白い獣の背に乗って③
「朱音さんもうちょい強くぅうううううう!」
「やってるってーのぉおおおおおおお!」
「スーちゃんもやすんでないでうごくのー!」
「じぶんのからだのことでしょー!」
「ターフはえっちなおねーちゃんのおっぱいをさわりたいんであって、スーちゃんのおっぱいをおしてもなにもおもしろくないのー!」
「おーもーいーのー……」
「ニミナちゃん、さっきから押してなくない!?」
巨大な丸くて濡れてテカテカした体毛を持つ白い物体を、ノームたちと協力して湖の方向へと転がしている。
その巨大さは二階建ての庭付き戸建れと同レベルの大きさで、素の膂力では絶対にミリも動かせないほどの重量だ。
だから『剣』を顕現させて大河は背中、朱音は腕にそのまま、悠理は両手で横に握りながら、顔を真っ赤にして力一杯押している。
そんな『剣』での身体能力向上の後押しを受けていても、一時間掛けてもまだ湖には辿り着けていない。
「も、もうおこったの!」
「ケレト! やるの!? いまここで!」
「しょうぶはいま!?」
「ここでつけるのー……?」
ケレトの号令に合わせて、ノームたちが丸い毛玉から突然距離を取って円陣を組んだ。
「お、おい! お前らいきなり手を離すなぁあああああ!」
「あっぶなっ! つ、潰されるぅうううううう!」
「お、重いぃいいいっ!」
ノームたちはその小さな見た目を裏切って、『剣』を持った悠理程度の身体能力を持っていた。
今の悠理は回復役のビルドで構成されているので、自分よりレベルが高い大河や、自分よりレベルは低いが近距離戦闘ビルドの朱音よりも筋力的なステータスの数字が低い。
それでもレベルアップの恩恵で一般的な女子高生の数倍の膂力や脚力を持っているので、その力はたとえるならばばレベル1の巡礼者を素手で殴り殺せたりする。
だからそんなノームたちが急に手を離したことで、大河たち三人はとんでもない負担をその身で支えていることになる。
「ぐぅううううっ! 朱音さん! アレだ! 【剛力】! 使っちまおう!」
「ふんんぬぬぬぬぬっ! あ、アレは一回使ったら10分は切れないし、めっちゃ疲れるから嫌なんだけど……ぐぅううううっこの際しゃーねぇかぁぁぁぁあああ!?」
「わ、私もう限界かもぉおおおっ」
三人とも力みすぎて頭に血が上り、その顔を真っ赤に染め上げている。
「おにーちゃんたち、いまたすけるの!」
「スーちゃんちょっといたいけど!」
「じごうじとくなの!」
「だからがまんするの……」
その声に振り向いた大河が見たのは、仲良く円になって手を繋ぐ、なにやら湯気のように迸るオレンジのオーラを、天高く舞上げるノームたちの姿だった。
「……おい、おいおいおいおい!」
「アンタら何する気よ!」
「みんなちょっと待って!」
三人に、なにやら嫌な予感が猛烈に走る。
「朱音さん! 悠理を!」
「任された!」
大河は朱音と素早くアイコンタクトをし、白い巨大な毛玉を支える両腕に渾身の力を込めた。
「ふんぐっ!」
たった一人で巨体を支える大河が、さらに顔を赤くして苦悶の表情を浮かべる。
「悠理!」
「朱音さん! 大河が!」
「あいつよりアンタ!」
朱音は素早く毛玉から手を離して、側にいる悠理の身体を横から抱いて地面を蹴る。
「いわよ、つちよ。ちちよ、ははよ、いもうとよ」
「われらのうなりにちがさけび、ちからのかぎりぶちあたる」
「ははなるだいちのちからをいかりにかえて」
「いまばんかんのおもいをこめた、ひっさつのぉおおお……」
ノームたちを包む、オレンジ色のオーラの迸りがさらに高まっていく。
そして──。
『グランドノームげんこつアッパー!!!』
ノーム達の呪文の詠唱が終わるや否や、巨大な白い毛玉が横たわる直下の地面が急速に盛り上がっていく。
