ラティメリア・ファミリア討伐戦②
さっきまで洞穴だった場所が、ものの数秒で野外へと変化した。
そして無数の、数えるのも困難な程の夥しい岩の小魚が三人を取り囲んでいる。
いや、より正確に言えば、ここに来た時からずっと囲まれていたのだ。
あの洞穴の入り口を通った瞬間から、大河らはすでにラティメリア・ファミリアの術中にハマっていた。
小型の岩の魚たちは、その全てが縮尺の違うラティメリア・ファミリアと同じ姿をしている。
その小魚たちの頭部が、一斉に三人──いや、悠理を指している。
「くっ!」
地面だけとなった開かれた広場を、大河は懸命に駆ける。
今の『剣』で強化された身体能力なら、悠理の元へ辿り着くのに三秒とかからないはず。
しかし──。
「きゃ、きゃああああああっ!」
「ぐぅっ!」
──空を駆ける速度は、小魚共に軍配が上がった。
弾丸の様な速度で飛来してくる小魚たちが、悠理の作り出した【防護】の防壁に次々と突撃し、砕けていった。
「はぁあああああああああっ!!」
朱音が伏龍や徒手空拳、更には蹴りまで繰り出して小魚共を打ち落とし、その身を破砕する。
「悠理っ! 絶対に【防護】を切るなっ! 朱音さんどんくらい保つ!?」
ようやく辿り着いた大河も加勢し、悠理を中心に陣形を組んで小魚を迎撃し始めた。
「っつー!! 一人だったならっ! あと十分保たない! アンタが居ればまだ保つ!」
連打の隙を掻い潜った小魚の一匹が、朱音の額に直撃した。
そこから一筋の流血を垂らしながら、朱音は大河の答える。
「ぐっ! 悠理! そっちは!?」
大河も肩に一匹、腰に一匹と小魚の突撃を受け、苦悶の声と共に悠理に問いかける。
「プ、【防護】はまだ全然耐えられるけど、一度破られたらもう一回発動するのに三十秒は掛かるの!」
「くっ!」
ならば一匹たりとも、小魚を【防護】に直撃させるわけにはいかなくなった。
必死に打開方法を模索しながら、大河は次々に小魚共を薙落としていく。
五分ほど経過しただろうか、すでに大河の上着であったジャケットはボロボロに破れていて、フードすら取れて服の体裁が取れていない。
朱音のジップパーカーも腰回りや胸回りが食い破られていて、中のインナーはおろか下着すら露出するほど破損している。
二人とも小さくない怪我で身体中に血を滲ませていて、見ているだけで痛々しいが、それでもなお動きを止めることは許されない。
少しでも手を止めれば、【防護】の障壁に群がった小魚によって悠理が殺されてしまう。
悠理が持つ回復能力は、このパーティーにとっての生命線だ。
遠距離攻撃の手段もなく、また盾となってモンスターを引きつけられるほどの防御力を持った者もいない。
大河も悠理もどちらかと言えば速度と手数で敵を翻弄する戦闘スタイルを得意としている。
性格や適性的にも、それが二人にとって最適な戦法だったし、ジョブや『剣』もその戦法に合わせて選択していた。
朱音は拳や脚での連撃を得意とし、一撃の攻撃力に欠ける。
大河はどちらかと言えば突破力に秀でていて、多少の無茶を通して敵の骨肉を断つ戦法に長けている。
だからこそ、悠理という高水準の回復能力を必要不可欠としている。
悠理が戦闘不能になるということは、大河も朱音も継戦能力を失うということ。
つまり、あっという間に全滅する。
「──大河! こいつら見た目より大分脆いって!」
「分かってる! でもこいつらも、アイツも! 再生能力を持ってやがる!」
最初に倒して砕いたはずの小魚の破片が、地面で小刻みに揺れながら集合し再びその形を取り戻していったのを何度も目撃している。
