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東京ケイオス  作者: 不確定 ワオン
吉祥寺《はじまりのまち》

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ここに至る②


 軋む古びたガラス戸を、そっと開けて中を覗き込む。


 いつか泥遊びで汚して叱られた土間には、雑に脱ぎ捨てられたパンプスと女性物のスニーカーが乱雑に置かれていた。


 きっと綾の母親(おばさん)と、綾の姉の綾乃(あやの)の物なのだろう。


 下駄箱の上には旅行好きだった綾の祖父母が晩年買い集めていた、出先の珍しい置物の数々が綺麗に置かれている。


 綾の祖父母との記憶は大河が幼稚園の頃までしか無いが、かなり仲の良い夫婦で、大河が遊びに来ると決まって少し高いお菓子を勧めてきた。


 どれだけ仲が良いかと言うと、祖母が心臓の病で亡くなった半年後に、後を追うように祖父が風呂場で眠るように亡くなったほどだ。


 定番の熊の木彫りであったり、赤べこであったり、シーサーであったりと、統一感があるのか無いのかわからないそれらが、おそらく一年ぶりであろう来客の顔をじっと見つめている。


 大河は靴を脱ぎ綺麗に並べ、土間から一段ほど高い、埃が積もって白んだ床にそっと足を乗せた。


 靴下の裏側の滑りが良いのは、埃のせいだ。


 編み細工の足拭きマット。その隣のラックに来客用のスリッパが刺さっている。

 一番下の段、青いモコモコしたスリッパは──大河専用。


 綾を訪ねてほぼ毎日通っていた頃に、綾の母親(おばさん)がわざわざ買ってくれた物。 


 ここに来なくなってもうすぐ三年。

 なのにまだ親友の家族は、大河がいつ来ても良いようにとこのスリッパを捨てずに取っていてくれた。


 それがなんだか、無性に嬉しい。


 埃で汚れているのを承知の上でそのスリッパを履き、廊下を奥へと進む。


 突き当たりの部屋は、昔は祖父母の部屋──亡くなってからは仏壇と共に居間として使われている六畳の部屋が二つくっついた広い畳の部屋。


 中を覗いてみると、テレビにテーブルに座布団が、記憶の中と変わらぬ位置で置かれたままだった。


 テレビと対面になる部屋の一番奥には、かなり古い造りの仏壇が鎮座している。


 これ自体は新條家に昔から伝わる物で、祖父母がここに家を建てる前から所有していると聞いたことがある。


「綾……」


 その仏壇の一番上の段に、親友の写真──遺影が飾られていた。


 大河の記憶よりすこしだけ成長した、猫っ毛でぼさぼさな髪。

 分厚いフレームの眼鏡をかけ、無邪気に笑う親友。


 見慣れないブレザーの左胸に赤い造花の徽章(きしょう)が付けられていると言うことは、この写真はきっと高校の入学式に撮られた物なのだろう。


 新しい門出を祝うこの写真を、まさか遺影として使うとは、誰も想像していなかった筈だ。


「そっか、葬式が終わって……まだそんな経って無かったもんな……」


 思い出す。


 もう今では遙か昔のような記憶だが、大河が東京を訪れたのは、綾の死を知った一週間と四日後だ。


「みんな、泣いてただろ……なぁ?」


 遺影を手に取り、物言わぬ写像に語りかける。


 綾の家族は、良い人達だった。


 綾の母親(おばさん)は少し太り気味なのを気にしていたが、大河が遊びに来る度に夕飯を勧め、時に叱ってくれて、時に褒めてくれて──まるでもう一人の母親のような、そんな人だった。


 綾の父親(おじさん)は夜遅くまで仕事をしていた人なのでがあまり顔を見る事は無かったが、休みの日になると車を出してくれて、遠く多摩川や高尾山までドライブに誘ってくれた。


 綾の姉の綾乃は、歳が四つも離れているせいかとても大人びて見えて、洒落っ気の無い弟とその友達に『眉を整えろ』や『髪をセットしろ』と口うるさく、しかし面倒見が良くて──大好きだった。


 多分、大河の初恋は綾乃である。


 大河はこの家が、そしてこの家族が大好きだった。


 いつ来ても暖かく迎えてくれて、子供の癖に遠慮がちな大河を強引に、しかし優しく甘やかせてくれる。


 末っ子に対する愛情はとても深く──若干甘やかせすぎでは無いかと思うくらいに──、その唯一と言っていい遊び友達である大河に対しても、まるで自分達の子供の用に、もてなすだけでなく時に厳しく叱ってくれる。