それは拳。
天を突き刺すほど雄々しく凛々しく逞しい一本の巨大な腕が、握り拳を固めて白い毛玉を勢いよく吹き飛ばした。
「きゅうううううううううううううううっ!」
「ぐわぁああああああああああああああっ!!」
大河諸共。
「た、大河ぁああああああああああっ!」
さっきまで波一つ無く静かだった湖畔に、盛大に吹き飛ばされるスーちゃんと大河の悲鳴と、悠理の叫びが遠く水平線の向こうまで響き渡る。
「──んっとになんなのよ! これは!」
吹き飛ばされたスーちゃんと大河が湖の浅瀬に着水するのを見届けて、朱音は我慢できずに大声で突っ込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「げはっ! ごほっ! おばえらぁあああああ!」
「きゅううううっ!!」
20メートルは吹き飛ばされたであろう大河が、口や鼻から冷たい水を吹き出しながら猛スピードで岸辺へと乗り上げた。
真っ白い毛玉と共に。
「悠理止めるな! あいつらを一発、一発でいいから殴らせてくれ!」
「落ち着いて大河! あの子たちと敵対したら面倒なことになるから止めようって、みんなで相談して決めたでしょ!?」
さっきとは違う意味で顔を赤くさせて興奮する濡れた大河の身体を抱きしめて、悠理は一生懸命宥める。
「きゅう! きゅううううっ!」
「いや、アンタに限って言えば怒る筋合いが無い」
その隣で青筋を浮かべて非難の声を上げる白い毛玉に、朱音がツッコミを入れていた。
「よし! これでぜんぶおっけーなの!」
「ようやくしゅっぱつできるね!」
「スーちゃんのせいでじかんかかったの!」
「じゃあおねーちゃん……これ……」
何事も無かったかのようにケロっとした顔で騒ぐノームたち。
その中の一人、ニミナが朱音に向けて腕を差し出す。
「なにこれ」
受け取ったのは、木で出来たホイッスルだった。
「スーちゃんをよびだすふえなの……ケレトがなくしたのがほんもので……こっちはきのうぼくがまねてつくったにせもの……だから5かいまでしかふけないの……」
「複製できるんなら、アタシらがあの化け物と戦わなくても良かったんじゃない」
「ううん……ほんもののホイッスルは、グレートノームさまがつくったすごいアイテムなの……なくしたらとてもおこられるの……だからじつぶつをみてじゃないと……これもつくれなかったの……ふわぁあああ」
ニミナはそう言って、大きな欠伸をした。
常に眠そうにしているこの女の子が、ノームの中で一番薄気味が悪いと朱音は感じている。
「セイレーンこ……このみずうみのもつまりょくのはどうをちょくせつゆらすアイテム……まどうぐなの……だからスーちゃんがどんなにはなれていても……このホイッスルだったらきこえるの……すぅ」
「なるほど……っておい、立ったまま寝るな」
ついに完全に目を閉じてしまったニミナの肩を大きく揺らすが、全く目を開かない。
「おにーちゃん、そんなぬれてるとかぜひくよ?」
「みずうみのかぜはつめたいの」
「このきせつにみずあそびだなんて、おにーちゃんはばかだなぁ!」
「おっ、おまっ、お前らが……っ!」
「ダメだよ大河! この子たちに本気で怒るだけ大河が損だよ! なんか敵わないよこの子たち!」
「きゅうぅうううううううっ!」
「んゆ? スーちゃんもぷりぷりしてないで、おにくたべるの!」
「たくさんたべてきげんなおすの!」
「たんきなおんなのこはモテないの!」
「ぎゅうううううううううっ!!!!」
岸辺では未だに激怒している大河と白い毛玉がバタバタと暴れている。
「はぁ……」
朱音はホイッスルを自分のジーンズの左ポケットに捩じ込んで、嘆息しながら岸辺へと駆け出した。