それは親魚であるラティメリア・ファミリアも同様で、大河が両断したはずの胴体と頭部は今ではすっかり繋ぎ合わされて、広場の回りを楽しそうに泳いでいた。
「朱音さんっ! ぐっ、一瞬っ、俺が頑張るからっ、中に入って回復してくれ!」
「んなことっ、言って! 平気なわけっ、ないでしょ! アンタが!」
二人が会話している最中も、絶え間なく小魚たちが襲い掛かってくる。
「無理やりにでもっ! どっちかが回復しないとっ、俺らこのままっ、共倒れするぞっ!」
「ぐっ! 絶対に踏ん張りなさいよ! 死んだら殺してやるんだから! 【牙咬み】っ!」
最後に【牙咬み】で複数の小魚をまとめて砕き、朱音は瞬時に【防護】の防護壁の中に飛び込んだ。
「悠理!」
「聞いてた! 【治癒】!」
話を理解していた悠理が朱音に駆け寄り、ヒーラーズライトを両手で構え先端の飾り剣を朱音に向けて回復魔法を唱えると、朱音の身体が真っ白いオーラに包まれる。
「もうすぐ……もうすぐ……」
それは以前まで使用していた【手当】の魔法の比ではない速度で、そして治癒量で瞬く間に朱音の傷を塞いでいく。
ヒーラーズライトのアビリティの効果やドワーフたちの強化も相まって、実際の魔法の効果以上の効力を発揮している。
しかしアビリティ【魔力の波動】による範囲回復は、【防護】の範囲より狭いため、防壁の外で戦っている大河への回復までは行えない。
悠理はそんな自分の無力感に歯噛みしつつ、朱音の身体の怪我の隅々にまで意識を向けながら魔法を行使していく。
「はやく……はやくっ……よしっ!」
「さんきゅ!」
身体の発光が収まり、それを確認した朱音が悠理に一瞥して感謝を述べて【防護】の外へと飛び出していった。
「おまたせ大河!」
「ふっ! ぐっ! ぬっ!」
戻ってきた朱音に返事もできないほど、大河は目の前の小魚たちに集中している。
戦っている本人たちは必死で大真面目だが、側から見ていれば【防護】の防護壁の回りをぐるぐると回りながら、時に飛び跳ね、時に回転したりなど、どこか間抜けな印象を受けるかもしれない。
だが三人にとっては死線であり、背中に死の気配を背負いながら戦っている。
やがて次は大河の身体の傷が増え、朱音に首根っこを掴まれて防護壁の中へと投げ飛ばされた。
「朱音さん!」
「無理はしても無茶はすんなっての! アタシだってやれるんだから!」
「くっ!」
血だらけの身体を震わせて、大河は怒りに飲まれそうになるところを踏みとどまる。
「大河っ、早く!」
駆け寄ってきた悠理がさっきと同じ様にヒーラーズライトを構える。
「頼む!」
「【治癒】!」
大河の身体が発光し、傷が瞬く間に癒えていく。
しかし先ほどの朱音と違い、全身に満遍なく傷を負っている。
(なにか無いか……なにかっ!)
傷を癒している間も、大河は防護壁の外を凝視し続け、この状況を打開する糸口を探し続ける。
「はやく……はやくっ……!」
魔法を行使する悠理も、癒されている大河も、そして外で孤軍奮闘する朱音も、全員が焦れている。
そして必死に考えている。
(そういえば……なんでアイツは攻撃してこない? ずっと俺らの遠くを回っているだけで……アイツほどの突進の威力があれば、俺らなんて簡単に……)
小魚の群れの隙間から見えるラティメリア・ファミリアの姿を追う。
緑に発光する両目を輝かせながら、ラティメリア・ファミリアは気持ちよさそうに空中を泳いでいた。
(他にも、一度に襲ってくる小魚の群れが……思ってたより少ない。この物量の敵に一気に攻め込まれたら、いくら【防護】だってすぐに……もしかして!)
