臆病で嘘吐きなボクらの①
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『ぐすっ、ひっぐ……うぐぅうう』
16時半を知らせる区役所からの放送。
それを聞いた子供たちは一斉に家路に着いた。
真冬の太陽はあっという間に落ちて、もうすぐこの公園にも夜がやってくる。
だけど一歩も足が動かず、併設の公衆トイレの後ろ。誰にも見つからない場所でうずくまって泣き続ける小さな小さな〝彼〟は、厚手のジャケットに身を包んだ自分の体をギュッと抱きしめて泣き続ける。
親の都合で引っ越してきた、思い入れも慣れも無い見知らぬ地。
新しい家はこの公園から見える高層マンションの中層階で、帰ろうと思えばすぐに帰れる。
だけど、ひどく打ちのめされた心が体を家路へと動かしてくれない。
『嫌いや……みんな、大嫌いや……ぐすっ、ひっく』
淡い期待と不安を胸に初登校した小学校では、関西弁のイントネーションが変だとからかわれた。
同じ学年でも小さい背丈も、親の意向で染められた髪も、見栄を張りがちな性格も。
たった一日で馬鹿にされ、笑われて。
カネ──幼い日の金森は、東京と言う街が大嫌いになった。
『お、おばあちゃんに、な、ぐすっ、なんて言ったらええんや……ひぐっ』
海外に単身赴任している父が一人では不安だと、母は金森を祖母に預けた。
父方の祖母は関東の人間で、食生活や生活リズムが微妙に違う。
優しい祖母の事は大好きだが、使う言葉も習慣も違う。
だから金森は東京に引っ越してきてからずっと、拭いきれない違和感の中に居た。
子供はすぐに友達が出来るものだと信じて疑わない祖母に、自分の事を優秀な孫だと信じて疑わない祖母に。
お友達と一緒に飲み物でも飲みなさいと、五千円もの大金を渡してくれた祖母に。
靴を奪われ服を破かれ、お金まで奪われたとどうして報告できよう。
どうしてあそこまでひどい事ができるのか。
幼い頭ではさっぱり理解できない。
ただ生まれた故郷を馬鹿にされたのが悔しくて、つい京都と東京の違いを自慢しただけだ。
古都の誇りをかなり大げさに誇張し、存在しない自身の経験をねつ造して東京と比較しただけで、クラスの目立つグループ全員から目の敵にされ、放課後までいろんな場所に引きずり回され、そして靴とお金を奪われて公園に放置された。
東京は怖い街だと、そういう印象が幼い金森の心に深く刻まれるのも無理の無い話である。
悪いのは誰かと問われれば、金森を取り巻く大人も子供もすべてが悪かった。
引っ越し前から関東を毛嫌いし、祖母や東京の悪い印象を執拗に息子に植え付けた母も。
一人息子を母親から離す事を懸念もせず、単身赴任先に母を呼んだ父も。
金銭感覚が一般とかけ離れているが故に、無責任にも小学4年生に五千円もの高額紙幣を押しつけた祖母も。
転校生は放っておいてもクラスの話題になるだろうと、一切を気にかけず放置していた担任も。
そしてあまり育ちも素行も決して良いとは言えない、将来が危ぶまれる育ち方をしていた、クラスの目立つグループの男の子たちも。
そして負けん気と見栄が強く、自分を大きく見せるためなら平気で嘘を吐いてしまう、幼い金森の性質も。
全員が全員、明らかに悪かった。
『ぐすっ、ひっぐ、ううううう……』
見栄っ張りで負けん気が強く、甘やかされて育ったがために我を通す環境に慣れていた。 転校前の小学校では、上流階級育ちの自分の家への忖度が幼い子供たちにもしっかりと浸透していた。
母方の祖母の家に、母の兄である次代金森家の当主である叔父とその家族さえ居なければ、きっと今頃あの古びた巨大な豪邸で、今まで通りわがままを押し通せていたはずだ。
だけど東京の祖母は金銭感覚がおかしい以外は旧家の名を厳格に守る頑固者で、そして躾に厳しい。
きっとこのまま、靴を奪われお金を取られたと泣きついても、きっと叱られるだろう。
なぜやられっぱなしなのか。
合法的な手段を講じず、泣き喚いて物事を納めようだなどと、男の子がするべきではない。
やられたら、やりかえせ。
やりかえせないのなら、やりかえす方法を自分で模索せよ、と。
叱られる事がなによりも怖い幼い頃の金森にとって、東京の祖母とは恐怖の対象だったのだ。
だからこうして、家にも帰れずただうずくまって泣く事しかできない。
『大丈夫? なんで泣いているの?』
ふと、声をかけられた。
泣きすぎて痛む目尻をこすり、顔を上げる。
『立てる?』
そこには、古びた汚い服をさらに土や泥で汚し、顔や露出した部分を傷だらけにした巨大な男が立っていた。
『キミ、三組に転入してきた子でしょ? 虐められてるの?』
靴を失いお金を奪われた自分なんかよりも、遙かに惨めで薄汚い。
鼻の下には血が乾いてボロボロと剥がれ落ちた跡が残り、ボサボサの短髪には汗と土埃が混じったなんとも言えない液体が濡れている。
『俺は二組の宮間って言うんだ』
大きくがっしりとした体格から伸ばされた右手は、威圧感。
だけどその声はとても穏やかで優しく、そして間延びしていた。
これが、二人の出会い。
終生の親友と認め合う金森と宮間──ミヤとカネ。
臆病者と嘘吐きの、優しい出会いだった。
