リビング・フォッシル②
薄暗い洞穴は、天井は大河がなんとか頭をぶつけずに通れる高さで、幅は二人並べばつっかえるほど狭く、五分歩いてもまだ先が見えない長さだった。
傾斜の緩い下り坂の様になっているその洞穴を大河たちは警戒しながらゆっくりと降っている。
先頭を歩く大河はラウンドシールドを装備した左手に新宿で購入したLRDの懐中電灯を持って、じりじりとした足取りで慎重に進んでいく。
陣形的に一番最初にモンスターに気づかないといけないのは大河で、一番危険なのも大河だ。
自然とその足取りは重くなる。
その後ろには朱音と悠理、最後尾をケレトとターフが続いている。
「な、長いわね」
「あと狭いね……」
緊張に耐えきれなくなったのか朱音が震える声で呟くと、悠理がそれに応えた。
「こんな場所で戦うのは無理だな。もしこの先までこの狭さが続くんなら、岩の魚が出てきたらすぐに出口に走った方が良いかもな」
「う、うん。そうだね……」
大河の提案に朱音は無言で頷き、悠理は相槌を返す。
その狭さでは朱音の伏龍はともかく、大河のハードブレイカーや悠理のヒーラーズライトでは簡単に取り回しができそうもない。
手を伸ばせばすぐに触れる天井に、『剣』を満足に振ることもできない幅。
この状況で戦えば、三人が一遍にやられてしまう可能性だって出てくる。
「だいじょーぶー」
「おくのほうはーとってもひろいの」
大河らの気も知らず最後尾で楽しそうにはしゃいでいたケレトとターフが一番先頭の大河に向けて小声で話しかけた。
「いわのおさかなは、すっごいおおきいの」
「いちばんおくのてんじょうに、おさかながおでかけするためのあながぽっかりあいてるくらいおおきいの」
内緒話のように話すのが面白いのか、二人の言葉の合間にくすくすと笑い声が混じる。
そんなノームたちの声に苛立ちながらも、大河は前方を警戒しながら進む。
大河の中ではノームたちはもはや敵になっているので、話しかけられても返事を丁寧に返事をしたりなどはしない。
やがて道の先が徐々に明るくなり始めた。
ノームたちの言を信じるならば巣穴の奥は吹き抜けとなっていて、太陽の光が差しているはずだ。
いよいよかと大河はハードブレイカーを強く握り直し、より慎重に洞穴を進む。
ゆるやかなカーブが連続する道の、おそらく最後の曲がり角。
その先はもはや外と大差無いほどの光量で、暗闇に慣れた一向の目には眩しすぎる。
大河は一旦足を止め、悠理や朱音にも止まるようにハンドサインで指示を出して、岩盤を背に曲がり角から顔を出して先を伺った。
逆光で遮られた視界ではその細部までは判然としなかったが、どうやらそこはノームの言う通り天井に大きな吹き抜けのあるドームのような構造となっていて、かなりの広さを持っているらしい。
壁を沿って横歩きで、ゆっくりと進む。
続く悠理と朱音が息と唾を飲み込みながら、大河の後を追う。
そして一向はすんなりと、洞穴の最奥へと辿り着いた。
「ここは……」
「一気に広くなったね……」
キョロキョロと周囲を見渡す大河と悠理。
その隣で朱音が大口を開けて天井を見上げていた。
「これは吹き抜けっていうより、天井が無いって言った方がいいわね……」
頭上には真昼の太陽が鎮座しており、白い薄雲と空の青が映える穏やかな空が見える。
円形に形作られたそこは、規模で言うならちょっとした運動ができる公園並みに広く、ゴツゴツと隆起した岩でできた周囲の壁の高さもそこそこに高い。
「居ないな……」
入り口付近で周囲を警戒していた大河が、ぼそりと呟いた。
どんなに探しても、ノームらが言う『岩の魚』の姿がどこにも見当たらない。
「お、おでかけ中……かな?」
「今の内に探したらホイッスルっての、見つかったりしない?」
悠理と朱音がうっすら笑いながらそう茶化すが、なにも本気でそんな事を考えているわけではない。
「そんな都合のいい事があれば、嬉しいんだけどな……」
大河もそうだ。
三人はこの東京で、残酷な結末や結果を散々見てきた。
大河と悠理はあの新宿駅で、朱音もまた早稲田を出てこれまでの旅程で、どんなに抗っても逃げきれなかった人々の、その悲惨な終わりを嫌と言うほど見届けて来たのだ。
だからこういった場合自分たちに都合よく物事が運ぶなんて幻想は、とっくの昔に捨て去っている。
三人は各々の『剣』を構えて、入り口からゆっくりと奥に向かって進み始めた。
「いってらっしゃーい」
「いわのおさかなは、もうみえてるのー」
