解放 ─リベレイション─ ②
「うぉおおおおおおおっ!!」
雄叫びと共に、大河は災禍の牙を振り上げて祐仁へと駆ける。
闘争心を込めたその一撃は、暴力的な本能によって振るわれるシェイプシフターと打ち合わさり、広場全体に金属音を響かせ、そして観客達の歓声によって覆い隠された。
「ぐぅうぅうううっ! ああああああああああっ!!」
力で負けて弾き返された災禍の牙、それを持つ腕が強く痺れる。
しかし大河は歯を食い縛って耐え抜き、勢いそのままにその場で回転し、祐仁の胴体目掛けて牙を薙いだ。
「ふぅううあああああっ!!」
祐仁もまた、僅かに弾かれたシェイプシフターを無理矢理引き戻し、力任せに大河の脳天めがけて振り下ろした。
「──がぁっ!!」
大河の刃は祐仁の脇腹を少し、だが祐仁の刃は大河の首元に深く食い込んでいる。
吹き出る大河の鮮血で、地面が濡れる。
「ぐぎっ、ぐぅうううっ!!」
大河の歪んだ顔が、その痛みを物語っていた。
高レベルの防御力だけを頼りに、脳天への致命傷を避ける事だけを考え首を傾けた。
シェイプシフターの刃は大河の首元──左の鎖骨を砕き、肉を潰し切った。
だがそこで止まっている。
現状の大河と祐仁の身体能力の差。
それがこの怪我に現れている。
大河の防御力と祐仁の攻撃力を比べれば、この怪我の大きさの分だけ祐仁の攻撃力が勝っているのだ。
この一合の相打ち、怪我の度合いで言えば鎖骨を砕かれた大河と、脇腹を数センチ切られた祐仁。
大河の方が打ち負けていると言える。
しかし──。
「──こっ、これならぁあああああっ!!」
急所への一撃さえ気をつけていれば、戦える。
大河はそう判断し、自らに発破をかけるように声を荒げた。
一対一なら間違いなく大河の完敗。
このまま戦えば、そう遠くない時間で大河は死ぬだろう。
だがこの場には海斗が、そして廉造が居る。
ならば悪あがきさえすれば、死ぬまでの時間をいくらか引き延ばせらる。
この殺し合い、勝機があるとすればそこしかない。
自分の血で濡れる頬を、瞼を気にも止めず、大河は災禍の牙を祐仁の脇腹から引き抜き、何重もの痛みに顔を顰めながらまた剣を振るう。
時に足を止めて渾身の力を込めて。
時に全力で攻撃を避けながら、僅かなダメージを負わせる為に無理を押して。
「ぐぅああああっ!!」
傷が、その痛みが。
災禍の牙から伝わる痛みと同調し、大河の腕に力を与える。
時間経過と共に攻撃力が増加するアビリティ──【憤怒】。
引き換えに剣の怒りに飲み込まれ、自制が効かなくなるというデメリットは、今の祐仁の状態と似ている。
「ふぅううううらああああああっ!!」
もはや言葉を失い、怪我の痛みや呼吸すら忘れて剣を振るう祐仁。
新たな血が、砕ける【斬撃結晶】の欠片が。
二人の怒りが、殺意が。
見守る観客達の怒気と、憎悪が。
祭壇前広場の空気を、真っ赤に染め上げていく。
二匹の獣は、そうしてお互いを傷つけ合う。
まるでそれ以外のコミュニケーションが取れないと言わんばかりに。
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「大河!!」
その光景を少し離れた場所で見ていた廉造が、堪らず叫んだ。
あまりにも無謀。
傍目から見れば、大河の自傷行為──自殺行為にしか見えない。
廉造から見ても分かるほどに、儀式を完遂した祐仁と大河では、個々の身体能力に比が出ている。
「──廉造! 歌い続けろ!!」
頭部を真っ赤に染めた海斗が、自分のシャツを頭に巻き付けながらよろよろと廉造へと駆け寄ってきた。
どうやら壁に激突した時に、頭皮が切れて出血していたようだ。
流れる血の量は見た目大怪我に見えるが、痛みは大して感じていない。
ただ止まってくれない血が邪魔なだけだ。
「兄貴! アイツ何やってんだよ! なんで!」
「知らん! だがアイツが言い出したんだ! 今から10分間、絶対に自分の邪魔をすんなって!」
「あんなの! 勝ち目が無いに決まっているだろ!?」
「だから俺が行くんだよ! 10分後! アイツの合図と同時にケイオスのみんなのとこに全力ダッシュしろだとさ! 良いな! 伝えたからな!! 【戦いの詩】を切らすなよ!!」
「ちょ、ちょっと兄貴! ねぇってば!! くっ、くぅうううっ! あの馬鹿! 終わったら正座させて説教してやる! 【戦いの詩】!!」
廉造の制止の声も聞き入れず、海斗はシャツをバンダナ状に頭部に括り付け、ハヤテマルを手に駆け出す。
向かう先は血飛沫舞う獣たちの殺し合いの場。
海斗でギリギリ、廉造では立ち入る事の出来ない場所。
(大河! お前、本当に生きて勝つ気があるんだよな! あの祐仁に感化されて、無意識に手を抜いてたりしないよな!?)
