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「ラナちゃんだぁー!!」
「わっ、お姉ちゃん。危ないから飛びつくのやめてー」
背後から突然覆い被さって来た姉に、妹はテンション低めにリアクションを返した。
「んふふー、三日ぶりのラナちゃんだぁー。お姉ちゃん、寂しかったよぅ」
「仕方ないでしょうー? やることたっくさんあって、みんな手が回ってないんだからー」
姉のレナよりも頭一つ分身長が低いラナは、ぐりぐりと頬ずりをしてくる姉を鬱陶しそうに引き離そうとする。
「イベント系システムだけのラナですらてんやわんやなのにー、全体統括のお姉ちゃんなんかもっと忙しいんだから、会えないのは仕方ないよー」
「分かってるけど、やっぱり愛しい妹に三日も会えないのはキツいよー。それにさっきまでご報告のお仕事してきたからさぁ。メンドくさすぎてお姉ちゃん泣いちゃいそうだったんだー」
後ろから覆い被さり首の左右から腕を回して、レナは妹をぎゅっと抱きしめる。
二人が居るのは、どこかアラビアンな意匠で装飾された真っ白い通路。
白亜の宮殿をイメージして制作された、この廃都・東京でも際だって重要な施設の廊下だった。
天井から吊り下げられたアジアンなシャンデリアもそうだが、長い廊下に等間隔に設置されているモダンな燭台や女性の姿を模した彫像など、様々な国のテイストが無節操に混ぜられていて、コンセプトが読み取れない。
「今日はもうお仕事終わりー?」
「終わりだよぉ。あんまり見たくない顔を長時間見させられて、更にくだらない自慢話や愚痴を延々と聞かされたから、他のお仕事があってもできる気力が残ってませーん」
背中にくっついたままの姉を引き釣りながら廊下を進む妹がそう問いかけると、姉は抱きしめる力を若干強くしながら答える。
「だから今日は、お姉ちゃんと一緒にご飯食べようねぇ?」
「……良いのかなぁ? 他のシステム天使の人たちも、最近は特に忙しいんでしょう?」
「そりゃあねぇ? 巡礼者さん達が廃都の環境に順応し始めて、最初の頃と比べてもかなり動きが活発化しちゃってるからねぇ。ラナちゃんだって、色んなイベントが同時に始動しちゃってて、調整大変でしょう?」
「ラナはお姉ちゃんが手伝ってくれてるから、まだ楽してる方だよー。大きいイベントも幾つか終わったから、今は細々したモノの調整だけしてるー」
「偉ぁい。ウチの妹が偉すぎて、お姉ちゃん泣きそうだよぉ」
「で、他の天使のお姉さん達のお仕事は手伝わなくても良いのー?」
「んー、今日は大丈夫かなぁ? ミライちゃんのとこはまだそこまで切羽詰まってないみたいだし、マコトちゃんはウチなんかよりも優秀だしぃ。喫緊で手を貸さなきゃいけないようなトラブルは無いみたいだねぇ」
ゆったりとした足取りで、地雷天使姉妹は廊下を進む。
「あ、そう言えばさっきユメちゃんから聞いちゃったんだけどぉ。ラナちゃん、ちょっと前に大河に会ったんでしょう? なんでお姉ちゃんに言ってくれなかったのぉ?」
「う、ユメ先輩……バラしたのかー」
にまにまと表情を歪ませる姉に対して、妹は苦虫を噛みつぶしたような渋い顔を見せる。
「普段はあんまりお喋りしないラナちゃんが、とっても可愛くお澄まししてお話してたって教えてくれたよぉ? どう? 大河、格好良かったでしょう?」
「う、うん、さすがは創造主の大事な人だったよー。とっても優しくて、責任感があって……だから誰よりも傷ついてたー」
「うんうん。大河はそういう人だねぇ。生き残ってくれて、嬉しいねぇ」
妹の頭頂部のつむじに顎を乗せて、姉は嬉しそうに笑う。
顎の尖った部分が痛くて少しだけ顔をしかめ、ただ姉があまりにも嬉しそうにしているものだから、ラナは何も言えなかった。
「あ、お姉ちゃん……あの人ー」
廊下の奥に見える姿に、二人は立ち止まった。
「これはこれは地雷天使姉妹様、揃って元気そうで何よりであるな」
「魔王ちゃん! 久しぶりだねぇ!」
レナに魔王と呼ばれた人物──少女は、恭しく頭を下げる。
「魔王領も少し落ち着いてきたので、〝あの方〟にご報告に来たのであるな。先日までは寝る間も惜しむほどの忙しさで、流石の余でも弱音を吐く寸前であった」
ラナよりもかなり背が低い、この魔王と呼ばれる少女は、見た目で言えば小学生低学年。
そんな幼気な少女の身につけている布地の面積が信じられないくらい少ないその衣装は、褐色の肌を惜しげも無く晒し、腹部から胸部の際々までが大胆に露出されたとんでもないモノだ。
額にキラキラと輝く純金のサークレットの中央部の穴からは、魔族の証である真っ赤な角が生えていて、魔王が身体を揺らす度に鈍く発光していた。
「中央区は他の区とまた違って特殊だからねぇ。ウチら天使は手が貸せないエリアだから、魔王ちゃんが頑張ってくれてとても助かってるよぉ」