 そんな、大河にとって理想の家族。


 だから綾が死んだ時にあの家族が受けた悲しみを思うと、胸が張り裂けそうになる。


「……馬鹿野郎」


 綾が自ら命を絶った事が大河の耳に入ったのは、実家の荷物を整理しに訪れていた大河の叔父──父親の弟に、偶然会った綾乃が教えてくれたからだ。


 叔父の話によればその時の綾乃はかなり憔悴していて、しかし大河になんとか連絡を取ろうと、身に覚えのあった叔父の車に駆け寄ってきたらしい。


 二人の家の丁度中間地点に存在する、良く遊んだ公園の一番大きな木。


 そこにロープを結び、木の枝から飛び降りるようにして、朝方誰にも気づかれずに弟は死んだと、人目も憚らず泣きながら。


 最愛の弟がそんなに追い詰められていた事に気づけなかった懺悔と悔恨に涙しながら、綾乃はそう叔父に語ったそうだ。


 大河を含めて綾の家族の誰もが、まさか自ら死を選ぶとは、想像もしていなかっただろう。


「……」


 そっと遺影を仏壇に戻し、居間を出る。

 

 トイレやキッチンに向かう道の途中に、丁字路がある。

 そこを曲がれば、一番奥は綾乃の部屋。

 その対面が綾の部屋で、一番手前が夫婦の寝室。


 小さな敷地にぎゅうぎゅうに部屋を敷き詰めているので、廊下の幅はかなり狭い。


 軋む床をゆっくり踏みしめながら、まず向かうのは綾の部屋だ。


「……」


 右手の拳骨で、軽く扉を叩く。


 木製の扉はかなり古い物で、鍵すら掛けられない。

 だから無言でノックして、返事を待つ。

 

 それがこの家のルール。


 返事が来ないのは分かっているが、だからといってそのルールを破る気にはなれない。


 しばらく待って、ドアノブを捻り扉を開く。


 外開きの扉は全部開くと廊下を塞いでしまうので、半分だけ開く。


 この家の構造に慣れた身体は、勝手にその習慣を再現していた。


「……変わんねぇな」


 この家は両隣が二階建ての戸建てに挟まれている。だから居間以外の部屋はどこも日があまり差さない。


 そのせいで照明を点けなければほぼ完全に真っ暗になってしまう。


 廊下側から差し込む僅かな灯りだけだが、しかしその内側は大河の記憶に違わず、昔のまま。

 