エコーから流れる伴奏を聞きながら、歌い出しを待つ間中ずっと、廉造は心配そうに大河を見つめ続ける。
二面性。
人なら誰しもが持つソレは、危うさを示す度合いでもある。
大河は敵対者に──仲間以外の悪党に対して容赦が無い。
かつて二人で攻め入った倉庫。
そこで見た悪党に対して慈悲の欠片も無い大河と、普段の悠理やケイオスのメンバーに見せる善良な人間であろうとする大河のギャップが、そのまま不安定さと直結している。
たやすく人を殺せる残虐性と、親しい人を慮る事のできる善性。
そこに一番苦しみ、悩んでいるのは、他ならぬ大河本人だ。
海斗や廉造、建栄にももちろんそういった二面性を持ち合わせている。
当然だろう。
人間なら誰しもがそうだ。
だけど大河は、大河しか知らぬナニカに縛られ、過去に縛られ、責任感と義務感に縛られ、身動きが取れないでいる。
まだ出会って一月と少し。
だがこの殺伐とした中野で共に背を預け、命を預け合った相手──親友の、そんな危うさが心配で堪らない。
幼少期より芸能界を渡り歩き、大人の汚さや醜さに触れ心の成熟を早めた廉造は、同年代の幼稚さと脳天気さに違和感を感じ親しい友人を作れなかった。
生まれて初めてなのだ。
こうまで気安く、こうまで信頼し、こうまで身近に感じた友人は、大河しか居ない。
だから廉造は歌い続ける。
大河を信じ、スキルによるバフが僅かでも大河の生存に繋がると無理矢理信じ、歌い続けるしかできない。
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祐仁の剣を振るう風圧ですら、その身体が揺さぶられる。
災禍の牙から生み出される【斬撃結晶】の赤い牙が、意識の外側から祐仁を噛み砕こうと空気を揺らす。
少しでも読み間違えれば、祐仁の、そして大河の攻撃で死ぬ。
海斗はそんな戦場に全神経を投入し、驚くべきほど深い集中力で喰らい付いていた。
「くぅっ!!」
水晶の牙が頬を掠め、新しい傷が刻まれる。
「っしぃっ!!」
不意に顔面目掛けて襲いかかるシェイプシフターを、身をよじる事でなんとか避ける。
海斗の短い前髪が、更に数ミリ短く切られた。
「──っつぅ!!」
食い縛った歯と歯の隙間から鋭い息を吐き出し、唯一見い出せた隙を狙ってハヤテマルを振るう。
祐仁の胴体に食い込んだその刃は、やはり浅い所で止まり、致命傷には至らない。
「──づぁああああっ!!」
ハヤテマルを祐仁の肉から引き抜き、掬い上げる。
筋肉量の少ない関節部分──腋の下から左腕を寸断するつもりで振り上げられたその刃は、雑に振り払われた左手の動きに阻害されて弾かれた。
「──くぅっ!!」
たったそれだけの動きで、海斗の身体は容易くバランスを崩す。
祐仁と海斗の身体能力の差。
見た目の筋肉量に依存しない、その馬鹿げた膂力に翻弄されている。
大河と祐仁の交戦の隙間、僅かばかりの連撃の隙を狙うしか、今の海斗に取れる手段は無い。
ハヤテマルが誇るその攻撃速度の早さが、全く活かせない。
怪我を負う事を厭わなくなった大河と、そもそも傷つくことに一切の意識が向かない狂った祐仁。
全く違う手段で理性と意識を消失させた二人の戦いに、海斗の介入する余地など殆ど遺されて居なかった。
ハヤテマルのスキルを使う暇すら見いだせない。
大河は海斗よりもかなり歳下である。
おそらく祐仁もまた、その言動から歳下と判断している。
そんな二人の殺し合いについて行けなくなってしまった事に、年長者としてのプライドがひび割れていく。
「──はぁああっ!!」
それでも海斗は腐らない。
ここで心折れ、目の前の二人から目を逸らす事を良しとしない。
大河も、そして敵である祐仁も、誰かの命と想いをその肩に乗せ、誰よりもボロボロに傷ついている。
全く似てないようで、正反対な様で、根っこが同じなのだ。
真面目すぎるが故に、気負いすぎるが故に逃げる事を選択できない大河。
