儀式
大量の血が地面に赤い水溜まりを作る。
だらりと垂れ下がったミヤの身体。
しかしその手はまだ、ブラックウィルの柄を握って離さない。
身体が両断されるほんの数瞬、その顔が苦痛で壮絶に歪んだのを、大河は目撃した。
大河にはおそらく及んでいないとは言え、ミヤも間違いなく高レベル。
それ故の強大な防御力と体力が、簡単に絶命させてくれなかったのだろう。
果たしてすぐに死ねない事が、幸か不幸か。
カネは死ぬまでの数秒間で、祐仁になにかを伝え残せた。
ジュリは死の影を感じる事で、自分の生を再確認できた。
だがミヤは、身体が別たれた生者には想像もできない痛みの中で、恨みと殺意に染まったまま死んだ。
「……くっ」
大河は左手でミヤの手首を掴み、ゆっくりと動かす。
左肩に突き刺さったブラックウィルの鋒が、大河の血に濡れた刀身をさらけ出しながら引き抜かれていく。
「ぐぅっ、うぐぅううう……」
苦痛に顔を顰めながら、慎重に抜いたその黒い剣は、主を失いもう剣としての役目を果たせない。
死んだ巡礼者が遺した『咎人の剣』は、基本的にただの鈍器と成り果てる。
刃は鈍り、葉っぱ一枚切り裂けないほど切れ味を失い、その特殊能力は完全に失われる。
あの異変を生き残った全ての巡礼者が持つ『咎人の剣』は、巡礼者の個々人の精神の海より顕在化した神秘の器物──とは、高田馬場の大工房の職長の言だ。
その所持者が死んだ事で、意味を成さなくなる。
大河はゆっくりと、ミヤの手首から左手を放つ。
地面に貯まった自分の血の溜まりに、ミヤの身体が水音を立てて落ちた。
「ハァ……ハァ……」
小刻みに震える身体を守るように、大河は身を丸める。
災禍の牙を左手に持ち替え、空いた右手で左肩の傷を押さえ、小声で【手当】と唱えた。
異変最初期に『僧侶』のジョブオーブから覚えた、初級の回復魔法。
その回復量は微々たるモノだが、何もしないよりはマシに思える。
新たに流れる血を止めれるだけでも意味はあるだろう。
「ぐっ、ふぅ……ふぅううううっ」
痛みに顔を歪めながら、小刻みに震え始めた身体と大きく拍動を打つ心臓を宥めようと深呼吸を繰り返した。
恐怖。
この半年を掛けてゆっくりと感じなくなりつつあったあの感情が、今の大河の胸中で渦巻いている。
圧倒された。
気圧されてしまった。
ミヤの殺意に、憎悪に、身体が勝手に反応してしまった。
「おい」
突然背後から呼びかけられて、ビクンと身体が跳ねる。
慌てて振り返りながら左手の災禍の牙を持ち上げ、その鋒を声のした方向へと向けた。
「落ち着け。俺だ」
そこには、廉造に肩を貸した状態の海斗の姿があった。
「か、海斗さん……」
まだ毒が回っているのか、その顔は青白い。
だが頼れる仲間の姿を見た事で安心したのか、大河は左手の災禍の牙を力無く下げる。
「悪い……こっちも予想以上に手間取った。手伝えなくてすまん」
「い、いや。し、仕方ないし……廉造は、大丈夫か?」
大河がしているように、廉造もまた自分の腫れた顔面を押さえながら【手当】で傷を治していた。
普段は悠理の──最近は郁もだが、彼女らの強力な回復魔法によって10分と掛からず治癒できる怪我だ。
だが魔力の身体能力が低く、そして初級魔法しか履修していない二人では、その治癒速度は亀の歩み。
大河より前に治癒を開始していた廉造の顔も、ようやく腫れぼったさが解消された程度までしか治せていない。
「……僕は大丈夫。それより──」
廉造は右手で顔を押さえながら、ちらりと視線を逸らす。
その先には未だ偉そうに腕を組んだまま仁王立ちをしている、祐仁の姿があった。
その隣には、涙目をゴシゴシと擦っているDJカノーも居る。
「──追い詰められているはずなのに、なんであんな余裕そうにしてるんだアイツ……」
祐仁の姿を目視した廉造は、不愉快そうに顔を顰めた。
「アイツらは……別にこの殺し合いを勝とうとなんざ思ってねぇからな……」
海斗もまた、どこか悲しそうな表情で祐仁の姿を視界に入れる。
「仲間三人が死んだっていうのに、あのニヤけ面。まるでこいつらの死まで計画通りって感じで気に喰わねぇ」
「──まだ、何か俺らの知らない……仕掛けがあるんだ。きっと」
海斗の言葉に、大河はぼそりと呟く。
