生きている実感を〝アタシ〟に②
「ぐぅっ!!」
思い切り蹴飛ばされた身体が宙を飛び、祭壇前広場の地面に二度叩きつけられる。
「ふぅっ! かはぁっ!」
喉から吐き出された血を拭おうにも、腕を動かそうとすれば足が動くし、首を動かそうとしたら腰が動くという感覚の狂いのお陰でソレも叶わない。
なんとか適応しようともがいてみるも、普段当たり前に動かしている部位が思い通りに動かないなんて異常事態にそうそう慣れるはずもなく、カネから浴びせられる容赦の無い暴力の所為で集中する事すらできない。
(痛いなぁもう!!)
高レベルの恩恵である人間離れした打たれ強さでなんとか意識の喪失や致命傷にはなっていないが、そうでなくても痛みは普通に来る。
すでに鼻や口からは大量の血反吐を噴出しているが、だがしかし廉造は意外と冷静であった。
(【催眠】デバフが切れるのを待つしかないのか!? その前に兄貴が死んだら元も子もない!! 考えろ! こういうときこそ、ちゃんと!!)
余裕すら感じる足取りで近づいてくるカネからできるだけ目を逸らそうと、でたらめに身体を動かす。
「もがきはるなぁ。かっこええわほんま」
「ありがと! ていうかキミらさ! ぺちゃくちゃ喋りすぎなんじゃない!? スキル効果とか剣の名前とか! なに!? 僕らを舐めてんの!?」
「舐めてる? いやいや、そないなことしませんって。なにせアンタならまだしも、そっちのお兄さんならボクが一呼吸する間にこっちの身体を真っ二つにしかねん強さなん、知ってますから。でもまぁ、警戒しすぎたんかなぁとは思いますけどね。今のアンタラ見てたら」
カネの皮肉に対して、もう取り繕う余裕も無い。
できるだけ相手を見ないようにしているのは、敵であるカネ自身がスキルの発動条件を漏らしたからだ。
相手の剣である『偽証剣ペンデュラム』。
ネックレス状のアクセサリーの形をしたその咎人の剣の姿を見ることで、暗示が完成する──らしい。
らしいというのは、廉造はまだその言葉の全てを信じていないから。
一瞥しただけでこうまで動きがかき乱されるというスキル効果は、ハッキリ言ってぶっ壊れ性能すぎる。
最初に第二小の応接室で会った時から、この小柄な金髪の関西人を胡散臭いと警戒していた。
立ち居振る舞いが、話し方や所作が、虚実をない交ぜにしたかのような嘘くささが感じ取れる。
(上手い嘘つきは、たくさんの本当の中に少しの嘘を混ぜる……スキルの発動条件、絶対に他にあるんだ! そうでなきゃ、こんな簡単に勝ち確みたいな状況を作れるわけない!)
この東京はとても残酷で、巡礼者に対して酷く暴力的で理不尽だ。
だが廉造は、ある意味その理不尽を信頼している。
今の東京は、全ての巡礼者に対してどこまでも平等である。
効果の強いスキルに対して難しい制限や制約が課せられる。
強力な剣の成長条件が、それに相応しい難易度を持っている。
強者も弱者も等しく、『その手を汚す覚悟さえあれば、ゲーム的なシステムが恩恵を与えてくれる』という、ある種のフェアな環境を形作っている。
大河と出会い戦う覚悟を決めたケイオスの──元アンダードッグだったメンバーらがそうだった様に。
廉造自身が海斗と出会い、その快活さと強さに惹かれて世界に抗う覚悟を決めた時の様に。
あの馬鹿が──本来暴力とは縁遠い、どこまでもお人好しであっただろう大河が、自身の心と身体を傷と血で汚しながら誰よりも強く戦っている様に。
今の東京は強くなると決めた弱者を正しく強者に導くようにできている。
だからこそ、そんな意思を途中で摘むような、そんなスキル性能があってはならない。
高レベル巡礼者と低レベル巡礼者の身体能力の差は仕方が無い。
同じ期間を戦い抜いた者と、逃げ続けた者の差である。それこそが平等であろう。
だがこんな、生き足掻く者をあざ笑うような、そんな性能のスキルが今の東京に存在する筈がない──と、廉造は考える。
(だからぜったいに、【催眠】スキルも【魅了】スキルも……その強力な効果に反して達成困難な条件が設定されているはずなんだ!!)
その暗示が発動される条件として、『偽証剣ペンデュラム』を視界に入れる事とカネは言っていた。
しかしそんな簡単で、曖昧な条件設定をこの東京が許すとは思えない。
ジュリの【魅了】スキルもそうだ。
スキルコンボによる効果の増強がかかっているとはいえ、一定時間無防備を相手に強要させるなんてチートすぎる。
(思い出せ! 突然手足が、腰と首が思い通りに動かし辛くなったあの時! 直前! 僕は何をした!? アイツは何を!!)
数分前の光景を、鈍い痛みで混乱する頭の中で必死にリフレインする。
カネはわざわざ自分たちのスキルの説明をしながら、シャツの内側からペンデュラムを取り出し見せびらかした。
その直後に、廉造は自分の身体のコントロールを失った筈だ。
(スキル効果を自ら晒す行為に、なにかしらの意味が──? そういう設定の漫画、読んだことあるけど……でも、それなら……)
一度説明する事で条件が達成すると言うのなら、その効果が永続する事になる。
それはスキルの内容的にあまりにも相手に不利すぎる。
うつ伏せの常態からぐぐっと、廉造は腕に力を込めて上半身を持ち上げた。
徐々にではあるが、暗示の効果が薄れてきているのを実感している。
指先まではまだであるが、腕や手のひらならもう廉造の自然意識下に戻ってきていた。
(順序立てて考えよう。アイツは自分やあのジュリって人のスキルの説明をしながら、シャツの内側からペンデュラムを──シャツの中から……?)
