パークレジデンス池袋(仮)自治組合②
『非常階段を固めるんだ!』
『水野さんが来るまで俺らで持ち堪えるぞ!』
『圭太郎と椎菜ちゃん、まだ下に潜ってるって!』
『ちくしょう! タイミングが悪い!』
『子供たちの避難が最優先だ!』
『く、来るなら来い! 俺だって戦えるんだ!』
一層慌ただしさを増してくる階上の声。
非常階段に一番近い部屋のベランダと、その隣。
さらにはワンフロア上の部屋のベランダにも、次々と人が現れてはその手に『剣』を顕現させ、大河らを警戒している。
そのどれもが初期状態の『咎人の剣』で、腰の引けた構えや震えから戦闘経験の少なさが見て取れる。
『さーやん! 俺はどっち行けば良い!?』
『お前と俺は十八階の非常階段前! ツヨシはその上!』
『う、ウチも戦う!』
『無理すんな! チビたちを守ってろ!』
バタバタと忙しなく動く大勢人たちの声の中に、明らかに年若い青年や女性の声が混じっていた。
「お、落ち着いてくれ! 俺らに敵意は無い! ここの人たちに攻撃したり、略奪したりする気もない!」
大河は悠理を背に隠して、両手を上げて無抵抗の意志を示す。
『騙されるなよ! こんなこと言って信用させておきながら、近づいた奴から殺すつもりかも知れないぞ!』
『お前ら、どこのビルから来た! 南のマンションか!? それともサンシャインの向こう側か!?』
『アンタらがこのマンションに入るのは許可できない! すぐに立ち去れ!』
大河の言葉を聞いても、より一層警戒の声が強まっていく。
「聞く耳ないって感じ?」
「それになんか、若い人が多いね」
大河の後ろであえて口を噤んでいた朱音と悠理が、小声で相談している。
朱音は大河を真似て両手を持ち上げ、悠理は大河の上着の裾を掴んで身を丸めていた。
「立ち去るのは良いんだけど! 話だけでも聞いてくれないか! ここに長居するつもりはないんだ!」
大河の言葉に嘘はない。
まだ備蓄の食糧もあるし、スミレという移動手段もある。
ここがダメならまだ他のコミュニティを探せば良いだけだし、なんならたった一日我慢すればノームたちの集落に戻るという選択肢も取れる。
だからこのマンションに執着する理由は見たらない。
『俺らじゃそれを許可できないし! するつもりもない!』
『大体、そんな凶暴なモンスターを連れておいて、敵意が無いって信じられないだろ!』
『そうだそうだ! そいつたまに湖の中でデカい魚のモンスターを角で突き刺して食ってる奴だろ! すっげぇ凶暴なの知ってるんだぞ!』
その言葉に、大河は思わずスミレの頭部へと目をやった。
本人(?)の背中に立っているから顔までは見えないが、あの漫画みたいな鼻提灯が頭部からはみ出して見切れている。
どうやらのんきに寝ているようだ。
「スミレちゃん、そうやって餌を確保しているんだね」
「モンスターにも弱肉強食とかあったのね」
「二人とも、今はそんなこと考えている場合じゃ──」
なぜか危機感を全く感じていない女子二人に、大河は内心少し苛つきを覚える。
「この拒絶っぷりだと、上陸は難しいんじゃない? さっさと他のコミュニティを探した方が良い気がするんだけど」
「あのなぁ……」
そう言って腕を組む朱音がすでに対話を諦めているのが、大河には気に食わなかった。
「スミレだって昨日から泳ぎっぱなしで眠そうだし、また夜になったらモンスターと朝まで戦うハメになるんだぞ? せめて一泊くらいは落ち着いて眠りたいじゃんか。ここに人が居るってことは、聖碑がある可能性が高いんだし」
「んー……それもそうね。でもアタシ、この状況から友好的に話し合いができるとは思えないのよねー」
「それは……まぁ、俺もなんとなくそんな気はしているけどさ」
そんなことを小声でやりとりしている大河らを、このマンションの住民たちは怪訝そうに見ている。
『な、なぁ。あいつら、あんなデカいモンスター連れてるってことは、強いんじゃないか?』
『そんなの、この湖を渡ってきたってだけで俺らより強いのは確定してるだろ』
『圭太郎と椎菜さん、どうにかして呼び戻せないかな……』
『潜ってそろそろ三日とかだから、もう戻って来ても良い頃合いだと思うんだけど』
『戦うってなっても、水野さんくらいしかあいつらの相手できないよな?』
『お、俺ももっと潜っておくんだった……』
『い、今更そんなこと言ったって、どうしようもないだろ』
『ね、ねぇ。あの人たち……ご飯持ってないかな……』
『そ、そうだ! あいつらから、飯を奪えれば!』
『待て待て落ち着け。たった三人から奪ったとしても、全然足りないって』
『で、でも少しでもあれば……ちび達の分は……』
『もう倉庫に残ってる食糧、全然無いしな』
『あのモンスターだって、倒したらお肉とかドロップするかも……』
『……お、俺が最初に飛びかかるから、お前らは上から魔法を連射しろ』
『ま、待てよ! お前より俺の方がステータスが低い! だから俺が犠牲になる方が後々の!』
『そ、そんなこと言うならウチの方が低いもん!』
『馬鹿野郎! 女に行かせられるかよ!』