その声に大河が振り返ると、ノームの二人が手を振りながら入り口の洞穴の奥へと消えていくのが見えた。
「アイツら……ちっ!」
どこまでも大河の神経を逆撫でするノームらに大きな舌打ちをして、大河はまた顔を正面に戻して辺りを伺う。
「もう見えてるって……」
「どこにもいないじゃないの……」
お互いにお互いの背を預け、三人は三方を注意深く見渡す。
広い円形の巣穴はシンとした静けさで満たされていて、モンスターの姿はどこにも見当たらない。
「ん……?」
大河の正面、太陽の光が当たらない日影となった部分の壁に、大きな緑色の光が二つ見える。
定期的に明滅するその二つの光源が、スーッと岩の壁を滑るように移動した。
それが『岩の魚』のものだと瞬時に理解した大河が、身を強張らせて、そしてやけくそ気味に笑った。
「……出やがったか」
額から顎へと滴る汗は、湖の近くにあるが故に溜まった湿気によるものか。
はたまた緊張し、興奮した大河自身の熱気によるものか。
ポツリと地面に落ちた一滴の汗が、瞬く間に岩に吸われて蒸発していく。
LEDの懐中電灯を素早く放り投げ、大河はハードブレイカーを両手で硬く握った。
「悠理! 朱音さんの背中から前には絶対に出てくるなよ! 朱音さんは悠理から離れすぎないように!」
「わ、わかった!」
「がってん!」
その緑の光点は壁沿いに一周、まるで岩の中を泳ぐようにぐるりと巣穴を回ると、また日陰の部分でピタリと止まり、そして三人をジッと見続けている。
「来いよ。こちとらもう覚悟ガンギマリだ」
その光に対して、大河は引き攣った笑みを浮かべて呟いた。
やがて二つの光の周囲が、金属と金属を擦り合わせたような耳触りな金切り音を鳴らしながら盛り上がっていく。
さらには何かが割れる音、爆ぜる音、潰れる音が同時に響き渡り、静かだった巣穴の中が一気に騒音に包まれ、土埃と砂埃で満たされていく。
そして現れたのは──。
「……シーラ……カンス?」
大河はその姿に見覚えがあった。
あれは確か、博物館。
小学校高学年の時、社会科見学で訪れたその場所で綾と共に見て、そして大きな画用紙に新聞形式でまとめて発表したのを思い出す。
それは古生代より存在し、白亜紀において絶滅したと考えられ──しかし近代にて原生種が再発見された古代魚。
遥か昔より変わらぬ姿と生態から『生きている化石』と呼ばれた、特徴的なシルエットを持つ巨大な魚。
「岩の魚って……」
「魚の化石のことだったんだ……」
動く度に岩が擦れ、酷い音と埃を撒き散らしながら空中を周遊するその姿を見ながら、朱音と悠理は目を丸くする。
身体の各パーツが一個一個岩で形成されているその姿は、まさに化石。
「へっ……『生きている化石』の化石ってか?」
ひくつく口端で無理やり笑みを作り、大河は姿勢を低くする。
それに併せたかのように、シーラカンスは一度身体を太陽に向けて持ち上げ、空を泳いで天高く飛翔した。
「悠理! 【観察】に必要な時間は!?」
「えっと──三十分!」
大河の声に慌ててスマホの『ぼうけんのしょ』アプリを開き、その画面を確認した悠理が叫ぶ。
「長いわね! たくっ!」
朱音はそう悪態をついて伏龍を装備した右腕を握り、左手を開いて前に出し腰を落とした。
「俺らじゃいちいち確認できないから、【観察】が終わり次第教えてくれ!」
「う、うん!」
学徒のジョブオーブの熟練度を満たした事により履修した【観察】は、時間をかけて敵の弱点部位や有効な攻撃方法を見極めるスキルだ。
モンスターの強さに応じて解析時間が伸びるというなんとも歯痒い仕様ながら、その情報は決して馬鹿にできない。
解析結果がアプリで表示されるため、時間経過を見ながらスマホを気にしなければならないというのも使いづらい要因となっているが、パーティーを組んでさえいれば役割の分担によりその問題も解決できる。
「モンスター名……えっと、『ラティメリア・ファミリア』!」
アプリのモンスター情報を確認した悠理が、シーラカンスの名前を大河らに大声で知らせた。
「なにその舌噛みそうな名前は!」
負けじと朱音も大声で愚痴を零す。
その間も太陽を背にくるりと一回転をし、シーラカンス──ラティメリア・ファミリアはその頭を巣穴の中心に向けて静止した。
そして岩の肌と鱗を軋ませながら、大きな口を開ける。
「──来るぞ!」
開戦の予兆を直感で感じ取った大河が、声を張り上げて注意を促した。
同時に、ラティメリア・ファミリアは巣穴の中心めがけて真っ直ぐ落下し始めた。
迎え撃つのは、大河のハードブレイカーだ。