パークレジデンス池袋(仮)自治組合③
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「ごめんね。エレベーターが動かないから、みんな階段で上り下りしてるのよ」
先頭を行く陽子のそんな言葉を聞きながら、大河らはマンションの非常階段を上っている。
陽子と悠理と朱音に続いて大河。
その後ろから、このマンションの住人が続く形だ。
さきほどまでの剣呑とした雰囲気がそんな簡単に晴れるわけもなく、みな未だに大河らを警戒し、疑惑の目を向けている。
正直とても居心地が悪く、またいつ襲われてもおかしくない状況なので一応身構えてはいるのだが、道案内をしている陽子に関して言えば完全にこちらに胸襟を開いている様に見える。
(どーすんの?)
朱音が階段を上る足を止めず、器用に首だけをこちらにむけて小声で大河に話しかけた。
(どうするもなにも、俺としては穏便に情報収集を済ませて、こんな雰囲気悪いとこさっさと通り過ぎちまいたんだけど……)
(朱音さんだって、聞きたいことあるんでしょ?)
大河と悠理も小声で会話をしているため、後ろに続く住人たちの視線がより険しい物になる。
(この状態でちゃんとした話とかできるんかね……?)
(一応、寝首を掻かれたりしないよう注意しとこう。せっかくここまで来たんだから少しは収獲が欲しいじゃん。このマンションでどう生活してるかとか、気になるし)
「なにか気になることあった?」
「え!? いいいいっ、いや! な、なんか年齢層が若すぎるなっておおおお、思って!」
ヒソヒソ話の最中に突然陽子に話を振られて、大河が過敏に反応した。
嘘や取り繕うことが苦手な大河は、リアクションがとても素直なところがある。
「私たちと同年代……高校生とか中学生の子が多いなって話てたんです。大人の姿が見当たらないのが不思議で」
「ああ、今はみんなお留守番の最中でね? ほとんどの大人たちはダンジョンに潜って食糧を確保しに行っているの」
悠理が上手くフォローを入れたおかげで、自然な会話の形に持って行けた。
キョドりすぎて心臓が跳ねまくっている大河がほっと胸を撫で下ろす。
「ダンジョン、この近くにあるんですか?」
悠理はそんな大河を見てくすりと笑い、会話を続ける。
「近くっていうか、このマンションの水没した部分はみんなダンジョン化しちゃっているのよ。貴女たちが入ってきた階から下はぜーんぶ」
「それ、モンスターが上ってきたりしないの?」
陽子の説明に朱音が疑問を投げかけた。
「今のところ一回も無いわね。最上階にある聖碑の加護がマンションをすっぽり覆っているみたいで、水没してる階にさえ入らなければとても安全なところよ」
「へぇ……最上階って、このマンションは何フロアあるの?」
大河や悠理よりも陽子と年齢が近いからか、朱音の方が自然な感じで会話ができている。
「最上階が二十四階、水没してない一番下の階が十六階ね」
「この大きさのマンションの9フロアも使えるってなったら、相当広いわね」
「見た目はね。でもこのマンション、まだ分譲も始まってない建設途中の建物だったから、ほとんどの部屋が内装も整っていない吹きさらし状態なの。一応、最上階とそこから下に三つ分のフロアはなんとか居住できる体裁を整え、使えるようにしたんだけど、それ以外は眠るのも大変な感じ」
「ここ何人くらい住んでんの?」
「全員で287名で、そのうち245名が未成年よ」
「子供だらけじゃん。そりゃご飯も足りなくなるわけだ」
意図してか、それとも天然か。
気取らず演じない自然な会話で、朱音は次々と陽子からこのマンションの情報を聞き取っていく。
その様子に大河と悠理は、最近ついに底値まで落ちかけていた朱音への年長者としての畏敬の念が上がり始めていた。
「よっと、住めば都っていうけどやっぱりこの階段の上り下りだけが不便よね。ここが最上階よ」
最初に到着した陽子が階段の最上段から右にそれ、腕を伸ばして内部へと誘う。
「広いな……」
そこはコンクリートがまだ打ちっぱなしになっていて、大きな柱が何本も立つ広い空間だった。
本来窓となるはずの枠にブルーシートやベニヤ、石膏ボードなどが無理やり嵌め込まれていて、なんとか室内と言える景観に収まっている。