真面目すぎたが故に、背負いすぎたが故に道を間違えた者を放っておけず、自らも間違えた道を選択してしまった祐仁。
起点は同じだ。
きっと二人とも、自分以外の誰かを救いたいと言う気持ちだけで、始まった。
純粋な善意では無いかも知れない。
打算もあっただろう。
損得を考えただろう。
だけど二人とも、仲間を想う気持ちだけは本物だったのだ。
心打たれていた。
自分より年若い二人の、そんな生き様に。
兄貴分としての、大人としての海斗の矜持が、今この場で先に倒れる事を拒否している。
だから海斗は立ち向かう。
レベルが──力量が不足していると自覚しながらも、この殺し合いに介入し続ける。
それがせめてもの、二人に対する誠意だと信じて。
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痛みが、焦りが、思い通りに行かない現実が。
大河の思考を真っ赤に染め上げ、災禍の牙の【憤怒】がそれに同調していく。
「──うぁああああああっ!!」
もう、今の大河には隣で戦う海斗への気遣いなど、到底できない。
災禍の牙の刀身が当たらないようにだとか、【斬撃結晶】の軌道を海斗から逸らして戦うだとか。
そういう細かな事に意識が向けられない。
祐仁の振るうシェイプシフターが、最も危険な箇所に当たらないよう動く事で精一杯。
それ以外──その刃が当たってもかろうじて死にはしない箇所への直撃を意識的に無視し、動けなくならなければそれで良いと、この両の腕と両の脚さえ健在であれば、なんとでもなると。
そして今、身体の全てに走る激痛──流した血の量それこそが、この無意味な殺し合いにおける大河の勝機に変わると。
大河はそう信じて、剣を振るい続ける。
池袋で手に入れた──手に入れてしまった称号、【解放者】。
そのスキル。
二つの詠唱で一つの攻撃手段となるそのスキルこそが、最後の手段。
だがそこに至るまでの苦痛が、そして今となってはもう救うことができない祐仁が、この東京で経験した全ての理不尽が、大河を苛み続ける。
「ぐぅううううっ!! うぁあああああっ!!」
募る。
募る。
積み上げられ、溢れ、どれだけ口から叫びとして放出しても、なお募る。
悲しみ。
嘆き。
後悔と諦観。
あらゆる負の感情が、災禍の牙の【憤怒】によって掻き立てられ、この身から零れ落ちそうなほどに苛烈な怒りとなって、自身の理性を、身体を傷として焼き続ける。
「だぁあああああああっ!! うらぁああああああっ!!」
大河と祐仁、そして海斗の周囲に舞う砕けた【斬撃結晶】の欠片が、飛沫となって飛び散る三人の血で濡れ、陽光に当てられて悲しく輝く。
「──うぅうううううっ!! うぅうううううあああああああああっ!!」
限界まで昇った沸騰しそうなほど熱い血が、大河の身体を本能で突き動かす。
もはや全身のどこをとっても、傷ついていない箇所など無い。
その痛みにノイズが走り断裂する激しい攻撃衝動とは別の。
思考の片隅に追いやられ、しかし恐ろしいほどに冷静さを保っていた小さな小さな理性が、必死に感情を処理しようとしている。
新宿、あの地下街で見た──たくさんの死を。
無限回廊で出会った──あの狂人を。
百貨店で襲いかかってきた──あの悪党を。
目白で暗躍していた──あのサイコパスを。
池袋で出会い、そして殺した──あの優しい女性を。
目の前に立ちはだかり、自分と殺し合いを続けている──この悲しい男を。
もう大河には我慢が出来ない。
憤りが最高潮に達する。
不甲斐ない自分に、この祐仁に。
そしてこの手が持つ、この災禍の牙に。
そして、この東京に。
「──くぅううううっ!! うぁああああああああああっ!! がぁあああああああああああっ!!」
一際甲高く発されたその叫びが──東京を揺らす。
今ここに解放の時、来る。