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「ううぅうううっ、ジュリ姐がっ! ジュリ姐が死んじゃったあぁあっ!!」
子供の様に泣き喚きながら、ミヤはその手に持つ黒い剣──ブラックウィルを乱暴に振り回す。
どうみてもマトモな精神状態では無い。
錯乱していると断言できる。
「ぐっ! ふっ!」
大河はそんなミヤの攻撃を災禍の牙──ファングオブカラミティで防ぎ続ける。
「ああぁぁぁぁっ! ちゃんと死ねて良かったねぇぇえええ!! ジュリ姐ぇええええっ!!」
「ちっくしょっ……っ!」
目の前の敵よりもレベルもステータスも高いと思われる大河が、なぜここまで苦戦しているのか。
想定外は、三つある。
一つ目。
災禍の牙に超接近距離という弱点が存在していた事。
この剣の持つアビリティ【斬撃結晶】は、あくまでも剣のリーチの延長でしかなく、剣本来の攻撃範囲の内側ではなんの役にも立たない。
ミヤの持つブラックウィルのアビリティ【虚無】は、その黒い刃が接触して初めて発動するアビリティだ。
必然、戦闘スタイルは近接戦闘。しかもミヤの加虐性故に本来剣士が保つべき距離の更に内側で戦う癖があった。
興奮状態も加味して、距離を離そうにも勢い任せに肉薄されてしまう。
これでは大河の優位性が得られない。
二つ目は、王サマのアビリティである【征服】の存在とその効果。
称号持ちという意味では、大河と王サマはある意味同格だ。
しかし大河の持つ【解放者】と王サマの【征服者】は明らかに毛色が違いすぎる。
まず、【解放者】にはアビリティは存在しない。
今の東京──『東京ケイオス・マイソロジー』におけるアビリティとは、基本的に体力の損耗無しに、直接的な攻撃では無い様々な効果が本人の意思とは無関係に自動的に発動する能力を指す。
多少の発動条件はあれど、どれもオンオフが効かないモノで、そして癖がある。
例えば海斗の持つハヤテマルのアビリティ、【帯刀】が一番分かりやすい。
本来は顕現させるだけで徐々に体力を消耗させる『咎人の剣』を、鞘に納めている時に限り、消耗無しで顕現状態を維持させる事ができる。
レベルによる身体能力の数値は、『咎人の剣』を顕現させている間だけ身体に反映される。
そうでなければ、高まりすぎた筋力が災いしてまともな生活が送れなくなってしまうのだ。
故に巡礼者は戦闘時に、詠唱でわざわざ剣を顕現させるというプロセスを経る必要がある。
低レベル巡礼者たちにとっては、顕現させる事で消耗する体力も深刻だ。
ハヤテマルの【帯刀】は、そのプロセスとデメリットを全て省略できる破格のアビリティだ。
常に臨戦態勢が取れて、誰よりも先んじて攻撃に転じる事ができる。
アビリティとはこの様に、条件さえ整える事が出来れば自動発動し、なおかつ発動にコストを必要とせず、良くも悪くも戦況を変える事の出来る能力。
だが大河の【解放者】には、そのアビリティが存在せず、【征服者】には存在した。
その威圧的な名前に相応しく、【征服者】がその足で立つフィールドを時間経過で自陣営に有利な土地に征服する──言い換えれば、相手に不利を押しつける能力。
敵の身体能力へのデバフ。
そして恐らく、味方への身体能力へのバフ。
これが本来、レベルと身体能力でミヤを圧倒していたはずの大河を苦戦に追い込んでいる。
そして三つ目。
災禍の牙の持つ【憤怒】のアビリティが、想定よりも早く大河の精神へと影響を及ぼしている事。
「ぐっ! こいつっ! 調子にっ!」
苛ついている。
まだ戦いが始まって、15分も経っていない。
だがこうまで不利な状況に追いやられ、なんとか打開できないかと攻撃の隙を見て様子を伺った海斗と廉造は劣勢状態。
何一つ上手く事が運べない状況への苛立ちと、災禍の牙の持つ怒りが完全に呼応し、同調している。
ミヤの後ろで腕を組み、偉そうにほくそ笑んでいる王サマの表情も気にくわない。
たった今、自分の仲間が海斗によって殺されたにも関わらず、その不適な笑みが一切崩れないのも納得できないし、理解もできない。
「お前らっ……! 本当に訳わかんねぇんだよっ!」
祐仁が初めて自分の正体を明かしたあの時から、大河にとってクラン〝覇王〟は何一つ理解できない存在だった。
弱者の救済を掲げているのに、弱者を虐げるその姿勢も。
弱者から救われるべきものを勝手に選別する意味も。
大河の側で活躍を見届けたいと言う酷い理由で、本来の祐仁を〝喰らった〟行為も。
回りくどく残虐な中野の統治システムも。
本人達は負けるつもりでいるのに、死ぬ覚悟を決めているのに、こうまで苦戦させる意味も。
そして仲間を想う気持ちはあるのに、仲間の死を祝うその精神も。
どうしてそんな思想を持つに至ったのか、その背景も何も、大河には分からないのだ。
だから大河は苛ついている。
現状、戦い続ける事は王サマの手の上で踊らされているに等しい行為だ。
だが大河にもケイオスにも、戦わないと言う選択は取れない。
全く理解が及ばないまま、戦う事でしか前に進めない今の自分たちの弱い立場にも、なにもかもに苛立ち、そしてその苛立ちが災禍の牙と同調し始めている。
戦況は依然、混迷を極めている。




