per mari che, io lo so,
長ドスがオレの首に切りつけられる。
自分の血で視界が赤黒く染まっていく。
あぁ、オレは杏奈のいる場所に行けるのだろうか。
悪行ばかり重ねてきたオレが行く場所は地獄だろう。
それでもいい。
杏奈が安らかで美しい世界に行けたのなら本望だ。
倒れ込んだオレは願った。どうか、杏奈が安らげる場所へと行けますように、と。