「俺が相手した姉ちゃんも、廉造と戦っていたあのカネって奴も、時間稼ぎが目的だって言ってやがった。その結果自分が死ぬ事も織り込み済みだって事もな……」
「僕には結局、アイツらの考えている事が全く理解できなかった……何をしでかしてくるのか、ごめん。正直全く予想できない」
「ああ、俺も──大河……お前、震えてんのか?」
海斗の指摘に、大河は慌てて左腕を背中に隠す。
「……久しぶりに、怖いって感じた。あのミヤって奴は……俺らを、俺を恨んでいたらしい。ちょっと嫌な記憶を思い出して、少しビビった」
そう、想起されたのは──実の父親の事。
全ての不幸と理不尽を大河に押しつけて、全ての元凶を大河だと勝手に決めつけ、自分の息子の首を力一杯締めていた時の、あの時の殺意。
「で、でも大丈夫だ。もう落ち着いてる」
身体の震えも、心臓の拍動も、ゆっくりと元に戻りつつある。
肩の傷はまだ全然塞がっておらず痛むが、【手当】のお陰で血は抑えられた。
「お前と廉造は自分の身体の事となると途端に嘘吐きになるからな。悪いが全く信用できねぇ」
「し、失礼な! 僕がいつ嘘を吐いたって言うんだ!」
「そ、そうだよ。俺だってそんな」
「あーぴぃぴぃぴぃぴぃ五月蠅ぇなこのヒヨコ供は──まぁ、たとえその言葉が本当だろうが嘘だろうが、アイツはこれ以上待ってくれねぇみたいだがな」
海斗のその言葉に、大河と廉造は同時に視線を祐仁へと向けた。
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「ミヤさん、少しはすっきりできたっすかね?」
「できたさ。きっとな」
祭壇前広場をゆっくりと歩きながら、祐仁とDJカノーはまるでコンビニに買い物に行く道中のような、そんな気安さで会話をしている。
「ミヤは俺らの中で一番友達想いで善良だった。本当は悪党なんてガラじゃなかったのに、俺らが放っておけないって無理してたんだ。臆病者で小心者の癖に、頑張って悪党を演じた結果があの似合わないサディストの演技だ。俺はミヤにこそ一番申し訳ないって思っているし、感謝してる」
「……大丈夫っすよ。王サマの想いは、俺らちゃんと理解ってましたから。ジュリ姐さんも、ミヤさんも、カネさんも、俺も……王サマが居てくれたから、この程度の壊れっぷりで済んだんです」
「……ほんとに、お前らには頭が上がんねぇよ。じゃあ……カノー」
「ええ、大丈夫です。後始末は俺が、しっかり」
「おう、これで俺も安心して──狂える」
そうな不穏な会話をしながら、祐仁とDJカノーはゆっくりと大河たち三人の前まで辿り着いた。
「よぉ。俺の自慢の仲間たちはどうだった? アンタらには遠く及ばなかったかも知れないが、それなりに苦戦しただろ?」
「……ああ、手強かったよ」
返事をしたのは、廉造だった。
「そっか、ありがとよ。この中野の──俺らの支配から解放されるラストバトルとしてちゃんと盛り上げられたみたいだな。じゃあ、最後は俺だ」
「たった二人で、俺らを相手に出来ると思ってんのか?」
次に祐仁の言葉に応えたのは、海斗だった。
「ん? ああ、違う違う。相手するのは俺一人だ。カノーは非戦闘員でな。さっき海斗さんと廉造に使ったスキルくらいしか戦闘手段が無いし、なによりアレは同じ相手には二度と効かない死にスキルだ。だからカノーの出番はアレでお終い」
面白そうに喉を鳴らして笑いながら、祐仁は三人の姿をまじまじと観察し、次に広場の外──小高い壁で隔たれた観客達を首を回して眺めた。
「見ろよ。自分たちじゃ何一つ状況を変えられない──変えようともしなかった悪党と弱者共が、無様に好き勝手喚いてやがる。どいつもこいつもアホみたいに醜い顔で声を張り上げて、みっともねえったらありゃしねぇな」
「……俺は」
じっと祐仁の顔を見つめ続けていた大河が、静かに口を開けた。
「俺は、アンタの考えがさっぱり理解できない。救われるべき弱者の選別って考えに、納得もいかない。だけど──」
大河は左肩の傷から右手を離して、ぎゅっと胸元で握る。
「なんでだろうな……アンタの事を、憎みきれない。嫌いになりきれない自分に、戸惑ってる」
「……そうか」
祐仁の表情が、初めて笑み以外の形に変わる。
それはどこか寂しそうで、だけどどこか嬉しそうで。
「だから、教えてほしい」
「何を?」