「大河!」
悠理が汗を貼り付けた顔を笑みで綻ばせて、大河の名を呼んだ。
「ありがとう! 愛してるぜ!」
「私も! 愛してる!」
大河は少しふざけて発した言葉だったのだが、言われた本人は顔を真っ赤にして破顔しながら応えた。
「こんな時にっ! いちゃつくなっ!」
「ごめん! でも朱音さん! 聞いてくれ!」
戦線に復帰した大河が悠理とは違う理由で顔を真っ赤にした朱音を宥める。
「なによ!」
「気付いたんだ! アイツ、この小魚をけしかけてる間は俺らに攻撃できないんだよ!」
「それで!」
「しかも一度にけしかけられる数はそれほど多くない! 俺らがまだ死んで無いのがその証拠だ! ほら! 全体の三分の一くらいしか動いてない!」
言われた朱音が、瞬時に首を動かして周囲を確認する。
確かにその動きの激しさに惑わされていたが、三人を取り囲んでいる小魚の内、そのほとんどが一定の距離を保ったまま外周をぐるぐると周遊していた。
「しかも! 一回ぶっ壊した奴らは、さらに動き出しが遅くなってる!」
「ふむふむ! んでどーすんのよ!」
「【龍駕】だ! 朱音さんのあのスキルは使えば一分間とんでもない強化がかかるけど、完全回復するまで動けないっ!」
デメリットの効果が強力すぎて、戦闘では一度も使用していない朱音のアビリティ、それが【龍駕】。
伏龍の持つ二つのアビリティ、【瞬迅】と【剛力】を同時発動した状態を指すアビリティだが、その効果は〔力〕と〔素早さ〕が一分間二倍になると言う破格の性能を持つ。
反面、1分経つと体力を完全に回復させるまで指一本動かせなくなるという、これまた強すぎる副作用がある。
「じゃあダメじゃん!」
「違う! その一分で、根こそぎ潰す! 俺の全力と朱音さんの【龍駕】があれば可能だ! んで朱音さんは一分経ったら速攻で悠理に回復して貰って、その間に俺が全力で親をぶっ潰す! 悠理! 完全回復ってどんくらいかかる!?」
突然話を振られた悠理が、ビクッと身体を震わせた。
「え、えっと。やったことないけど、多分2分くらいかかると思う!」
「よし!」
悠理の言葉に強く頷きながら、大河はハードブレイカーを振り乱して次々と小魚たちを落としていく。
「これは賭けだ! ハズレたら全員仲良くここで死ぬけど、上手くいったら生き残れる! そういう類のギャンブル! 乗るか!?」
バトルハイ──とでも形容しようか、大河の今の精神は、初期の『咎人の剣』のアビリティである【鼓舞】が掛かった時と同様に、興奮していた。
「──乗った! このままジリ貧で死ぬよかマシよ!」
「私は、どこまでも大河に着いていくからね!」
それは朱音も悠理も同じであり、生死を賭けた──しかも突破口を見出せたかもしれないこの状況でしか発露しない感情に支配されている。
「っしゃあ! じゃあ、カウントゼロで行く!」
「がってん!」
「わかった!」
既に固まっていた覚悟の上に、自分と仲間の命をBETして、三人は危ない笑みを浮かべる。
小魚たちの群れはそんな三人などお構いなく、次々と突撃してきては迎撃されていく。
「さん!」
大河はそんな小魚たちの苛烈な突撃の中から、わずかに重なる反撃のタイミングを見極めようと両目を大きく見開き、叫ぶ。
「にぃ!」
凶悪な笑みを浮かべた朱音が、自身の血で濡れた唇を舐めた。
「いち!」
ずっと大河と朱音の傷つく姿に心痛めていた悠理も、自らも傷つく覚悟を決めて強い決意の光を瞳に宿した。
「ゼロ!」
「【龍駕】!!」
朱音の身体から噴き上がる、凄まじい力の奔流。
大気を乱し風を巻き上げるほどの『龍』の息吹が、辺りの小魚を一斉に吹き飛ばすほどの勢いで荒れ狂う。