「頑張りますなぁ。さすが、ケイオスの幹部メンバーや。かっこいいかっこいい」
「ぐはぁっ!!」
まとまりかけてきた思考を断ち切るように、腹部に強烈な痛みが走る。
カネの全力のサッカーキックが、廉造の腹部に直撃し、身体が浮いて吹き飛ばされた。
ゴロゴロと地面を転がりながら、廉造ぎゅっと瞼を閉じる。
「ふぐぅっ、ぐはっ、げほっ!」
肺の底から喉元にかけて、えぐみを伴った酸っぱい味がせり上がってくる。
腹の痛みと同じくらいに、喉が焼けるように痛む。
だが廉造は、その痛みを努めて無視し、考え続けた。
(あ、あの剣がネックレスとして服の内側に入っていたのは、剣である事を隠すためだと思ってた。でも違う。あれはその名前の通りにペンデュラム。ネックレスのストラップ部分含めて一本の『咎人の剣』……ネタばらしをするために服の内側から取り出す事、それ自体が!)
揺れるペンダントトップを凝視させる為のテクニック。
(たぶん数秒、それだけの時間あの剣を見つめさせる事が暗示の発動条件! なら!)
カネの余裕を感じさせる足音に耳を澄ませながら、廉造は機を伺う。
「ごほっ、ひゅー、ぐっ」
なるべく自然に聞こえるように咽せたり、咳き込んだりと演技をしながら、もっと内側に、間合いに入ってくるのを待ち続ける。
「はぁっ! はぁっ!」
演技は得意だ。
もしかしたら歌やダンスよりも得意かも知れない。
なにせ加賀屋廉造は──三宮憐は、アイドルとしての人気を確立する前は天才子役としてあの弱肉強食の芸能界を生き抜いてきたのだから。
「……おっと、なにか待たれてはります?」
だがカネは、廉造のその渾身の演技をいとも簡単に見透かした。
ピタリと、その歩みを止める。
「おっかないわぁ。アンタ、結構図太い神経しとるんですね。危ない危ない」
「ぐううううっ!」
歯痒い思いを噛みしめながら、廉造は腕に渾身の力を込めて身体を持ち上げた。
目は閉じられたまま。
ペンデュラムの揺れをもう一度見てしまえば、全てが振り出しに戻ってしまう。
「何かに気づいてはったようですけど、無駄でしたねぇ。ああ、もしかしてこれの本当の条件に辿り着きましたぁ?」
チャラチャラと金属の鎖が擦れ揺れる音が聞こえる。
「多分ですけど大正解ですよそれ。と言っても、ペンデュラムを視界に入れないように戦わなければならないのは変わらないんですけど。ああ、そういうこと! 限りなく密着して戦えれば、ボクがこれを揺らす事ができなくなるって事か! だからボクが近寄ってくるのを待ってたんですねぇ! 頭ええわぁ」
そう。
ほぼゼロ距離にまで肉薄する事ができれば、シャツの内側からペンデュラムを取り出す暇も与えず攻撃を仕掛ける事ができれば、身体能力数値で上回っている廉造に軍配が上がる。
カネも廉造も前衛向きの能力でもなければ、前衛に即した戦い方も持ち合わせていない。
しかしほぼ攻撃力を持たないアクセサリー状のペンデュラムに比べ、廉造の剣である『集音小剣エコー』は短めのナイフとしての僅かな殺傷能力を持ち合わせている。
しかしそれも、距離を少しでも取られる事で意味を為さなくなる。
「……ちぃっ」
廉造は目を閉じたまま、舌打ちを一つ。
「ボクってほら、嘘つきやから。人の演技とか隠し事とか、そういうのに目敏いんや」
くくくっと、カネは喉を鳴らして嬉しそうに笑った。
「そうやってずっと目を閉じて戦うつもりですか? いや、ボクはええんやけどね? 戦い辛くない?」
「……煩いなぁ! アンタなんか、目を瞑っていても余裕なんだよ!」
カネの皮肉に皮肉で返そうにも、もはや取り繕うほどの心の余裕も無い。
目を開けないと相手の動きが分からないのに、目を開けた瞬間にまた暗示にかかってしまっては何の意味も無い。
廉造の心に焦燥感だけが募っていく。
こんなに追い詰められたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「強がりがお上手で。ほなら、遠慮無く行かせて貰いますわぁ」
「ぐはぁっ!!」
カネの声が左右にブレて聞こえてくると同時に、右頬に痛烈な痛みが走った。
脳みそまで揺らす強い衝撃に、思わず目を開けそうになる。
左足をなんとか踏ん張ることで、倒れるのを防いだは良いが、ゆらゆらと揺れる身体がさっきとは別の意味で言うことを聞いてくれない。
「うわっ、ちょっとカネくーん。その子の血がこっちにも飛んできたんだけどー?」
「おっと、ごめんジュリ姐。勘弁してや」
すでに下半身を全て露出させていたジュリは、海斗の腰に馬乗りの状態だった。
首だけを捻らせて、カネに対して非難の言葉をぶつける。
飛び散った廉造の血が、いや──迫り上がってきた胃液や涙、唾液などが入り交じったその液体が、海斗の鼻の周囲にまで浴びせられていた事に、まだ誰も気づけていない。