だがすぐに不敵で軽薄な笑みへと表情を戻し、祐仁は大河の言葉に応える。
「アンタがなぜそこまで弱い人達を憎むようになったのか。なんでこんな酷い街に中野を作り替えようとしたのか……あの、ミヤって奴は……自分たちには復讐する権利があるって言っていた。このまま何もアンタらの事を理解しないまま……アンタを殺したくない」
「……ふふっ、ふふふっ、くっふふふ! ふはっ、あはっ! あはははっ! ぐっ、ふふふふふふあーはっははははっ!」
爆笑。
突然腹を抱えて笑い出した祐仁に、大河も、廉造も、海斗も、そしてDJカノーすら目を見開いて驚く。
「あっははははっ、ひぃー! いや、悪い! シリアスな場面だってのに笑っちまって! 違うんだ! これはさ! 大河が本当に俺の思い描く救世主そのままの、俺の理想とする【解放者】そのままだったから、嬉しくなっちまってさぁ!」
目尻に涙を浮かべるほどに笑い続ける祐仁は、小声で詠唱を唱えるとその右手に自身の咎人の剣──『擬態剣シェイプシフター』を顕現させた。
剣の形に整形された肌色の肉片。
刃の先端部分には獰猛な口。
全体が定期的に脈打つその姿は、まるで一個の生命体のようだ。
「ふぅ……ふぅ……いや、うん。嬉しいよ常盤大河。本当に嬉しい。俺の事を理解しようとしてくれるその姿勢に、尊敬の念すら抱く。だけどここで俺に──俺らに何があってこうなっちまったかを説明すると、少し時間が掛かりすぎる。だから、話はちゃんと、殺し合いながらしよう」
祐仁はシェイプシフターを地面に深く深く突き刺した。
「っ!?」
「なっ!!」
「お前、何をした!!」
揺れる。
今東京を生き残っている巡礼者の殆どが、地震に敏感である。
なにせ異変が始まった時、真っ先にその身に降り注いだ恐怖こそが、あの大地震であったから。
祭壇前広場に殺到した多くの観客達から、悲鳴が聞こえる。
トラウマを刺激され、うずくまる者も居た。
脳裏にこびりついた恐怖に耐えきれず、失神する者も居る。
その大地の揺れの、おそらく起点──震源に、祐仁が立つ。
「この〝征服者の祭壇〟は、今の中野を象徴する建造物であり、クラン・ロワイヤルを制した者に贈られる特別な戦利品だ。【征服者】である俺と、俺の仲間達の拠点であり、そして祭壇である以上、儀式を行う場所でもある」
激しく揺れる地面に怯む事なく、祐仁は淡々と話す。
その声は隣に立つDJカノーのメガホンによって増幅され、悲鳴が轟く広場中──いや、もしかしたら中野区全域にまで届いている。
「この祭壇で行える意味のある儀式は二つ。一つはクラン・ロワイヤルそのもの。この中野を支配する征服者を決めるために多くの巡礼者の血を必要とする大規模儀式は、この最終決戦の結果を持ってして完了する。そしてもう一つ。これは【征服者】の称号を持つ俺と、俺の愛する仲間達によって行われる儀式」
征服者は地面からゆっくりとシェイプシフターを抜き取り、天高く雄々しく掲げた。
「建築ユニット効果──【儀式】と、拠点効果──【征服者への忠誠】。俺は死んだ三人の仲間の心臓を祭壇に捧げ、この身にその力を宿す」
「──はぁ!?」
その言葉の意味を噛み砕けない廉造が、驚愕した。
「くっ!!」
その言葉の意味を瞬時に理解できてしまった大河が、災禍の牙を持ち上げ、両手で構える。
「廉造、構えろ!!」
その言葉の意味は理解できないが、戦闘開始の匂いを肌で感じた海斗が、肩に担いでいた廉造の腕を下ろして腰の鞘に手を添えて身を屈めた。
「愛する配下たちの命を贄に、俺は俺であることを放棄する。ちょっと行儀悪くなっちまうかもしれねぇが、ラストバトルに相応しい強さになると思うぜ? さぁ、【解放者】。常盤大河」
祐仁の背後に聳える〝征服者の祭壇〟が、赤く激しい光を明滅させて震えている。
「殺し合おう。決して相容れない征服者と、救世主で。この地獄に相応しい、最高のフィナーレって奴を!!!」
祐仁が最後に視線を送ったのは、目の前に相対する大河では無かった。
その視線の行く先は遠く、恐怖に騒ぐ観客たちの中でも固唾を飲んでこの戦いを見守っている〝東京ケイオス〟のメンバー達。
その中心で、大人達に守られるように囲まれている──百瀬千春。
たった一瞬。一秒にも満たない時間。
祐仁と千春の視線が、まっすぐぶつかった。
 