 湿気と埃の匂いこそ充満しているが、僅かに残された懐かしい匂いに、思わず目頭が熱くなる。


 畳の上に拡げられた青いカーペット。

 ベッドマットの上には、使い古した抱き枕。

 壁一面を飾る、和洋ジャンル問わず節操無く貼られたゲームや映画のポスター。


 天井にまで隙間無く貼られたそれらは、どれも二人で観たりプレイした思い出深い作品だ。


「何枚か、知らない作品があるな……」


 海外のレトロゲーに良くある、ケバケバしいデザイン。

 それらが新しく貼られているだけで、後は大河が良く知る綾の部屋だ。


 窓側に設置してある金属ラックの一番上のテレビモニターは、地上波を映さない完全なるモニター用。


 金属ラックの下段にはPCやゲームハード、各種プレイヤーを接続しそれらをハブを使ってスイッチしながら使っていた。


 その隣の勉強机の上は筆記用具や教科書だけじゃなく、昔のゲームの攻略本やTRPGのルールブック、映画のムック本や設定資料集が(うずたか)く積み上がっている。


「いつ見ても、オタクっぽい部屋だよなぁ……」


 そう呟きながら部屋の奥まで進み、テレビ裏の窓のカーテンを全開にする。


「いまんとこ、変わったとこはないな……」


 何度も部屋の中を見渡して、ポリポリと頬を掻く。

 舞い上がった埃が肌になにか悪さをしているのか、さっきから少し痒い。


「じゃあ……」


 本腰を入れて探す。


 机の引き出しから、本棚。

 ベッドの下から、押し入れの奥。


 見つけなければならない物はたった一つ。


「……おかしい」


 見当たらない。


 年齢が上がるにつれて隠し場所はコロコロと変わっていたが、あんな嵩張る物がこんなに見つからない訳がない。


「他に……どこか……」


 キョロキョロと辺りを見渡す。


 故人の部屋を荒らすのも気が引けるので、物をひっくり返したり家具の位置をズラしたりなどはしていない。


 それでもあの──『東京ケイオス・マイソロジー』の設定ノートは、その冊数の多さからどこに隠していてもすぐに見つかると踏んでいたのに。


 見た目は普通の大学ノート。

 それが大河の記憶では六冊ほど。


 会わなくなってもっと増えていてもおかしくないそれがあれば、ケイオスの生活はもっと楽に──そしてこの廃都で苦しむ人も救えるかも知れないのに。


 探せど探せど見つからない。


「……てっきり、あのノートの事を言っているものだとばかり思ってたのに」


 地雷天使レナが語る、綾がここに『遺した物』。

 見当がつくのはあのノートしか大河には思いつかない。


「遺す……普通に考えて、遺書とか……書き置きとか……日記──日記?」


 何も考えずに思いついた事をとりあえず呟いて、そして思い至る。


『お姉ちゃんにね! 日記帳貰ったんだ!』


 小学校に上がった記念にと、綾乃が二人に送ったプレゼント。

 大河はセンスのあるちょっと大人なデザインのペンケース。最終的にどこに行ったかまでは覚えていない。


 そして綾は、日記帳。


 低学年が使う自由帳のような薄っぺらい物ではなく、ちゃんとページが着脱して綴じれるようになっている、分厚い本格的な物だった。


「……お前なら、きっと」


 毎日欠かさず、習慣として書き続けている筈。


 なぜなら大河の親友は凝り性で、辛抱強く、そして頑なな男だったから。


 さっき開いた机の上から二番目の引き出し、そこに確かそういう装丁の分厚い手帳の様な物があったと記憶している。


「これだ……」


 手に取ったのは確かに日記帳。

 それもルーズリーフを追加で綴じれる形の、大きいサイズの物。


 しっかりとした素材の表紙をめくると、最初のページに書かれた日付は、今年の一月一日。

 つまり一年に一冊、という使い方をしていたのだろう。


「今時、紙に日記付けるヤツが居るかよ……」


 デジタル全盛のこの時代に逆行するように、ルーズリーフにこれはおそらく──万年筆。

 どこまでも凝る男だと、思わず苦笑してしまう。


「……綾、すまん」


 他人の日記を勝手に見る罪悪感からか、つい謝ってしまう。

 たとえ物心付いた時からずっと一緒に居た幼馴染みとは言え、親しき仲にもなんとやら。


 本当なら責め立てられても文句は言えない。


 ハラハラとページをめくり、一番最初は──高校の入学式直前。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 四月六日 晴れ


 明日から高校生だって。

 なんか信じられないや。ついこの間まで、高校生って大人だなって思ってたのにね。

 

 お姉ちゃんが入学祝いに、リュックを買ってくれて、お父さんからはなんと五万円も頂きました!

 親戚の人からもいくらか貰えるらしいから、ちょっとした小金持ち気分。


 高校に入ったらバイトをするつもりなんだけど、駅前の書店とかどうかな?

 接客にあんまり自信は無いけれど、昔大河もバイトするなら本屋が良いって言ってたからね。募集してないか今度の日曜に見に行こうと思う。


 大河、僕らもう高校生だよ。


 相変わらず大河がどこに引っ越したか分からないけれど、きっといつかまた、連絡してくれるって信じてるからね


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「──っ!」


 日記帳を持つ手が、一気に強張った。

 喉の奥が、ヒリヒリと痛む。


 目頭が熱くなり、唇をきゅっと噛み締める。


「……あ、ご、ごめ」


 震える声でなんとか謝ろうとするも、上手く言葉にできない。


 待っていてくれた。


 きっとなぜ大河が急に姿を消したのか、全ては分かっていないのだろう。

 だけど頭の良い綾の事だ。

 大体の事は察しているに違いない。


 滲み始めた視界を左腕でゴシゴシと拭き、改めて日記帳を読む。


 高校に上がった親友は、初めてのバイトや初めての試験、初めての事を精一杯頑張っていて、とても楽しそうに書かれている。


 春を過ぎ、夏に慣れ、そして夏休みに入り──長い時間を掛けて日付を追う大河は、そこでピタリとページをめくる手を止めた。


 日付は夏休み中盤。

 今まである程度の長文で書かれていた日記が、その日付だけたった四文字だけで終わっている。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 8月6日


 頭が痛い。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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