「隣接している煉獄・文京からの魔物の侵攻も落ち着いてきているのでな。巡礼者達も最近は積極的に活動し始めたようだ。死者の数も一時期に比べてかなり少なくなった」
「あの頃は毎日の様に死んでたもんねぇ。中央区から巡礼者が居なくなっちゃうんじゃないかって、ハラハラしたもん」
(こうやって見てると、しっかりして見えるんだよねー)
自分の頭上に顎を置いたまま、姉は魔王と業務的な雑談を続けている。
システム天使全体統括、地雷天使レナ。
全NPCの中でも最も強大なシステム権限を持ち、そして最も有能であり、誰よりも多忙な姉。
ラナはそんな姉を誇らしく思いながらも、二人っきりの時に見せるだらしなさだけが不満であった。
今みたいに、バリバリと仕事をこなす姉の姿をずっと見たいと思いつつも、大変だからこそ気を抜いて甘える時間が必要なんだろうと理解している。
人見知りする上に物怖じする性格のラナは、目の前の魔王とはあまり親しくなかった。
話しかけられれば返事はできるが、ラナから話題を振る事は無い。
会話が弾まない事を申し訳なく思うが、幾ら脳内を検索しても共通の話題が見つからないので、相手から話題を振って貰うしかないのだ。
「──というわけで、魔王領での大型イベントはまだ始まりそうにない。今の巡礼者のレベルでは、余の城の門番にすら敵わないであるからな」
「中央区は高レベル推奨のエリアだからねぇ。叛逆イベントは年単位で先の話だと想定してたから、大丈夫だよぉ」
「うむ。それで、今日は〝あの方〟は?」
「居るよぉ? さっきまでグチグチと自慢と愚痴を聞かされてたぁ。いつもの部屋で、まだ観察を続けているんじゃないかな?」
廊下の奥、今来た方を指指して、レナはげんなりと眉を下げる。
「観察……今は、中野の方のイベントに夢中だと鬱天使様から伺っておるが?」
「そう、お気にの巡礼者と嫌いな巡礼者がガチバトル始めそうだから、ニヤニヤしながら中継鏡を眺めてるの。今日は特に嬉しそうだったなぁ。嫌いな方が苦しそうにしてたから」
目つきを鋭く細め、レナは遠く廊下の向こうを睨んだ。
「相変わらず、全体統括様は〝あの方〟が苦手であるか」
「苦手って言うか、きらーい。本人にも直接伝えてるもん。何もしない癖に文句だけは多くて偉そうで、勝手に調整変えたり、システムに干渉してくるし。あの人のせいで天使ちゃんたちがどれだけ大変な目に遭ってるか考えたら、好きになれないよぅ」
(それは、私も)
ラナは脳内で姉に賛同する。
世界観の簒奪者。
システムの干渉者。
そして、この世界の観察者。
敬愛する創造主がゼロから創り上げたこの廃都・東京を掠め取り、歪めてしまったモノ。
システム天使の──いや、多くのNPCと言う自覚のあるNPCが、ソレを毛嫌いしている。
「魔王ちゃんも気をつけてね。あんまり順調そうな報告をしちゃうと、アイツつまんなさそうな顔してもっと巡礼者にキツい調整にしろって命令してくるから。ウチらに拒否する権利が無いからって、好き放題言ってくるよ?」
「理解しているであるな。ただ、〝あの方〟はあくまでも楽しみたいだけである。この廃都を、『ケイオス・マイソロジー』をできるだけ長く継続させたい気持ちだけは余らと共通していると認識している。故に極端な仕様変更はしない筈であるな」
魔王は神妙な顔で頷き、また歩き出した。
「今度、我が領で取れた産物を使って食事会を開こうと考えているのである。他の天使様や白ノ巫女様も誘うつもりであるので、地雷天使のお二人も是非出席して欲しいのであるな」
にこやかに、ひらひらと手を振って魔王は廊下を奥へと進んでいった。
「やった。楽しみだねぇラナちゃん。ミコお婆ちゃんと久しぶりに会えるねぇ」
「お姉ちゃん、ミコ様にお婆ちゃんなんて言ったら怒られるよー」
「だって、あのしゃべり方はどう考えてもお婆ちゃんじゃない?」
魔王と別れた地雷天使の二人も、魔王とは逆方向へと再び歩を進める。
仲睦まじくくっつきながら、嬉しそうに、楽しそうに。
(大河……大丈夫だよ大河。貴方は廃都の──『ケイオス・マイソロジー』の抱えた唯一の奇跡。創造主が意図せず呼び込んだ、微かな希望。そんな大河なら、きっと今回だって、大丈夫だから)
地雷天使レナは脳裏に常磐大河──この廃都における唯一の『エラー』の姿を思い浮かべる。
何も特別では無い。
他の巡礼者と同様に、システムの管理下にある普通の青年。
しかし、そんな大河が今まさに東京に存在すると言うことそれ自体が、『東京ケイオス・マイソロジー』という世界における異常である。
それがこの先の未来に、誰に、何に影響を及ぼすのか。
それはシステムの全体を統括する地雷天使レナにも、そして魔王の言う〝あの方〟にも、分からない。
だけど確かに、常磐大河はこの東京を生きているのだ。