天井もまだちゃんと張られておらず、何本もの配線や配管が露出しており、LEDの室内灯もいくつか未点灯。
本来は壁で区切って部屋とするための間取り図が、灰色のコンクリートの床に黒い塗料で描かれている。
「ここはみんなが集まって話し合いする時とか、一緒にご飯を食べる時なんかに使っていてね? 他のフロアはもっとちゃんと部屋が区切られていて、そこは子供達の部屋にしてるの」
「あれ? このエレベーター、電気点いてません?」
悠理が階段を上ってすぐ左手にあったをエレベーターの扉を見つけた。
高級マンションだからか、頑丈そうでオシャレな意匠の扉が三つも並んでいる。
分厚いステンレス一枚できた扉で完全に中が見えない造りになっているが、扉横の操作板に作動中を示す仮数表示が表示されている。
「ああ、完全に使えないわけじゃないの。一応使えるっちゃ使えるのよ? だけど止まるのはここ最上階と、今は十五階のダンジョン入り口だけ」
「直通なのか。便利なのか不便なのかわかんねーな」
「いや不便だろ」
大河の言葉に朱音が短いツッコミを入れる。
「貴方たちが来るのはここから見ていたから知っていたんだけど、今ここに残っているのは最近レベルを上げ始めた子や戦えない子ばかりで、私を含めた数名の数少ない大人でどうするか話あってた最中だったのよ。あの……スミレちゃんだっけ? あの子が思ってたより速くて間に合わなかったけど」
一箇所だけガラス扉が嵌め込まれているバルコニーの扉を開け、外に出ながら陽子は説明する。
他の階よりも広く、手すりや柱のデザインがどことなく豪華なのは、ここが最上階のいわゆるペントハウスとして造られたからだろう。
そこにはベンチや簡易テーブルが置かれており、雨風を凌げるようにかパラソルも置かれていた。
「スミレちゃん、眠くて急いでたからかな」
「無理させちまったもんな」
当のスミレはあの後、悠理が何度試しても起きる気配が無く、今もマンションの側にぷかぷかと浮かびながら鼻提灯を膨らませて眠っている。
「アレが野生の動物……モンスターの姿かね。警戒心のカケラもないわ」
朱音がバルコニーから水面を覗くと、気持ちよさそうに揺れているスミレの姿が見えた。
波に揺られるその姿から、野生は微塵も感じられない。
「さ、ここに座って。本当はこのマンションの初めてのお客様である貴方たちにおもてなしのお茶やお菓子なんかをお出しできれば良かったんだけど、あいにく今の私たちは自分の分のご飯すら危うい状況なの。ごめんなさいね?」
バルコニーの四人掛けのテーブルに、パイプ椅子が四つ。
そのパイプ椅子の一つを引いて、陽子は悠理に座るよう促す。
「お、おかまいなく。私たちが勝手に来ただけですから。ここの人たちを怖がらせたみたいだし、逆にお詫びしないと」
その言葉に悠理が慌てて首を振った。
現状、大河たちはこのマンションにとって招かれざる客でしか無い。
三人が来なければ起こることの無かった騒ぎを起こしておいて、もてなせなんて横柄なことを、とてもじゃないが言えるはずがない。
「池袋がこうなってから外からの情報が遮断されちゃった私たちにとって、貴方たちは貴重な情報源。レベルの高い人がみんなダンジョンに潜っちゃって、残っている若い子たちの肩に力が入っちゃってああいう風になっちゃったけど、どうか許して欲しいの。このマンションの住人一同、そしてパークレジデンス池袋自治組合の組合長として、貴方たちの来訪を歓迎するわ」
「あ、ありがとうございます……」
陽子がそう言って大河に差し出した手を、今度はちゃんと握り返す。
どうやら階下での一連の流れから、大河がこのパーティーのリーダーだと見抜いていたらしい。
にこやかに笑う陽子に対して、大河も努めて明るい表情を浮かべる。
そして三人が椅子に座ったのを確認すると、陽子も残ったパイプ椅子を引いて腰を下ろした。
陽子の対面に大河、その隣が悠理。
朱音は陽子の隣に位置している。
「さて、いろいろと聞きたいことが山ほどあるんだけど。そっちの質問から答えた方が信用してくれるわよね?」
陽子は満面の笑みで、組んだ手で自分の顎を支えて首を傾げた。