『し、死ぬって決まってるわけじゃないんだ。四人くらいで一斉に飛びかかれば、一人くらい生き残れるかも……』
大河たちの正面、非常階段の階上で待ち構えている六人程度の集団から、不穏な空気が流れ出す。
その言葉は、緊張で研ぎ澄まされていた大河の耳にも聞こえていた。
「……悠理、スミレを起こしてくれ。眠ったばっかで申し訳ないけど、戦闘になる前にここから離れよう」
「う、うん!」
そう言って悠理はスミレの背中をゆっくり歩いて頭部へと向かう。
急に動けば、彼らを刺激してしまうと判断したからだ。
「朱音さん、もし始まっちまったらできるだけで良いから殺さないようにしてくれ。変な恨みを買うと面倒だ」
「了解。んじゃ、伏龍出しちゃうわよ?」
「待って。その前に一回、筋だけは通しておこう」
腕を構えて伏龍を顕現させようとしていた朱音を止め、大河は一歩前に踏み込んだ。
「俺らに敵意が無いのはさっき言った通りだけど! もしアンタらが俺らをどーこーするってんなら! それ相応の反撃はする! 見たところアンタら全然戦い慣れてないみたいだから一応忠告しとくけど、俺らはこれでもずっと戦いながらここまで旅してきてるんだ! 痛い目を見るのはそっちだぞ!」
その視線はさきほど不穏なやりとりをしていた、非常階段にいる六人組に向いている。
比喩でも暗喩でもなく、シンプルに『やったらやりかえすぞ』というメッセージのつもりなのだが、どうやら相手の反応を見るに素直に大河の言葉を受け取ってくれてはいないようだ。
煽られたと勘違いしたのか、それとも逆に覚悟を決めたのかはわからないが、彼らだって実力に差があるという事実はなんとなく察しているのだろう。
構えた『咎人の剣』を強く握り返していると言うことは、彼らにはリスクを負ってでも食糧を手に入れたい事情があるらしい。
大河はしばらく非常階段の六人や、他のベランダに立つ多くの住民の姿を眺め、そして大きなため息を吐いて頭を掻いた。
「忠告はしたからな……【抜剣】!」
そして威圧の意味を込めてわざとらしく右手を振りながら、ハードブレイカーを顕現させる。
「最近物騒なことしかしてない気がするなぁ……【抜剣】!」
朱音も続いて伏龍を右腕に顕し、肩幅に足を広げて中腰で構えた。
「スミレが動くまで、なんとかやり過ごすぞ」
「了解っと」
朱音と短いやりとりをして、大河もスマホを操作して左腕にラウンドシールドを装備し、構える。
『お、おい! あんな剣見たことねーよ……』
『戦っても勝ち目ないんじゃない?』
『でも圭太郎たちが充分な食糧をもって戻ってくるとも限らないんだ……これはチャンスでもあるんだぞ?』
『お、俺はここに来る前は池袋駅に居たんだ! あそこでもう何人も殺してる! アイツらにだって負けねぇ!』
『やってやる! チビたちのためにも!』
『ウチだって!』
非常階段の六人は、そう言ってそれぞれの『剣』を構えながら階段を一段ずつ降りた。
大河と朱音、そして六人の間に張り詰めた空気が流れる。
『みんな待って! 水野さんを待とうよ!』
『お前らやっちまえ! 俺も続くぞ!』
『ねぇ馬鹿な真似しないで! 子供達が見てるんだよ!?』
『みんなでかかれば、たとえ相手がどんなに強くたって!』
それぞれのベランダから一部始終を見ていた他の住人たちは、彼らを止めようとする声と、囃し立てたり参戦しようとする者で二分していた。
その声が喧騒となり、徐々に膨れ上がり、大河たちを包む空気がもう少しで破裂しそうになったその時──。
『落ち着きなさい!!』
その女性の声は周囲の喧騒にも負けない、よく通る澄んだ綺麗な声だった。
『ツヨシくんも、サヤちゃんたちも剣を納めなさい! みんなも静かにする!」
声が聞こえたのは頭上からだった。
大河が見上げると、非常階段の柵から身を乗り出してこちらを見ている人影が見える。
日が落ちて暗くなった湖では、マンションの蛍光灯だけが光源となっている。
その逆光のせいで、声の主の姿がはっきりと見えない。
人影はすばやく柵から身を戻すと、靴がコンクリートを踏み締める音を鳴らしながら、階段を駆け降りくる。
やがて非常階段の六人組の背後に、肩で息をする長身の女性が姿を現した。
その女性は六人をかき分けて階段を降り、柵をよじ登って立つ。
「よっと」
そして柵から飛び降りて、スミレの背中に危なっかしく着地した。
そのままゆっくりと、女性は大河へと歩み寄る。
背丈は朱音と同程度、ウェーブがかった茶髪は肩まで伸びている。
白い長袖のタートルネックに、細身のオーソドックスなジーンズ。
年齢は20代中頃に見えた。
「ごめんなさい。今このマンションは少し立て込んでいて、みんな気が立っているの。私は水野 陽子。このマンション──パークレジデンス池袋の住人の……まぁ、リーダーみたいな仕事をしているわ」
そう言って女性──陽子は大河へと手を差し出した。
「あ……」
呆気に取られた大河はすぐには動けず、差し出された手をじっと見る。
「気を悪くしてたらごめんなさい。私たちにも、貴方たちと戦う意志は無いわ」
陽子はそう言って、無理やり大河の手を取って握手を交わし、にっこりと笑った。




